花咲侠者 5
「そういえばムームー、君の戸籍ってどうなってんの?」
俺がいなくとも一人で生きていけるように様々な教育を施す――俺が内心で独り立ち政策と呼んでいる計画の一端である料理の授業中、ふと思い立って俺はムームーに問いかけた。
「戸籍ですか? 正直よくわからないです。私が父さんに連れられて街を出たのは、もう十年は昔のことですから。教会に礼拝に行く余裕なんてなかったですし、戸籍も消されちゃってるんじゃないですかね?」
「ふむ、今度調べに行こうか――そう、そこで鍋に少し水を入れて、蓋をして。蒸し焼きにするんだ」
俺がムームーと出会ったのは、冒険者ギルドに張り出された正規の依頼をこなしている最中である。当然ながら、俺は冒険者ギルドにも登録してあるし、路地裏の小さな教会で戸籍を作ってもある。
しかしながら俺とムームーが籍を入れる、つまり結婚するとなると、彼女の戸籍がどうなっているかは重要な問題になってくる。もし彼女の戸籍が消えてしまっているのなら、作りなおさねばならない。
これは、俺がもし死んでしまった場合、彼女に財産を分与するために必要な手続きであるはずだ。
「水を入れる上に蓋をするんですか。お肉、べちゃっとなっちゃいません?」
煉瓦積みの竈の上に置いた鉄の鍋――底が浅いのでフライパンに近い――に言われた通りに木蓋をし、ぱちぱちと火の粉を飛ばす薪を鍋から遠ざけて弱火にするムームーである。
「この料理は芯まで火が通りにくいからね。最初に表面をしっかり焼いたあとは、
弱火でじっくり蒸し焼きにするんだ。そうすれば肉汁は逃げ出しにくいし、出てきた肉汁もあとで使い道がある。こんがり仕上げたければ、あとで蓋を取って水分を飛ばすか、油を多めに使って揚げるように焼けばいい」
教えている料理は、ハンバーグである。
和食なんて教えてもしょうがないので、記憶を頼りに安く作れる欧米のレシピを中心に教えていた。和食を教えようにも、味噌と醤油が出回っていない。使える調味料が少ないのである。
「手が空いた今の時間を使って、食器が汚れていたら洗ったり、メインディッシュ以外の付け合せ野菜とかを作ったりするんだ」
「むむむ。意外と難しいのですね。村では炊き出しをする女衆はほぼ持ち回りで固定でしたから、私は竈番をしたことがなくて」
「この世界だと、竈を持っている人は少ないらしいからね。料理をしっかり覚えたら、それだけで食いっぱぐれはないはずだし、頑張って覚えよう、ムームー?」
フレンチトースト、ベーコンエッグ、オムレツ、各種パスタ。思いつく限りの、いわゆる基本料理は教えておいてあげようと思う。読み書きを覚えるのには時間がかかるが、料理は割とすぐに覚えられるので、手に職を付けるという意味では即効性があるはずだ。
「もちろんです。上手くできたら夜のご褒美も期待していいですか!」
「むふふ、任せておきなさい」
きゃー、と黄色い声をあげつつ、ムームーはたわしで擦った木の器を作水石で洗い流した。洗い物は、台所の隅にあるダストシュートのようなといで行う。排水はその穴から、家の外、ひいては首都近郊に張り巡らされた下水管へと流れていく。
下水管といっても、溝のように穴を掘った地面を石で塞いだだけの簡素なものだ。当然、ほとんど傾斜はないので、水以外のものを流すとすぐに詰まる。敷地内にある下水管の管理は、その家の持ち主が責任を持ってやらなければならないらしい。
「このあたりは、日本の文明水準に慣れていると不便に感じるなあ」
「ご主人様は贅沢すぎますよ。私が以前暮らしてたとこなんて、下水なんてなかったですからね? 自宅に竈もお手洗いも、ましてやお風呂があるなんて、これで一体何が不満だっていうんですか。貴族様みたいな生活じゃないですか」
ムームー的には満足して頂いているようなのでいいのだが。
なお、食事前に汚い話になるが、この下水はあくまで生活排水のために用いられているもので、排泄物を流すためのものではない。
