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求人誌には朝七時からと書いていたが、それは初日だけだった。同業者の情報で日の出を見に来る客がいると知ると、目覚ましは四時に鳴った。それを合図にして競うように車に駆け込み、近所のローソンで氷や朝飯を仕入れ、浜に向った。
オヤジの作戦は当たった。まだ同業者たちは来ていなかった。
七月の夜明けの浜は、ひんやりとした霧が立ち込め、海は目と鼻の先であるのにもかかわらず、ハッキリとその姿を現さない。
おれは陣地に基地を作る。まずショベルで大きな穴を掘って、二十本位のパラソルを閉じたまままとめて立てる。それを近くに二、三箇所つくる。次にビーチベッド。一台をちゃぶ台の様に足だけ出して、その上に折りたたまれたままのやつを十台位積み上げる。それを数山。そのうち、菊池が近くのトイレの水をジャグに入れ戻ってくる。そこには、おれたちの飲む麦茶と氷が入っている。こいつが浜ではすこぶる美味い。
車を置いたオヤジも戻ってきた、
「早起きも悪くねえだろ?」
「そうですね」とおれ。浜は霧に包まれ、まだ何も見えない。昼より激しい波音と、日の出を目当てに出てきたお客さんのひそひそ声が聞こえるだけ。早く起こされ苛立っていたおれは、オヤジのふてぶてしさに呆れながら返事をしたのだが、早朝を好きになったのはこの後だった。
幕を開けるように霧が消えるのと同時に、朝日が正面から顔を出す。光の線が水平線上に伸びていく、海の反射も手伝って一気に明るくなる。人々の話し声も大きくなる。浴びた光が体を突き抜け、まるで心にできたシミを燃やしていくように感じる。実際この時間帯はみな優しくなる。
おれは日の出を眺めながら四人家族の旦那さんに近づいた、
「おはようございます。綺麗ですね」
「あ、どうも、おはようございます」
「運がいいですね。こんな綺麗な日の出はなかなか見れません」
「そうなんですか」
「はい、いつもは雲も多いですから」台詞はオヤジの受け売りだ。「今日はとても暑くなります。パラソルはあった方がいいですよ」
「あー」と旦那さん残念そうに言った、「ちょっと考えます」
「わかりました。熱くなったらまた聞きに来てもいいですか?」
「そうしてくれる、わるいね」
次は、先に断られた女子大生三人組。
「ね? 強くなってきたでしょう、日差し」とおれは一番可愛いショートカットの女に言った。
「あいつらまだ寝てるんの?」とショートカットの女はそっぽを向いて言った。それから、広く陣取ったブルーシートの上のリュックサックを弄り始めた。
「お兄さん、後で借りてもいいですか? まだ、全員そろってないから」とそれまで手鏡を覗き込んでいたストレートヘアーにキャップを被った女が代わりに言って、おれに近づいてきた。
「今、全員分借りてくれるなら特別に一人分負けますよ」おれは傾斜を一歩下ってキャップの女と目線の高さを合わせた。
「えーどうしよう。お兄さんイケてますね!」
「お姉さんの方こそ美しいですよ」ウィンクを決めた。「ショベル取って来ます」
気分はまるで子供だった。大波を期待して海を挑発する子供。いつか何かが起きるのだ。
太陽が完全に出た頃には、浜の入口は客引きで包囲される。同業者は四社あって同時に声をかける。誰も逃れることはできない。一様に嫌なそぶりを見せるが、本当は誰がいつ買うか誰にもわからない。おれは前にやっていた電話営業でそのことを叩き込まれていたから、出来るだけ多くの人に声をかけた。
パラソルはチームカラーそのものだった。競合たちはそれぞれ違った色のパラソルを使っている。うちのチームカラーは黄緑と水色。白い骨組みで六面がその二色で交互に配色されたシンプルなデザインだ。しかし、このパラソルには問題があった。競合たちのそれより一回り小さく、強度も劣っていた。うちの実家の近くのホームセンターでは、どうやってこんなに酷い商品を集めているのだ、という位の粗悪品ばかり置いていた。小学生のおれときたら、ビラを眺めながら小遣いを貯めたが、多くの物は買って間もなく壊れた。このパラソルを初めて見た時そのホームセンターを思い出した。もしかしたら、ビラに全く同じものが載っていたのかもしれない。おれたちとしたら、そのパラソルを見せないように離れた場所で交渉するのが常用手段で、いざ立てに行くと、あっちのパラソルが良かったんですけど、などと言われることもあった。言われたらお金を返すかライバルに代わりのパラソルを立ててもらえば良い。どのお客さんも笑顔でありがとうと言ってくれる。直前までやっていた仕事のように、契約書を盾に財産をせしめるのとはわけが違う。
「すいません。こういうのほんと駄目なんす」と菊池が言った。
「接客やってたんじゃねえのか」とオヤジ。
「違うんすよ。・・・・・・これは全く、違うんす」
「初めはみんなそうなんだよな。だいたい、声がかけられません、なんて言う奴が最後には女の子にちょっかい出すようになる。そういうもんだ」オヤジは口だけで笑う、渋みがある。「慣れるまで俺が売るからお前らは穴掘れ」
「社長がそれでいいなら・・・・・・頑張ります」
『ら』ってなんだよ。おれはしっかりやっているつもりでいたから聞いていて面白くなかった。
一二時頃で一応終わり。しかし、一六時半にパラソルとベッドの回収をすると、飯屋に着くのは一八時だった。労働時間は、朝だけでなく夜も約束と違っていた。もちろん堅気の仕事ではないのだから覚悟の上だったが、小さな不満は後に響いてくることがある。