夏の夜のおとぎばなし――六道町奇譚
昔から、その町にはおばけがいるといわれていました。
たくさんのおばけがすんでいて、人はきっといないのだと。
でもそんなことはありません。ちゃんと人も住んでいます。
ただ、おばけたちといっしょに時に仲良く、時に反発しながら、それでも平穏に暮らしているだけです。
その町の名前は……
六道町。
「でも、本当におばけなんているのかしら」
昔風の甘味処でみつまめをほおばりながら、一人の少女が言った。髪の毛をきりりとポニーテイルに結い上げて、少し鋭い目つきをした、勝気そうな少女である。
「いるって言うけれど……残念ながら私も見たことはないんですよねぇ」
そう言って返したのは冷やしぜんざいをすすっている少女。こちらはめがねとみつあみのせいか、おっとりした雰囲気が漂っていた。二人の少女は同じセーラー服をまとい、年のころもだいたい同じくらい。
何のことはない、学校の同級生なのである。
「あら、香奈さんはおばけとか、見たくないの? それこそ……そう、幽霊とか」
いたずらっぽい表情で、ポニーテイルの少女が笑う。香奈と呼ばれためがねの少女は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。
「会いたくないわけ……ないじゃないですか」
香奈は幼いころにみっつ年下の妹を病気で亡くしている。そのことを指摘されたのだとわかったのだ。
「で、でも……そう簡単に会えるものではないと、思うんですけど。どうでしょう、水瀬さん」
水瀬と呼ばれた少女は、からからと笑った。
「それはきっと、心持ちの問題よ」
「心持ちの?」
「会いたい、会うんだ、絶対にいるって思えばきっと、向こうから顔を出すわ。あたしはそう思っている」
クラスでも特に女傑で通っている水瀬の言葉はいつだって自信に満ち溢れていて、香奈はちょっぴりあこがれてしまう。
「おやおやお嬢さんたち、また物騒な話をしているねぇ」
お店の主人が顔を出してかかと豪快に笑った。確かに若い娘さんが好んでするような話題ではないかもしれない。水瀬も少し顔を赤らめる。しかし、
「まあまあいいじゃないですか。ボーイズビーアンビシャス、若者よ大志を抱けとかのクラーク博士も言っていますし」
そう口を挟んだのは、店に居合わせた青年だった、それも少女二人と顔見知りの。思わず香奈が呼び止めた。
「あ、八木さんじゃないですか」
町の骨董屋の若旦那、八木慎之介。彼の店の商品には付喪神が時折混じっているだなんてうわさもあるけれど、品のよい古道具や骨董を取り扱っているので少女たちはよく遊びに行くのだった。お小遣いをやりくりしてささやかながら商品を買ったことも何度かある。
糸目となきぼくろが特徴の青年は、静かに笑っていた。
「八木さんは、今日はお仕事は?」
「ああ、今日は菜月さんのおじいさんに頼まれていた信楽の壷を届けにいった帰りなんですよ。おかげさまでうちのお店も商売上がったりということもなく」
水瀬のほうを向きながらそう仰々しくお辞儀をする八木。菜月というのは彼女の名前で、その祖父は近在でも好事家として有名な人物なのだ。
「まったくおじいさまったら相変わらず! やめろとは言わないけれど、そろそろ年のことも考えて落ち着いてほしいのに」
菜月はほほをぷぅっと膨らませて、それからその幼いしぐさをごまかすようにあわててみつまめを口に運んだ。それを見て香奈はくすっと笑ってしまう。菜月がこのちょっぴり朴念仁な青年に少なからず好意を持っていることを、彼女は気がついていたのだ。本人はあの手この手でごまかしているつもりなのだろうが、いっそう好意を示しているということに気がついていないのだ。そしてまた、好意の相手のほうも鈍感なのか、ちっとも気づいている様子を示していない。それを眺めて微笑んでいるのが、香奈は大好きだった。
「そういえば町外れの墓地……あそこならおばけの類、見られるかもしれませんよ?」
ふと思い出したかのように八木がぼそっとつぶやいた。それを聞いて、菜月の瞳がいたずらっぽく輝きを増す。
「じゃあ、今晩行きましょう!」
