異変
キースは前方に視線を据えつけて、神経を研ぎ澄ましていた。
何も言わずにここまで来たとはいえ、キースはファルのようには、楽天的に事態を受け止めてはいなかった。そもそも今までの経験で、表に出てこないもの、目には見えないもののほうに、まず意識を向けるのが癖になっている。キノイの里という、一見純朴そうなこの場所も、そこかしこに漂う無気力な雰囲気が、ひどく気にかかった。
いろいろな面で天界とは文化や文明の程度が異なるのは当然だろう。しかしこうまで活気に乏しいというのは、なんらかの理由があるはずだ。一応「里」という名がついて、それなりの集落を築いているはずなのに、ここは明らかに年寄りと大人ばかりが目立ち、子供の姿がほとんどない。
彼らがこちらに向ける瞳、そして空気に、敵意や禍々しいものは感じ取れないが、だからといって安心できる要素は何もなかった。
仔牛を引いて傍らを歩くデンという男に、ちらっと目をやる。
悪意どころかほとんど覇気というものがなさそうなこの男は、果たしてどんな人物なのか。怪しむ、という通常あるべき感情の動きを見せず、すぐに「理解した」というように自分たちをここに連れてきたことの裏には、一体どんな事情があるのか。
……まだ何も判らないが、とにかく、ファルに危険が及ぶことのないように。
そんなことを考えながら黙りこくって足を動かす自分を、牛の背に乗ったファルがどういう気持ちで見ているのか、キースは気づいていなかった。
里の中をしばらく歩き、デンが足を止めたのは、一軒の家の前だった。
「ここだよ、お入り」
と、入口から中に入ったデンが後ろを振り返り、ちょいちょいと手招きする。
彼が連れていた仔牛と、ファルが乗っていた母牛は、近くにいた男の手に渡されたが、それがネガシという人物であるのか、それともまったく関係ない他人であるのかは不明だった。男たちはろくに話もせず、あまり目も合わさずに、「じゃあ」「うん」くらいのやり取りで、牛の引き渡しを終了させていたからだ。
どうやらここは、人間関係というものが非常に希薄であるらしい。
とりあえずそれだけは納得して、キースとファルは家の中に入った。大雑把に材木を並べたような造りは、外にある他の家々とそう変わりない。ここはまだしも頑丈で、広さもある、というくらいの違いだ。中に入ると、ほとんど家具らしいものがない部屋の中には、五人ほどの男女が木の床の上に直接座っていた。
「これがスーリオ。この里で、いちばん長く暮らしている」
男女の中央に座っていた人物を示して、デンが言った。
いちばん長く暮らしている、という表現にいささか違和感を覚えたものの、キースはわずかに頷いた。隣で、ファルがぺこりとお辞儀し、「こんにちは、はじめまして」と普通に挨拶している。たぶん何も考えていないわけではないのだろうが、その顔は、「何も考えていない」というようにしか見えない。
スーリオは、年齢不詳の人物だった。
身体つきや顔の皺などを見るに、そんなに年寄りではないと思われるのだが、髪の毛はほとんど白い。全体的に疲労感に包まれていて気だるげだが、肌の色は健康的で、病身というわけでもなさそうだ。
デンは、スーリオを紹介した後、今度は彼を向いて、キースたちと出会った経緯を説明しはじめた。他にも人がいるのに、彼らのことは何も言わない。彼らのほうも名乗らなかったし、何かを訊ねてくるということもなかった。ただ、視線を少し下に向けながら、スーリオと一緒に、デンの話に耳を傾けている。
「そうか、親に捨てられたか……」
と、スーリオは静かに言って、キースとファルをじっと見つめた。
ファルの出鱈目な言い分を、この人物も疑うことなく信じたらしい。その目には、疑惑も困惑もなかった。あまりにもあっさりと呑み込まれて、こちらのほうが戸惑う。
「そりゃ気の毒だったが、今後、親に再会できるなんて期待は抱かないほうがいいだろうね。厳しいことを言うようだが、お前たちの親は親で、覚悟を持って子供を捨てたのだろうから」
