「お掃除を続けてください」
<十月十九日(月)少し前にWを偶然見つける。出て行こうとしたが、全然動けなかった、言い訳はできない。四回目面談、弟に渡す。わかるだろうか?>
明日までに読んでおきたい教義問答集が図書室に見当たらず、司書に聞くともしかしたら副教主様のお手元かも、というので、彼を探しに執務室に向かった。
気がつくと、執務室の2階ではなく、もう1階上の資料室近辺にいた。
広報になってから、あまり見張りに付きまとわれることはなくなっていた。が、ここまで1人っきりになったことはない。
何食わぬ顔で下に降りようとした、が、おかしな物音に気づく。
彼は、反対側の隅にある非常階段の近くに音を立てぬよう、歩いていった。
角のトイレから、すすり泣きが聞こえた。押し殺したような哀願の口調。
「すみません、申し訳ありません、すみません」がっ、と水を含んだ音に変わった。
トイレを流す音が続く。
「まだきれいになってないようですね、ワタナベさん」
水洗の音が途切れた時、聞きなれたオダの声。いつもの歌うような調子。
「せっかく、あんな所から出してもらったのに」
「すみません、すみません」
せき込みながら泣いている声がかぶさる。
「また戻りたいのですか?」悲鳴のような否定の返事。
「ならば、お掃除を続けて下さい」
ドアのすぐ向こうに、相変わらず2人立って見張っているらしい。
その奥で、オダがワタナベをいたぶっているらしい音がしていた。
「助けて」
「ここは誰も来ませんよ、ワタナベさん」オダが歌うように言った。
「はい、ではもう一度、舐めてください」
助けなければ、思った瞬間向こうの角から声が届いた。
「……ポスターはあと500枚、チラシは3000枚ほしいですね」
「分かりました、チラシはもう500増やしませんか?」
間一髪、非常階段の陰に身をかくした。
広報係と幹部の男がまっすぐ、トイレの方に近づいてくる。その時、トイレから現れた男たちに、2人はぎょっと立ち止まった。
「な、何?」
「すみません、清掃中です」
「……いや、第二資料室に用事があって」
「わかりました」
男たちに続いて、オダが顔をのぞかせた。
「いいよ、いいよお掃除はまた明日にしましょう」
広報の2人はうすうす勘づいたらしく、さりげなさを装って資料室の鍵を開け、黙って中に入ってしまった。
その2人の姿が完全に消えてから、トイレの連中もぞろぞろと廊下へ出て行った。
ワタナベは、1人の男に腕を抱えられ、半分気を失ったように連れて行かれた。
つかの間見えた姿に、アオキはぞっとする。もう少し、大きな男だったはずなのにずいぶん縮んだようにみえたからだ。
汚れてもつれ合った髪の先から、ぽたぽたと水が落ちていた。
彼らの姿が見えなくなるまで、アオキは息を詰めて身をすくませていた。




