シェル 1
硬質なごつごつしたものが、首や背中に当たっている感触。
あたしが目を覚ましたのは、岩山の中にあって、人が腰かけられるほどの平たい石の上だった。
思い切り伸びをする。熟睡し終えた後のような、すっきりとした目覚めだった。
「ここがリングワールドか。火山って言うぐらいだから殺風景なところかと思ったけど、綺麗なところじゃん」
あたしは、出発地点に鉄火街フラマタルを選んだ。もちろん、鉱脈が豊富で銃の材料が入手しやすそうだからである。
火山という言葉の響きからして、赤茶けた不毛の大地を予想していたのだが、予想に反して景観は美しかった。
長いこと噴火活動をしていない山々の裾野は苔のような植物でなだらかに覆われ、峰には雲がたなびいている。あたしが立っているのは山の中腹あたりだが、空気がきれいなせいか遠くまでくっきりと見渡せて、はるかかなたまで続く山々の起伏や、麓に流れるエメラルドブルーの川が目に優しい。
「さて、何から始めるかな。いきなり銃を作っちまうか? 街を探すっていうのもいいな」
ステュクス山脈と名付けられたこの火山にも、人里はあるという。ほとんどの村は山の斜面に作られているそうだが、鉱石を得るために山に横穴を開けて掘り進んでいる場所もあり、リングワールドの中心へと進んでいくと、そういった山中に穴を掘ってドワーフが住み着いているとか。
「というか、あれが人里だよな。探しに行く手間が省けたというか、親切な神様に感謝するべきか」
見おろした山の麓には、民家らしきものがずらりと並んでいた。麓に流れる川を挟むように左右に広がる集落は、外周だけ石積みの壁で囲んであって、まるでちょっとした砦のようだ。あれが鉄火街フラマタルなのだろう。
川がどこまで続いているかは知らないが、蛇行した川が山々の裾野に隠れて見えなくなるまで、少なくとも流域沿いに民家は続いている。結構大きな街なのかもしれない。
「まあ、タダでメシ食わせてくれるとも思えないし、どっちにしろ金目の物は持ってかねーとダメか。鉱石でも掘ってみるかな」
あたしはステータス画面を開いて、土属性魔法の一覧を表示させる。
【土属性魔法】地母神ドロレスの属性。
作級:作食
矢級:毒化
色級:魔鎧
範囲級:念動
召還級:土造魔
属性級:岩槍
終級:大地の咀嚼
「あたしのMPは12だから――げっ、念動使えないじゃん。範囲級の消費MPって15だよな」
念動で岩盤を隆起させ、含まれている鉱石だけを取り出して材料にしようと思っていた計画が、早くも頓挫だ。
「なんだよ、MP足りないってわかってたんだったら教えてくれよな、神様。そういうとこ不親切だよ」
ぶつぶつと愚痴るも、神様が返事をくれる様子はなかった。転生した後は、下界には一切関わらないと言ってたっけ。
「それじゃあ、どうすっかな。作食の魔法があるから、メシに困ることはなさそうだよな。何が出てくるんだ、これ?」
頭の中で作食、と思い浮かべると、身体を巡っている血液が右の手のひらに集まってくるような、不思議な感覚があった。マナの流入が止まったので、作食と声に出して唱えると、上に向けた手のひらが淡く小さく光る。収まった後には青々とした林檎が一玉、手のひらに乗っていた。
「あはは、すげー。ほんとに魔法使えちゃったよ。なんだこれ、すっぱっ」
試しにかじってみると、酸味と渋みが口中に広がった。食べられないほどではないので、しゃりしゃりとかみ続け、飲み込む。
青林檎かと思っていたが、単純に熟していないだけだったようだ。
「ほんとに、最低限食えるだけって感じだな。美味しくもなんともない」
あたしは酸っぱい林檎を投げ捨て、山の麓へと向かって歩き出す。試しに出してみただけで、お腹が空いているわけではないのだ。
「銃を作るためには、念動を使えないとダメだろ? んで、念動を使うためには、レベルを上げなきゃいけない。レベルを上げるためには魔物と戦わなきゃいけないわけで――」
あたしは再度、ステータス画面を開いた。あたしの持ってるスキルだけで、魔物と戦わなければならない。
「毒化って、どれくらいの効果があるんだろ。即死するぐらいの猛毒ならいいけど、じわじわ効いてくるタイプの毒だったらあたしが先にやられちゃうよな。やっぱり使うなら射術スキルかな?」
