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@Rui

『そう、留衣ちゃんは先生になりたいのね。素敵だわ。ママ応援してるからね』

 突然、母の声が頭の中に蘇った。

 私は閉じていた目を見開き、ベッドの中から見える七色の月を見た。

「今夜はとてもラッキーなお月さまが出てるのに……」

 私は横を見た。

 知らない人が眠っている。

 誰だろう?

 殺されなかっただけ、良かったかな。

 なんてこと考えながら、私は服を着るとホテルを後にした。

『ねえねえ、黒田のヤツまじ終わってね?』

 分かってる。

『ああいう30代にはなりたくないよね』

 私だって!

『黒田って、33なんでしょ。男居ないのも33年だって、あはは』

「うるせぇ。くそガキどもが!」

 私はタバコに火をつけて、歩きながら深く吸い込んだ。

 私が33歳なこと、崖っぷちだってこと、そんなこと分かってる。

 ……けど、男いないのは、まあ、そうだけど、男を知らないほど純粋なワケではない。

「それもこれも全部あいつのせいだ」

 私は呟くと、二本目のタバコに火をつけて、深夜過ぎの誰もいない道の真ん中を堂々と歩いた。

「気分いい」

 そう口にすると、居ても立ってもいられなくなって、

「気分いーい!!」

 私は大きく叫んだ。



 私は高校教師をしている。

 しがなくくたびれた一高齢独身女教師なんかやってると、色々と陰口をたたかれる。

 毎日通勤に片道2時間かかる。

 電車とバスを乗り継いで通う職場に、満足している訳ではない。

 むしろ、コドモは嫌い、大っ嫌い!

 腐った大人も嫌だけど。

 そんな事を考えながら電車に乗っていると、私の住む街のアナウンスが鳴った。 

 私は電車を降りると深呼吸をして、駅のトイレに入った。

 鏡の前に立つと、私はさっと眼鏡を外し、ノーメイクの顔に化粧を施して行く。

 それから後ろで一つに束ねていた髪を降ろした。

 グレイのスーツは地味だけど、このままが良い。

 私は軽やかに駅を出た。




この街に、私を知っている人は恐らくいない……はず。

 だって、それが魅力で、わざわざ片道2時間のこの街を選んだのだ。

「さて、今日は何処に行こうかな」

 私はタバコに火をつけると歩きながら吸った。

 細い路地を入ったところで、ひっそりと佇む居酒屋さんが目についた。

「たまには日本酒もいいかも」

 私はひらりとお店に入った。

 一人でお店に入ることに抵抗はない。

 むしろ一人だからいいのである。

 その店は古いと思っていたら、内装はモダンな造りになっていて、狭いけれど高い天井のお陰で解放感ある造りになっていた。

 私はカウンター席に腰を降ろすと、タバコに火をつけた。

「らっしゃい、付け出しです」

 店員がやって来た。

「日本酒ちょうだい」

 私はそれだけ言った。

 店員は何やら、日本酒の種類をつらつらと説明し出した。

「じゃ、最後ので」

 私は面倒だったので、適当に答えた。

 店内は適度に混んでいた。

 人々の話す声が、田んぼの稲に風が吹いたとき起こるざわざわと言う音と似ていて、私は気分が良かった。

『おめでとう! 留衣ちゃん、夢が叶ったね』

 教員試験に合格した時の光景が浮かんだ。

『うちの子たちは、皆私の誇りだわ』

 母は浮かれていた。

 兄も姉も、医師、通訳、とオカタイ仕事に就いていた。

 お堅い、オカタイ……。

 私が色々と物思いに耽っていると、店員がやって来た。

「ラストオーダーになります」

 と言った。

 私はすでにその時ろれつが回っていなかった。

「じゃあ、お湯割り……」

 店員は何かを言うと厨房の奥に入って行った。

 カタン、と音がした。

 私はハッとした。

「これ、どうぞ」

 そう言って店員が持って来たのは、カルピスジュースだった。

 「なんですか? これ」

 私は飲みたいのに! と付け加えた。

「悪酔いはよくないですよ」 

 ここで初めて店員の顔を見た。

 というか、酔っていた私には、立っている彼の後ろから射す電球の光で顔がよく見えなかった。

 その時から私の記憶は飛んで行った。



「う……ん……」

 誰かが私の服を脱がそうとしている。

 おぼろげに分かった。

 私は身を任せた。

 私の背中に手が伸びてきた。

 せっかちにブラのホックを外そうとしている。

 私は横を向いて、外しやすくしてあげた。

「クスッ」

 突如、吹き出す声が聞こえた。

 え? 

