盤台哲雄 5
カエデを実体化させて、僕と同じように木の陰に隠した。これで接近戦に持ち込まれることはない。
(二回、僥倖に助けられた)
一回目は、カエデがあの少女の足首に傷を負わせたこと。これはカエデの実力だとしても、二回目の、投げた石が少女の顔面に当たり、回復薬の使用を阻害できたことは完全に運だった。野球部に所属していた経験などない、ずぶの素人がピッチャーなのだ。よく当たってくれたと思う。
どうやらあの少女が持っていた回復薬は一本だけだったようだ。用意が甘い。
ゲーム感覚で、殺し合いになるという自覚もなく、銃口をこちらに向けたのだろう。その軽さが戦闘を引き起こしたとも言えるし、油断をついて何とか有利な状況に持ち込めもした。
もとから不利な状況だった。相手が油断なく襲ってくれば、抵抗すらできずに殺されていただろう。レベルは圧倒的に格上なのに加えて、完成された銃器も持っていた。自分で作ったのだろうか。
部下にしようとしていたから初手がぬるかったのと、上手いこと視野阻害が決まってくれて助かった。
(あの子は、魔力抵抗スキルを持っていなかったのかな?)
あるいは、持っていても、ステータスが精神以外に特化されていて、レジスト判定に勝てたのかもしれない。飛び道具を使うぐらいだから、敏捷特化だったのかもしれない。
(ともかく――)
盤面は、ほとんど詰みだ。僕が詰ませた。
相手は身動きできない。姿を現して逃げるようなら、視野阻害をかけてから命奪で削り殺せばいい。こちらを撃とうとしたら、隠れればいい。あの傷では、這って逃げることも難しいだろう。遠目にも、かなりの出血量だった。
こちらに近づいてきても、カエデがいる。またもカエデが傷ついてしまうのは避けたいので、できれば玉砕覚悟で突っ込んできて欲しくはないが。
実は、ほとんどMPがないが、それは相手にはわからないだろう。木の陰に隠れていたカエデを、折りを見て物質化させてMPを回復してもいい。
さて、どう出てくるか。
たまにちらちらと木の陰から顔を出して少女の様子を確認する。もう諦めたのか、銃弾も飛んでこない。
しばらくしてから、森の中に少女の声が響き渡る。
「――わかった、降参する! あたしの負けだ!」
僕はカエデと顔を見合わせた。相手が嘘を吐いていて、僕たちを罠にかけようとしている可能性がある。
「なあ、頼む! 助けてくれよ! もう出血がヤバいんだ!」
今までの居丈高な口調とは違って、少し涙声だった。訴えるような悲痛な声は、演技には思えない。
「銃を捨てて、木の陰から出てくるんだ。歩けないなら、這ってでもそこの広場に来い」
しばしの逡巡のあと、少女は木の陰から這い出てきた。元は桃色だった可憐なドレスは、土と血に汚れて見る影もない。顔面も同じく、血と土埃で薄汚れていた。運良く命中した投石のせいだろう。
「頭を這ってきた方に向けて、うつ伏せになれ。両手は指先まで伸ばして大の字になれ。断りなく激しい動作を行ったら殺す。アイテムボックスから何かを取り出そうとしても殺す」
指示に従い始めた少女を見て、僕は興奮を収めていく。少女は不利な体勢になれという指示を完全に受け入れていた。罠にかけようというつもりはないものと見ていいだろう。
(誰かに命令口調で喋ったのなんて、いつぶりだろうな)
店のバイトに指示を出すときですら、なるべく丁寧に話そうと心がけているのだ。あまりにひどい部下は早めに首にしているし、そのときでも怒鳴ったことなどないはずだ。
(下手したら、中高生のころ以来かなあ)
あのころから、世間に溶け込むために、自分の性的嗜好を隠すべく、口調と態度を変えていったのだ。それまでは平然と、俺って刃物好きなんだよなって言ってた気がする。
「な、なあ。言う通りにしたぜ。あたしはいつまであんたにケツを向けてりゃいいんだ? もしかしてここであたしを犯すつもりか? なあ、勘弁してくれよ、足首の感覚がそろそろないんだ」
泥のついたドレスで覆われた、少女の貧相な臀部に目をやる。当然のことながら、欲情の一欠けらも湧いてこない。ただの汚物だ。
「お前が抵抗の意志をなくすのが先だ――カエデ、両腕を押さえつけておいてくれ」
木の陰に隠れながら、実体化状態のカエデを先行させる。少女が突如起き上がり、アイテムボックスから銃を取り出して撃ってくることを警戒したためだ。
