望月素新 3
「ええと、現在判明している転生者の居場所が、草原街グラスラードにテツオって人。私たちのいる首都ピボッテラリアに、私ことソアラと、ヤハウェさんと、キョーシャさん。あと、忍者ルンヌも表に付け加えておこう」
私は、メモ帳がわりの羊皮紙にさらさらと羽ペンを走らせる。
カナン商会事務街支部であるこの建物の二階の仮眠室、要するにライオットにもらった自室には、彼からの好意で届けられた羊皮紙や私が欲しがった衣類などが積まれていた。
もともと仮眠室というだけあって三畳ほどの狭い部屋なので、それだけでほとんど部屋は満杯になった。
「わかりやすくまとめないとね」
いま私は、明日の会合に向けて、現時点での情報を整理したメモを作っているのである。この役割には、自分で立候補した。
カナン商会からの情報が真っ先に入ってくる私が整理した方が都合が良いと言ったところ、満場一致――といっても私を除いて二人だけだが――で、私にその役目が任された。
「ふんふんふふーん」
鼻歌まじりで羊皮紙に情報を書き込んでいく。
前世の土建屋でやっていた事務作業みたいで、私はこういった裏方作業が嫌いではない。
植物由来の材料で作った紙ではなく、ライオットが届けてくれたのは高級品の羊皮紙だった。こちらの方が保存に適しており、長持ちするらしい。貴族同士の手紙のやり取りだとか、政治で使う重要文書には羊皮紙が使われることが多いようだ。
「できた」
私は、出来上がった羊皮紙にざっと目を通す。
うん、我ながら上手いことまとめられていると思う。
羊皮紙に羽ペンで簡単な地図を書き、そこに街の名前や人名を書き加えただけだが、まあまあ見やすく作れたのではなかろうか。
色は付けられなかったが、心の眼で見れば海は青いし森は緑なのだ。
☆現時点で判明している転生者の居場所とか☆
■草原街グラスラード(一名)
テツオ氏(精霊と契約?)
■首都ピボッテラリア(四名)
ソアラ(平和に生きたい)
キョーシャ君(可愛い)
ヤハウェさん(フライドチキンの人+貴族)
忍者ルンヌ(現状で二名を殺害)
■鬼籍(四名)
うち死因がわかっているのは二名。
フヒト(忍者ルンヌにより殺害)
ジン(同上)
死因不明:二名。
現在地不明:六名
地図とは別に、人名をまとめたメモも作る。
死、という言葉を書こうとして、私はなぜだかちょっと躊躇って、鬼籍、と書き換えた。
もう、四人も死んでいるのだ。初期の転生者数が十六人だったので、それが十二人まで減った計算になる。
こうして表にまとめると、カケラロイヤルはやはり転生者同士の争いの種になっているのだと実感する。同盟のメンバーたちは忍者ルンヌのことを恐れているが、実際に忍者ルンヌが手にかけた転生者は二人だけだ。
つまり、残りの二人は他の転生者に殺害されているということになる。
その二人を殺害したのがたった一人による犯行なのか、それとも複数の転生者がその手を血に染めたのかは今のところわからない。草原街グラスラードの商会員の人がテツオという人の情報を送ってきてくれたように、新たな人物の居場所が判明し次第、このメモを更新していかねばならないと思う。
「いますか、ソアラ?」
こんこんと、木の扉がノックされる。ライオットの声だった。
「はいはい、どうぞ?」
「ああ、作業中でしたか。出直しましょうか?」
私の部屋に入ってきたライオットは、トーガではなく私服姿だった。
小さな机いっぱいに広げられた羊皮紙を見て、私がどんな作業をしているのか察したらしい。
「ううん、今終わったところ。どうしたの?」
「いえね、前回外を出歩いたときに、発展特区を案内するという話だったじゃないですか。地震騒ぎが起きてしまったのでうやむやになってましたが――今からどうです、という話です。要するに、デートのお誘いですよ」
デート、という単語に反応して、私の顔は一瞬で茹だった。
告白されてからというもの、私は恥ずかしくて彼の顔をまともに見れない。
返事はいつまででも待つと言われていたが、告白した側の彼は普段通りの態度で飄々としているのに、私だけが意識して照れているようでなんだか理不尽だった。
こんな状態で二人で外に出かけても、会話が続かなくて息苦しいだけなのではないか、断った方がいいかなどと私が考えていると、ライオットは再び口を開いた。