 私は目を開けた。

「あ、気がついた?」

「……うん」

 私は意味が分からず、ベッドの上で上半身を起こして、自分の置かれてえいる状況を把握するのに必死だった。

「ここは……」

 そこはワンルームマンションの一室のようだった。

「お茶持ってくる!」

 私がその男の顔を見る前に、男は私に背を向けて冷蔵庫からお茶を出そうとしていた。

「はい」

 そう言って男は私にペットボトルのお茶を渡した。

「ありがと」

 それだけ言って、私は男の顔をまじまじと見た。

 誰だっけ?

「覚えてないんだ」

 男が言った。

 私はこくっと頷いた。

 歳の頃は26、7か。

 何かあってもいいし、無かったら無かったで帰ってシャワーを浴びたい。

 そんな気持ちだった。

「あの店の店員さん?」

「うん、そう」

「私、どうしよう?」

 私が困っていると、男は笑いながら言った。

「俺だって、どうしよう?」 

 そう言うと男は私の傍らに腰掛けた。

 どうでもいい。

 どうにでもなれ。

 男は軽くキスをしてきた。

 私は目を閉じて応じた。

 次の瞬間、男はパッと私から離れた。

 そして、引き出しの上から何やら取りだしたて、私に差しだした。

 私は静かにそれを見た。

 どんどんそれをめくる手が早くなった。

 そして、とうとう私はそれを彼に投げつけた。

「って」

 男は腕をクロスさせ飛んできたアルバムから身を守った。

 それから、「思いだした?」と小さく言った。

「ええ……ハッキリと」

 私はてきぱきとブラのホックを留め、洋服の乱れを整えだした。

「帰るの?」

「そう」

 すると彼は私の手を掴んだ。

「黒田先生、俺、変わったでしょ?」

 私はしっかりと目を合わせて、噛み含ませるように言った。

「磯谷君……キミ、全然変わってないよ」

 磯谷君は爽やかに焼けた黒い顔を破顔させ笑った。

 悔しいけど、白い歯が見えて、とても素敵だと思った。

「先生にはよく叱られたなぁ」

 遠くを見るように磯谷君が言う。

「それは、キミのイジメがハンパ無かったから」

 私は彼の手から逃れて立ちあがった。

「俺、先生のこと勘違いしてた」

「……なに?」

 磯谷君は私の前に立ちふさがった。

「先生、昔イジメっ子だった俺に言ったじゃん。弱い者いじめは寂しい人がする最低のことだ、って」

「言ったかな」

「言ったよ!」

 私は磯谷君の声にビクッとした。

「あ、ごめん」

「別に、気にしない」

 私は磯谷君から離れて、タバコに火をつけた。

 あー、メンドクサイ。

 私の気持ちはそんな感じだった。

「先生、いつもあんな感じ?」

「なにが?」

「先週、見た。うちの店の近くで。男と一緒だった。それも明らかに彼氏じゃなかった」

 私は白い息を吐き出すと、ちらりと磯谷君を見た。

「うん、そうだね、そんな感じ」

「そうなんだ」

「そうそう、そうなの。別に誰かに言いたければ、言ってもいいよ」

「そんなことはしないよ」

 磯谷君は静かに言った。

 そして後ろから手をまわして、私を抱きしめた。

「……全然、動揺とかしないんだ?」

「何を今更言って……」

「だって! 先生真っすぐだったのに!」

 私はホントもうめんどくさくて、帰りたくて、そしてつまらなくなった。

「大人になるには歪んだり、諦めたりが大切なの。みんなそうやって大人になって行くんだよ?」

 なんでこんな深夜に『先生』のお面を被んなきゃなんないんだ。

 私は続けた。

「磯谷君、キミももう、26,7? 色々あって来たんでしょ? だったらルールを覚えなきゃ」

「ルール?」

「そう」

「人も風景も何もかも変動しているの。いつも同じものではない。だから人に何かを押しつけてはいけないの」

 あ、私、何言ってんだろ?