スーリオはキースとファルの反応を窺うような目つきをしたが、実際、親に捨てられたわけでもなければ、そもそも二人とも子供でもないので、キースもファルも何も思いようがない。「はあ……」と曖昧に返事をしたファルを見て、さほどショックを受けていないようだ、と考えたのか、スーリオは少し安堵したように息をついた。
「まあ、安心しなさい。親はいなくとも、この里に辿り着いたからには、我々はお前たちを受け入れる。ここにはいくつか空き家があるから、それらのうちから好きなものを見繕って住むといい。この里では基本、自分の面倒は自分が見ることになっているが、お前たちは子供だし、そのあたりは出来るだけ配慮しよう。当座の食べものや着るものも用意する」
「…………」
スーリオの言葉に、キースの疑問は膨れ上がる一方だった。気づかれないように、顔をしかめる。
要するに、「少しくらいは面倒を見てやるから、好きなように暮らせ」、という意味なのだろうか。この人物──いや、デンも含め、この里の人間たち、というべきか──の言動は、何から何までおかしなことばかりだ。
「あのー、わたしたち、『ここ』に来たばっかりで、ちっともわからないんですけど」
おそらく同じことを思ったのだろう、ファルが口を開く。首を傾げてきょとんと目を瞬くさまは、どう見ても「無知で無邪気な子供」のそれだ。絶対にわざとやっている、この顔。しかし、子供に見えるのは同じでもそれはキースには逆立ちしたって出来ない芸当なので、ここはファルに任せて、成り行きを見守ることにした。
「出来れば、もう少し詳しく説明してもらえると……」
「いずれ、ここで暮らすうちにいろんなことが判ってくるだろうさ」
「えーと、スーリオさんは、このキノイの里の責任者、なんですか? いちばん偉い人?」
「ここじゃ、責任は自分の分だけを、自分が持つ。他人の責任までを負ったりはしない。そして上下関係なんてものもない」
「近くには、同じような里が、いくつもあるんですか?」
「人が集まって生活をしている場はいくつかあるだろうが、交流はまったくないから、詳しくは知らないね。どの方向にどれだけ進めばそういう集落に出くわすかも判らないし、お前たちも、親を探しに行こうなんて無謀なことは考えないほうがいい。デンに見つけられてここに来られただけ、運が良かったんだ」
「…………」
ううーん、というようにファルは口を曲げた。まるで要領を得ない回答ばかりで、どこに糸口を見つけていいのか考えあぐねているようだ。
「そういえば、ずっと向こうに、森がありますよね」
その言葉には、何がしかの効果があったらしい。今まで表情も変えなかったスーリオや他の人間たちが、ぎょっとしたような顔になった。
「お前たち、森の近くにまで行ったのかね」
「あ、はい」
近くまで行くもなにも、「そこから出てきた」、というほうが正しいのだが、彼らの顔を見るに、そんな可能性は頭を掠りもしない、ということか。
「では、もう二度と、あそこには行かないように。あれは呪われた森だからね」
スーリオの厳めしい忠告に、ファルが一瞬言葉に詰まる。キースはわずかに眉を寄せた。
──呪われた森、ときたか。
「呪われた森……というと」
「あの森には、化け物が住んでいるんだよ。おまけに、あそこにある木は変な匂いを発して人を惑わす。あの森の中に入って、運よく化け物と遭遇しなかったとしても、ずっと長いことあの匂いを嗅いでいると、気が触れて、頭がおかしくなってしまうのさ」
おそらく、あの木に含まれる成分が、人間の精神になんらかの作用を及ぼすのだろう。ファルをまずあそこから連れ出そうとしたキースの判断は、どうやら正解だったようだ。
あの化け物──天界から堕とされた咎人の成れの果ては、あの森の中にいたことで、正常な思考を失ってしまったのだろうか。それとも姿が変わると、中身もそれに伴って、もとの形を留めていられなくなってしまうのか?