物を投げる、あるいは弓を射るなど、遠距離から物体を命中させる攻撃に補正が付くって言ってたよな。そこまで考えたところで、はたと気づく。
「あ、そっか。弓作ればいいんだ。あたし細工スキル持ってるじゃん」
材料となる木はそのあたりを探せば転がってるだろうし、鏃は石でいいだろう。
魔力感知スキルで簡単に敵を探すことができるし、隠身スキルを使えば襲われる危険だって抑えられる。
「いざとなればあの街に侵入して金とかパクればいいしな」
王道的なロールプレイングゲームでも、無人の民家に押し入って棚や壷の中身を漁る勇者が定番だった。ここは現実世界なわけで、見つかるとヤバいことになるだろうが、隠身スキルがあれば切り抜けられるだろう。
「危ない橋を渡るって選択肢は、なるべく最後にしたいけど、そうも言ってられないかな?」
ぐるりと周囲を見回してみるも、生えている植物といえば雑草のような背の低いものばかりで、弓の材料になりそうな枯れ枝が見つからない。
「やっぱり、街に入らないとダメか」
あたしがいる噴火口のある山と違って、遠くの山々には木々が生い茂っているものの、あそこまで歩いていくのにどれぐらい時間がかかるか知れたものではない。
それに、日本でも場所によっては野犬注意の看板があるぐらいだから、こっちの世界の森だと、狼やらモンスターやらがいてもおかしくはないし、森に踏み入るならせめて自衛手段を手に入れてからにしたかった。
山を降り、砦めいた外壁に近づく。槍を構えた門番の衛兵や、入場待ちで並ぶ人々の列が遠目に見え始めたころ、あたしは隠身スキルを使った。
結構な量のマナが、あたしの身体から失われる感覚とともに、自分の身体がすうっと透けてきた。
「あはは、なんだこれ。すげー。ほんとに透明人間じゃん」
喋ったぐらいでは隠身状態は解除されないらしい。いまや、あたしの身体は完全に透明だった。右手を目の前にかざしてみても、向こう側の景色が透けて見える。
「ステルス迷彩なんかよりも高性能じゃん。すげーな隠身スキル」
あたしは隠身状態のまま、城門へと近づいていく。
「一列に並べ。入場料の500ゴルドは準備しておけよ。荷台持ちは3,000ゴルド、牽引車は10,000ゴルドだ。物納は認めてないから、金がないヤツは石積みの労役だ。希望者は別の列に並べ」
粛々と並ぶ旅人たちの列をスルーして、あたしは衛兵の横を通り過ぎる。こんなにも近くにいるというのに、誰もあたしに気づく様子はなかった。胸がどきどきと高鳴る。
衛兵が入場料を放り込んでいる箱から現金をつかみどるか迷ったが、今はやめておくことにした。隠身状態が解除されてしまうかどうかわからなかったからだ。さすがに金を盗んでいるところが露見したら言い訳できないだろう。
「へえ、綺麗なところじゃん。風光明媚っていうのか? ヨーロッパの伝統ある街並み、ってとこかな」
鉄火街フラマタルの中央には、川が流れていた。川幅は二十メートルもないぐらいだろうか。
この流れに沿って街を作っていったらしく、川の左右には建物が並び、川自体には一定間隔で石造りの橋が架けられていた。
川沿いの建物には、ところどころ水車小屋があり、からからと音を立ててのどかに回っている。
あたしは人目に付きにくい、民家と民家の間にもぐりこみ、隠身状態を解除することにした。というより、壁に手を置いただけで隠身は解けてしまった。
「手が何かに触れるだけで姿が出ちゃうのか。危なかったな」
もし出来心で衛兵たちから金をパクっていたら、姿が現れてたちまち捕まってしまっていただろう。
「さて、入場料を浮かせられたのはいいけど、どうやって金を稼ごうかなあ。隠身スキルで何かパクるって案は無理そうだし、何か使える技能あるかな。服も変えたいし」
あたしの服装は、白のブラウスに水色チェックのスカート、それに合わせて首元に水色のリボン。
要するに、中学校の制服そのままだった。なお、下着はグレーのスポーツブラとパンツのセットだ。
「楽だから愛用してる下着だし、これを着けた状態で異世界に送ってくれたのは嬉しいけどさあ。あたしが死んだ日の下着、これじゃなかったと思うんだけど。スポーツブラは洗濯中だったし、もう一着の古いやつはサイズが小さくなってきて、慣れてない新しいやつ着けてったはずなんだよね。まさか神様、あたしの使い慣れたブラとパンツにわざわざ着せ替えてくれたってこと? うわ、きめえ」