 押しつけてるのは、私じゃないか?

 私は母に押しつけて来てた。

「うっ……」

 私は磯谷君の嗚咽で我に返った。

「ちょっと、どうしたの?」

 大きな男が手を顔にあてて泣いていた。

「磯谷君……」

「……」

 夜の静寂に嗚咽のBGM。

 私は泣く男をよそにベッドに腰掛けタバコを吸う。

 どれくらい経ったか、外はうすぼんやりと明るくなってきた。

「……落ち着いた?」

 私の問いに磯谷君は、

「いいや、落ち着かない」

 と、顔を上げた。

 磯谷君の顔は真っ赤で目は充血してボロボロだった。

「ふっ」

 私は吹き出してしまった。

「なんだよ」

「いいじゃない。磯谷君だって、さっき笑ったでしょ?」

「あ、あれは」

「なに?」

「かわいかったから」

「え?」

「カワイク映ったんだよ!」

 大きく言う磯谷君は真っ赤だったけど、それは多分泣いたせいだよね?

「明日仕事?」

 私が訊いた。

「違うと思う」

「磯谷君、答えになってない」

「いや、先生のさっき言ったこと。あれ違うよ。大人になったからルールを守れ? 違うよ。大人になったからって、暗黙の了解で何でも許されるの?」

「え?」

「昔、俺はイジメをしてた。寂しい人間がすることだと先生は教えてくれた。大切なのは自分を大事にすること。そして、どう自分を愛して行くか……って」

「う」

 私は何も言えなくなった。

「今の先生は、自分を愛せてる? 愛せてないんじゃないの?」

「磯谷君……それは」

「先生!」

「な、何?」

 私は動揺した。

「初めて明かすけど、俺、俺には、変な力があるんだ」

 磯谷君が恥ずかしそうに言った。

「そんなのみんな持ってるわよ?」

「でも、みんなのそれとはちょっと違う……んだ」

「な、なんなの? どうしたの?」

「聞こえるんだ、ハッキリと」

「なにが? 何が聞こえるの?」

「その、なんていうか。心の声って言うのかな」

「心の声……」

「そう、それもピンポイントに」

「どういうこと?」

「先生にあの日叱られて以来だよ」

 磯谷君は座った。

「ずっと泣いてたんだ」

「誰が」

「分からなかった。始めは」

「けど、いつしかその泣き声の主を助けたいって思うようになった」

「……うん」

 私は静かに聞いた。

「この6年間必死で探した。多分、その人の悲しみを止められるのは俺だけだと思って」

「見つかったの?」

「うん」

「それで、その人を助けたの?」

「いいや、助けられていない。その人は今もずっと泣き続けてる」

「……あ、私、帰るっ!」

 私はバッグに手をかけた。

 それより磯谷君の方が一足先に私の腕を掴んでた。

「なにを悲しんでるの?」

 真顔の磯谷君は、すっかり大人の男の顔になっていた。

「わたし、泣いてなんかない」

 私は顔を上げ、磯谷君を見た。

「泣いてるよ、先生。すごく泣いてる。俺はこの6年間ずっと、この泣き声にもらい泣きしてたくらい、悲しく壮絶に泣いてる」

「……」

 私は立っていられないくらい震えていた。

「俺が怖い?」

「ううん、じゃない。……母が、お母さんが……」

「お母さん?」

 磯谷君はジッと私を冷静に見ていた。

「私、お母さん似なのね」

 私は崩れ去るとともに、観念して話しだした。

「うん」

 磯谷君が頷く。

「お母さんは、母は優しかった。大好きだった。お母さんに認められたくて、褒められたくて教師になった。私は末っ子で母のことを心から好きだった」

「うん」

「けど、教員試験に受かった日、忘れられないことが起こった。合格祝いをするから、と母が買いだしに出掛けた。私は母がいつも使っている小銭入れを忘れたことに気がついて追いかけた」