「ついでに、甘い物の美味しい店に案内しようかと思っていたのですが、都合が悪いようなら――」
ぴくり、と私の耳が反応した。甘い物。甘い物と申したか今。
「ん、行く」
言ってしまっていた。なんだか食べ物を餌にして釣られているような気がする。ライオットほど賢い人のことだ、私の扱い方をもう覚えてしまったらしい。
ほいほいと付いていってしまう自分の胃袋が恨めしいが、しかし甘味の欲求には抗えない。
「それは良かった。準備があるなら待ちましょうか? もう出れるなら、今からでもいいんですが」
すぐ行くからちょっと待ってて、とライオットを部屋の外に出し、部屋着から余所行きの服に着替える。どちらもライオットに買ってもらったものだ。
「お待たせ」
「良く似合っていますよ。可愛いと思います」
別段、気合を入れてお洒落をしたわけでもないのに、律儀にライオットは私のことを褒めてくれた。またしても頬が少し赤くなる。
外出にドレスを着る習慣にはすっかり慣れた私だったし、似合っているか似合ってないかでいえば、鏡を見る限り我ながら似合っているとも思うのだが、日本人の感性としては派手な服装であることには変わりないので、内面では少し気後れしている。
イメージとしては、周囲から地味だって言われ慣れている女の子がちょっと気合を入れて露出の高いファッションをしてみたら、思いの他似合っていて、普段とのギャップに戸惑って堂々と振舞えないとか、そんな感じ。
「うん、綺麗ですよ、ソアラ」
しかし、ライオットに褒められると、そんなもんかな、などと思ってしまって、私としても悪い気はしない。私をそんな気分にさせるあたり、ライオットは女性慣れしていると思う。
「そ、そんなことないですから。ソアラの思い過ごしですから」
女性慣れしているんだねと伝えると、いつになくライオットはうろたえた。
先日の地震騒ぎのときは例外として、基本的に落ち着いた物腰のライオットにして珍しい。
(遊んでる男だって私に思われたくないからかな?)
シュテファンおじさまが私をここに連れてきてくれたときに、そういった店の話題で盛り上がってもいたし、私としては慣れてるんだろうなぐらいにしか思わないのだが。
「じゃ、行きましょうか」
私は、ライオットに先導されて階段を下りる。
ライオットは細身な方だが、先を歩く彼の肩幅は、近くで見るとやはり広くて、男の人なのだなとぼんやり実感する。
(私、告白されたんだよねえ)
あまり詳しくその時のことを思い出すとまた赤面してしまいそうであるから記憶の隅に押しやるとして、こんな私に色恋沙汰というか、そんな浮いた話が訪れるなどとは正直思っていなかった。
からかわれているだけかもしれないと当初は思っていたのだが、どうもそうでもなさそうだ。彼は、私に真摯に向き合っている。そして私は、それに応える心の準備がまだできていない。
(ま、今はいっか。返事はいつでもいいって言ってくれてるし)
とりあえず甘味だ。甘味を食べて忘れよう。
私は頭を振って、整理しきれない感情を振り払う。
告白されたときのことは、色々と落ち着いてから思い出せばいい。
今は、ライオット曰く「すごいところですよ」という発展特区のことでも考えていよう。
「ガラスだー!?」
「ええ、ガラスです。びっくりしました?」
カナン商会の支部がある事務街から、首都の外周の方へと歩き出すこと十数分。
その区画に一歩足を踏み入れた途端、私は人目も気にせず絶叫した。
それもそのはずである。この世界に来てからというもの久しく見なかった、ガラス張りのショーウィンドウがあちこちの店で輝いていたからだ。
「え? なんで? ガラスってこの世界でも作れたの?」
「それなりに量産できるようになったのは最近ですが、そりゃガラスぐらい作れますよ。あなたのいた世界ではもっと文明が進歩していたみたいですけど、こっちだってそれぐらいはね」
ちょっと鼻が高くなっているライオットと違って、私はまだ混乱していた。
「だって、透明なガラスだよ? 科学の力なしで作れるものなの?」
私はぱたぱたと付近の店に駆け寄り、巨大な一枚板のガラスを張られたショーウィンドウを覗き込む。
ステンドグラスぐらいならわからなくもなかったが、ちゃんとした透明なガラスである。間近で見ると、ほんの少しだけ表面がでこぼこしているし、透明率もやや下がってうすい緑色に見えなくもないが、しっかりと透けて向こう側に飾られたお皿なんかが見える、立派なガラスだ。
