ヘンゼルとグレーテル
「ああ、あのクズどもの街か。お前も将来、同じようなクズになるんだろうな」
クソッタレが。
口の中の傷が痛む。まぶたが腫れてよく見えない。
またやってしまった。
これで5回目。
あの野郎、衛兵なんか呼びやがって。
3人がかりでしこたま殴られて、その上仕事までクビになった。
結構な騒ぎになったので悪い噂が出回って、もうまともな職には就けないかもしれない。
引き摺る足が更に重くなる。
港町パサデナの暗部。
巨人の墓場でヘンゼルは生まれた。
元は古代の高層建築物群。
かつての大都市の、現代の技術では再現不可能な天衝く威容も、朽ちて目ぼしいものは回収され見飽きられて今では貧民たちの雨宿り場程度の役にしか立たない。
林立する超文明の墓標の住人は、ポン引き、売女、麻薬やご禁制品の売人、ヤク中、錬金術師。まあ、ろくな奴らではありはしない。
その廃墟の一角、しとしと降る雨の中、入口のところに女が一人立っていた。
「あら? ヘンゼルお帰りー、仕事どぉだった? あれ? ケガしてる? ちょっとっ!?」
声を掛けてきたのは派手に着飾った女。平らな顔を彩るきついメイクと無い谷間を無理やり持ち上げて強調した黒いドレスから、娼婦であることが知れる。
「ああ、ああ、せっかくの美形が! 綺麗な髪が泥だらけ!!」
「あー! うるせえな!! 触んな!!」
ヘンゼルの周りをじゃれる子犬のように回って喚く娼婦。
「美男子が台無しだよぅ、早くウチへお入りよ手当てしたげるからさ」
「……いいよ、自分でやるよ。仕事だろ、おら、行けよ」
「まぁた喧嘩したんだろう? アンタに真っ当な仕事は向いてないよ」
「うるせえ!! とっとと行きやがれ!! このッ 」
最後まで言い終わる前に逃げるように女が出ていく。入れ違いの形でヘンゼルは廃墟に入った。
降り続く雨に黴臭い空気。
起き上がったまま直さなかったのか捲れたままの毛布。
枕元には客からのプレゼントだろう薄汚れたヌイグルミたちが綺麗に並べられていた。
女の安い香水の残り香が鼻につく。
ぴちゃりぴちゃりとそこかしこで雨漏りの音。
それを受ける金属製の古びた食器がカタカタ鳴っていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」
叫ばずにはいられなかった。
忌々しい日常。
心底軽蔑する、娼婦という生き物に依存して生きる自分。
代り映えのしない生活。
この廃墟で生まれても、真っ当に生きていく奴はいる。
ヘンゼルの仕事が続かないのは環境のせいなんかではない。
そう分析してしまえる自分の小賢しさ
街を歩いているとき色目を使ってくる女たち。
俺の何を知っているというのか?
対抗意識を燃やして張り合ってくる男たち。
バカらしい。だけれどヘンゼルには外見以外の武器がない。そこに自分のプライドがあることもヘンゼルは知っていた。
泣きたくなる。
何かを間違ったわけでもない。手持ちの初期ステータスが低かったわけでもない。どう変えたらいいのか。
分からないが、劇的な変化が欲しかった。
地面に転がる雑多な小物を思いっきり蹴っ飛ばす。
壁を殴って頭を打ち付け、机と呼ぶのもおこがましい木の台の上のものを浚い落す。
台の上に置かれた紙がひらりと落ちて、ヘンゼルの眼はそれに引き寄せられた。
求ム!! 探索者!!!
世界中ヲ巡ル。
経歴不問。
危険困難ガ伴ウ。
報酬ハ栄光ト浪漫。古代ノ遺産。
世界ノ真理ヲ一緒二解キ明カソウ。
|古代文明ノ痕跡≪グレイト・テイル≫ヲ探ス仕事。
詳しくは船長・採用担当/ガストン=エヴァンス迄