「……えっ、ええっ!」
香奈は驚いた声を上げて友人の顔を見つめた。菜月の瞳はいかにもいたずらっぽい光を宿していて、こうなったときの彼女を止められるものはいないということを、香奈は決して短くない付き合いの中で知っていた。
「でも、今晩って、急すぎない?」
「そうかしら? 今日はうちの親がちょうど留守なの、むしろ好都合じゃない?」
……一度走り出したら止められないのは重々知っているから、仕方なしに曖昧にうなずきます。すると、その様子を見ていた骨董屋がくすりくすりと笑っていた。
「そんなに興味があるの? なら僕もちょっと気になるな。か弱い女の子二人だけというのも、やはり心配ですしね」
八木がそんなことを言いながらうんうんとうなずく。
「え、いいんですか?」
「まあ、保護者もいないとね」
菜月の顔がぱあっと薄紅色に染まっていった。それを見た香奈は心の中で『よし』と言い、
「それなら3人で行ったほうが確かによさそうですね。もしよろしければお願いしてもいいですか?」
そう八木に頼み込んだ。八木もくすっと笑って、
「はいはい、お姫様たち」
そんな戯言を口にしながら、待ち合わせの場所や時間を決めていく。
――今晩午後九時に、墓地に程近い三番橋のたもとで。
そんな約束をして、めいめい帰路に着いたのだった。
午後九時。
約束の時間、それぞれが思い思いの身軽な格好で三番橋にやってきた。
生成りのワンピースを身にまとい、腕に数珠を下げている香奈。
着流しの浴衣姿で、懐中電灯を持っている八木。
――そしてシャツと膝丈のズボンに、なぜか鳥打帽と虫眼鏡をもった菜月。
「何でそんな格好なの?」
香奈が親友の服装の意味を尋ねると、
「折角だから探偵っぽく、ね」
菜月はそういって自信たっぷりに目配せする。確かに昔から探偵と言えば鳥打帽のような気がしなくもないが、それにしても今回は探偵ごっこではないはずなのに。
八木はその三者三様の姿を見て、くすくす笑っている。
「と、とりあえず行こうか。たしか、墓地の北側のほうでそれらしいものを見たって話を前に聞いたことがある」
八木の言葉にとりあえず二人はうなずくと、恐る恐ると言った風に墓地の中へと歩みを進めていくことになった。
と、
「きゃっ」
と言う小さな声。
「へんな声出さないでよ!」
「そっちこそ!」
少女二人が言い合っている。ということは、甲高い、驚いたような声を出したのは、それじゃあ……?
「きゃあっ」
「で、でたっ」
香奈と菜月は思わず頭を覆ってしまうが、ひとり八木だけはくすくす笑っているだけ。
「出た、なんていうものじゃないよ。ほら、どうやら迷子のようだ」
そういって懐中電灯で示した先にいたのは、まだ小さな、浴衣姿でいがぐり頭の男の子だった。幽霊の正体見たり影尾花、少女二人はひとつ息をついて少年に近づく。
「おねえちゃんたち、だあれ? どうしてこわいかおしてるの?」
少年のボーイソプラノが、しじまに響く。
「どうしてもこうしてもないわよ!」
「わたしたち、すっごく怖かったんだから!」
菜月の声は怒りに満ち溢れていたし、香奈の声は今にも泣きそうだ。まだ小学校にも通っていないくらいの幼い少年は、泣き出しそうな顔で少女二人をかわるがわる見つめた。
「えっと……おねえちゃんたち、は?」
「ん? 私たちはね、そうねー……子どもの味方、かな?」
ようやく怒りも収まったのか、菜月がそういってにかっと笑う。元気はつらつな彼女は子どもに妙になつかれやすいのだ。
「どうしたの? 道に迷ったの?」
夜更けの墓地で迷子と言うのも奇妙な話ではあるが、もしかしたら何か理由があるのかもしれない。香奈はそっと少年を抱きかかえると優しくたずねた。こちらも優しい性格が子どもに好まれるのか、よくなつかれる。
「うんとね、うんとね、お兄ちゃんをむかえにきたんだけど……ぼく、ここに来るの、はじめてで」
「お兄ちゃん?」
小さな子どもをほうっておいて無責任な。菜月の中でそんな思いがこみ上げてきたけれど、口に出すのは控えた。子どもとはいえ、自分の兄をけなされたら気分がいいわけないだろうという理由からだ。
