夜明け
―村を囲む大きな堀―
ここを越えられたら確実に村は壊滅するだろう。ギークは現在、最終防衛ラインを、たった一人で守っていた。
(奴ら、馬まで使っているのか。本気で女たちを攫うつもりのようだ)
馬のいななく声がする。どうやら賊は馬を持ちだしてきたらしい。馬は餌も食うし、毎日手入れをしてやらないとすぐに病気に掛かってしまう。そんな高級品を持ち出してくるあたり、今回の襲撃の本気度が窺えた。
(一介の山賊が、まるで騎士団並みの武装だな。)
種類こそバラバラで統一感のない姿だが、真っ暗い森と村のある小さな平地の境界線で月明かりに照らされた賊たちの姿は、全員、鎧を着用したものだった。
ギークの前には大きな橋が掛っている。その先には突撃防止用のガード・スパイクが幾重にも張り巡らされていて、とてもすぐには侵入できないようになっている。
(このまま諦めて、帰ってはくれないだろうか?)
割と本気でそう思う。村に男は五人ほどしか残っていない。残りは皆、山賊を外から誘導して一ヵ所に集めるための遊撃隊にしてしまった。一人でも防壁を抜けて入ってこられたら危険だ。
(しかし、そうすると3ヶ月も掛けて構築した魔法陣が無駄になってしまう)
仕掛けを構築するのに使った材料だけで、ギークが魔術師になってからコツコツ貯めてきた魔道物質が半分以下になっていた。ギークにとっては、まさに魔道人生、一世一代の大舞台なのだ。どうせ準備したのだから使いたい。使わずに撤去作業をするのは危険だし、面倒だ。
村に架かっていた橋はこのときのために、ココ以外は全部落とした。防壁を越えて村の中に入ってきている様子もない。ギークがじっと息を潜めているのにも疲れた頃に、やっと事態が動き始めた。
この膠着状態に嫌気が差したのか、一人の勇気ある賊が、パイクを乗り越え侵入を図ったのだ。同時に遠くで照明弾が上がった。
ひゅるるるる
光が森を照らす。光の色からして遊撃隊の連中はどうやら成功したようだ。一拍遅れでやって来た破裂音が静寂を斬り裂く。続けて色々な方向から同じ音が聞こえてきた。森がまるで日中のように明るくなる。
山賊たちは何事か、とあたりを見回す。もと来た道を逃げ帰っていくもの、いや、そっちは罠だ、と平野部分に殺到するもの。蜂の巣をつついたような騒ぎになる。馬がパニックを起こして走り去っていった。
(頃合いか。)
「~~~~~~」
口の中で、焔を司る神への祈りを唱え、掌から火種を放り投げる。
次の瞬間、堀から上がる爆炎。堀の中を、巨大な大蛇の如き炎が駆け抜けていく。
即座にその場を離れ、村で一つだけしか無い教会へと走って、その三階、大きな鐘のある場所まで辿りつくと、急いで鐘を三回鳴らした。
「おお~」
自分で構築した術であるが、あまりの光景に恍惚となる。眼前を伸びていく炎の蛇。
もう少し高いところから見れば、村を中心に同心円が三つ、その間を網の目のように縦線が走った、巨大な炎の魔法陣が拝めたことだろう。
(『炎の壁』と名付けたが、これは『炎蛇の一噛み』の方が相応しかったか?)
近場で響く爆発音。物見台の上から男たちが次々と放つ手投げ弾。
『炸裂する閃光』
そう名付けた。中心に燃える粉/周りには金属片/導火線に火をつけてから5秒後に爆発。ギークが魔術大学で、卒論代わりに造った魔道兵器が、平野に集まった山賊たちを次々と切り裂いて行く。
「フハ、フハハハハハハハ!!見たか、俗人ども!これが魔術大学、始まって以来の超天才(学科)、『業火の魔術師』ギーク様の『超魔術』ダッ!!!」
「ギークさまッ!報告します。南の防壁が一部破られ、敵が次々と侵入してきていますッ!!」
息を切らしながら、3階まで上がってきた、物見の男。
思いっきりエビぞりになって、カッコいいポーズで決めていたギークだったが、恥ずかしいところを見られ、赤面する。
「何だと?」
報告してきた男を押しのけ、南の防壁を確認する。
――丸太で出来た防壁が一部延焼し、偶々外側に倒れて、堀の上に橋のように架かっていた。
「そんな馬鹿な!?」
その橋を抜けて、次々と殺到する敵。
(しかしッ!堀はまだ燃えているッ!!橋の上だって、熱くて動けたものではないはず!!)
