サトウヒロシという男
営業部の鬼頭部長が総務にやって来てウチの部長と談笑している。狭い部屋なのでそんな二人の会話は部屋の皆にも聞こえている。梅雨のジメジメとした気候についての会話から始まり、二人の身体の不調自慢。そんな二人のやり取りを皆笑いながら聞き時々ツッコミながら楽しむといういつもの時間。
「そうそう目出度い事と言ったら、佐藤くんが今度結婚するんだよ!
いや~良かった。本当に良かった。アイツもまだ諦めてなくて」
会話の流れで、鬼頭部長がそんな言葉を言ってきた事で部屋には微妙な空気が流れる。皆が微笑みと苦笑の間の表現しにくい表情をして顔を見合わせる。
「佐藤って、今年入った無間くんですか?」
俺は取り敢えずとんでもない名前である事から社内で少し有名になっている【佐藤】の方をあげておく。誰かが吹き出し少し部屋の空気が和む。
「何、言っているんだよ! 君の友人で義兄弟の洋くんだよ! 佐藤洋くん!」
明るく言ってくる部長に俺は大きく溜息をつくしかない。営業のくせにこの人はこういう無神経な所がある。
「え! 佐藤さんってまだ結婚されてなかったんですか? 意外~!
絶対優しい癒し系な旦那様になるって感じなのに」
俺が何か言葉を返す前に新人の女の子がそう声をあげる! 新人が余計な所に食いつかなかったから俺はそのままスルーすることにした。
しかしその彼女の言葉にも俺は苦笑するしかない。確かに俺の同期でもある佐藤洋、顔は凡庸だが、その性格は穏やかで優しく、とても誠実。それはもう生半可なく良いヤツ。アットホームパパがお似合いだろう。それに良い旦那で良い父親になれる人物であることはある程度会社に在籍している人物なら知っている。
「いやね、佐藤くんは実は過去に結婚していたんだ。しかし、奥さんと子供を事故でいっぺんに亡くしてしまうという悲しい過去があってな」
随分と部長は控えめな表現を使ったものだと俺は思う。
そうしみじみと語る営業部長に新人の女の子は驚き、悲しげな表情になる。
「そんなことが……でしたら……尚更おめでたい事ですよね!
亡くなった奥さんやお子さんの分まで幸せにならないと♪」
そんな言葉を発する新人に俺は曖昧な笑みを返す。
佐藤洋という男を語るには何から話すべきだろうか?
名前と外見はいたって普通。性格もそんなに特徴あるとも言えない。営業でも派手な活躍はしないが、そのホッとさせる雰囲気から人から信頼され愛されるそんな男。目立つ男ではない。
しかしそんな彼には、愛されキャラという以外に、とんでもない特徴があった。それは『尋常でない程不憫な男』だという事。
その特徴は入社して一ヶ月もしない段階で見えてくる。彼の実家が突然現れ暴れ出した竜巻に吹き飛ばされてしまった。運悪くその時家にいた両親と祖母は亡くなる。
大きな悲劇に見舞われながらも、頑張っている佐藤の姿は痛々しく、放っておけないものがあった。そんな佐藤に会社の皆は『俺たちが君の家族だから!』といった声をかけ慰め、同期の俺たちも一緒に出掛けたり飲んだりして寄り添い支えた。
そこまで皆が佐藤を助けたいと、思ったのも、彼の人柄にも理由があったと思う。皆の優しさに甘える事もなく、周りから与えられる想いに、仕事で、行動で、笑顔をつくり返してくる。その健気さに、皆はいつしか同情だけではなく、佐藤という人物を好きだから親しむ。どちらかと言うと皮肉屋でそんなに人付き合いも得意でない俺も、佐藤洋とはすぐに打ち解けて『ヒロシ』『タカシ』と呼び合う関係になっていた。
俺だけではなく俺の同部署の年下だが先輩だった道鬼智子さんとも佐藤はあっという間にその距離を縮めていった。二人が恋人関係にまで発展したことは直ぐに分かった。智子さんの事を俺が少し良いなと思って見ていたこともある。二人の何ともホノボノして微笑ましくも平和で幸せそうな空気を出していたので、直ぐに会社全員の知るところとなり公認のカップルとなるのにも時間はかからなかった。気に入っていた相手を取られた悔しさはあるが、智子さんの余りにも幸せそうな笑顔、佐藤の暖かく愛しげな智子さんを見つめる表情を見ていると俺は何も言えなかった。そんな二人は佐藤の喪が明けるのを待って直ぐに結婚した。
「おいおい、お前はまだ二十四歳で結婚は早くないか!」
やっかみもあり、そんな事を二人に言ったりもした。
「二人だからこれからの人生頑張れると思うから」
佐藤はそう言って笑う。