「えっと、お兄ちゃんは、目の下のこの辺にほくろがあって……」
少年はつたないながらも説明を始める。少女たちはそれを聞いていたが、ふっとその条件に当てはまる人物を思い出した。二人ほぼ同時に。
「……もしかして……八木さん、の、こと?」
青年は微笑みを絶やすことなく二人を見つめている。月の光の下、細い目をさらに細めて。
「……八木さん……」
「なんで、なんでっ?」
二人はお互いにうまい言葉を見出せないまま青年を見つめる。
「……六郎」
青年は今まで聞いたことのない、不思議な声音で少年に声をかけた。六郎と呼ばれた少年はそこでやっと青年の存在に気づいたのか、ぱぁっと顔を明るくさせる。
「一にぃ!」
八木青年はそっと名前を呼んだだけなのに、少年は涙でべしょべしょになっていた顔をぐいぐい袖でぬぐって、青年のもとに駆け寄ろうとする。
そしてその後姿に垣間見える、ふさふさした尻尾――それは紛れもなく狐のものだ。二人の少女は絶句して、それをついまじまじと見つめる。
「……ああ、この子は末の弟でしてね。まだ変化の術が完璧じゃないんですよ」
青年はそういって、足元にすがり付いてきた弟をそっとなでてやる。ぽん、っとかわいらしい音がして、そこにいた少年は消えうせて子狐が一匹ひょこんと現れた。さすがにこうなってくるともう驚きを通り越してしまう。
「じゃあ……八木さんも、狐?」
菜月が恐る恐る尋ねる。八木は小さくうなずいて、そして浴衣の袂から狐の面を取り出した。それをゆっくりかぶると、こう言った。
「ぼくたちは、幽霊を探しにきたんだ」
「……え……?」
呆然とその言葉を聞く少女たち。幽霊を探しに行くきっかけは、そういえば確かに彼であったかもしれない。
「で、でも、幽霊なんて」
「……いるんだよ、ぼくの目の前に」
その瞬間。
少女二人はめまぐるしい記憶の波に翻弄された。
きもだめしをしようと話をしていたこと。
雨の降りしきる中、三番橋の袂で待ち合わせをしていたこと。
そして――鉄砲水に巻き込まれたこと。
かたかたかたかた。
少女二人は心の奥から湧き上がってくる恐怖に立っていられなくなるくらいに震えていた。歯の根がうまくかみ合わない。
そうだ、私たちはあの時――死んだ。
「八十年近く彷徨い続けていたんだ、君たちはね」
それもきっと、この六道町の不思議な磁場のようなもののせいなのだろうけれど。
「君たちの両親も、兄弟も、今はもうない。……だから迎えにきたんだよ、そんな憐れな浮遊霊たちを」
狐面の向こうの八木の表情はうかがい知ることは出来ない。けれど、自分たちの事を思いやってくれていると言うことはなんとなくわかる。
「……わたしたち、天国に、行くんですか?」
香奈が訪ねる。動いた瞬間、わずかにざざっとノイズが流れた。きっと「死」を受け入れたからだろう。しかし狐面は首を横にふった。
「あまりに長い間この場に居ついてしまっていたから……それは難しいかな」
「じゃあ、どこに?」
悲痛な声で菜月が尋ねる。すると六郎と言う名であるらしい子狐が、ピシッと前足である方向をさした。
そこにあるのは古びた鳥居。色もあせているが、鳥居であることだけはわかる。
「あの鳥居のむこうに、お姉ちゃんたちの居場所があるよ」
「子どものための隠れ里……この世界から拒絶された子どもたちの居場所だけれど……」
青年がそう言って微笑む。
「大丈夫。きみたちならね」
その言葉とほぼ同時にちかっと何かが鳥居の奥で瞬いた。少女たちは動くたびにノイズを走らせながら、その光へ向かってゆっくりと進みだす。
そして光が一瞬大きく広がって――少女たちは消えた。
「時間軸のずれも少しあったみたいだね」
狐面をはずした八木青年はわずかに微笑んだ。
二人の少女は今頃、永遠に沈むことのない夕陽の世界に受け入れられ、そしてその世界に順応していることだろう。
真っ白な光に駆け込む少女たちの表情は――とても晴れやかだった、から。
10年位前に書いた作品の、リメイクになります。
感想などいただけると、嬉しいです。
(12年11月22日追記)
なろうコンピックアップありがとうございます。