イド -2-
「ポセイドンか! そいつならなんか聞いたことあるぞ!」
「主神とも近しい神だと記憶しているが」
「うん。実の兄弟だね」
「さっすがラス3は大物ってことだな!」
「……魚、いないんだ」
アヤノが抱いた感想はまずそれだった。海中といわれて想像するような魚の群れはまるで見えない。視界もクリアだ。時折揺らぐ景色だけが、水の中にいることをかろうじて実感させてくれた。
「そういやーそうだな」
「いいじゃない、いても視界の邪魔になるだけでしょぉ」
身も蓋もないことをユーリがつぶやいたのは、ひとまず置いておくとして。
セーフティエリア内とはいえ周辺への警戒はすっかり習慣化している。一見やる気のなさそうなユーリでさえ視線は探るように動いている。何しろ、武器屋の店員も信用ならないのだ。
と、そこでショウが口を開く。
「ところで、少し注意事項いいかな? このステージには接触してダメージを負うようなものはないけど、動きに少し負荷がかかるんだ。“水の中”だからね」
「!」
アヤノは試しに軽くジャンプしてみた。すると、意図したより高く跳べず、おまけに降り方が妙にゆっくりだった。なるほどこれではいつも通りとはいかない。
「通常動作ではさほど気にならないが、戦闘においてこの差は大きいな……」
他のメンバーも徐々に体を動かし始めた。うまく適応して戦えなければ、この世界にいる意味はないのだ。
「慣れるまでちょぉっと面倒そうだわぁ」
「ちゃんと規則性はあるはずだから。大丈夫いつも通りだよ。実戦で慣れていこう」
ためらいなく力強く、ショウが言い切った。リーダーは辞退しても、こういう説得力に変わりはない。
それを受けてダンテも合図を送る。アルが好戦的に笑った。あくまでショウの方を向いて、だったが。
「実戦上等じゃねーか! もうこのまま行くってことだよな! な!」
「各自、アイテムとゲージに問題はないか。疲労している者は」
流れるような確認作業と無言の承認。アヤノもうなずくだけに留めつつ、内心では、ハンデ下での戦闘に興味津々だった。
「では、まずは様子を見ながら一戦交えるとしよう」
意外に好戦的なセリフを吐いて、ダンテが歩き出した。もちろんアヤノもついていこうとする。が、そこへショウが並んできた。
「アヤ。さっきはごめん」
何が、と横目にショウを見る。しかしショウはこちらを見ていない。
「さっきって?」
「ボス戦の時。うっかりして、僕がダウンしたせいで……アヤにも怪我させたよね」
「え。あれは」
「もう絶対、あんなことにはならないから」
つい先ほどの話らしい。確かにショウが倒れていた間に攻撃を食らったけれどそれはショウのせいではないし怒ってもいない――
と、本当は言いたかったところを言えなかったのは、ショウが自分自身に怒っているように見えたからだ。
だからアヤノは、答えを変えることにした。
「大丈夫。……楽しかったから」
やっとこちらを向いた青い眼は軽く見開かれて、面食らっているのが伝わってきた。今度はアヤノが視線を逸らす。
「でも、考えごとで怪我するのはやめて。それだけでいい、謝るの」
「……本当に?」
ショウの声は、それまでと打って変わって自信のなさそうなものだった。
「本当に? “楽しかった”?」
「本当」
「……。そっか……それなら、よかった」
「ん」
いつだったかショウは言った。『この世界を楽しんでほしい』と。
どんな時にその話をしたかはすっかり忘れてしまったけれど――
こう言えば、きっと喜ぶと思った。わかっていた。
「フィールドへ出るぞ!」
ダンテが見返った。「わかった」と答えるショウの表情をちらりとだけ窺えば、なんというか、ほとんど思った通りだった。
よかった。
「あら、さっそく来るわねぇ」
横でユーリの錫杖が鳴った。見上げたアヤノの頭上で黒い泡沫が湧く。それはどんどん膨らみ、凝って形をとる。
鋭い牙の並ぶ口を大きく開いたのは、サメだ。
「――あ、げっ……ウソだろ!」
臨戦態勢に入ったところで、不意にアルが焦りの声を上げた。それを聞いたショウまでが「しまった」という顔をする。
「そうか弾丸! 負荷がかかるのは、身体だけじゃないんだ……!」
先制して撃ったのであろうアルの銃弾が、目視できる程度にはゆっくりと宙を泳いでいく。情報通のショウだが、それでもこのステージは未体験のはずで、実際来てみなければわからない部分があるのは当然だ。
問題は、誰もそれを想定していなかったことと、それがわかったのがまさに敵の目の前ということだった。