首都の金持ちが住んでいる地域だと、便所が下水に直結している場所もあるらしいが、街の外に新たに作られたこの家などは水道網が発達していないので、便所は汲み取り式だ。週に一度、肥料を作る業者が回収に来る。もちろん、新たに家を建てたばかりの俺のところに勝手に業者が来るわけではないので、申請が必要だ。
(下水道がこんな水準の割には、けっこう清潔な都市なんだよなあ)
まず、道に物を捨てるのは違法である。仮に捨てられていたとしても、冒険者ギルドからの日配依頼でゴミ拾いの仕事があるので、食い詰めている冒険者がその依頼を受け、スラム街などを含めた道路の掃除を毎日しているのでゴミ落ちは少ない。
不衛生は疫病の元であるという観念が、この世界の人々には上から下まで浸透しており、排泄物の処理などはそれなりに神経質だ。衛生を保つために必要な純水は手に入りやすくなっており、作水石の購入やマナの最充填、それに首都のあちこちにある井戸や大浴場の利用料金はとても安い。税金の補助が出ているのだという。
(まあ、それもそうか)
回復魔法が存在しているため、外傷にはめっぽう強いこの世界の医療は、病気という側面では無力だ。せいぜい体力を付けて良く寝ておきなさいという程度で、飲み薬も様々な薬草を調合した漢方というか、民間療法の域を出ていない。
解毒魔法は、病には効かないのだ。
それ故に、流行り病とか疫病とか、そういうものに対してこの世界の人々はとても警戒する。風邪を引き、熱のある状態で外出しようものなら、感染を警戒した道行く人から殴られかねない。
衛生面に関して、この世界の人々の意識はそれほどに高い。
逆説的にいえば、水が安いなどの、それらの恩恵を受けられない生活だったムームーの村が、いかに貧しいかが証明されてしまうわけである。
「肉、おいっしー!」
そんな俺の思考など知りもせず、ムームーはハンバーグに夢中だった。
ナイフの使い方はまだぎこちないので、フォーク一本で巧みに肉塊を崩して食べる。
「まともな肉なんて買えない分、クズ肉の調理だったら私の村の方が優れてると勝手に思ってましたが、これは美味しいですね。ムームー脱帽です」
「肉と野菜を塩と水で煮ればいいみたいな料理が、この世界だと多いからねえ。特典スキルなしでも、さすがに日本の料理水準には勝てないさ」
「むう、また故郷の国だっていうニホンの自慢ですか。一度行ってみたいですが、行けないところの素晴らしさを語られても耳に毒というか、ううん」
眉間に皺を寄せながら、硬いパンをもしゃもしゃと噛むムームーであった。
湯気にさらしただけでそこまで柔らかくなってはいないパンなのだが、彼女のアゴは丈夫であった。にも関わらず、アゴが発達してごつく見えないのは美人の要素である。
「そういえばご主人様。話を戻しますけど、何で私の戸籍のことを?」
「いやそりゃ、結婚するなら戸籍登録というか、教会での報告が必要なんじゃない? よくわからないけどさ」
「確かに、必要ですけど。いえね、疑ってたわけじゃないんですけど、本気でご主人様、私と結婚する気なんですね」
嫌かい?と笑いながら訊ねると、ぶんぶんとムームーは首を横に振った。
「もちろんそんなことはないですけど。ご主人様が前に住んでたニホンは、平和なところだったんだろうなって。要するに相手と財産を分け合うことになるので、こっちだと資産に差がある結婚って歓迎されないんですよ。貴司兵民の身分差があればまず実現しないですし、同じ階級の中でもお金持ちかどうかでかなり変わりますから」
「きしへーみん? 何それ?」
「王族や貴族が貴、教会の司祭とか国お抱えの魔術師なんかが司、守護隊を含む兵士が兵、それ以外が全部、民です。身分差ってやつですよ」
江戸時代でいうところの士農工商みたいなカースト制のことか。
「同じ民っていうくくりの中でも、もちろん裕福な商人とかと、私みたいな貧民は一緒になれません。どうしてもっていうなら、裕福な方が実家と縁を切って嫁ぐなりして結婚する感じになりますね」
