何が自分を繋ぎとめていたのかの回答 02
珈琲おごるよ、と自販機に向かうと、いえワタシにおごらせてください、とその手を押しとどめる。
珈琲の湯気ごしに、ルディーは腕をのばした。
「握手していいですか」
がっしりした手も、傷だらけだった、がその手は暖かかった。
「一緒にお仕事ができてよかった」
「オレもだよ、ありがとう」
すっかりくつろいだ様子で、ルディーは席についていた。
しばらくは、今回の件についての技術的な話が続いたが、ふと話が途切れた時、彼が唐突に聞いた。
「アナタは、神を信じますか?」
外国人が日本人にこの質問をするのは、昔よくあったジョークだ、と言ってやると少し笑った。
「知ってますよ、でも今は真面目に聞いてます」
「……そうだな」彼は言葉を選んだ。
「普通は仏教徒だ、と答えるところだが、実は宗教を持っていないのかもな」
宗教とは難しい。宗教は生きるための拠り所であって、生きるための道具としてはいけないと思う。宗教が道具と化した時に、争いがおこり、権力が発生するのではないか。
「だから逆に、心のよりどころになるものならば、そしてそれで自分や周りの状況が少しでも良くなっていくのならば、どんな宗教でもいいんだと思う」
ナチュラル・マインドのターミナルで、彼の祈祷によって最期の時を迎えた女性の姿が、目に浮かんだ。
あれはオレたちにとっては間違いだった。しかし、彼女にとってはどうだったのか。
ルディーが思い出したように口にした。
「日本でキリスト教を語る時に、時々聞きました、『信じる者は救われる』という言葉。
聖書などには直接この表現はないと思いますが、慣用句としてよく使うのでしょう?」
「『信じる者は、救われる』……
その言葉じたい、オレには信じられないね」
「そう言うことでしたら、アナタが信じるのは、アナタ自身かもしれません」
「『オレ教』ってのがあったら、そこの副教主くらいまでいってるだろう、邪教だろうがね」
「そうですか」ルディーは、うすく笑った。いやな感じではなかった。