父親ほどの年齢であるあの神様が、鼻息も荒く自分の下着に手をかける姿を想像して鳥肌が立った。大人の男なんて、何を考えてるかわかったものじゃない。
常連の多い行きつけのゲームセンターでも、見慣れない大学生ぐらいの男に話しかけられることは何度かあった。場所柄、チャラい兄ちゃんが多そうなイメージを持たれているゲーセンだが、あたしに声をかけてくるのはオタクっぽい小太りの挙動不審な男性ばかりだった。もちろん即座にお断りである。
「そんなにオタ好みな顔してるのかね、あたしは」
個人的には、陰鬱さの対極にある自分だと思っているのだが。
身長は低めだが、それなりに胸があるのが吸引力なのかもしれない。
「この格好じゃやっぱり目立つよなあ。洋服の生地さえあれば、裁縫スキル使って自分で作れるのに。案外、頼んだら分けてくれないかな。食べるのに困ってるほど殺伐とした感じの街でもないし」
口に出してから、良い案なんじゃないかと、ふと思った。
前世でも商店街ではちょっとした顔だったし、色々と奢ってくれる年寄りにも事欠かなかった。この街でも、頼み方次第では材料を恵んでくれるお人好しがいないものだろうか。
「ちょっと行ってみようか。服を作ってる場所ってどこだろうな、ブティック? それに、弓矢ってどこで作ってるんだろ。鍛冶屋? 武器屋みたいなとこで弓も売ってんのかな」
すぐにでも探しに行くべく駆け出そうとして――思いとどまった。気になることを思いついたせいだ。
果たして、あたしの格好はこの世界で自然なものなのか、ということである。
道を歩いているだけでひそひそ後ろ指をさされたらたまったもんじゃない。
人々の服装を観察するため、あたしは再び隠身スキルを発動させて透明人間になり、人や荷車などにぶつからないように街を歩き出す。
「やっぱり、あたしみたいな格好してる人はいないなあ。そりゃそうか、日本の学生服だもんな。ブラウスとスカートの組み合わせをしてる女の人もいない。ドレスばっかりだな」
道を行き交う女性の服装といえば、長袖と、足首までしっかり隠れるワンピース型のスカート、つまりドレスが定番のようだった。ドレスという単語からは華やいだ服装を想像しがちだが、色合いは茶や黒など、地味なものが多く、けばけばしい印象は皆無である。
あたしより少し年上くらいの、成人したばかりぐらいのお姉さんが多くのフリルが付いた派手な服を着ているが、それにしたって薄桃色どまりで、蛍光色の類はどこにもない。目に優しい街だ。
「たまに農婦っぽいおばちゃんがいるけど、長袖と長スカートは変わらないんだよなあ。頬かむりをしてたりエプロンみたいなのしてはいるけど。肌を見せないお国柄なのかな。ミニってほどじゃないけど、あたしのスカート膝まで見えてるし目立っちゃうかなあ」
不審者と間違われて、衛兵に職務質問をされるようなことは避けたい。
どこから来たとか、どこに住んでいるのかという、ごく当たり前な受け答えすらできないのでは、家出少女だと思われても仕方がないだろう。
「よし、透明人間のまま行動しよっと。人にぶつからないよう注意しないとだぜ」
恰幅のいいおばちゃんの後ろについて、あたしも歩き始める。
道はそれなりに広く、誰かとぶつかってしまう心配はしなくてもよさそうだった。
(ふむ、こんな感じか)
きょろきょろしながら歩いていたおかげで、街の全体像もおぼろげながらにわかってきた。
街の中央を川が流れているわけだが、そこを中心に左右に建物が広がっている。
それは、山の中腹とまでは言わないが、少しだけ斜面を登ったあたりまで続き、さらに最外周を石積みの壁が覆っている。
「ハーフパイプってやつかな。オリンピックのスノボ部門で選手がジャンプするあれの形にそっくりだな、この街」
川沿いの大通りを歩いていたあたしだったが、途中からわき道にそれて、細い路地裏を歩き始めた。仕立屋らしき店は見つけたのだが、多くのお客さんで繁盛していて、とても声をかけられる雰囲気ではない。
ひっそりと個人で営業している、おばあちゃんが一人で細々と営業している洋服屋。あたしの狙いは、そういう店だ。
「お、ここなんていいんじゃない?」
あたしは一軒の小さな店の前で足を止めた。ぼろっちい、木製の家だ。