「厳しいもんだね。好き同士で結婚すりゃいいじゃないかって思うんだけどさ」
「そうも行かないですよ。例えば裕福な商人の家系が他の家から嫁を取るとして、その家が持ってるお金っていうのは、ご先祖様から代々少しずつ商売をして増やしたお金ですよね? それを、ぽっと出の見知らぬ嫁に丸ごとかっさらっていかれたらご先祖様に申し訳が立たないじゃないですか。だから、嫁を出す方の家もそれなりの責任を負うんです。具体的には、ちゃんと家の格にあった贈り物を準備しないといけないし、嫁ぎ先で嫁が何か不祥事を起こしたら、その噂が広まって嫁の実家は周囲から総スカンですよ」
何だか、どこかで聞いた話だ。具体的には江戸時代の嫁入りとかそのあたりで。まあ、自由恋愛が推奨され始めたのは地球でも近代に入ってから、しかも先進国限定だからしょうがない。
「そもそもご主人様はお金の価値を低く見すぎです。私がいた村や貧民街で100,000ゴルドも出せば、誰か一人殺してくれっていう依頼を受ける人間なんてごろごろいますよ?」
「他人は他人、俺は俺だよ、ムームー」
金で人を殺す。貧困の中にあってその選択肢を選ぶ人間の気持ちも、わからなくはない。
「貧しい人にとってのお金の価値が、裕福な人にとってのそれよりも高いことはわかってるつもりだよ。俺が同じようにお金にがめつく生きるかは別の話だけどね」
どれだけお金を稼いだところで、人は死んでしまえばそれまでである。
家族に財産を残せるだけ稼げばそれでいいし、そして残せる財産には信用というものも含まれるのだ。
子孫が肩身を狭い思いをしないよう、ほどほどに人助けや慈善事業をしつつ老後を過ごせばいい。
肉体年齢十二歳の老後生活なんて、そんなものでいいのだ。
「ムームーには、理解できないですけどね。お金がないからあんな貧しい生活をしていたわけで、それをがめつく生きてたなんて言われたら気分悪いです」
むっすりと頬をふくらませたムームーの言葉に、俺は慌てた。
「ごめんごめん、言い方が悪かった。でもね、世の中にはお金以外にも大事なものがいっぱいある。貧しいうちはそれが見えないだろうけど、段々それに気づいていって欲しいと思うんだ。衣食足りて礼節を知る。お金は墓まで持っていけない。日本のことわざなんだけどね」
「一度結婚した後、すぐに私が離縁を切り出すかもって、ちょっとはムームーを疑ったりしないんですか? 普通の人同士の結婚だったらお互いの家とか親とかに気兼ねがあるんでそうそう離婚はしないですけど、私の場合はそういうしがらみがないし、籍を入れたその足で籍を抜くだけでご主人様の財産がっぽり持っていけるんですよ?」
離婚後の財産分与はしっかり行われるらしい。
女性が法律上軽視されていないことと同義なので、俺にとっては朗報である。
「そりゃしょうがない。女に振られるのは、男の魅力が足りなかったせいさ。お金次第で捨てられるぐらい、俺との結婚生活がつまらなかったってことだからね、割り切るさ」
「ふむん。本当にお人好しですねえ、ご主人様は」
「前に言ったでしょ? 先に何かしてあげるのは嫌いじゃないんだって。相手がどれぐらい自分に利益をもたらしてくれるのかを計りながら付き合ったって、面白くも何ともないよ。特に俺は結婚したことがあるからね、男が先に折れるもんだって習慣がしみついてるのさ」
「自分の取り分を少しでも多く取るために争わないと生きていけなかった私からしてみれば甘々ですけどね。それじゃ、ちゃっちゃと籍入れに行きましょう。安定した身分に衣食住が確保できて、飽きたら離婚してしまえば財産分与のお土産付きですもの、私が断る理由なんて何一つないですもんねー」
わざとらしくふんふんと鼻歌を口ずさみながら靴に足を通すムームーであった。
かなり俺のことを煽ってきたが、それはつまり、どこまで俺が本気なのかを確かめる行為だと俺は見ている。