「なんだよ、抵抗しねえってば。両腕を押さえつけてどうするつもりだよ。やっぱり犯すつもりなのか? ちくしょう、初めてがこんな野外でかよ」
「ちゃんと大人しくしてたら、傷は治してやるさ。動くなよ」
僕は、うつ伏せになった少女の尻にまたがるように座った。万が一にも身動きできないように。
「くそ、なんでこんなことに――ダンテみたいに二丁拳銃で格好良く勝つつもりが」
僕は、ぴくりとその単語に反応した。学生時代にやったゲームでそんな名前の主人公がいた気がする。この年代の少女が知っているゲームだとは思わなかったが。
「それは、あのゲームかい?」
「なんだ、おっさん知ってんのか? デビルメイクライだよ、ああいう主人公って格好いいだろ」
「まあ、わかる気がするよ。僕も君ぐらいの年頃は、鬼武者とかに憧れたもんさ」
日本刀で戦う武者が登場するゲームだった。当時から刃物好きの自覚はあったから、嬉々としてやったものだ。
まだ痛みはあるのだろうが、少女の声が少しだけ喜色を帯びた。
「お、中々渋いところ付くねえ。あたしもああいう――」
「うん、皮肉めいていて、君へ贈る言葉としてはぴったりだな」
「へ? どういうことだ?」
僕は、蝶々結びにされたカエデの黄色い帯から紅葉切を抜き取り、鞘を払って逆手に持つ。
「悪魔は嘘を吐くってね」
抜き放った紅葉切の白く輝く刃先を、僕は少女の後ろ首のあたり――後頭部に振り下ろした。
皮膚と肉、そして軟骨のようなものをあっさりと突き通す、鋭い刃の手ごたえ。
左右に流れ落ちたショートボブの金髪で隠されていない、うなじもあらわになった少女の細い首に、紅葉切は深々と突き立つ。
ぎっ、ともぐっ、とも付かないような、蛙の潰れたみたいな呻き声を一瞬上げ、少女の身体はびくびくと痙攣した。
さらに僕は紅葉切を少女の頭部に押し込む。頭蓋骨を避け、延髄を経由して脳をかきまわすように。
少女の肉体が完全に動かなくなると、カエデは少女を押さえていた両手を離した。僕も少女から身体を離して立ち上がる。
僕の手に握られていた紅葉切は、数秒経過したために少女の頭部からは消え、鞘に入った状態で彼女の懐に戻っている。
「あなた様」
カエデは少女の遺体を横に、着物が汚れるのも構わず、その場に正座した。位置関係上、立っている僕がカエデを見下しているような形になる。
その図のまま、カエデは三つ指をつき、深々と僕に頭を下げた。
「戦神のご加護も然り乍ら、武者始めのご勝利、誠に祝着至極に存じまする」
武者始めというのは、初陣のことだろうか。それとも、初めての殺人のことを指しているのだろうか。
ともかく、勝利を祝福してくれているのだろう。時代劇でよく聞いた台詞だが、僕にはちょうどいい返しが思いつかない。だから、現代人の言葉で飾らずに返事をしよう。
「カエデ、君のおかげで死なずに済んだ。ありがとう」
僕も正座をして、同じように深々と頭を下げた。
やがて、どちらからともかく頭を上げ、はにかみながら立ち上がる。
《転生者、シェルが死亡しました》
突然、無機質な女性の声が、脳内に直接響いた。
転生者が死亡したときは、全転生者にアナウンスされると神様が言ってたっけ。
もっとも、これを聞くのは今回が初めてではない。五回目である。
《転生者は、残り十一人です》
身体がやけに軽かった。少女の遺体から発散されているマナが、どんどんと僕に吸収されている実感がある。レベルとしては、圧倒的に格上の彼女を殺したから、その分のレベルアップだろうか。
「カエデ、今晩なんだが」
「はい」
どう言ったらいいものか、僕は言葉を捜した。
先ほどから、下半身が疼いて仕方がない。襲撃者を返り討ちにした図式とはいえ、僕は初めて――そう、初めて、念願の人殺しをしてしまったのだ。
短刀を突き入れた瞬間の手ごたえを、まだこの右手が覚えている。
前世であれほどまでに恋焦がれた、どろどろとした溶岩のような、人殺しへの欲望。それがついさきほど、果たされたのだ。
我ながら、鼻息が荒くなっている。自分でもはっきりそうとわかるほど、僕は興奮し、欲情していた。
「今晩、カエデを抱きたい。その、いやか?」
最後まで言い終える前に、カエデが僕の胸に飛び込んできた。そのままぎゅうと抱きしめられ、僕も反射的に彼女の背に腕を回す。
「嬉しゅうございます」
蚊の鳴くような、ぼそりとしたカエデの呟きは、僕を燃え上がらせた。
沈みかけた太陽と、朱に染まる空の下、そして少女の遺体の横で、僕たちは長い口付けを交わした。