プロローグ
『出会いは突然に』という言葉は幻のものだと思っていた。
出会い系などは別としても、俺は絶対にありえないと断言していたはずだったのに、その出会いが起きてしまった。
どこにでもあるような家の自分の部屋で――。
「ぶふっっす!」
自分自身でも意味の分からない言葉を出して、自分の背中に落ちてきた物を見つめると一人の女の子が乗っていた。
『人間驚くと何も言えなくなる』。
その言葉は本当だったようで何か発しようとするものの、なんて言葉を出したらいいのか分からなくて口をパクパクとさせることが精一杯。
唯一、音が出ているものは恋愛シミュレーションのBGMだけ。場違いにもほどがあるレベルののん気な音楽が流れている。
俺は彼女と天井を交互に見た。
天井に穴が空いた様子はない。
地球が出来た可能性のレベルで、壁とかを突き抜けるとかいう話題を二チャンネルのスレッドで見たことを思い出す。あくまでデマの話だと思っていたけど、本当だったことを知り、一人で頷き、納得する事しか出来なかった。
次に考えたのは、今起きた事を二チャンネルで書き込みす必要性があるということ。今まで書き込みなんてしたことなんてないなんて言っていられないレベル出来事だからだ。
常識を超えすぎて現実逃避するしか出来なかったとうのもあったが、改めて冷静に考え直し、
「そうじゃないだろ、俺」
自分の頭を叩いて、必死に現状を受け入れさせる。
二チャンネルに書き込みとか、ぶっちゃけ後でも出来ることだからだ。そんなことよりも、「なんで天井から彼女が落ちてきてしまったのか?」を考える事の方が先決だと、ようやく気付いたからである。
改めて、彼女を観察。
濃いピンクの色の髪に両端から角が生えており、身体は革のボンテージで包まれている。ボンテージなんて、たまにエロ本に載っている物に似ているから言っているだけで現実では見た事もない。今、見ているものは外しての話だけれど……。
念のためにベッドから降りて、彼女を仰向けにしてみる。
「うん、人外のお方ですやん、この人……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて、怪我の治療の方が先決なんだよ!」
彼女は全身に斬り傷があった。
傷の具合を簡単に確認してみると生命に関わる深い傷はなさそうだったが素人が治療するには問題がありそうなレベル。現に現在も布団やシーツを血が汚している。
「ひとまず、包帯と絆創膏で何とかする事にしよう」
気絶しているらしい彼女の邪魔にならないようにゲーム機をスリープモードにして、一階に置いてある救急箱を取りに降りる。
本来なら救急車を呼びたい気持ちに駆られていた。しかし、この展開で救急車を呼ぶと駄目な事は、日頃からプレイしているゲームのおかげで身に染みて分かっていたのだ。
救急車=警察。
その方程式が自然と成立してしまうのが、今の世の中である。
そもそも、この状態をどう説明すればいいのか分からない。
連絡するつもりはなかったが、興味本位でその流れを頭の中で想像してみた。
『もしもし、119番ですか? 一台、救急車をお願いします』
『場所はどこですか?』
『××番地××です』
『いったいどうされましたか?』
『なんか天井から女の子が落ちてきたんです。んでもって、全身に斬り傷が――」
そこまでシュミレーションして、
「ここまで考えて、駄目だと気付くわ。馬鹿でもな」
どうやっても救われる道がないことを改めて悟り、考えるのを止めた。
分かりやすいところに置いてある救急箱を片手に持ち、自室へと戻りながら彼女の傷の事を考え始める。
「あれだけ全身が傷つきまくっている状態で消毒はショック死を招く可能性もあるのではないか?」ということである。救急車を呼ぶわけにはいかない今、止血することだけが唯一の選択肢。
それ以外の無理は禁物なのだ。
「あ、あのボンテージを脱がさないといけないのか」
部屋の前まで来て、一番大事なことに気付く。
考えただけでも顔が真っ赤になっていくのが分かった。
あの服を脱がし方も知らないし、脱がした後に残るものは下着姿だけ。いや、あの様子だとブラジャーも付けていないはず。せめて下だけでも履いてあればマシな方だ。
どっちみち童貞の俺にはそれだけでもハイレベルな問題ではあることは間違いない事実だった。
「なんで、俺がこんなに困ってんだよ」
しばらく悶えるように考えた後、全てがどうでも良くなり、ドアノブを回して部屋の中に入る。
そこには、「今、目が覚めましたよ」と言わんばかりの彼女が、不思議そうに俺の部屋を見回していた。かと思えば、部屋に入ってきた俺に気付くと、いきなり敵意を向けて睨みつけてくる。
「待った! 俺は敵じゃない!」
「%#”@*+!!」
「……やっぱり何を言ってるか分からない」
当たり前のことを当たり前のように俺は呟く。
当然のリアクションだと思う。
「*#%!」
そんな彼女は俺に向かってを手の平を向けてくる。
本能的にヤバいと思い、救急箱をその場に捨て、自分の頭を必死に庇う。彼女が何者かは知らないが、容姿から察すると何かの攻撃をしてくると分かったためだ。
しばらく時間が経つも何も起きない。
「あ、あれ?」
「@&*%$?」
彼女の方も訳が分からないみたいで首を傾げていた。
それもそうだと思い、思わず腕を組んで頷く。
予想通り、何か攻撃をしようと思って、手を向けてきたはずなのに何も出ない。いつも通りのことがいつも通り出来ないということに困惑しているようだった。
さっき彼女が背中に落ちてきて、頭が真っ白になり、くだらないことを考えてしまった時と同じように彼女もがむしゃらに手を俺に向け、何かを叫ぶ。
結果はさっきと同じで何も出ない。
そのタイミングで玄関のチャイムが鳴った。
「あ、誰か来た。怪我の治療をするか――あ、言葉が通じないのか」
その事を思い出した俺は救急箱の中から包帯を取り出し、自分の腕に軽くだが巻きつけて見せる。世界が違ったとしても治療する方法は変わらないと思ったためだ。
彼女の方もそれだけで何が言いたいのか、分かったらしく首を縦に振ったのを確認すると、急いで玄関へと向かう。
こういう忙しい時に限って面倒な客や電話が来るのはよくあることで、今回は宗教の勧誘のおばちゃんだった。
俺が少しだけ玄関を開けると無理矢理、中に入り、意味の分からない話をし始め、時間はあっという間に過ぎてしまう。
もちろん、そんな宗教などには興味がない俺は追い返し、急いで部屋に戻ると案の定、彼女の姿はなかった。あるのはシーツや布団に付いている大量の血の染みのみ。それだけでさっき女の子が幻ではなく、現実に起きた出来事という認識するには十分だった。
「やっぱり居なくなったか。勧誘だって分かってたなら、無視すりゃ良かった。どうせ救われなんてしないのに……」
汚くなったシーツと布団カバーを取ると一階に戻り、洗濯機の中に放り込み、彼女の安否を少しだけ考えたが、もう会うこともないと思ったのですぐに考える事を止めた。
これが最初で最期。
また会うことになるなんて本気でないと俺は思っていた。