口ではこんなことを言っているが、俺がどこまで本気で言葉を口にしているか、実行するつもりはあるのか、ちょっと俺をおちょくってみて判断しようとしているのだろう。俺が本気で怒れば結婚自体はご破算になるだろうし、彼女としてもそれは好ましく思っていないだろうが、俺が実際にそうしないだろうと踏んでいるので、試しに露悪的なことを言ってみて愛情を確かめている、そんなとこだろうか。
何てことはない、前戯みたいなものである。ゆっくり丁寧に付き合ってやるのが甲斐性というものだ。
「ああ、ムール氏の娘さんですか! 覚えていますとも、大きくなりましたねえ――いえ、年頃の女性にかける言葉ではありませんでしたね。お久しぶりです、ムームーさん。お綺麗になられました。お父上はご壮健で?」
たまたま俺が戸籍を作った教会とムームーが子供のころに洗礼を受けた教会が同じところだったらしく、籍を入れるべくそのヘリオパスル教会へと赴いたところ、当時から変わらぬ神父はムームーのことを覚えていた。
フェリオと名乗る神父にムームーが自分の名前を伝えたところ、さほど悩むこともなく父の名前が出てきたことに、ムームーは心底驚いた様子である。
「よく覚えてましたね、神父? もう十年以上も昔のことで、私もほとんど覚えてないぐらいなのに」
「私が洗礼を授けた方の名前は、みな覚えていますよ――なんてね。私ももうこの歳です、お恥ずかしい限りですが、神徒の方の名前を忘れてしまうことがここのところ増えておりまして。別の理由から、あなた方親子のことは記憶に刻み付けてあります」
「別の理由? 私たちに、何かありましたか? 記憶を遡っても、何か大金を寄付したりとか、特別な振る舞いをした家族だったとは思わないのですが」
「ああ――ええと、お連れの男性とのご関係を、伺っても良いでしょうか? 先日、戸籍を作りにお見えになった方ですね? 確か、キョーシャ・ハナザキ様」
驚いた。この神父は、戸籍を作るために短時間ここを訪れただけの俺の名前まで覚えているらしい。
口ごもったのは、関係性のわからない俺に、彼女の家庭環境に関わる話を聞かせていいか迷ったのだろう。
「ん――身体を売る仕事をしてたところを、身請けされました。嫁入りの支度金も渡してないのに、正式に、妻にしてくれるそうです。今日は籍を入れにきました」
ムームーの台詞に、雷に打たれたようにフェリオ神父はよろめいた。
俺は特に口出しをせず、ずいぶん率直に本音を言うんだなあ、とムームーを見守っていたところ――フェリオ神父は、滂沱の涙を流しはじめ、感極まったかのようにムームーの手を取った。
「良かった、それは良かった。風の噂で、ムール氏に連れられて街の外に出ていってしまったと聞き及びました。それも、まだ小さかったあなたを連れて。その後、しっかりと食べていけているのか、心配していたのですが――良い顔をしています、神徒ムームー。あなたは報われたのですね?」
泣き濡れた顔でしっかりとムームーを見つめる神父の表情は、慈愛に満ちて穏やかで、そして暴力性の欠片も感じないくたびれた顔だというのに、とても力強かった。
そんな熱血漢の神父に手を取られて困惑気味のムームーであったが、神父の言葉に思うところがあったのか、両手を握られて拭えない目尻に涙をにじませた。
苦労を認められた系の言葉に、この娘はとても弱いのである。
「あなたも。あなたにも、限りない祝福があらんことを。どうか神徒ムームーをよろしくお願いします」
今度は俺の腕を取って、神に祈っているのではないかというほど熱心に、深々と頭を下げる神父であった。思わず内心で、すげぇなこの神父、と思ってしまうぐらいに血の熱い、善性の人物である。
いくら幼いころこの教会で洗礼を受けたからといって、ムームーと彼はほぼ他人であるというのに、そこまで身の上を案じることができるというのはすごいことだった。
この世界の宗教関係者は、みな彼のように清廉な人物なのだろうか?
