リセット
そっと扉を押し開けると、その先に広がっていたのは、よく晴れた秋空だった。
綺乃は電車を乗り継いで、とある自然公園へと向かう。家の車を使わずに遠出をするのは初めてだった。最初はそれなりに緊張したものの、とりたてて何事もなく、指定のスペースに到着することができた。
そこはギリシャの神殿をモチーフにしたような東屋だった。そこそこに広く、向かい合わせに座れる白塗りのテーブルが4セットあって、すでにひとり、こちらに背を向けて座っていた。
綺乃の気配に気付いたのだろうか、その「誰か」が立ち上がる。見上げるほどの高身長と見事な茶髪に一瞬圧倒され、しかしすぐに気がついた。自分は彼を知っている。
「アル……だよね……?」
おう、と彼は照れくさそうに首の後ろを掻いた。
「よくわかったな。ダンテと間違われんじゃねーかと思ってたぜ」
「背格好はそうだけど。でも、雰囲気は“アル”と同じ、かな」
「お、そうか?」
「ぱっと見こわそうだけどよく見れば人恋しそうっていうか」
「お前ってそういうキャラだったっけか……!? つか、その……わりとマジで、お嬢だったんだな、アヤ」
まじまじと服装を見られて、綺乃は少し肩をすぼめる。今日ばかりはいつものように高等学校の制服ではなく、ま新しいクリーム色のワンピースで来た。学校外のともだちに会いに行くと告げたところ母がなぜか大喜びして買ってきてくれたのだ。
父はといえば、止めるかと思いきや特に何も言ってこず、どうも「ともだち」が男だという点にだけひっかかっているようだった。相手の性別を聞いてきたときのような形相など、本当に、生まれて初めて見た。
「ヘン、かな」
「いやーむしろお嬢のイメージまんますぎて驚いてるっつーか」
「あ……あの!」
不意に横手から声がした。その主は華奢な少女――ではなく、少女と間違えそうなほど線の細い少年だった。綺乃より少し年下だろうか。
「……ユーリ? なの?」
「! はい、そうです」
「は!? 控えめなユーリとかってマジかよ!?」
「ま、まじですけど……」
「脅さないで」
「そうだよアル。威嚇もしないで」
綺乃はぴくりと肩を震わせた。胸の高鳴りを感じつつ、ゆっくりとふり返る。
そこには、見知った笑顔があった。
「ショウ、と……ダンテだ」
「そうだよ。わかった?」
あちらでの姿よりも痩せていて、それでもやっぱり黒い服を身に着けて。何より話し方と表情はそのままだ。間違いない、と思った。
そのショウはもうひとり、神経質そうな眼鏡の青年の腕を引いていた。そちらは何やらそっぽを向いて、なかなかこちらを見ようとしない。ショウは綺乃の視線を追って肩をすくめ、困ったように笑った。
「あのとき騙されてたこと、いまだに気にしてるみたいで。アヤに合わせる顔がないって言うんだ。公園の入り口でつかまえてなんとか連れてきたけど」
「……」
「なんだかんだで3ヶ月ぶりくらいなんだから。もう時効だよ」
目で同意を求められ、綺乃はうなずいた。
「別に気にしてない。それにわたしは、みんなとまた会えて嬉しい。ダンテにも、だよ」
言うと、ようやくダンテがこちらを見た。まだ無言ではあるけれど、ショウがほっと息を吐く。そのままやや強引にダンテを席に着かせ、自分も隣の椅子に腰を下ろした。
皆をぐるりと見回して、テーブルの上で指を組む。
「それじゃあ、落ち着いたところで改めて言うね。――はじめまして。日向翔一です。みんな来てくれてありがとう」
* * * * *
ショウからのメッセージを受け取ったのは、病院で目を覚ましてから比較的すぐのことだった。とはいえ1ヶ月近くも謎の昏睡状態だったせいで、検査やらリハビリやらが続いてなかなか体が空かず、やっとのことで、今日を迎えることができた。
「んで? “ファントム”ってのは結局何者だったんだ?」
腰を落ち着けるなりアルが尋ねた。ショウは一瞬眉根を寄せ、曖昧に笑った。
「トモ――ファントムは、遠縁の親戚の子、だったんだ。当時まだ中学生。彼の家は共働きだったから、近所の僕の家によく遊びにきてて。それでそのうち、一緒に“テオス・クレイス”に行くようになって……だけどそのうち、問題が起きた」
ショウいわく。
ファントムこと安原友弥は、ほとんど家にいない親からカードを1枚持たされていた。そこから、いつしか大金をゲームにつぎ込むようになり、どんどん歯止めがきかない状態になっていったという。
「その分強かったわけだけど、やっぱりちょっと異常だったかな。でも本人に何度注意しても聞く耳なくてね。だから、僕は――」
不意に声を詰まらせる。次の言葉が出るまで、少し、時間がかかった。
「僕が。向こうのご両親に伝えたんだ。トモを止めてほしいって。ゲームを、やめさせてほしいって……」
そのあとに起きたことはすでに聞いた。アルがうつむくショウの肩に手を置き、ダンテもまた、首を振って見せた。
「君は間違っていない。ただ、運が悪かっただけのことだろう」
ショウが目を上げ、微かに笑った。
「やっと声が聞けたね、ダンテ」
「茶化さないでくれ」
「ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」
