メモリ -1-
ユーリがアヤノに声をかけたことも買い物中に2人でこそこそと話していたことも、ショウは大方把握していた。さりげなく様子をうかがってもいた。ただし話の内容までは聞いていない。問いただすつもりもなかった。あの後、アヤノの様子がよけいにおかしくなってさえいなければ。
「!」
「アヤ?」
あいかわらずこちらを気にするくせに、ふとした瞬間わかりやすくそっぽを向く。しかもどこか気恥ずかしげに。顔まで赤らめて――というのはもののたとえだが。アバターは血色まで反映するようにはできていないから、もしも本当に顔色が変わって見えたなら幻想症候群が進んでいるということだ。自分も注意しなければ。
などと、今はそんな脈絡のないことを考えている場合ではないのだった。
「そっち行ったぞー!!」
アルが叫ぶ。目を上げれば黒い獣が突進してくるところだった。2本の角を振り立て純白を蹴散らしながら。アヤノがはっと剣を上げ、しかしそれより一瞬早く、ショウの投げたナイフが長面のひたいに命中した。その巨体の陰から銃声が響き、そのまま獣は倒れ伏す。
ほどけた黒の向こうでアルが銃を下ろした。ざっと周囲を窺った限り他に敵はいないようだ。少しばかり空気が緩む。
「なーショウ、今のやつって鹿?」
「いや、トナカイ。角の形が違ったでしょ」
「サンタの歌に出てくるやつか!」
「実物では初めて見たな。いや、とはいえ虚構か」
「ギリシャにトナカイっているのかしら」
「ほらみんな、そろそろ次に備えて回復して」
ぱんぱんと手をたたけば、皆それぞれにセルフチェックを始めた。
さすがにここまでくると誰かしら怪我をする頻度は増している。困ったことに難易度が上がっているからというだけではない。原因のひとつは、パーティのレベルバランスが悪いせいだ。
「ダンテ、魔力ゲージは」
「アイテムは残っているが。少し厳しい」
「だったらこの辺で戻ろうか。帰り道にも敵に遭うだろうから、ぎりぎりになってからじゃ危ない」
「あらあら、ここへきて、ずいぶん進行が遅くなったわねぇ」
「ユーリ」
誰のせいで、と続けかねないところを睨みつける。ユーリは肩をすくめて一応黙ったものの、ニュアンスは察したのだろう、ダンテの表情が明らかに曇った。
ダンテはひとり、第7ステージの適正レベルに達していない。相変わらず、常時“テオス・クレイス”に居続けるショウたちとプレイ時間に大きく差があるからだ。そしてとうとう、その影響が看過できないところまで来てしまった。
ただ、いよいよとなったらいい機会にもなりそうだった。頑なに戦線離脱を拒んできたダンテを安全な日常に戻す口実になる。それならそれで悪くはないと、ショウの方では思っている。
が、そんな考えが顔には出ないよう注意を払う。戦闘中だ。士気に関わるようなことをわざわざ伝える必要はない。
「すまない。足手まといにはならないようにする」
「うん、ありがとう」
「ショウ、次来た」
突然アヤノが駆けだした。アルが続いて撃ち込みにかかり、ショウの耳にも複数のオオカミの息づかいが届く。ショウは逆に、少しだけ引いた。攻撃のメインは彼とアヤノに任せ全員の動きの把握に努める。いつでも誰のサポートにも入れるように。
『魔法:アンベロス』
雪の下から植物の蔓が伸びた。消耗の少ない魔法を選ぶだけの冷静さが残っているなら、ダンテは大丈夫だ。銃声の間隔と威勢の良いかけ声を聞く限りアルも問題ない。アヤノの動き。ユーリは。それなりに動いてくれている。あとは。
――一番大丈夫じゃないのは、やっぱり僕かな……?
自嘲気味に口の端を歪める。そうして叔父からのメッセージを胸の内で反芻した。場所は“テオス・クレイス”運営が設置している掲示板だ。
『ゼウスの使いと会うことになった。
世界は一度、黄昏を迎えることになるかもしれない。
R』
掲示板はプレイヤーから雑多な情報が書き込まれるところだ。どこそこでレアアイテムが落ちただの敵モンスターの攻撃パターン考察だのという親切なものから、個人的なプレイ日記、運営への文句まで。中には書いた本人以外には意味の量りがたいものも一定数存在するので、『その』書き込みも、とりたてて注目されることなくひっそりと残されていた。
――意味はわかるけど、神の黄昏はギリシャじゃなくて北欧神話だよ、おじさん……
ちょっとばかり苦笑も交えつつ、“R”の連絡内容は笑えない。“黄昏”とはおそらく、なんらかの形でのゲーム停止を指している。可能な限り回避したい事態だ。が、自分もまた原因の一端なのだからいかんともしがたい。
「……がんばらないとなぁ……」
つぶやいたのと同時に向こうで呼ばれた。
ひとまず諸々に蓋をして。ショウは剣柄を握る指に力を込めた。
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