ギークは、現在まで、一度も戦場に出たことがなかった。戦場では、『死』を覚悟した勇敢な兵士、『死兵』と化したいくさ人たちが、机上では完璧な作戦をひっくり返すなんて良くあることなのだ。
「ご指示を!!」
後ろから声が掛かる。
振り返ると、先程の伝令がこの状況を覆すナイスな作戦を求めて、キラキラした目でギークを見ていた。
「~ッ」
作戦など無い。ギークは魔術師であって、軍師ではないのだ。自らの魔術を炸裂させたら、敵もあまりの威力に恐れをなして逃げ帰るだろう―――そう考えていた。
村の南の方で上がる断末魔の声。村の誰かが賊の迎撃に出て、殺されてしまったのだろう。
(か、考えてないなんて言えない。)
「~~~~」
必死に考えるが何も案は浮かばない。伝令に来た男も、少し不信の色を見せてきた。
―――繰り返すが、ギークは魔術師であって、軍師ではないのだ。ここに魔術師として派遣されてきた。本来、指揮をとるべきは村長だろう。
だけれども、何も言わないわけにはいかない。考えが纏まらないまま、ギークは口を開く。
「」
そのとき、突然、大地が揺れた。思わず鐘を吊り下げている柱にしがみつくふたりの男。
≪本当に助けに来てくれた。≫
頭の中で声が響いた。
≪ホントに助けに来てくれた?≫
頭の中で響く声。気がついたら見知らぬ建物の中に立っていた。
「まさか突発イベント? さっきまでゴルドーの街にいたはずなんだけど……」
(記憶が飛んだ?)
その可能性について考える。本当は自分の足でここまで来たんだけれども、間の記憶が抜けてしまっているとか?
「~~~~~~~~~~~~~~っ!?」 「~~~~~~ッ!!~~~~~~~~?」
「~~~~~~~~~~~~~~~ッッ!!!」
だとしたら、相当頭がイっちゃってるんだろう。周りの人間の言うことがまったく理解できない。内容が、ではなく言語自体が。 失語症に罹ってしまった恐れもある。
周りを囲む人間たちに質問する。
「おい、この中で日本語喋れる奴はいないのか?」
返事が無い。
「ここは何処だ?」
何故か女しかいない。
「お前ら何もンだ!?」
周囲の人間は、突然言葉を発したゴトーにビックリしたのか、ザッ、と一歩引いてこちらを遠巻きに囲んだ。
その人の海を割ってこっちに駆けてきた少女。彼女の金色の長い髪の毛が、走るのに合わせて波のように揺れた。
「≪あなたが現人神さまですか?≫」
鼓膜を通さずに、直接アタマの中へ響いてくるような声。奇妙な感覚にゴトーは眉をひそめてしまう。
「お前か?いま頭ん中でしゃべったやつは。」
「≪はいっ!!≫」
大きな目を見開いて、元気に返事をした少女。
お前が俺を呼んだのか?
ここはどこだ?
どうして俺は現在ここに立ってるんだ?
たくさんある候補のなかから、ようやくひとつに絞った質問を口にしようとしたそのとき、
ダダダダダッ
と音がして、窓際の階段から下りてきた男。緑色のローブを着たそいつは、一回ぐるりと見まわしてゴトーの姿を見つけると、一直線に詰め寄ってきた。
(白人?そういや、さっきのガキもそうか。周りの人間みんな日本人の顔じゃねえな。)
「へ、へぃろー?ないすとぅみぃとゆ」
「~~~~~~~~!~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
最後までは言わせてもらえなかった。英語圏の人間では無さそうだ。いきなりまくしたててきた。必死に身振り手振りで出口の方を指さしている。出ていけ、ということだろうか。
(教会?)
