第8章「朧げなる現実は夢と差異はなく」
僕たちは『レヴォリア』を目指して走っていた。
あちこちからこちらの進行を阻もうと兵士達が現れるがいちいち対応していられない。
攻撃を適当に振り払いつつ、そして追撃してくるのなら最低限の攻撃をぶち込んで止めさせる。
それを何度も繰り返していた。
しかしその包囲網は進んでいく程に密度が大きくなっていく。
やはり彼らにとってこれはとんでもなく重要なものらしい。
「しかしこんな事が起きてしまいましたが不幸中の幸いというヤツですね」
「不幸中の幸いだって?」
100%不幸な場面だと思うぞコレ。
一歩間違えば人類滅亡だし。
「ええ。地球にやってきた際、神月夜様と『ある場所』を捜していたのですよ。その途中に氷輪の息が掛かった兵士達に襲撃されたのです」
「あれは驚きましたねぇ」
そういえば路地裏で襲撃受けてたな、と僕は思い出した。
他の人が見つけていたら一体どうなったんだろうか。
「しかし最初に現れた敵はなんとか撃退したのです。で、その際に偶然にも『レヴォリア』の緊急停止キーを入手したのです。これによって破壊せずともアレを停止する事ができます」
「でも一回停止に成功してもまた使われたら意味ないと思うんだけど」
「あれは莫大なエネルギーを喰らいますから1度緊急停止させるとケーブルが焼ききれて使い物にならなくなります。ちゃんと完成しているのならまた使えるでしょうがあれはどこからどう見ても未完成。おそらく私たちの動向に危機感を抱いた誰かが起動させたのでしょう」
「そんなものがあるのなら破壊しなくても済むって事か……」
さっきまでどうやってあんなでかいのを壊せば良いんだろう、とか悩んでいたのだがこれでそれは解決した。
そうこうしているうちに僕たちは施設を出て広場に出る。
目前には高く聳え立つ『レヴォリア』。
なんだかさっき見た時よりも真ん中の柱が早く回転しているように見える。
「……氷輪が残り30分って言ってからどのくらい経ったっけ?」
「20分ですね。もう殆ど時間が残っていません」
鋼は一箇所に指を差す。
そこにあるのは小さな部屋だった。
しかしそれは砲台の下から40メートル程の場所に存在している。
あそこまで行くには設置された階段かエレベーターを使うしかない。
しかしエレベーターは止められる可能性があるので使えない。
ならば階段を駆け上がって行くしかないだろう。
しかし前からは無数にうじゃうじゃと敵がやってくる。
いや、前だけではない。
左からも右からも後ろからも上からも敵は機関銃をこちらに乱射してきた。
僕は壁物質でドームを作り出すとそれを分解して全方向に発射する。
相手の攻撃を防ぎつつこちらの攻撃を通すという寸法だ。
月の表面を削り取りながら影物質は集団に殺到する。
何人か空高く舞い上がったのが見えた。
そうして何人も呻いて倒れている戦場を駆けていく。
しかし何人かはすぐに立ち上がりこちらに攻撃を浴びせかけてくる。
だが、それはあまりに距離が離れていて命中しない。
そうこうしているうちにやっと階段に到着した。
僕達は必死にそこを駆け上がる。
しかし階段を上ると移動速度がどうしても遅くなる。
実際、僕たちの目前を弾が何発も飛び交っていく。
このままでは先に行けない。
僕は舌打ちすると影物質を出してバリケードを作った。
これで弾は問題無い。
「……さっきから思っていましたけどかなり汎用性高いですねその不思議物質を出す能力」
「確かにそれは自分でも思う。氷輪相手にはあまり通用しなかったけどな」
「でもこれって本当に不思議ですねぇ」
神月夜が影物質に触れる。
艶々としているだろう。
夏場はかなりひんやりしているので涼みたい時には重宝する。
しかし影物質のベッドを作って寝ようとしたのだがその際はあまりにも硬すぎて安眠なんてできたものではなかった。
いつかは形状や大きさだけではなく感触も変化できるようにしたい。
そういえば理屈では2次元を3次元に~とかまわりに説明しているが実際にはこの僕にもよくわからないのだった。
小学生の時初めて出せたのだがその際はこの無からこの世界に存在しない物質を生み出す力を手に入れてしまったとビビったものだがこんな能力は残念ながらこういう物騒な場面でしか使えない。
どうせなら日常で重宝する電気系のやつとかが欲しい。
クラッキングもメールも能力一つで可能だし無線も飛ばせるらしいし。
「あ、上から集団がやってきました!」
