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春原さんごめんなさい

作者: 青識亜論

 春原は、『棒』の持ち手がじっとりと汗ばむのを感じた……ような気がした。


 錯覚のはずである。


 今の春原の身体は分身アバターで、それが例えツイッター社の卓越した仮想現実ヴァーチャルリアリティ技術の所産であるとしても、そこまで精巧に生理現象をシミュレートする技術はまだ存在していないはずだった。


 目の前の少女から受ける威圧感が……春原にその錯覚を抱かしめたのだ。


「俺はあなたを止めなければならない」


 決然として春原は言った。


「春原の分際で、偉そうな口を聞くようになったものなのだわ」


 金糸のようなサラサラヘアーを風――ツイッターの仮想空間上で吹く「流れ」と呼ばれる風の幻影――になびかせながら、少女は傲然と微笑みを浮かべる。その表情は無邪気なようでもあり、嘲るようでもある。


 ゴシックロリータ風の真紅のワンピースから伸びた白い優美な手を一降りすると、一本の『棒』が顕現する。それは春原の手にした棒と比べるとずっと小さく、棒というよりは果物ナイフのような代物であった。


「春原、もう一度だけ言うのだわ。お前のアバターごと解体バラされたくなければ、そこをどきなさい」


「嫌です、本物川さん」


 少女の名を口にした瞬間、ほんの僅かに動揺が走るのを、春原は見て取った。


「何を言われても俺は……あなたを止めなくてはならない」


 『棒』を構える。幾何学的な模様と記号が絡み合って構成されたそれは、もはや人間に認識することが不可能なほどの複雑かつ膨大な論理と情報の集合体である。


 この半世紀で飛躍的に進歩した拡張現実オーグメンテッドリアリティ技術は、人間と機械との高速の対話を可能とした。コンピュータは、人間と人間が議論をして結論を引き出すより何千倍も何万倍も効率的に、個人の持つ思想や信念をきわめて精密な構文解析によってばらばらに要素分解し、論理的に最適化オプティミゼーションしてしまう。このシステムは検索エンジンと連動しており、自説を補強する情報と、それに反対する様々な情報を自動で探しだし、さらには反対論に対してさらに再反論する根拠をも、自動で検索・構築する。


 こうなってくると、人類が何千年もの長きにわたって繰り返してきた、古典的な方法の議論は無意味だ。声を荒げて、自説をがなり立てる行為に代わり、人類が新しい真理探究の場として選んだのが、各種SNSが提供する仮想現実ヴァーチャルリアリティであった。


 春原は『棒』を正眼の位置に構える。


 概念棒と呼ばれるそれは、立論と反論の無限に続く抽象構文木ツリーから削りだした、思想武器イデオローグである。自身を抽象的な思念体アバターに封じ込め、コンピュータが製造する概念棒で殴り殴られて殴り倒すことが、現代の議論ディベートであった。


 機械的に誤謬が排除されて、記号論理学的に最適化された論理同士のぶつけ合いは、ポジショニングと火力が全てである。


 春原の持つ概念棒は、見た目は丸太のように無骨な外見でありながら、洗練された論理操作が施された逸物である。フェミニズム理論とアンチフェミニズムのバックラッシュセオリーをぎりぎりの均衡を保ちながら両立させて組み込んでいるため、差別論と人権論という高火力のロジックが付与エンチャントされている。持ち前の文学的教養を生かして、表面は優美な文学表現レトリックでコーティング済みだ。


 春原の戦術はシンプルだ。質量で押し切る、いや押し潰す。


 大きく踏み込み、概念棒をたたきつける。重力で物質が上から下へ落ちるように、自然な論理の力が働き、少女へと降り注ぐ。


 ゴリィッ……


 春原の想定にない、嫌な手応えがかえってくる。小太刀ほどもない、およそ武器には向かない小ささのそれは、重量鉄骨のような春原の概念棒を完全に受け止めていたのだ。


「相変わらず筋が悪いのだわ」


 ゴリ、ゴリゴリ、という音と共に、表面の無意味な虚飾レトリックが剥がれ落ち、筋繊維のように複雑に絡み合ったロジックの束が剥き出しになる。


 少女はおもむろに刃を突き立てると、まるで牛肉を繊維の方向にそって切断するように、滑らかな流れで棒を両断していく。繊維組織を絶たれたロジックの束は、自らの重みに耐えかねてぶちぶちと各所でちぎれ落ちていき、矛盾を露呈したロジックは血のように真っ赤な論理エラー表示を垂れ流して、溶け崩れていった。


「《オッカムの剃刀》……本物川の力か……ッ」


 本物川。


 その存在がどこで発生したのか、正確なことを知る者は誰もいない。


 しかし、それが存在することは誰一人として疑うことはできない。それは確かに存在する。人が思想戦の舞台をSNSに移し、電子の海に膨大な思念を流し込んだ結果、その存在は確かに生まれてきた。誤謬を切り落とし、虚構を削り、愚かしさを笑い、語り得ぬものを語らせぬために、その小さな刃を振るい続けてきた、概念なりし美少女。


「塵くずひとつ残らないようお前を否定アウフヘーベンしてあげるのだわ」



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