「その化け物って、どこから来たんですか?」
ファルは子供の顔で、さらりと核心を衝く問いかけをした。あまり深入りしすぎると危険なのではないかとキースはひやりとしたが、スーリオをはじめ、その場にいる誰も、こちらに対する警戒心がなさそうなのは変わらない。
むしろ、思ってもいないことを聞かれた、というように、揃ってぽかんとした。
「どこって……どこから来たも何もないだろう。森の化け物は、森で生まれ、森で死んでいく。そういう生き物で、そういう運命なんだ。だから、あの森は呪われているんだよ」
嘘をついている口調ではなかった。顔つきも目も、どこまでも当たり前のことを口にしているように、穏やかなものだ。朝が来て夜が来る、それについて疑いを持つ必要などない、というように。
どうして朝の次に夜が来るかなんて、誰も考えたことはないだろう? と、彼らの表情は言っている。ファルは口を噤んだし、キースはじわりと背中に汗をかいた。
ひょっとして──
「……天から降ってきた、とか」
あくまでもさりげない調子で出されたファルの言葉に、全員が一拍の間、黙り込んだ。
それからの反応は様々だ。デンはぷっと噴き出したし、呆れたように目を見開いた者もいる。スーリオはやれやれというように首を振った。
「お前たち、恰好からして、東の大陸あたりから来たんだろう? あそこでは、そんな話が流行っているのかね。いくら子供だといっても、そんな幼いことばかり考えていては、この里ではやっていけないよ」
ふう、とため息を落とす。
「常識として考えてごらん、空の上にあんな化け物がいるはずない。いやそもそも、生き物がいるわけがない。天に住んでいるのは、神さまくらいさ」
「…………」
ファルが顔を動かしてキースを見る。キースもそちらに目をやって、二人の視線がかち合った。
……ひとつだけ、はっきり判ったことがある。
ここにいるのは確かに地界人で、地界の人々は、天界のことも、天界人のことも、その存在すら知らない、ということだ。
***
「……結局、何がなんだかよく判らない、という点は変わっていないな」
キースとファルは、里の中にいくつかあった空き家のうちから、なるべく小さくて中心部から外れた場所にある一軒を選び、そこで生活することになった。
かなり傷んでいて、適当な造りだったので、壁板の間から隙間風が吹いてくるような有様だが、野宿するよりはずっとマシである。木材くらいは提供してもらえるらしいので、これから少しずつ補修していけばいいだろう。
「とにかく寝床が確保できてよかったねえ」
そんな場所でもファルはまったく異存はないようで、一通り手早く掃除した後は、早速もらった食事を床に広げて嬉しそうにしている。ファルにとっては、雨露がしのげて、食料があるのがもっとも重要、ということらしかった。
厚意というよりは義務だから、というように差し入れられた食事は、なんとも素朴な調理法で作られたものだった。肉は焼かれただけ、野菜は煮ただけ、という感じ。それがこれまた素朴な木の皿や椀に入れられている。とはいえ、このあたりに店というものがあるとも思えないし、これらをすべて自給自足で賄っているとしたら、大変な手間だ。
「東の大陸、とか言っていたな」
ということは、地界はまだまだ広い、ということなのだろう。他の場所でもこのキノイの里と同じような生活レベルなのか、それともまた異なるのか。地界に住む人々は、誰もが天界のことを何も知らないのか。
謎はまだ、限りなくある。
「とりあえず、今は食べよう、キース。お腹が空いてると、頭も働かなくなっちゃうよ」
「それはおまえだろ」
言い返しながら、ずいっと突き出された骨付きの肉を受け取る。手にしたそれを、キースはまじまじと眺めた。
これは一体なんの肉なのだろう。地界にある動物や植物は、天界では目にしたことがないようなものが多いので、これもそういう類の動物の肉なのかもしれない。こんな状況で苦いの甘いのと文句をつける気はないが、それにしたって、はじめて食べるものは天界の食事に慣れた身体が受け付けない可能性もある。なるべく用心して口に入れるようにしないと……