ガラスの内側には、デザインを重視した飾りを付けられた作光石が明るく輝いている。
「正直なところ、私は職人ではないのでそこまで詳しくはないのですが。製法としては、砂の中から念動の魔法でガラスの粒だけを集め、それに灰などを混ぜて高温で熱して作るのだとか」
「え、あ、うん。そうだね、多分」
ガラス作りの行程なんて、私は詳しく覚えていない。
面と向かって、なぜガラスができないと思ったのかなんて問われると私としても困ってしまうが、でも、わけもなく、このファンタジーのような世界に窓ガラスがあることに驚きと違和感を覚えてしまう。
「本当に透明な良いガラスを作るときは、炎属性の炎柱という魔法を使って高温で熱する必要があるらしいですが。使い手の少ない上位魔法ですし、かかるコストが跳ね上がりますので、あまり見かけませんね。でもね、あなたの世界との比較ができないので何とも言えませんが、こっちの世界の技術も良い線行ってません? 魔物を倒すための鉄や魔力鋼を作り出す必要がありますから、炉というか、物を熱する技術はかなり高いらしいですよ?」
「うん、驚いた」
私は素直に頷く。中世ヨーロッパぐらいの技術水準と事前に聞いていたせいで、驚きもひとしおだ。
私の中のイメージとしては、家は木や煉瓦や漆喰で作られているものと思っていたのに――実際、この区画以外はそうだった――こんな風に、街中に透明なガラスが溢れているだなんて誰が想像するだろう。
「ああ、大丈夫です。連れの責任は私が取りますから」
ライオットが誰かに話しかけている声に後ろを振り向いて、私はぎょっとした。
抜き身の槍を掲げた、鋲革鎧にヘルメット姿の衛兵が、気難しい顔で後ろに立っていたからだ。
ライオットが私服の袖元を見せ付けると、彼は軽く会釈して立ち去っていった。今日のライオットはトーガ姿ではなく、絹の長袖シャツみたいなダブレットに、膝元までの短くて黒いズボン、それに白のソックスに黒い革靴という、一見すると貴族みたいな服装だ。
袖口には確か、身分証がわりにもなるカナン商会の紋章を縫い取ってあったので、それを衛兵に見せたのだろう。
「すみませんね、驚かせて。このあたりは発展特区という名前にはなっていますが、実際には商売はあまり行われていないんです。なんていうんですかね、新しいものとか珍しいものを展示するために作られた地域みたいなもので。迂闊にうろうろされて物を壊されたら困るというので、あちこちに衛兵がいるのですよ」
ああ、理解した。住宅展示場、モデルハウスのようなものなのだろう。
いくらガラスが作れるといっても、コスト的には日本とは段違いにかかるだろうから、迂闊に触って壊されたらかなわないというわけだ。
「それじゃ、このあたりはただ建物を見て回るだけの地域なんだ?」
「平たく言うと、そうなりますね。言ってしまえば、あちこちの職人が最新の技術で作ったものを見せびらかすための地域です。もちろん目新しいものには困りませんので、それだけでもある程度は楽しめるとは思いますが――ただ、それだけでは面白みがありませんので、一日一回、ショーがあるんです。それがね、もうそろそろ始まるんですよ」
「ショー?」
「ええ――ほら」
発展特区の中央は、広場になっていて、大きな噴水があった。
それも、ただの噴水ではない。大理石のような綺麗な鉱石でできているそれは横二十メートルはあろうかという大きなもので、四方に設置された水の噴き出し口からぴゅーっと水が勢いよく空を飛んでいた。
「はあ、立派な噴水だね」
驚きつかれたということもあり、私はすっかり感覚が麻痺してしまっているのかもしれない。
大理石の台座は七角形になっており、その七つの角には水の受け皿と噴出孔が付いている。一つの孔から噴き出た水は、七角系の台座の上を、ゆっくりと円を描くように射出角度を変えていく。しかも、七つの受け皿に入らない角度では水は止まり、受け皿の上に来るとまた水は出始めるのだ。
さらには、微妙に噴出孔のある土台の高さや位置が違うために、台座の上で行き交う水流がぶつかることはない。七つの水流が、お互いにぶつかり合うこともなく、出たり止まったりしながら、宙を行き交っている。
かと思えば、まったく同じタイミングで七つの水流はぶつかり合い、大理石の白い輝きの真上で淡い霧と虹を作る。