「あーくそ! どこまで邪魔する気だこいつ等は!」
「もう首謀者は死んだというのに彼らは強迫観念か何かにでも取り憑かれているのでしょうか?」
しかし逆に言えばそれだけ彼の影響力が強いという事だろう。
これは問題が解決するのはかなり後の事になるかもしれない。
「もう5分くらいしか残っていないぞ……」
「間に合うかどうか……予告よりも遅れるという可能性もありますが逆に早く発射されるという可能性もありますね」
しかしこんな所で止まっている訳にはいかない。
駄目な可能性が高くても僕達はやるしかないのだ。
上から飛んでくる弾を僕は妨害する。
そうして鋼が陰からバスターを放って彼らを撃退するというコンボだ。
しかし希に下から飛んできた弾がこちらに当たりそうになる事もある。
そういった攻撃は慎重な神月夜が妨害する。
皆疲労がとんでもないだろうによくやってくれる。
早くこれを解決しなければ、と僕は改めて思った。
僕達は階段の上に転がっている兵士達の身体を踏みながら上を目指す。
時々ぐぇ、という呻き声が聞こえるが無視した。
しかしあと直前、という所でいきなり何かが飛んできた。
上にはもう誰も居ない、と思って油断していた僕達はそれに対応できなかった。
凄まじい衝撃が僕達を襲い、下に倒れこむ。
しかしそこは幸いにも段ではなく踊り場だったので大事には至らなかった。
ガンガンと痛む頭を持ち上げてその正体を見極める。
僕達の目の前に居たのは巨大な人型兵器だった。
神月夜を襲っていたものとは微妙に違う。
しかし僕が注目したのはその兵器の手。
そこに何かが握られている。
「鋼が……!」
神月夜が悲痛な声をあげる。
鋼は苦悶の表情でこちらを見ていた。
このままでは鋼がやられてしまう。
しかも彼女はこの兵器を停止させる鍵も持っている。
これでは間に合ってもあの兵器を止める事は叶わない。
『こいつが鍵を持っている筈だ、狙え!』
人型兵器がスピーカーで拡散する。
すると下で倒れていた敵が少数ながらもこちらに集まってくる。
僕は鋼を握り潰そうとする人型兵器の腕をどうにか破壊できないかと影物質を生み出す。
そしてそれを弾丸のようにして敵にブチ込む。
どかん、という轟音と共に火花が盛大に散る。
しかし相手の装甲が僅かに傷付いただけでそれを破壊するには至らない。
「どうすれば良いんだ……!」
焦りが加速していく。
正常な判断をしようともそれが難しくなる。
もうおそらく3分も無いだろう。
あと何段か登れば到着するのにもどかしかった。
こうなったらもう捨て身の攻撃をしてでも彼女を助けるしか……
僕は大剣を生み出し、それを構える。
人型兵器がこちらにカメラアイを向けた。
そうして僕は手すりに乗り、巨大な敵に襲いかかろうとして、
「私の事は良いので先に行ってください……!」
鋼が叫んだ。
しかしそれはすぐに巨人が身体を握り締めた事で中断させられる。
ミシリ、と何かが軋む嫌な音が聞こえた。
それは鋼から聞こえたものだった。
一瞬もしかしたら、と思ったが僅かに彼女の身体は動いているのが見て取れた。
しかし僕はこの期に及んで先に行く事に躊躇していた。
キーがないというのもある。
しかしそれよりも彼女を見捨てるというのが耐え難かった。
「――夜行さん」
その時神月夜が僕に声を掛けた。
それは僕の背中を押すような声だった。
自分のやるべきと思った事をやれ、という事だろうか。
「彼女は私がどうにかします。だから貴方が先に行ってください」
「でも……」
「私はあらゆる障害から護る力があるんですよ? それなら彼女だって助けられます。2人が私を助けてくれたように」
そうして神月夜は微笑んだ。
それは不思議と人を動かす力があった。
ならばもう迷う必要などない。
「頼んだ……!」
僕はそれだけ言うと階段を駆け上がる。
そうしてすぐさま小さな小屋のようなスペースに入る。
そこにあったのは無数のモニタでもスイッチでもなくただの大きなパネルモニタとキーを挿し込むらしい小さい穴だった。
その鍵穴はちょうどタバコサイズだ。
勿論鍵など持っていない僕はどうすれば良いのかわからない。
取り敢えず適当にパネルを叩くものの画面には異星のよくわからない文字が書かれているのみ。
やはりこれでは手の施しようがないという事か。
「クソッ!」
僕は焦燥と苛立ちから壁に拳を叩き付ける。
塞がりかけていた右手の傷が再び開き、壁に赤い汚れを付ける。
もう時間なんてないのにどうすれば良いんだ……!