「洋くんと早く家族を作りたいの! 子供も沢山って訳にはいかないかもしれないけど、みんなでワイワイと楽しめる家族を作りたい」
そう微笑み智子さんは佐藤を見つめる。もうご馳走様としか言いようのない二人だった。
家族を喪ってしまった佐藤の苦しみを一番近くで見守っていたからこそのその言葉だったのだろう。俺もこの一年、佐藤の姿を見ていたからこそ二人を応援した。
六月に二人は会社中の人に祝福され結婚し、会社でも評判な鴛鴦夫婦となった。社内で視線を合わせるだけで幸せそうに微笑み、二人でお弁当を広げランチを楽しむ。そんな様子を見ていたら、俺のくだらない嫉妬なんて霧散してしまうものである。二人の関係は順調なようで、数ヶ月後には妊娠が公表され皆は更にお祝いムードで盛り上がる。
翌五月に二十五歳で父親となった佐藤に『よっパパ! 頑張れよ』とからかいながら出産祝い金を渡した日の事を妙に今でもよく覚えている。佐藤が心底幸せそうで、俺に対して最も無邪気で明るい笑みを見せた瞬間でもあったから。
しかしそのめでたいムードはその一ヶ月後に吹き飛ぶ事となる。六月早めに来た台風が佐藤の愛する妻子とその両親を文字通り吹き飛ばしてしまったのだ。重軽傷者四十七人、死者十一名の被害を出した台風。その中の死者四名が佐藤の家族で、義理の父母と妻子だった。
総務の人間として四人分の弔慰金を手渡したものの、俺は佐藤に何と声をかけて良いか分からなかった。こんなお金がなんの慰めにもならない事だけはよく分かる。絶望の中にいる人物がどのような顔をするものなのか? 俺はこの時、身をもって感じる事が出来た。顔色はなく目は虚ろで、コチラの言葉に反射的で感情もない言葉を返すだけ。
そんな状態でも佐藤は佐藤で、皆に心配を掛けていることを申し訳ながり、無理して笑う。酒を飲んだ時だけ亡くなった家族の名前を呼び涙を流し酔いつぶれる。そんな人物にしてやれる事は少ない、側にいてやれるだけだ。
佐藤は悲しみを紛らわす為に仕事にのめり込み、そんな痛々しい佐藤を再び優しく見守る。そんな日が続く。
一人でいるのも辛そうなので、俺は部屋に度々佐藤を誘い、共に飯を食い酒を飲んで過ごしたりもした。
時が痛みを癒してくれたのか佐藤の顔に作り笑顔ではないあの柔らかく温かい微笑みが戻ってくるようになる。流石に以前程の陽気さはなくどこか憂いを秘めたモノではあったが、彼がちゃんと笑えるようになった事にホッとした。その親しみやすいがどこか儚げな雰囲気がさらに人を惹き付けていく。
佐藤の妻子の死から一年、俺は妹から呼びだされて驚く事を告白される。就職活動の為に度々上京し俺の部屋に泊まっていた妹と佐藤が付き合いを始めていたようだ。妹は佐藤との結婚を考えているという。
確かに三人で部屋にいる機会は多かった。そして妹がいつに無く健気な様子で自分から食事の準備をして俺と佐藤に腕を奮っていたことを今更のように思い出し納得する。就職活動に来て永久就職先を見つけていたとは我が妹ながらチャッカリしているものだと感心するべきか、呆れるか、悩んだものである。
佐藤は妻や子供の事で、まだ心の整理がついておらず、『あの子は社会に出てこれからも、もっと多くの人に出会う。何もこんな自分のようなケチのついた男と結婚しなくても』と言い結婚には消極的だった。
その気待ちは理解できたが、彼はこのままだとずっと妻子の死により受けた傷を負い、独り身のまま一生過ごしてしまいそうに感じた。友達として付き合い彼の仕事ぶりをみても分かる。彼は不器用なほど情に厚く義理堅い男。同時に妹が何故佐藤という男に惚れたのかはよく分かった。優しくて誠実で包容力のある男。鳥の囀りのように煩わしい妹の愚痴やらお喋り、俺はその半分もまともに聞いちゃいないが、佐藤はジックリ聞いて笑い、時にはアドバイスを与え、時には叱りとちゃんと向き合っていた。兄の俺よりも頼り甲斐あり近い存在になっていたのだろう。それに佐藤と言う男は本当に良いヤツで俺が知る限り最も家族を託して安心と思える人物である。
「お前は最高なヤツだよ。友達の俺が一番知っている。それに『ケチのついた』と言うと智子さんにも失礼だぞ! まるで結婚が失敗だったようにいうなんて。それに智子さんはお前が家族に囲まれ幸せになる事を望んでいた。智子さんも喜ぶと思う。お前がまた恋愛して結婚したいと思う相手が出来るのを。お前が家族をとり戻すのを!
ただ相手が俺の妹というのはどうかと思うけどな」
そう言って奴の背中を押してしまった。そして佐藤と俺は義兄弟となった。