「ほんとに、すごい」
思わず、見蕩れてしまった。
噴水を作る技術力があるのか、と驚くどころではない。実に精巧な噴水だ。
特にあの、水の射出角度を変える仕組みとか、水流同士がぶつからないように計算されているところとか、とてものこと科学が進歩していない世界の発明品だとは思えない。
(ちょっと悔しい)
科学が万能である世界からやってきた私が、この世界の技術に驚かされているというのが、何だか癪だ。私以外にも、多くの人が噴水を眺めて感嘆しているので、この世界の人々にとってもこの噴水が物珍しくすごいものだとわかるのがせめてもの慰めだろうか。
「違いますよ、ソアラ。これから、あの噴水を使ってショーが始まるんです。あの広場は人でごった返しますからね、ちょっと移動しましょう」
「これ以上、まだ何かあるの?」
見てからのお楽しみです、と私の手を引きながらライオットは歩き出す。
催し事があるのは本当のようで、少しずつ噴水広場は混み始めていた。広場に集まってくる人の群れを縫うように私たちは歩く。
「ご苦労様」
ライオットが入っていったのは、やはりガラス張りのショーウィンドウがある小さめの店だった。壷から液体が溢れている図、カナン商会の屋号を彫り込んだ木の看板が軒にぶら下がっている。
物を売る店ではなく、展示が主目的であるせいか、入り口の扉はなく、中の様子が外からでも見える。
「眺めがいいですからね、二階へ」
店員を労ってから、私の手を引きつつライオットは店の奥にある木の階段をのぼっていく。一階には、木でできた公衆電話のような木製の箱が展示されていて、私の目を惹いた。
「ねえライオット、あの箱は何をするものなの?」
わざわざ発展特区に展示してあるぐらいだ、何かしらの新商品なのだろうが。
「あれは、無人販売箱です。ゴルド硬貨を入れて取っ手を回すと、重みでいくらの硬貨なのかを判別して、中から値段に応じた魔石が出てくる仕組みを作ってみたんです。あれが実用化できれば、人件費が浮きそうなんですよ。カナン商会がいま力を入れている発明品です。魔石以外にも、玩具なんかを入れて売るのも面白いなと私は思ってるんですが。玩具はうちの主力商品ですからね」
(ガチャガチャだこれー!)
「前の世界にもあったよ、こういうの。景品はガラスみたいな割れにくい透明な容器に入ってて、お金を入れてレバーを回すと景品がランダムで出てくる仕組み。小さな人形とかが入ってて、童心を忘れない大人がよくやってたなあ」
ぴたりと、ライオットが足を止める。
「玩具が壊れないように保護するための容器ですか。面白いですね、それ。ソアラの世界で定着していたってことは、成功する商売なんでしょう。今度、検討してみます」
「うん」
本当は、あまり検討して欲しくなかった。
私がこの世界に、生前の日本で成功していた商売の種を持ち込むということは、遠い将来にこの商売を考え付くはずだった誰かのアイデア、成功を横取りするということだ。
ガチャガチャは、私が考えたアイデアではない。それを私が商売の種にするのは、泥棒と同じだ。
私欲のために他者を貶める転生者がいるとわかってしまった以上、生前の知識や転生特典といった、使いたくはなかったものを使わざるを得ないのは、悲しい。
私の手は、もう汚れてしまった。
「見てください、ソアラ」
二階の一室にある窓を開け放つと、噴水広場が一望できた。
高所からの眺めは良く、噴水を見ようと集まっている群衆を見下ろすことができる。
「始まりますよ」
いつの間にか、噴水広場の頭上は黒い布で覆われていた。
広場の四方にある建物の屋根から、一面に黒い布が広げられているのだ。
上を見上げると、この店の頭上にも黒い布が広げられていて、あたりは影のように薄暗くなっている。街の一区画をまるまる覆うなんて、とても大きな黒布だ。
(街の灯りも、消すんだ)
やがて、各店のショーウィンドウに飾られている光もすべて消えた。
発展特区の入り口の方には黒い布が張られておらず、昼の光が入ってくるために
真っ暗闇というわけではないのだが、布で覆われた中心である噴水広場のあたりはかなり暗い。
(あっ)
ほとんど何も見えなくなっていた噴水のあたりに、小さな光が一つ、灯った。
それを見て、群集はざわめきをやめて、噴水を注視する。