「諸事情ありまして、末永く彼女と添い遂げられるかはわかりません。でも、できるだけ彼女を幸せにしてあげられるように頑張ります。どうか面をお上げになってください、神父」
この手の挨拶には、慣れたものだ。
日本では重婚が認められていなかったので、ハーレムというものは世間的に良い顔をされない。
もちろん、新たに娶った奥さんの実家に挨拶に行っても、うちの娘に何をしてくれたと怒る親も少なくなかった。許してもらうコツは、粘り強く誠意を見せることだった。
「失礼、取り乱しました。お若く見えますのに、とても立派な、落ち着いた方であられる。神徒ムームー、良き伴侶に恵まれたようですね」
「私としては、降って湧いたような儲け話で未だに実感がないんですよね。ご主人様ときたら、お金はあるし性格はいいし変なこともされないもんで、今のところ欠点がないんですよ。嫁が私である必要性がどこにもないんで、本当に私でいいのか悩むぐらいです」
「ね、ねえムームー。せめて外ではそのご主人様って呼び方、変えない? なんか囲ってるみたいで居心地悪いんだけど」
「あんまり変わらなくないですか?」
「いや、でもさあ」
「――神徒ムームー」
声を張ったわけでもなく、口調を荒げたわけでもないというのに、フェリオ神父の声には冒すべからざる何かがあった。神聖さ、とでも言おうか。
はい神父、と思わずムームーが背を正してしまったぐらいである。
「夫婦とは、二人で一人です。夫と妻は、互いを尊重し合わねばなりません。お互いが生きてきた環境が違うのは当たり前のことです。自分と考え方が違うからといって、歩み寄ることをやめてはなりませんよ」
背筋を伸ばしながら、はい、と返事をするムームーであった。
「あなたの伴侶は、あなたを理解しようと心を砕いておられるように見えます。神徒ムームーも、心を開かねばなりません。自分の生き方を変えるというのは、とても難しいものです。しかしそれは、伴侶の生き方を否定して良い理由にはならないのですから」
夫婦の間で我を張るのはやめておきなさい。ちゃんと話し合うのですよ、とフェリオ神父は微笑んだ。
俺とムームーは二人して、神妙に頷くのだった。
「それと、神父としてではなく、一個の男性として彼の気持ちを代弁しておきましょうか。神徒ムームー、男というものはですね、帰る家を欲しがる生き物なのです。守る家を欲しがる婦人とは、そこが違うのですよ。お金、身分といった現世の差異に目を曇らせるのではなく、しっかりと彼の心を見て差し上げるのです。彼は、癒やしをあなたに求めていますよ、神徒ムームー? 真に伴侶のことを思い、伴侶に何ができるかを考えなさい。互いを支えあったとき、夫婦というものは幸せを得るのですから」
はい神父、と頷くムームーを見て、フェリオ神父は満足そうに頷いた。
「以上をもって、神々への誓い、そして神々からの祝福の言葉と致しましょう。戸籍証明書は持ってきていますか――? わかりました、神徒ムームーの分は再発行致しましょう。お座りになってお待ち下さい」
俺たちの戸籍謄本を探すべくその場を去った神父の言葉に従い、俺たちは窓際に机と椅子を置いただけの応接間らしきところに腰を下ろす。
「そういえばムームー、こっちの世界だと結婚式ってやるの? それとも今ので終わり?」
俺が小声で訊ねると、ムームーはきょとんとした顔になった。
「結婚式ですか? ええと、法律上の結婚は、あとで神父が持ってきてくれる紙に名前を書けばそれでお終いです。習慣としてはこの後、新郎新婦それぞれの友人とか、親戚とかを集めて家の格に応じた宴会をして、料理や酒を振舞って、今後ともよろしくっていう挨拶に代えるものなんですが――私たち、そういう身寄り、いませんよね。だから多分、これ以上は何もナシです」
「むう」
俺はともかく、ムームーには血の繋がった家族がいるが――連絡は、取りたくないな。
前世では、俺と結婚したことで恋人の親子仲が険悪になることはしばしばあった。そりゃあそうだ、自分の娘が愛人みたいに扱われて嬉しい親などいるわけがない。
俺の恋人はというと、俺がしっかりと説得し、一夫多妻を納得した上で俺の嫁になってくれているわけなので、かえって自分たちの仲を認めない両親に反発することがままあった。両親よりも俺を取るなどと言ってくれる女性もいたのだが、個人的に親子というものはそんな風に比べて取捨選択していいものではない。
そのままでは良くないので、両者の仲を取り持ちつつ、相手の実家に日参して
