8匹目 回想 - 背負われた罪-
同日
神奈川県内・某所───
「たしかここら辺のはずなんだけどな……」
俺は一戸建てが連なる閑静な住宅街を右往左往している、ある表札を探して。
「………あった」
俺は小さい溜息をつきながらその表札の字を指でなぞった。
………小口。
12日前に豹変した戦友の顔が鮮明に脳裏に焼き付いている。
俺は首を数回横に降ることでその記憶をしまい込み、小口家のインターホンを押した。
(ピーンポーン)
返事はすぐにきた。
「どちら様でしょう?」
高く透き通る声。7年前と何も変わっていない。
「神奈川県警の河浦と申します」
最後に会ったのはだいぶ前だ。もう俺のことは覚えてないだろうと思い、他人として挨拶した。
「河浦……さん? …………河浦竜一さん!?」
彼女の記憶はすぐによみがえったようだ。
「お久しぶりです、梢さん」
「す、すぐに行きます!」
彼女は本当にすぐに出てきた。喜びと不安が入り混じった顔をして。
私は小さなお辞儀をして、促されるまま家の中に入った。
「あなたが来たってことは、あの人に何かあったんですね……」
彼女は2つの湯呑みにお茶を注ぎ1つを私に差出した。
家の中はそれほど変わっていない。しいていうなら子供の物が増えたことぐらいだ。
聖夜はきっとまだ自分の子供の顔を見ていないんだろう。
「自分が聖夜と再会したのはつい最近です。日本には2年前に戻ってきたらしいんですが、誰にも連絡よこさないから……」
「やっぱり7年前の事件をまだ気にしてたのね……」
彼女は窓の外に目をやった。
太陽は空高く昇り、少し暑いくらいの陽射しが部屋を侵食する。
彼女の寂しげな横顔は全く変わっていない。そう、あの日から……。
7年前───
「今日も良い天気だなー」
助手席にはいつも通り聖夜がだらしなく座っている。たまには運転を変わる気にはならないものか。
「こんな日にも事件が起きるってーのが面倒くさい」
後ろに座っている男が口を開く。
彼は[伊東友喜]巡査。5人目の同期だ。
たまたま同じ交番に配属された俺達5人はすぐに打ち解けた。
上司は「交番に新人5人なんて何を考えて……」とよく小言を言ってたが、賑やかなのが好きな人だから内心では喜んでいたらしい。
この日は俺と聖夜と友喜がパトロールをしていた。井ノ部と井川は残って雑務。
「お、おい……」
驚いた様子の聖夜が呼び掛ける。
「どした?」
ちょうど信号に捕まったので聖夜が指差す方を見た。
指名手配犯でも見つけたならこのまま運転を続けてやってもいいと思った。
「あの人……めっちゃ可愛いんですけど!」
明日はこいつに運転をさせよう、何が何でも!
「梢ちゃんにバラすぞー」
友喜がすかさず釘を刺す。その顔が満面の笑みなのは腹黒だからだ。
「じ、冗談に決まってるだろ!」
そんな平和な時間を過ごしていた。警察なんてのは暇なのが一番いいことだ。
でもそうはいかないのがこの世界だ。
「た、助けてくれー!」
慌てた様子の男がパトカーに駆け寄ってきた。
「どうしましたか!?」
聖夜がすぐに対応する。
さっきまでの怠けっぷりは欠片もない。この切り替えの早さだけは尊敬する。
「そこの銀行に強盗が!」
男が指差す建物は異様な雰囲気に包まれている。その一帯だけ人も寄り付いていない。
「竜一、応援を呼べ! 友喜、行くぞ!」
2人はすぐに走って行ってしまった。
この時なぜたった2人で行かせてしまったのか、俺はずっと後悔することになる。
「さーて、中の様子は……?」
俺はガラス越しに中を伺った。
犯人らしき人物が2人、銃を持っている。客は10人弱。カウンターの女性がバックに札束を入れている。
「どうする、聖夜?」
友喜が俺の顔を見てくる。
応援を待っていたら奴らは逃げてしまう。拳銃を持った人間を街に放ってしまうのは危険だ。
「俺達で何とかするしかないだろ」