小さな光は、水を噴き出させるのをやめた七角形の噴水、その中央に灯った。
その光は、先ほどまではそこになかったはずの、白いトーガを着た老人の人形を映し出す。
「ねえ、ライオット、あれって」
「創世神様を象った人形です。以前に私がソアラにも聞かせた、創世礼賛がテーマですね」
小声で聞いた私に、ライオットもやはり小声で返してくれた。
耳元にかかる吐息がくすぐったい。
(人形、ぜんぜん似てないなあ。本物はあんなに威厳なかったよ)
先ほどまでは広場の騒ぎで聞こえなかったが、耳をすますとかすかにぎぃ、ぎぃという何かが駆動しているような音がする。あの噴水台の中に、そういった人形が出てくるからくりでも入っているのだろうか。
(綺麗――)
噴水台の中央に鎮座している、創世神を象った老人の人形は、杖を持っている。
杖を持った右手が上下に動き、とん、と地面を付く。
すると、暗闇の中に新たな光が灯った。場所的には、七角形の一角、噴出孔と台座があったあたりだ。その光が、渋みがかったおじさんの人形を映し出す。
(別の、人形?)
元が人形だけに、そのおじさんの人形は微動だにしなかったが、伸ばした手の先からぼうっ、と炎が出てきた。
(創世礼賛、炎属性――ああ、あれが炎帝かな?)
もう一度、中央の創世神が右手の杖で地面を付く。
すると、新たな光が灯る。今度は、青い衣をまとった色白の美女の人形だ。
やはりこの人形も、噴水の中央に右手を差し出している。あるとき、その右手にぱきん、と氷の塊ができた。
(きっとあれが、氷姫)
誰もが、一言も発しない。静寂と暗闇に包まれた広場で、神々を模した人形だけが、光を浴びている。
また、創世神の人形が、右手に持った杖でとん、と地面を付く。
三体目に現れた人形は、鎧姿の、シュテファンおじさまに良く似た男性だった。
白髪交じりの短髪とアゴ髭が渋い彼も、やはり伸ばした手の先に、水球を作りだした。
(水属性ってことは、あれが魚王。魚王なのに鎧姿のナイスミドルなんだ)
イメージと違ったので、私は少しおかしくなって含み笑いをする。
次々に、創世神の人形は地面を付く。
四体目は、槍を握り締めた、隻眼の老人だった。
トーガともまた違う、フードの付いたローブを羽織っている。
彼は手を差し出していないが、あるときからローブの裾が風にたなびき始める。
(あれが、風神)
五体目に現れた人形は、薄衣を身に纏った少女の人形。
やはりこの人形も、伸ばした手の先に、やがて岩の塊を作った。
(あれが、地母神――とするなら、次に現れるのは闇の龍かな)
今まで、七柱の神々は、それぞれが司る属性、言い換えれば曜日ごとに現れている。炎、氷、水、風、土。ならば、次は闇、そして光のはずだ。
私の予想通り、次に現れたのは真っ黒な龍の人形だった。
四つ足で大地を踏みしめる龍の口元から、靄のような黒い霧を吐き出した。
(闇属性だけ、人型じゃないんだ。あれが、暗黒龍だよね)
七属性の最後に現れたのは、炎属性の人形にそっくりなおじさんの人形だった。
その人形は、手の先にまばゆい光の球を作り出す。
(炎帝だけ、二つの属性を司ってるんだっけ。あれが、光帝だよね)
七柱の神々が、七つの台座の上に出揃う。
炎帝、氷姫、魚王、地母神、風神、暗黒龍、光帝、そして創世神。
地球の曜日に言い換えると、炎の日が月曜日で、光の日は日曜日だ。
神々が出揃った後、創世神が何をするのかと固唾を飲んで私が見守っていると――
創世神がもう一度杖で地面を付いた瞬間、あたりが光で満ちた。
今までは神々の人形だけが照らし出されていた噴水全体が、ぱっと明るくなる。
創世神がもう一度杖で地面を付くと、噴水広場の光はすべて消えた。
七柱の神々と創世神だけが、暗闇の中に浮かび上がっている。
(あ、音楽)
太鼓やドラムのバスが出す音に似た、どどどど、という重低音が聞こえてくる。
日本でも演劇などでよくあった、物語を盛り上げるために少しずつ音量を上げていくあの太鼓だ。
その音量がやがて、場を支配するほどに大きくなったころ――七柱の人形が、手に持っていた属性魔法を、同時に噴水へと投げ入れた。
火、氷、水、風、土、闇、氷――それら七つの塊が、暗闇の中で水面へと投げ込まれた瞬間、ぱあっと噴水がライトアップされ――そして、元は噴水の水面であったところが、緑の沃野に変わっていた。
(ええっ!?)