何とか説得しきったものだ。
しかし――ムームーの場合は、おそらく連絡を取らない方がいい。
裕福な家に嫁いだ娘を、金ヅルとしかあの親は見ないだろうから。
「お待たせしました、なにぶん昔の戸籍なもので、探すのに手間がかかりまして――
こことここに、それぞれサインして下さい」
俺の場合は、結婚届みたいな一枚の紙に。
ムームーの場合は、自分の戸籍証明書を再発行する紙と、戸籍証明書そのものと、結婚届の計三枚に。
「結構です。これであなた方の婚姻は神々に認められました」
「ふう。自分の字を書くのも久しぶりです。覚えていて良かった」
自分の字だけは書けるんですよ、とムームーは微笑んだ。
「苗字はどうされますか? 夫の苗字を名乗るかどうか」
「ニホンだと、重婚できないんでしたっけ、ご主人様。この世界だと何人奥さん娶ってもいいんですけど、自分の家の苗字を名乗らせるってことは、ご主人様が死んだときに財産を分け合う対等な仲だと認めるってことなんです。だから、結婚はするけど財産は渡したくない場合は、苗字は別々のままにするのが一般的です」
小声でこそこそと耳打ちしてくれるムームーであった。
「苗字も俺の方で揃えてください。それでいいね、ムームー?」
「まあ、ご主人様がそれでいいっていうなら」
はあ、とため息を吐いてから、それでもどこか嬉しそうなムームーであった。
その様子を見て、フェリオ神父も目尻を細める。
「では、キョーシャ・ハナザキ、ムームー・ハナザキ、両名はいま、神々の下に結ばれました。お二人の前途に、数え切れぬ幸せの訪れんことを」
神父とムームーが、胸の前で両手を組み、深々と頭を垂れる。この世界の礼のようだ。
俺も、それに倣う。
三人とも、粛々と礼をした。
「それでは、結縁の奉言をこれで終わります。神徒キョーシャ、神徒ムームー、お二方はもう夫婦ですよ」
ありがとうございました、と頭を下げる俺に、耳元でムームーが囁いた。
「ご主人様、教会に来て何か手続きしてもらったときは、骨折り代としていくらか教会に寄付をするのが慣例です」
「え、そうなの? 前回戸籍作ってもらったときは、何も寄付せず出てきちゃったよ。悪いことしたな」
「そういったものは気持ちですから、無理をなさらなくて結構ですよ」
苦笑気味のフェリオ神父であった。善人なのはいいことだが、こちらが慣習に合わぬことをしていても指摘してくれないというのはかえって困りものである。失敗に気づけない。
そういう意味では、ある程度この世界の常識を知っているムームーの存在は大きい。彼女なしで出歩くことが怖くなってくるほどだ。
「参ったな、ポチ袋みたいなの持ってきてないのに――ああ、別に包まなくてもいいの? それじゃすいません、こちら寄付ですんでお納め下さい」
両手で俺が差し出したのは、50,000ゴルド金貨である。
一回り大きい金貨を目にしたムームーは一瞬目を剥いたが、その場で俺を止めようとはしなかった。
「こんなにも――よろしいので? 失礼ながら、お二人で暮らし始めるとなれば、何かと身の回りの品も入用になってきますよ?」
両手で受け取る素振りを見せつつ、フェリオ神父は距離を縮めなかった。
いつでも寄付を引っ込めていいという意志表示である。相手の懐具合まで気にかけるとは心の広い神父だ。
「いえ、無理はしておりませんのでお納め下さい。それと、もう一つ頼みというか――お話があるのです。少しそのあたりのことを語るお時間を頂けませんか?」
「ええ、それは構いませんが――では、腰を落ち着けて伺いましょうか。セレスかシーリィはそこにいますか?」
神父が一声かけると、隣室からはい、と二人分の声が返ってきた。姿を現したのは二人の女性である。
片方はまだ少女のような――俺の肉体年齢である十二歳といい勝負の女の子で、片方は二十歳ほどの綺麗なシスターであった。顔立ちが似ているので姉妹かもしれない。
実は先ほどからちょくちょく視線を感じていたのだが、彼女たちがその主だったのだろう。
「シーリィ、常々言っているでしょう。客人のことを覗き見するのは良くないと。セレス、あなたがついていながら」
肩の力を抜いてため息を吐くフェリオ神父であった。
叱られたシーリィという少女はむすっとしているが、セレスというシスターは
恥ずかしいと言わんばかりに頬を染める。
「あとで七神鏡の掃除をさせます。丁寧にやるのですよ――ともかく、客人にお茶を。それが終わったらセレス、受付をお願いします。しばし席を外しますので」