俺は腰の銃を抜いた。もちろん発泡許可は下りていない。だが学生時代から反省文を書いている俺は始末書には慣れている。
友喜は不安そうな顔のまま俺の後に続いた。
「俺は左の男をやる、友喜は右の奴を頼む」
「……な、なあ、やっぱり応援を待ったほうがいいんじゃないか?」
友喜が俺の肩に手をかける。
「何言ってんだ、大丈夫だよ。一発ぶん殴って銃を奪えば終わりだろ」
「そ、そうだけど……」
「ビビってんなって。ほら、行くぞ……」
俺は心の底では分かっていた。友喜の言うように応援を待ったほうがいい。
でもこの時の俺はその若さゆえに何でもできると思い込んでいた。
銀行内───
「さっさと金を詰めろ!!」
強盗犯の男は銃を向けている。受付の女性は従うしかなかった。
(ガーーー)
入口の自動ドアが開いた。
「誰だ!?」
もう1人の男が銃を構えて振り返る。しかしそこには誰もいなかった。
「そ、そのドアは誤作動が多いんです、すみません!」
銀行の係の男がとっさに言った。その男はドアが開く直前に警官の影を確認していた。
「ちっ……ちゃんと直しとけ!」
2人の強盗犯は金を詰める女性に向き直した。
(どすっ)
(ぼふっ)
(ゴッ)
「ぐはっ!?」
俺達は男が向き直した瞬間、静かに、でも素早く中に侵入し犯人を取り押さえた。
(がちゃっ)
「ふーー」
俺は手錠をかけて溜息をした。これでもけっこう緊張していたんだ。
「やったな、友喜……」
(パァン!)
俺の目の前で友喜は仰向けに倒れた。
犯人には手錠がされている。じゃあ誰が?
「そっちの警官も動くなよ」
犯人はもう1人いた。人質の振りをして紛れていたのだ。
「友喜、しっかりしろ!」
だが反応はなかった。
俺は両手を挙げながらゆっくり立ち上がった。
「計画が台無しだぜ」
男はこっちに近付いてきた。殺される、そう覚悟した時……。
(パァァン!)
再び銃声が響いた。
人質となった人達はその音に再度身を縮める。
(どさっ)
力なく床に伏したのは……俺じゃなく犯人だった。
「いったい誰が……!」
引き金を引いたのは友喜だった。
最後の力を振り絞って放たれた銃弾は犯人の心臓を貫いた。
「友喜!」
俺は目に涙を浮かべながら駆け寄った。
銃を構えていた友喜の腕は重力に負けて床に落ちた。
「ひゅー……ひゅー……」
上手く呼吸ができていない。胸に目をやると肺のあたりが紅く染まっている。
「聖夜、友喜!」
銃声を聞いた竜一が息を切らして入ってきた。
「竜一、救急車を!」
「わ、分かった!」
一目で状況を理解した竜一は素早く携帯を取り出した。
………。
「7年前、自分が聖夜を見たのはあの日が最後でした。2人の死者を出した事件の責任を全て1人で背負い、あいつは……」
「それで、あの人は今どこに?」
「……先月から児童を襲う事件が多発しているのはご存知ですよね?」
「え、えぇ」
彼女は小さく頷いた。
「自分達もこの事件の捜査に加わっていたのですが……井ノ部と井川が既に命を落とし、聖夜は謎のウイルスに感染したと見られていて、犯人と同じ症状に……」
「同じ症状とは?」
「……外見が熊のようになり、男を襲い出します」
「そんな……」
「今は麻酔で落ち着かせていますが、治療法が見付かっていません……」
………。
しばらく沈黙が続いた。
「河浦さん、伝えに来てくれてありがとうございました」
彼女は涙を堪えて言った。目が少し赤くなっている。
「もし……もしそんな状態の聖夜にでも会いたいと言ってくれるなら、7日にここに」
俺は病院の地図が書かれた紙を渡した。
「上には了承を得ています。無理して来て頂かなくても構いませんので」
俺は立ち上がり一礼して家を後にした。
帰り道、考えた。本当は黙っていたほうが良かったんじゃないか。
7年も会っていなかった夫にやっと会えると思ったら、その人は犯人のように狂い、拘束されている。
「くそっ!!」
やり場のない怒りにかられ、俺は塀を殴った。