さっきまで気付かなかったが指をさされた方向を見たら、そうとしか思えない造りの建物だった。出口まで一直線に伸びた赤い絨毯。両脇には5、6人は座れそうな木製のベンチが何列も並んでいる。窓には赤や青の綺麗なガラスが嵌められていた。それは梧桐の持っている教会のイメージそのものだった。
――すると、
何気なく振り返って、自分の後ろに立ったものを見た。
壁際の、一段高くなった台座の上に、艶めかしく身体をくねらせて立った女神像。血の涙を流している。そして、その頭上に両腕でもって掲げているのは――
「ぱらぼらアンテナ?」
≪神様。彼は、敵がすぐ扉の向こう側まで迫ってきている、と言っています。≫
「神様?」
「≪ええ、そうです。現人神様。急いで下さい!!≫」
周りの女たちに、無理やり扉の方まで押されていくゴトー。遂に扉の向こうまで追いだされてしまう。
「お、おい」
無情にも扉は閉められてしまった。
カッ
良い音がして、顔の横に突き刺さった矢。驚いて振り向く。
(何じゃ、こりゃあ!?)
一面火の海と化した藁葺き屋根の木造建築。次々と崩れ落ちる建物の間から、西洋風の甲冑に身を包んだ男たちが迫ってくる。
「ま、待てって、話せばわかるっ!!」
ぶん
という音。
しゃがんで、飛来したモノを避ける。
めき、
となって、先程の扉に突き刺さった手斧。教会の中から、ひぃ、と女たちの悲鳴が聞こえる。
「おいおい、マジかよ。まじで殺る気かよ。」
目前まで迫ってきた男が、ハンマーのようなものを振りかぶる。
斜めに跳んで、攻撃をかわした梧桐。男は止まらずに扉に衝突すると、そのまま倒れ込んだ。
(さすが『波遊ぎ兼光』、良く切れる)
いつの間にか抜刀していたらしい。右手には抜き身の刀。切っ先三寸(先端から10cm)ほどが、血に濡れている。初めて人を殺したわけだが、予想していたような感情は来なかった。異常な状況のせいだろうか?代わりに来たのは――
――歓喜
自分でも分かるほどに引き攣った表情。これでもかと言うほどに、口角が吊りあがっている。
次々とやってくる敵を、次々と斬り伏せる。
頸動脈
腋下動脈
手の指
膝の裏
鎧の上から打ちすえるような真似はしない。鎧の隙間を狙って斬る。
何人ほど斬ったときだろうか、周りに屍の山が築かれた頃、賊の姿がなくなった。
(退いたか?)
思ったのは一瞬。かわりに飛来したのは、空を真っ黒く埋め尽くすほどの大量の矢。
咄嗟に近くに落ちていた死体の下に潜り込む。
どすどす
と、良い音を立てて、地面に、死体に建物に、突き刺さる矢の雨。
一旦止んでも、3分しない内に次の矢が飛んでくる。
(このままじゃ埒が明かねえ)
ゴトーは死体を盾にして、這いつくばりながら教会の扉の前に来る。
「おい!開けてくれ!!」
数拍の間をおいて、
≪はい!!!≫
元気な声。
開いた扉に滑り込む。
すぐに扉を閉めて、扉を開けてくれた少女に指示を出す。
「悪いが、俺の銃を持ってきてくれ。」
「≪ジュウってなんですか?≫」
「は?」
押し流されて出ていくときに、確かに教会の中に銃を落としてきてしまったはずだ。
「冗談だろ?俺の銃だよ。この中に落ちてるはずだ。なりきりロールプレイにしてもやりすぎだぜ」
目の前の少女は首を傾げた。本気で分かってないようだ。NPCなんだろうか?それにしては挙動がリアルだ。
「ほら、金属のこんな形の奴だよ。いま敵の遠距離攻撃受けてて、剣士のオレじゃどうしようもねえんだわ」
首の傾く角度が更に深くなった。ほとんど直角に近い。でも、こんなに人間の首って曲がったっけか?
