ジャミング -2-
ゆっくりと数度瞬く。3回目に目を開いたところで、とぎれていた色彩と音が不意に戻ってきた。
アヤノはあたりを見回して、少しがっかりした。景色はそれほど変わらない。建物の色合いや人の位置が違うことから、別の町へ来たのだろうと思える程度だ。
「それぞれのセーフティエリアがあんまり違っててもね……いや、とにかくフィールドへ行こう。そうすればわかるよ」
手招きをされて無言でうなずいた。前を行くショウに、少し離れてついていく。ショウはちらりと視線を投げてきた。しかし何も言わなかった。
振り出しに戻ったような距離感のまま町を歩く。左右に商店や露天が建ち並ぶ中、1番広い大通りを進む。と、道の先に淡く光る境界線が見えてきた。
「気をつけて。あそこから出ると敵が発生する」
わかっている。
その意味でもう1度うなずきながら、線のぎりぎり手前で立ち止まった。
「……わ」
眼前に鮮やかな緑色が広がった。
やわらかそうな草が生い茂るなだらかな丘。それらが重なり合って見渡す限り続いている。風があるのかかすかに揺れる草を見ていると、飛び込んで思いきり転がりたいような衝動がわいてくる。
「綺麗だよね。僕も好きなんだ、ここの眺め」
ショウも境界線のすぐ近くまで来た。そこへ、うしろの方から気配が近づいてきた。戦士と術士が1人ずつ、楽しげに何か言葉を交わしながら、アヤノとショウを追い越してフィールドへ飛び出していく。
「でも……迷子になりそう」
2人の背中を目で追いながらアヤノはつぶやいた。ショウが小さく笑った。
「だいじょうぶ、動ける範囲はちゃんと決まってるから。あとで地図を見てみるといいよ」
「なんだ」
「ところで――少し、いいかな」
ふとショウの声が低くなる。アヤノは前を向いたまま「なに」と返した。まだ何か聞かれるかもしれないとは思っていた。
「さっきはああ言ったけど、本当に気づかなかったの。プレイ時間オーバーの警告メッセージ」
アヤノはついっさき確認したメッセージボックスの内容を思い出す。今残っているのはショウから受け取ったものだけだ。運営から届いたと思われるものはなかった。アルにも見てもらったのでそれは間違いない。
「わからない。わからなくて消したのかもしれない」
「その可能性はあるね。でも他で聞いたことくらいあるんじゃない、VRゲームは長時間連続でやるべきじゃないとかなんとか。VRより前のゲームからずっと言われてたことではあるんだけど」
「ある……と、思う」
「それでも途中でやめられないくらい楽しかったってこと?」
冗談と皮肉が半々ほどに聞こえた。アヤノは足下に目を落とした。
「わからない」
「……リアルでいやなことでもあった?」
「わからない。覚えてない」
ごく何気なく、アヤノは答えた。
が――
「まだ、ちゃんとは思い出してなかったんだ……」
突然ショウに腕を引かれ壁際まで連れて行かれた。何事かと見上げると、怒っている風ではないものの、苦々しい表情がそこにあった。
「できればもう少し詳しく聞かせてほしい。アヤはどんなことなら覚えてる? どこまで思い出せる?」
「ど、どこまでって言われても」
「あまりリアルについて聞くわけにもいかないから、そうだな。――僕が初めて声をかけた時、それまでは何をしてたの?」
アヤノは目を細めて考える。そういえばあの時から違和感はあったのだった。ただ気にしていなかっただけで。それがまずかったのだろうか。
「ゲームオーバーになって、それで扉に戻ったとこだったと思う。たぶんだけど」
「そこがもう曖昧なんだ?」
「うん」
「嘘だろ」
ショウは片手で顔を覆った。なんとなく申し訳ない気分になったアヤノは小さく首をすくめた。
「あの、ごめ――」
「いや。僕こそごめん。自力でどうにもならないことを悩んでても仕方ないね。不安にさせちゃったかな」
「それは別に……あ、でも、ひとつだけ。なんとなく覚えてることがある」
ふと思い出したので口にしてみた。指の間から青い目がのぞいた。聞いてくれてはいるようだ。
「ショウに会うちょっと前。声が聞こえたんだ。誰だったかわからないけど『助けてあげようか』みたいなこと言われた気がする。そのあと気がついたら、扉の前だった」
「……!」
ショウが目を見開き、手を下ろす。
「“ゴースト”に、会ったの、アヤ」
アヤノはぱちぱちと瞬いた。何度か聞いたその名前がここで出たことに驚いた。
「あれが? “ゴースト”?」
「はっきりとは言えないけど、聞いた話とは似てるかな。――一時期プレーヤーからの報告が殺到したって話はしたよね。ほとんどは『攻撃してないのに勝手にモンスターが倒された』って内容で、その中にごく少数、その前後で妙な声を聞いたってのがある。『助けてあげようか』ってさ。そんなだから“ゴースト”もしくは“ファントム”なんて呼ばれてた現象だ」
「詳しいね」
「ん。だてに常連やってないよ」
「でもそれって、長期メンテナンス前の話でしょ」
「そうなんだ。てっきりバグ修正されたかと思ってたんだけど、まだ残ってたってことかもね。……それとも……」
最後はほとんどひとりごとのように、ショウがつぶやいた時だった。
急にセーフティエリア内の雰囲気が変わった。何人かが同じ方向へ駆けていくのが見える。浮き足立った、どうにも穏やかでない空気が漂ってきた。
ショウが、顔を上げた。