ゲームオーバー -2-
“テオス・クレイス”
それがこの世界の名前だ。そしてアヤノがいるのは第1ステージ、“市街”。
その名の通り『町』なので、バトルフィールドも、敵の出現しないセーフティエリアと景色はあまり変わらない。
と言っても、まだ経験の浅いアヤノにはどこだろうと未知の領域だ。とにかく歩く。敵がどこから来るかわからないので慎重に。今のところそれらしき姿は見えない。ひとの姿もあまりないようだ。ときどき建物の影から現れては、走って他の建物の影へと消えていく。
疲れてきた。アヤノは立ち止まってため息をつく。フィールドでも、ずっと緊張している必要はないのかもしれない。
「ていうか、ここ。やっぱり来たことある」
曲がり角の建物の白い壁に、文様が描かれている。鳥のようなその形には見覚えがあった。それもついさっきという気が、する。
「ここまでは、進んでたよね……?」
ぐるりとあたりを見渡してみる。
思い出せなかった。
どちらにしろ何度も来たわけではないから、判断できるわけがなかった。
納得すると同時に腹が立った。またズンズンと歩き出す。どうでもいいことに時間を使ってしまった。とても綺麗でごみの1つも落ちていない、汚れもまったくない町並みにもやたらと腹が立つ。なぜかわからないがイライラした。
「……ん」
鳥文様の建物のかどを曲がったところで、アヤノはしかめ面をやめた。
石畳の隙間から茎がのび、大きな花を咲かせている。一重の花弁は鮮やかな赤。白壁をバックに、これでもかとばかり存在感を放っている。
アヤノはもっとよく見てみようと花に近づいて、なにげなく手をのばした。
「あっ」
一瞬何が起きたかわからなかった。
衝撃と共に視界の4隅が赤く染まる。生命力の危険水準だ。見ると花の根本から2本のツルがのびて、指揮棒でも振るようにしなっている。
理解した。これも『敵』だ。
あわてて剣を抜こうとするが間に合わない。
もう1度食らったら、やられる――
「まったく。あぶなっかしいな」
苦笑混じりの声と風切り音。
花が悲鳴を上げた。口がないので、悲鳴のような音、なのかもしれないが。
ふり返ると彼がいた。黒服の戦士“ショウ”。それから目線を戻すと、花弁のまん中を貫かれた花は、きりきりと身もだえしてからぱっと霧散した。クリティカルヒットを与えた短剣が地面に落ち、小さく音を立てた。
「ここはフィールド。人型以外は敵と思っておいたほうがいいね」
「あ、ありが……」
言いかけたアヤノははっとして、思いきりそっぽを向いた。
「助けてくれなんて、言ってないんだけど!」
「……それは失礼」
「次は1人でやれるから! いいからほっといて!」
「ふーん?」
「なによ!」
「いや、別に」
笑いをこらえる気配に、アヤノは顔を赤くする。
こいつ。嫌いだ。
「あ! こんなとこにいたのかよ、ショウ!」
別の声が聞こえた。向こうを見やると3人組がこちらへ歩いてくる。戦士が2人に術士が1人。全員が少しばかり高級そうな装身具を身に着けていた。
装身具のほとんどは防御力を上げるもので、初期装備には入っていない。それを、レベルがやっと2桁程度の彼らが持っているということは、たぶん、課金者なのだろう。まだアヤノにはよくわからないが、そういうシステムがあるとだけ聞いたことがある。
「どうしたの」
「どうしたのじゃねーよ、いきなりいなくなったかと思ったらナンパかよ?」
「そんなところかな」
「うーわー」
「今日こそ“オラクル”に挑戦しようって言ったの、お前だろ。だから待ち合わせてたはずだってのに」
術士が不機嫌そうにショウを指さした。ショウは「ああ」とうなずいた。
「そういえばそうだった」
「ほら、早く行こうぜ」
『システム:フレンド:チェック:リュート・正宗・ヘラクレス:――解除』
ショウはなめらかに呪文を唱えた。
3人がそろってぽかんと口を開ける。対してショウは、平然と、さわやかに微笑した。
「君たちはもう大丈夫。3人で先に進むといいよ」
「――はぁ!? いきなりフレンド解除って、どういうことだよ!!」
「攻略方法教えるって言ったじゃんか!?」
「そういうの、ひとに聞いて楽に進んだって、おもしろくないと思わない?」
悪びれることなく言い返すショウ。絶句する戦士の2人に、顔を赤くした術士が手で合図した。
「わかったよ……もう知るか。2度と俺たちに話しかけてくんなよ、ショウ!」
「了解。じゃあね」
ショウは軽く手を上げた。3人は完全に怒りモードで来た道を戻っていった。
その様子を見ていたアヤノもあきれてしまった。やはり信用できない。ここはさっさと逃げた方がよさそうだ。
「はい君はちょっと待った。その状態じゃ、セーフティエリアまで帰り着けるかどうかもあやしいよ。少しでも回復しておいた方がいい」
アヤノは動かしかけた足をぴたりと止めた。それはショウの言うとおりだ。視界は赤く点滅したままで、精神的にもダメージがひどい。
「回復アイテムは?」
「今、持ってない」
「そんなことだろうと思った」
「だって! 金もまだ集まってないし、どうせ死んだって、はじまりの扉に戻るだけでしょ?」
「ペナルティでレベルを2つ落とされるよ。体力や生命力もいっしょに落ちる。初心者には痛いと思うな」
「えっ」
「とにかく。今だけでもいいから、さっきの申請承認して。“フレンド”どうしならアイテムの交換ができるから」
アヤノは視界の隅の文字に意識を向けた。それからちょっと、間を置いた。
「やり方……知らない」
バカにされるかと思ったが、ショウは意外にまじめな顔でうなずいた。
「音声認識だから、僕の真似をして。『システム』」
「し、システム」
「続けて『フレンド。承認』」
アヤノがくり返すと、『フレンド申請』の表示は消えた。そのかわり自分のライフゲージの下にもう1本のゲージが現れた。
「オーケー。こっちにも承認通知が来た」
「あ、そう――」
『システム:フレンド:チェック:アヤノ:ギフト:“マルメロ”』
よく舌を噛まないなとアヤノが感心するような早口だった。そう思ったときには、また視界に新しい表示が増えた。箱にリボンを結んだ形のアイコンが見える。
「今度はシステムから、ギフト、受け取り。それですぐ使えるよ」
「わかった」
「フレンド解除の方は、さっき僕がやったとおりだから」
アヤノはじっとショウの顔を見た。さっきの3人に対する態度から考えると、この親切さはかえって不気味だ。
女だからだろうか。
そう考えた瞬間、アヤノはまた一気に不機嫌になった。
「一応ありがと。じゃあ、さよなら」
「アヤノさん」
「まだ何か用!?」
「そっち、行き止まり。最後にもう少し、基本事項の説明だけ聞いていかない? たとえば地図の見方とか」
ぶすっとした顔のまま、アヤノはショウを見返った。
聞いておいた方がいいかもしれない。だがしかし、借りを作るのは癪だ――
ぐるぐると考えつつ動きが止まっているアヤノに、ショウは、やわらかく笑って見せた。
「“1人で”やっていきたいなら、知識は必要だよ」
「あんた一体、何がしたいの?」
「ん? ……人助け、かな」
迷いのない言葉と表情だった。アヤノは少し意外な気がして、ショウに向き直った。
するとショウは続けた。
「女の子なんだし――少なくとも見た目は。自衛手段は多い方がいいと思うな」
それを聞いたアヤノは、無言でショウになぐりかかった。
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