思わず頭を掻き毟る。
しかし突如大きな揺れが僕の居るコントロールルームを襲った。
僕は立っている事もできず、仰向けに倒れた。
そうして思い切り後頭部を硬い壁にぶつける。
どうやら外の敵が暴れているようだ。
こんな非常事態に暴れてるんじゃねえよ、と思った。
上着の中に入っていた色々なものが床に散らばっている。
放っておこう、と思ったがその中の1つに僕は目が留まった。
「これは……」
それを手にとって見詰める。
落ちていたものは鋼の落し物だった。
黒くて幾何学めいた溝が彫られていてちょうどタバコサイズ。
そうだ、これを僕は彼女に渡そうとして……
ん、待てよ。それよりもこれは……
僕は改めて鍵穴を見た。
もしかしたらこれが。
もしかしたらこれが鍵だったとしたら?
「やるしかないな!」
僕はすぐに立ち上がって鍵穴に近付く。
そうして持っていたその鍵らしきものをそこに差し込む。
細いのと焦りで手汗がすごいのもあって中々入らない。
もしかしたら違うか、と思ったがもう引き下がれない。
「取り敢えず入れよぉおおお!」
半狂乱になりながら僕はそれを無理矢理ねじ込む。
すると僕の思いが通じたのか鍵穴からかちり、という音が聞こえた。
それと同時に液晶パネルに何かが表示される。
緑色のフレームが浮かび上がっているがやはりそれがなにを意味するかはわからない。
僕は結果を確認する為に外に出て砲台を確認する。
『レヴォリア』は……
「助かった……のか?」
コアはその動きを徐々に弱めていく。
間も無く完全に停止する事だろう。
そうして下の方から爆発音と小さな揺れが生じた。
どうやら内部のケーブルが焼き切れたようだ。
これで地球の危機は救われたという事か。
「そうだ、鋼達は……」
僕は下を覗く。
そこにはこちらに気づいて健気に微笑む神月夜と仏頂面の鋼だった。
僕は安堵に胸を撫で下ろす。
これで取り敢えずできることは全部やった。
後はクーデターが沈静化するまで静かに逃げ続ければ良い。
僕は走って階段を下りる。
「ありがとう、2人のお陰で上手くいった」
偶然によっても助かったとも言える。
「いえ、貴方もよくやってくれましたよ」
鋼はようやく微笑みを浮かべてそう言った。
「でもどうやってここを出るか……」
2人がまだ追われている以上、まず地球に戻るのが先決だ。
しかしそれにはまずそこに行くための足が必要だ。
具体的には僕たちが乗れるシップが。
しかしまだ大勢敵が居る以上このまま向かう訳にはいかない。
しかも僕達は逃げ場の無い砲台の階段。
このままだと追い詰められるのは時間の問題だ。
「あ、誰か来ましたよ」
すると神月夜がある場所に指差す。
僕と鋼はそちらに目を向けた。
彼女が指差した場所には誰かが立っていた。
その人物はゆっくりと兵士の集団に近づいていく。
1対複数。
しかしその男に動揺は一切なく、寧ろ面倒そうにも見える。
対する兵士たちは数の上では圧勝しているのにも拘らずざわめいている。
まるで自分達とは次元の違う存在が目の前に現れたかのように。
その男は何かを言っているようだった。
兵士たちはすると今までやっていたのはなんだったのか持っていた銃を地面に落とし、男に向かって敬礼を始めた。
一体何が起きたのかわからない。
「どういう事だ……?」
「もしかしたらあの人は……」
神月夜が険しい顔をする。