年季を感じさせる、すりきれたような色の扉。店の額に掲げられた小さな看板には「仕立屋 老後の手遊び亭」と彫りこまれているが、店を取り巻くように伸びた蔦によって半分ぐらいが隠れてしまっている。
明かり取りのための窓は開いていて、吊るした革や積まれた布の束が覗いている。
(条件ばっちし)
老後と書くぐらいだから老齢である。店構えや、窓から見える店内の様子からして女性の店だ。旦那に先立たれ、一人息子は出稼ぎに行ったので、暇な時間を使って細々と店を開いているといったところか。
まったくの想像で語ってしまったが、あたしのこういう直感はよく当たる。特に、じいちゃんばあちゃんの抱えている寂しさみたいなものは、よく見えるのだ。あたしは色々と奢ってもらって嬉しい、年寄りは若い娘の話し相手ができて嬉しい、ギブアンドテイクである。
「ごめんくださーい」
周囲に人がいないことを確認してから、片開きの扉を押し開ける。同時に、あたしの隠身状態は解除される。蝶番も少し錆びていて、軽い木の扉は、ぎいい、と軋んだ。
「あらあら、いらっしゃいませ。初めてのお客様?」
あたしの想像通り、店主は人の良い笑顔を浮かべたおばあちゃんだった。
薄暗い店内で、ランプの明かりを頼りに読書をしていたようだった。両目に押し当てて使うらしい、手持ち式のメガネを机に置いて立ち上がった彼女は、少し腰が曲がっている。
「すみません、客ではないんです。ちょっと事情があって一円もお金を持ってないんですが、裁縫の技術は持っているので、布切れとかが余っていたら譲ってもらえないかと思いまして」
「おやまあ、円? 一ゴルドも持っていないなんて、大変でしょうに。それに、珍しい服だこと」
しまった、通貨の単位が円なわけないし、門番の衛兵もゴルドっていう名称を言ってたじゃないか。ゴルドというのがお金の単位らしい。
「故郷の制服なんです。あたしのいたところでは、みんなこういう服で学校――学び舎っていうのかな? 物を学びに出かけるんです」
年寄り特有の、ゆっくりとした頷き方。警戒心は持たれていないようだった。
「端切れでええんだったら、いくらでも持っていっておくれ。ええと、この箱に入ってるからね」
少し震える手つきで、店の隅に置いてあった籠を持ってきてくれるおばあちゃんだった。藤か何かで編まれた底の深い籠の中には、布の切れ端や、短くなってしまった糸や針などがどっさりと入っている。
「ありがとうございます。少しの間で構わないので、机を使わせてもらえますか?」
鷹揚にうなずくおばあちゃんに礼を言い、あたしは店の中央にある作業台の上に籠を置いた。その状態で、自分のステータス画面を開き、裁縫スキルの項目を開いた。
【裁縫】
作りたいアイテムを思い浮かべると、材料が表示される。材料をすべて手に持った状態で、「縫製」と発声するとアイテムを作成できる。消費MP量は作成物の難易度に依存。
まずは普段着を作るべきだろう。街中を歩いていても、不自然じゃないような服がいい。幸いにしてここは仕立屋なので、見本となる服には事欠かない。
装飾の少ない、地味すぎず派手すぎないグレーのドレスを参考にして――
「縫製」
あたしがその言葉を発するなり、手に持った布切れの塊と、短くて役に立たないような糸の切れ端が、淡い光を放って輝いた。序々に光は弱まっていき、消えてしまったが、あたしの手には、一着のドレスが残されていた。
「チートスキル、便利だなあ」
ぼろぼろになったような布や糸から作ったというのに、出来上がったドレスは新品そのものだった。材料となった布にはグレーのものはほとんどなかったというのに、出来上がったドレスは色むら一つない綺麗なグレーである。
横で見ていた仕立屋のおばあちゃんは、声を発するのも忘れて目を丸くしていた。それはそうだろう、針と糸で服を縫い合わせる仕立てが当たり前なのだから。
「あなた、今のは」
「あはは。あたし、ちょっと特別なんです。良ければ、おばあちゃんの服も作りましょうか? どれだけ面倒臭いフリルたくさんの服だろうと、一瞬で作れますよ」
理想を言えば、ここで恩返しついでに何着か服を作ってあげて、小遣いでももらえたら完璧だ。これから細工職人の店まで行ったとしても、今みたいに運良く木材を奢ってもらえるかはわからないし、武器を作る仕事の職人が、この店みたく人のいいおばあちゃんだとは期待しない方がいいだろうから。