同時に、ラッパのようなファンファーレが鳴り響き、いつの間にか後方に待機していたトーガ姿の楽団が高らかに賛美の曲を奏で始める。
(すごいなあ)
元は噴水であったところが、暗転していた一瞬で緑の大地へと変貌を遂げたのだ。驚かないわけがあるまい。
ライオットの反応はと思って横を見ると、微笑みながらうんうんと頷いていた。
「創世神が七柱の神々を作り、神々はマナをもって大地を作る――創世礼賛のテーマです。どうです、ソアラ? その表情を見るに、楽しめてもらえました?」
「うん。素直に驚いた。すごいね」
「でしょう。私たちの技術も、捨てたものではないでしょう?」
「そうだね、本当に」
私はまだ、度肝を抜かれていた。
今までこの世界のことを、どこか未開の地というか、技術が発達していない時代遅れの国だと心のどこかで見下していたところが私にはあったと思う。
(とんでもない。すごい文明的だ)
既存の技術と、そしてこの世界にしかない魔法という技術を組み合わせて、この世界の人々はとても水準の高い芸術品を作り出している。より良い物を作ろう、より技術を進化させていこうという、技術者、ひいては人間の意志のようなものを感じさせる出し物だった。
「ソアラ。危ない橋を渡るのは、もうやめにしませんか?」
「いきなり何を――」
言い出すのだ、と言いかけて、ライオットの理知的な瞳が真剣さを帯びているのに気づき、私は押し黙った。
きゅっと、ライオットは私の手を取った。
彼が大事なことを言おうとしているのがわかったので、私の頬は赤くならなかった。
「住めば都といいますが、見ての通り、この世界だって悪くないところです。カケラロイヤルに関わるのをやめて、私と一緒にこの世界で生きていきませんか?」
「それは、プロポーズ?」
私は、くすりと笑った。返事はいつでもいいと言っておきながら、追撃の奇襲をかけてきたのが面白かったのだ。
ライオットは笑わずに、ええ、と頷いた。
「同盟を組んでいるお二方のどちらかにカケラを譲渡して、私と二人で暮らしましょう。本当のあなたは、命のやり取りをするような人ではない。平和な生活に戻りませんか?」
それは、とても魅力的な提案だった。
きっとライオットは、私を大事にしてくれるだろう。こんなドジの多い私のことを好きだと言ってくれるこの人と、平和であたたかな家庭を築く。眩しい未来だ。
ふと、私は気づいた。このプロポーズを、私は嬉しがっている。
「ダメだよ、ライオット」
しかし、私は首を横に振った。そして彼に向かって微笑む。拒絶の笑みだ。
「カケラロイヤルはね、ほったらかしにしちゃダメなんだ。目を瞑って見ない振りをしていたら、きっと、もっと大きな悲劇を呼ぶ」
「仮にそうだとして、あなたがそれをやらなければならないという理由はない!」
珍しく、声を荒げるライオットが、私には眩しくて、目を細める。
彼は、ありえたかもしれない、私の幸せな未来そのものだった。
しかし私は、人生の分岐点で彼を選ばず、違う道を歩む。
「ごめんね、ライオット。嬉しかったけど」
私は、自分の手を掴んでくれたライオットの指を、ゆっくりと解く。
指と指とが離れた瞬間、私は幸せな未来へと続く扉が、音を立てて閉まったのがわかった。