「ご存知なのですか?」
「殆ど姿を現さない御方なので、絶対とは言えないのですが……」
すると男がこちらに顔を向けた。
僕は思わず息を呑む。
艶やかな長めの黒髪。
切れ長の鋭い目。
彫りの深い顔。
一言で言うのなら端正な顔立ちというものを3割増にしたような顔だ。
若いが年齢はよくわからない。
10代後半から30代前半までだろうか。
しかし僕よりは年上である事はなんとなくわかった。
が、何よりも彼の纏っている雰囲気というものが異常だった。
そこに存在しているのに気づかない、というか存在感というものがなさすぎて寧ろ異様に感じる。
うまく言葉にできないが彼の雰囲気というのは正にそれだった。
水面に映る月の様に朧げ。
それは目に見えるが存在しない。
「――安心しろ。脅威は私が潰した」
鈴を転がしたような美しい声だった。
僕達は顔を見合わせ、そうしておどおどと陰から身を出す。
取り敢えず敵には見えない。
攻撃がピタリと止んだのも不思議だ。
ならば本当に危険はなくなったという事だろう。
クーデターも唐突に終わりを告げた。
何はともあれ彼の元に行かなければどうしようもないだろう。
ゆっくりと階段を降りて舗装された月面に立つ。
すると間も無く謎の男はこちらにやってきた。
「――無礼をどうか許して欲しい」
そうして彼は頭を僅かに下げる。
どうも反省しているようには見えないが黙っておいた。
相手の素性が掴めないが神月夜に敬語を使ってない事からかなり偉いヤツなのだろう。
「で、クーデターは……」
僕は彼に尋ねた。
「勿論止めた。今回は私が不在の間に起きたもので君達に迷惑を掛けた。これからはこのような事が起きないと保障しよう」
無表情だが嘘を吐いているようにはとても見えない。
僕は何も言わず、取り敢えず彼の言葉を信じる事にした。
「じゃあ早く地球に送って欲しいんだけど……」
「今すぐにでも。30分もあれば日本の朧想街に到着するだろう」
「では私の腕も修理して欲しいのですが。ぶっちゃけ規格の合う腕で違和感がなければそれを渡してもらえるだけで十分です」
鋼も随分と堂々と言うものだ。
彼は顔色一つ変えず、承知した、と言ってすぐに兵士に腕を持ってこさせた。
鋼は手首の無くなった右手を外し、兵士が渡したそれを受け取ると肩に装着する。
デザインも全く同じものであり、接続は良いようだ。
「それでは彼らに送らせよう。一番腕の良いパイロットを呼ぶぞ」
するとすぐに1人の若い男がやってきた。
彼はこちらに深々と頭を下げる。
かなり反省しているらしい。
なんか拍子抜けした。
そうして僕達は格納庫に案内される。
見ると端の方に僕たちがここに来るときに乗ってきたプライベートシップがあった。
「それではこちらにお乗りください」
操縦士は恭しく扉を開ける。
そして僕達が乗ったのを確認すると扉を閉めた。
「って2人も付いてくるの?」
僕は隣で自然に座っている鋼と神月夜に突っ込んだ。
見送りだろうか。
「いえ、まだ私達は目的を達成していないんですよ」
神月夜がその問いに答える。
「私は姫の護衛を」
「そういえばそうだったな……」
コクピットに座っている操縦士が苦い顔をしているのがわかった。
そうしてゆっくりとシップが浮上する。
窓から外を除くがもうあの男はそこに居なかった。
僕は頭を小さく振って前を見る。
そこには青い地球が広がっていた。