はい、はあい、とテンションの落差が激しい返事を残し、二人は俺たちの茶を用意するべく奥の部屋へと去っていった。
「だから言ったじゃないシーリィ、怒られるからやめようって」
「何言ってるのさお姉ちゃん。アリアが来て食い扶持が増えたんだから、もう余裕なんてないんだよ? あの忌々しい揚げ鳥の店ができてから景気は悪くなる一方だし、私たち切羽つまってるんだからね? ったく、金持ってる貴族が道楽で商売されたら溜まったもんじゃない」
「シーリィ、聞こえるって――」
「あーあ、あのときにもっと押しとくべきだったかなあ。フヒトさんもあれから来ないし。金払いが良さそうだったのに」
二人の声が聞こえなくなってからも、彼女たちが去った方向を見やったまま、俺はふむ、と考え込んだ。僅かな会話だったが、俺にも覚えのある単語がいくつか出てきて興味深い。
揚げ鳥の店ができてから景気が悪い。フヒトさん。
どちらも、思い当たる節がある。
「お恥ずかしい。気分を害されたなら、申し訳ありません。この通りです」
俺が真面目な顔をしていたので、勘違いした神父が深々と頭を垂れる。。
慌てて俺は訂正した。
「いえいえ、そうではありません。知人の名前を聞いたものですから」
知人、と神父は首を傾げる。
俺としては会ったこともない人物だが、名前を知っているという意味では知人に違いない。
「確か、フヒト――苗字はシムラだったかな? 亡くなった知人と同じ名前だったもので」
「なんと――ほんの二週間ほど前に、当教会にて戸籍を作られたばかりの方です。その、確かな話で?」
「名前が同じ他人という可能性もありますが、命を落とす理由にも心当たりがありますし、恐らくは間違いないかと」
「痛ましいことです――」
驚きで目を見開いた後、両手を組んで神々に祈るように黙祷するフェリオ神父であった。
黙祷が終わった頃合を見計らって、俺も口を開く。
「その、私の話というのが、彼の死とまったく無関係なわけではありません。実は私も、近々命を落とすかもしれません。そうなった場合、ムームーが一人になってしまいます。資産は残せるので、食うに困ることはないと思うのですが――もし私が死んだら、彼女のことを気にかけて頂けませんか? もちろん寄付は惜しみませんので」
近々死ぬかも、なんて言われて驚かない人間はいない。
もちろん神父の表情も引き締まる。
「教会は、寄る辺なき人々の家でもあります。寄付は頂かずとも、時おり顔を見に行くぐらいのことは致しますので、そこはご心配頂かずとも結構ですが」
「教会に潰れられると困るので、そのあたりはこちらも何か考えますよ――話というのはもう一つありまして、ムームーが実は、実家と絶縁状態になっています。経緯としてはこんな感じでして」
開拓村からムームーを引き取った経緯を、かいつまんで話す。
ふむふむ、と神父は熱心に話を聞いてくれた。
「無論、家族の仲が良いに越したことはないのですが――正直、ムームーの場合は
もう親と会わない方がいいと考えているのです。もちろん、私がそう考えているだけなのですが」
「難しいところです。もちろん、家族愛はあった方がいい。しかし、子を搾取する親の元で、不幸せな労働を強いられていたとなれば、一概にどうしろとは申し上げにくいですね」
「最終的には、ムームーが決めることだとは思うのです。私の死後、里心が付くというか、身寄りがなくて寂しく、親元に帰ることを彼女が選ぶかもしれない。それが吉と出るか凶と出るか、今の私には知ることができませんから。もし、そのあたりのことをムームーから相談されたら、骨を折って頂けませんか、というお願いなのです」
「あいわかりました。良き生を彼女が送れるよう、微力ながらお手伝い致しましょう。神徒ムームー、神のお導き空しく伴侶に不幸が訪れる日が来たら、週に一度は礼拝にお出でなさい」
俺はぺこりと頭を下げた。
命を落とすかもしれない何かに関わっているというのに、神父は事情を問い質すこともなく、俺の要求を受け入れてくれた。
後顧の憂いは、これでほとんどなくなったと言っていい。
あとは、この教会――見たところ孤児院も兼ねているようだ――の人々と家族同然の付き合いになれれば、俺が死んだところでムームーは豊かな生を送れることだろう。
(この教会が潰れないようにしないとな)
先ほど去っていった姉妹の話を耳に入れた限りだと、経営状態はよくないらしい。
何か手を考えなければならないだろう。