と、思っているうちに、ファルがぱくっと肉に食いついた。止める間もなかった。
「……おまえと一緒にいると、おれは時々、自分がものすごく滑稽なことをしているような気分になる」
「なんで。……わ!」
不思議そうな顔をしたファルは、頬張った肉をごくんと飲み込んだ途端、びっくりしたような声を上げた。
「危ないようならすぐに吐き出せよ」
「なに言ってんの、キース。このお肉、すごく美味しいよ! 食べてごらん!」
食べろ食べろと強引に勧められ、キースも渋々肉を口に持っていく。咀嚼し、飲み込む手前で、確かにと納得した。これは美味い。
なんというか、非常に味が濃い、のだ。技巧を凝らした料理なら天界で何度も食べたが、素材の味そのものという点で、すでにあちらに勝ち目はない。ただ塩を振ってあるだけなのに、食べれば食べるほど、力が湧いてくるような気がする。
肉だけではなく、野菜も、ミルクもそうだった。牛の乳、ということでは天界と同じはずなのに、まったく味が違う。この差は一体、どういうところから来ているのだろう。
「はい、キース、パン」
与えられた食事のすべてを、ファルは律儀に半分にしてキースに渡した。現在のこの身体は以前ほど食事量を必要とはしないので、おれのことは気にせず食べていいぞ、と言っても、首を横に振る。
あれも半分、これも半分、と分けながら、ファルはにこにこ笑って、やけに楽しそうだ。
「こんな時でも笑っていられる、おまえの強心臓には感心するな」
「気のせいかな、皮肉に聞こえるよ。──だって、誰かと食べ物を分け合って一緒に食べるのって、嬉しいじゃない? アストン屋敷のキースの書斎で食べていた時も、わたし、いつも楽しかったよ」
「…………」
パンを口に持っていこうとしていたキースの手が、一瞬止まる。
ややあって、自嘲めいた苦笑を唇に刻んだ。
「──場所も食い物も、大分違うけどな」
「でも、キースがいるのは同じでしょ? 場所や食べ物は、あんまり関係ないと思うな」
迷いもせずにすらすらと出される言葉に、どう返していいのか悩む。結局その答えが出なかったので、キースは無言で食事を続けた。
そうこうしているうちに暗くなってきて、あれこれ考えたり調べたりするのは明日からと決めて、眠ることにした。
あまり顔に出そうとしないが、ファルはかなり疲労が溜まっている。この短期間で、人の死を目の当たりにし、牢に入れられ、地界に堕とされ、化け物に出会って、ようやく人の住む場所にまで辿り着いたのだ、無理もない。
ファルが着ていたのは罪人が処刑される時の、いわば死に装束だったのだが、牛の出産の際に汚れてしまったため、デンが代わりにと新しい衣服を用意してくれた。新しいといっても、洗濯をしてあるというだけで、新品という意味ではない。他の住人たちが着ているような、上下に分かれてあまり着心地もよくなさそうなその服を、ファルは礼を言って受け取った。
「あのね、このショールみたいな布はね、ちょっと肌寒くなった時とかに、羽織ったりするためにあるんだって」
「へえ」
もともと誰のものなのか、ファルには少し大きいが、よく似合う。それに、今までの筒状の衣服よりもずっと動きやすそうだ。
ファルはその格好で、寝具用の布にくるまってころりと床に転がった。その動作にいささかの躊躇もないのが、これまでにも同じようなことをしていたんだな、としみじみ実感させられる。天界から堕とされたのがファルではなかったら、きっと地界での暮らしは一日も保たなかっただろう。
「キースも寝よ」
横になって、隣の床をぽんぽんと手で叩く。そこはもう少し躊躇をしてほしい。
「……あのな、子供のようなナリをしているとはいえ、おまえは十七歳なんだから、もうちょっとなんていうか」
「キース、わたしを襲うの?」
「襲うか」
