エスケープ -1-
ここしばらく、頭の芯が痺れるように痛む。
いつからだったかと思い返した。ケルベロスとの戦闘開始よりは前だったはずだが、ダンテ達と言い合いをした辺りからか、それとももっと前からだったか。
とにかくそんな状態でケルベロス戦を迎えた。そうして皆と戦ううち、さらに心乱されていく自分を自覚した。
ダンテとユーリには、戦闘支援よりも身の安全を優先してほしかった。アルには慣れない魔法を使うことでリスクを侵さないでおいてほしかった。
必ず生きて戻るために。
幸いにもそれらの行動は良い結果に結びついたけれど、皆に対して抱いた怒りの感情を完全には拭いきれない。
「みんな。少し、話がしたいんだけど。いいかな?」
少しでも気を鎮めようと地面に剣を突き刺してから、ショウは皆を見回した。アル、ダンテ、ユーリの3人は、戸惑った様子で目を見交わす。そんな中でアヤノだけが、何か察したようにじっとこちらを見ていた。
「それは先ほどの続きか」
「そんなところ」
「このタイミングでぇ?」
「駄目かな」
「いや、俺も改めて聞いておきたかった。あれはどういう意味だ? 俺達が“死”を誤認していると?」
頭の奥がずきりと痛んだ。
正直なところ、ショウ自身にも迷いがある。心のどこかではダンテ達の言うことを信じたがっている気がするのだ、死んでもどうということはない、また戻ってくることができるはずだと。
ただ。
「死んだ人間は戻ってこないよ。僕は……それを知ってる」
それだけは覚えている。本当は忘れてしまいたくて、それでも忘れるわけにはいかなかったから。
「みんなを見てると心配になるんだ。そんな無茶な戦い方をしてたら、いつか誰かが欠けるんじゃないかって。もっと考えてほしい。自分を大事にしてほしい。僕はそう思ってる」
「だがショウ、それは俺の知る摂理とは異なる。何を根拠に、そうもはっきりと摂理を否定できる?」
「……僕は、」
「ねぇ!」
不意にユーリが上空を指さした。反射的にふり返ると、背後から複数の影が向かってくる。オラクルエリア内の敵はすべて倒している以上、あれは“モザイク”の方だ。
「まずは神殿まで退避すべきだ」
「これじゃさすがに、落ち着いて話せそうにねーしな」
「大事な話の時に限って出るわねぇ」
「! みんな待って」
まだ本題に入ったばかりだ。聞きたいことのほんの一部しか聞けていない。ユーリも言う通り出現のタイミングが良すぎではないかと唇を噛む。
安全確保はもちろん大事だ。けれどこの話だけはしておきたかった。それともそう考える方が間違っているのか――
「ショウ! 早いとこはけようぜ!」
ボス撃破に伴いすでに出現していた帰還の扉。アル達がそちらへ駆けていく。実は話を聞くつもりがないのではと勘繰るような迷いのなさだった。
腹立ち紛れに長剣を振るい影をまとめて斬り捨てる。その短い間に3人はオラクルエリアを出たようで、アヤノだけが残っていた。何か言いたそうな顔をしているが、なかなか言葉は出てこない。
「アヤは僕の話、疑わないでいてくれるんだね」
疲れた気分で剣を下ろす。と、アヤノは神妙にうなずいてくれた。
「多分わたしも、わかるから。“死ぬ”っていうこと」
「それは、わからない方が幸せかもしれないけどね」
「……かもね」
「だけどありがとう。実はちょっと、自分が間違ったこと言ってるんじゃないかって、自信なくしかけてたところ」
アヤノは今度はふるふると首を振った。そのまじめくさった様子に、強張っていた顔がやっと緩む。どうやら自分はひどい記憶違いをしているわけではないらしい。
――記憶、といえば。
「ついでだから聞いてもいいかな……アヤは感じたことある? 何か大事なことを忘れてるような、そんな感じ」
驚いたように目を見開くアヤノ。それだけで返答としては充分だった。
「僕達は何かを忘れてる。思い出さなきゃいけない何か。“死”についての僕達の認識の食い違いも、それに関係してるかもしれない」
言いながらショウは剣を真上に払った。“モザイク”の敵が両断されて宙に溶ける。いい加減に自分達も退避した方がよさそうだ。
その前にせめてと、すがる思いでアヤノ眼をのぞき込んだ。
「たのみたいことがあるんだ。僕達には『思い出さなきゃいけないこと』があるって、覚えていてほしい。僕がそれさえ忘れていたら、思い出させてほしい。僕も同じようにするから」
元々拘泥があったにせよ、ここが死者の王ハーデースのステージだからこそ“死”にまつわることを思い出せたのかもしれない。しかしこの先に進んだら、いつまで覚えていられるだろう。
そして、そのことまで完全に忘れてしまったら。
ちらりと考えただけで異様な不安感と寒気に襲われた。あげく視界まで暗くなりかけて、しかしそこに、白いものが映り込んだ。
「約束」
アヤノが小指を差しだしていた。最初はあっけにとられたものの――ユビキリは知識として知っていたが、本当にしようとする人間とは初めて会った――顔を上げると、真摯な金色の瞳がそこにあった。
こちらからも遠慮がちに手を出すと、アヤノから指を絡めてきた。さすがに若干緊張したのが、表情に出ていないことを祈った。
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