思った瞬間、少女の身体が霧散した。
「」
次の言葉を発するより先に、大きな爆発音がした。
「なんだっ!?」
慌てて外に出てみると、火の海がかなり遠くまで後退していた。地面が物凄く熱い。さっきまで燃えていたはずの崩れた建物が、綺麗さっぱり消えている。
「――爆風で薙ぎ払ったのか?」
ゴトーの頭が働きだすより早く、
どどん どどん
と、地鳴りのような音が近づいてくる。
身の危険を感じ、すぐに刀を構え直して音の主の方に向き合ったゴトーだったが、自分の目の前に来たモノが何であるか、一瞬理解できなかった。
―全身鋼鉄鎧に身を包んだ、巨大な鰐。と形容すればいいだろうか。そんな化物が、ゴトーの頭に向けて高重量の棍棒を振り下ろした。
即座に横っとびにそれをかわす。動作補助機能は生きているようだ。
「――痛ってえ」
僅かにかすったらしい。右肩の肉が少し抉れて血がにじんでいる。結構リアルに作ってあるな。本物みたいだ。痛覚キャンセラーはないみたいだ。
そのまま棍棒を振り下ろして硬直している化物の、手首にある鎧の隙間に斬撃。跳ね返される。首の処の鎧の隙間に一撃。通らない。
がいん
がいん
と二回音がしただけだった。防具外れを狙ったはずが、硬過ぎる。
――仕方がない。スキルを使うか。
ゴトーは一旦納刀すると、腰を落として抜刀術の構えをとる。ワニは硬直が解けたようで、次の攻撃を繰り出そうとしていた。
――遅い、遅すぎる。
動作補助機能によって体感時間は引き延ばされ、敵の攻撃がスローモーションに見えた。
「抜刀術『瞬獄』」
口にした名は、このゲームで最速の技だ。抜刀した刀の切先は音速を超え、反応値がMAXまで鍛えられた敵にだって当たる。避けるには魔法でも使うしかないだろう。まあ、避けたとしても、あとから発生する真空の効果で硬直するから反撃不可能なんだけどね。
勝利を確信して笑みを浮かべたゴトーだったが、残念ながら技は発動しなかった。打ち込まれるワニ男の一撃。
ぶぅん
(しまった、避けられない、防御!? ― 死?)
咄嗟に反応して普通の居合いで攻撃したが、その硬い皮膚に弾かれた。ガラ空きになった胴にワニ男の横薙ぎの一撃。咄嗟に刀で受け流そうと考えたが、躊躇した。どうせ流しきれない。刀を折られたくない。そう考えてしまった。
結果、無防備に貰った一撃。ゴトーは横に立っていた木と、棍棒の間で押しつぶされる。
続いてワニ男が強烈な叫び声を上げながら棍棒を振り被るのを、動かない体で眺めていたそのとき
ちゅいん
音がして、何故か横にたたらを踏んだ、ワニ男。ゴトーの身体が勝手に動いた。
声にならない叫びを上げ、ソイツの大きく開けた口に、日本刀『波遊ぎ兼光』を、思いっきり突き込む。そのまま止まらずに、全速力で突進。
ドン!!
とぶつかって、ワニが教会の壁に縫い付けられたことを確認すると、思いっ切り仰向けに倒れ込んで空を眺めた。
(やっと終わった。これで休める。)
「月が、 ―ふたつ?」
満天の星空。まるで、空に開いた覗き穴のような見慣れた満月の横に、青白く輝く完璧な球体。隣の月ほど巨大に見えるというのに、まったくクレーターのような凹凸が見えない。
――あの宙に浮かぶ物体は何だろう?
ゴトーは思った。
――教会の三階――
(どうやら、当たってくれたようだ。)
銃に付いた単眼鏡から目を離し、ホッと一息ついたギーク。
(しかし、何という化物だ。)
――あのデイドロスと剣一本で渡り合うなんて。
――それにこの武器も、なんて精巧にできている。この拡大鏡の内側に刻まれた照準。それに合わせて撃ったら、本当に狙ったところに当たった。何という精度。
(この私でも、これほどのものは造れない。あいつは本当に人間なのだろうか?)
と、考えたところで笑いが漏れた。
黒い煙をそこかしこに立ち上らせた大地にも、日が昇ってきた。ボスをやられた山賊たちが撤収して行く。これだけの被害を受けたら、もう山賊団は解散だろう。
(でも、そうだ。あいつは人ではなかった。現人神だったんだったな。)
太陽の反対側、薄く輝く二つの月を振り返って、ギークは笑った。