すっぱり即答したら、ひとつ息を吸うくらいの間が空いた。
……気のせいか、ファルがまたむっとしたような顔をしている。
「だよね、たとえその気はあったとしても、今のキースじゃ機能的に問題が……いたたたた!」
頬っぺたを摘んで思いきり引っ張ってやった。
***
──すうすうとすぐ隣で寝息が聞こえる。
深夜、というほど遅くはないが、キノイの里では暗くなると住人はすぐに寝てしまうのか、家の外は静まり返っていた。起きていたとしても、大してすることもないのだろう。
どこもかしこも暗闇に支配されているものの、月明かりはこの地界にもちゃんと届いて、ひっそりとすべての輪郭を白く浮かび上がらせている。
「…………」
腕で頭を支えて横になっていたキースは、ファルが熟睡しているのを確認して、ゆっくりと身を起こした。
うつ伏せに近い態勢で寝入っているファルの身体の上にかけられた布をそっと剥ぎ取り、上衣を静かに捲り上げる。
半分ほど捲ったところで、手の動きが止まった。
闇の中、頼りない明かりでも見える。
──細い背中に、酷い火傷の跡。
焼け爛れたそれは、丸で囲まれたはっきりとした印を彼女の肉体に残していた。
罪人のしるしだ。森の中の化け物の背中にあったものと、まったく同一の模様をしている。
火傷の跡はまだ生々しかった。その部分だけが赤く盛り上がり、皮膚が引き攣れている。ただでさえ小柄な、肉のついていない身体だ。どれほど熱く、どれほど苦しかっただろう。
痛ましすぎて、正視するのもためらわれるようなその焼印を、キースは身じろぎもしないで見つめ続けた。ファルの肌には、他にも、暴行の跡と思われるような傷がいくつも刻みつけられている。
……イーセンは、一体どんな顔をして、この焼印をつけたのか。
無表情だったか。それとも、笑っていたか。いずれにしろ、あの男がなんら心の痛痒ももたず、ファルに熱された焼きごてを押しつけたのは明らかだ。必要もないのに、わざわざ牢まで出向いて。なんのためにイーセンがそんなことをしたのか、その理由がキースには簡単に想像がつく。
このことを知っていたら、あの時、殺してやったのに。
……どろり、と。
胸の奥底に、粘つくような、どす黒い感情が湧いた。
キースはこれまで誰にも憎しみというものを抱いたことはなかったのに、この時はじめて、はっきりとそれの存在を自覚した。
ぞわりとした冷たさが背中を這いのぼってくる。凶暴な爪が今にも腹の中から飛び出してきそうな奇妙な感覚に襲われた。黒々とした何かに呑み込まれてしまいそうだ。
こんなにも強い憎悪の念が自分の裡に眠っていたことに、我ながら慄然とした。
ユアンの言った通りだ。憎しみは、あらゆるものを凌駕して食い尽くし、奪い取る。今、目の前にイーセンがいたら、キースはおそらく眉ひとつ動かさず、あの男の息の根を絶とうとするだろう。自分が知る限りの、最も残虐な方法を使っても。
その瞬間。
「……っ!」
急に、激しい痛みが全身を駆け巡った。
思わず呻きを洩らして、背中を丸める。火照るように顔が熱くなり、どっと汗が噴き出した。
なんだ、これは。
いきなりの苦痛の理由が判らない。灼けつくような痛み、切り刻まれるような苛烈な痛みに、指先がぶるぶると震えた。眩暈のする頭を振り、汗で滲む視界に何度も目をしばたく。
声が出そうになるのを、掌で押さえつけて必死で堪えた。ファルを起こすわけにはいかない。
身体のパーツのひとつひとつが悲鳴を上げているようだった。鼓動が大きく脈打つのが、頭にまで響く。子供の姿になってしまったことが、今になってなんらかの変調をきたしているのか。
「……ん、キース」
その時、ファルがごろりと寝返りを打って、キースははっとした。
起こしたのかと思ったが、ファルはむにゃむにゃと寝言を呟いて、相変わらずぐっすりと眠っている。くうくうと寝息を立てるその姿は、本当に子供のようにあどけなかった。
──やって来た時と同じように、痛みは唐突に、そして急激に、すうっと治まった。