「――それで、ゲームの方はどうなる?」
話題の変更は少々強引だったけれど、気遣ってのことだとわかるから、誰も何も言わなかった。
「大丈夫。存続できそうだよ。僕達5人の昏睡と“テオス・クレイス”との因果関係はないってことになったから。アヤのおかげっていうと変な感じかもだけど」
「あ。そうか」
ファントムに呼ばれ倒れたときに、綺乃だけはゲーム用ヘッドセットをつけていなかった。なぜそんなことになったのかはわからない。そもそも“ファントム”の存在事態が不可解なのだから、きっと悩むだけ無駄なのだろう。
それにしても、そのファントムの方は。あの後どうなったのだろうか――
「トモはまだ、あそこにいると思うんだ」
次の思考などお見通しとばかり、ショウはまっすぐに綺乃を見て、言った。
「根拠があるわけじゃないけど。とにかくしばらくは、あっちでトモを探すつもり。ああ見えて寂しがりだから。また何かやらかさないとも限らないし」
「お! そんで悪さしてるのみつけたら、またアレやんのか!? 『それがこのゲームのルールだ』つってすげー迫力で歩いてくやつ!!」
一瞬の沈黙。次いで、ショウは紅潮した顔を片手で覆った。悪気などないのであろうアルはきょとんと目を見開く。大柄な臥体の割にかわいらしい表情だった。
「なんだ?」
「いや、ごめん、その話はやめてもらえるかな……思い出すとちょっと……」
「なんでだよかっこよかったじゃねーか。てかあの無敵状態もなんだったんだよ?」
「あれは、あの時は夢中だったから。ていうかほんと、もうやめて」
綺乃はつい、声を殺して笑った。ユーリとダンテもまた笑いを堪えている風だ。
するとつられたように、ショウも笑い始めた。ここへきて初めて緊張が解け、場が和んできた。
「アル。本当に、君は」
「なんかよくわかんねーけど、ちょっとは元気出たみたいだな?」
「……ありがとう」
「よかったね、アル。『いつかショウを助ける』って、言ってた目標、達成だね」
「! そういやそうだな!」
「なんかあっちと変わらないね、アルは」
ユーリが感心したようにつぶやいた。が、アルは「いや」と首を振る。
「普段はこんなにしゃべらねーな。相手がお前らだからだ、たぶん」
「そうなの? おれも似たようなものだけど……普段は自分からしゃべったりできな」
「“おれ”!?」
「ユーリの一人称、“おれ”……!」
「は!? それでそこまで驚かなくてもいいじゃない!?」
「あ。やっぱりユーリだった」
皆の見知った部分と、知らなかった部分と。発覚するたびにあまりに楽しくて本題を忘れかけた。はたとそれを思い出したので、綺乃はぴんと背筋を伸ばす。
「ところで、ショウ。ファントムのこと、ひとりで探すの?」
その一言でショウの笑顔が消える。気まずそうに逸らした視線が、すでに返答のようなものだった。
「……これ以上巻きこむのは、申し訳ないとは思うんだけど……」
「わかった。いっしょに、行く」
みなまで言わせず即答する。他の3人もそれぞれにうなずき合った。
「オレら巻きこまれるわけじゃねーから。勝手についてくだけだ。だからいちいち気にすんな」
「おれもそういうことにしておこうかな。ショウくんなら、信用できるし」
「……みんな」
「独力での捜索には限界がある。わかっているからこそ俺達を呼んだのだろう。その上での問いとしては、愚問だ」
ダンテはひとさし指で眼鏡を直し、軽く息を吐いた。
「むしろ、ぜひ協力させてほしい。欺かれ判断を誤った、その汚名を返上したい。……たのむ」
頭を下げる様子は真剣そのもので、彼のあまりに真面目すぎる性質を物語っていた。返上すべき汚名などない、と告げたところで、きっと本人が納得できないのだろう。
「――わかった。だったら、手伝ってもらおうかな。途中抜けとかさせないけど、いいんだよね?」
ダンテが顔を上げ、神妙な面もちでうなずいた。ショウが苦笑し、その横で、よし、とアルが手を打ち合わせる。
「よっしゃ! パーティ再始動だな!」
「ありがとう、みんな。僕のわがままなのに……ごめん」
「謝らないで。わたしも本当は下心、あるし」
「え?」
4人の視線が集まって、綺乃は小さく肩をすくめた。
「今度こそ。本物の“第13ステージ”、クリアしたいな」
あの世界がまだ残るのなら、もっと遊んでみたい。今ここにいる皆で。
また笑顔が戻ってくる。誰からともなく同意の声があがる。
そしてショウは、どこか泣きそうな顔で、しっかりとうなずいた。
「じゃあ、もう1度“約束”しようか。まずは『みんなで幻の“第13ステージ”をクリアすること』」
「あともうひとつ。『途中で誰かに何かあったら、他の誰かがそれを助けること』」
綺乃がつけ加えて皆を見ると、全員がすぐにうなずいてくれた。
確信する。きっと大丈夫だ。この先で何かあったとしても、彼らといっしょなら。
「あっちに行ったらまた会おう。これからも、よろしく」
紅潮した頬を冷たい風がなでていくが、寒くはない。逆に暑いくらいだ。
再結成の証にと5人で握り合った手の熱さは、生涯、忘れられそうになかった。
END