「うん」

「丁度黒い車が来て母は乗り込んだ。そう、自然な感じで。母には父の他に男がいたの。しかも娘が教員試験に受かったその日も浮気してたんだよ」

「……」

「私は何のために教師になったんだろう? 母に只喜んで欲しかっただけ。だからそれからは仕事にも恋愛にも打ち込めなかった。毎日が苦痛だった」

「だから、泣いてたんだ?」

「そう、多分」

「先生は弱いね」

「どうして?」

「だって、今も泣き声が聞こえてる。けれど、現実の先生は泣いてないじゃない」

「弱いから泣けないって言うの? 強いから、泣かないんだよ、きっと」

 私は小さく笑った。

「あれ?」

 私の唇に雨粒があたった。

「それでいい」

 いつのまにか、大粒の涙が流れていた。

「これで、俺も静かに居られるよ。今はもう聞こえない」

「磯谷君……」

「泣き声のお陰で先生と再会できた。俺は男で鈍感だけど、泣いてるのは黒田先生だって思ってた、ずっと」

「何年振りだろ? 大人になってから泣くのは初めて」

 私は声を詰まらせた。

 ふとカーテンを見ると外はかなり明るい。

 磯谷君がカーテンを開けた。

「あっ」

 私は、小さく叫ぶ磯谷君の隣に行った。

「昨夜も七色のお月さまだったんだ」

 残念そうに磯谷君が言った。

 空には薄く小さい月が、七色の色をほのかに発しながら、消えて行こうとしていた。

「まだ、セーフだよ」

「そうだね、七色のお月さんは幸せを呼ぶ……」

 そう言って、磯谷君は優しく私にキスをした。 

そっと唇を離すと、磯谷君は笑った。

「これで俺も静かに眠れる」

「あ、ごめん」

 私はそれしか言えなかった。

 磯谷君は送るって言ってくれたけれど、私は断った。

 私達はスマホの番号を交換して別れた。



 マンションを出るともう七色の月は出ていなかった。

 私は今までになくスッキリと爽快な気持ちでいっぱいだった。

 昨夜、磯谷君と出会えて良かった。

 心からそう思えた。

 今日は私は休みだったけれど、学校に忘れものをした事に気づいた。

 マンションに帰って着替えると、私は電車に飛び乗って学校へと向かった。

 実は、こんな私にだって力はある。

 その力と言うのは……以心伝心という言葉が当てはまるのだろうか? 私は……私の気持ちはふわふわと風に乗って漂うのだ。

 それをキャッチできるのはそういう力を持った人なら誰でも出来るのだった。

 磯谷君はピンポイントに……って言ってたけど、それは彼の力不足で、磯谷君と同じ力を強く持っている人はたまにいる。

「悪い癖……でもまさか」

 まさか、教え子に伝わってたとは……不覚。

 こうやって私を知らない街を好んで住むのはそのせいだったのだ。

 母のことは何回自分を汚しても、私の中で大きく膨らむ腫瘍のような根深いものだ。

「けど」

 私はすうっと息を吸い込んだ。

「あの子だったら」

 そう、磯谷君なら私は変われるかも?

 不思議とそんな気持ちになれる。

「ふふっ」

 私は小さく笑った。

 そして、前から一組のカップルとすれ違った。

「あ」

 私は小さく驚いた。

 それは、私のクラスの生徒だった。

 二人は好きあってたのね。

 なんだか微笑ましく思えた。

 私とカップルは何事もなくすれ違った。 

 私はいつもと違って、メイクをし、服装だっていつもと違う。

 気付かれないだろう。

「今日から、今日から、私……」

 私は小さく誓った。

 磯谷君は私を探し出してくれた。

 私にもそんな存在がいたのだ。

 それだけでも幸せ。

 いいえ、こう言ってしまってはエゴだわ。

 磯谷君はいい男性になった。

 私は少し後ろめたい気持ちもあったけれど、彼のことを大切に思えたのだった。

「先生!」

 その時後ろから、女の声がした。

「えっ?」

 私は思わず振り向いた。

 ら、そこには知らない女が走ってこっちに向かってくるところだった。

「誰?」

 とつっ立っている私を追い越して、女は私の前を歩く男に追いついた。

「ビックリしたぁ」

 私はホッとした。

「さてと、忘れもの取って帰ったら、磯谷君のお店に顔を出そうかな」

 私は深呼吸をすると、大きく一歩踏み出した。 


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