6匹目 行進 - 深まる闇-
6月30日
警視庁4階・会議室───
「これより第2回全国児童襲撃事件対策本部会議を始めます」
病院での事件から1週間後、私は再び会議を開いた。
今はもう、私の横に四名本はいない。
「どうやら被害者は児童だけじゃ済まなくなってきましたね」
林田が低い声で言う。
「四名本警視のことは残念に思います」
高羽が私の方を向きながら言った。
「だが四名本君だけではない。鹿児島でも同じように刑事が襲われた」
山埼が言う。
「京都もです」
続けて林田。
「山形も」
さらに高羽も。
「どうやら熊の性質が変わってきたようですね」
西川がまとめる。
「まだ感染方法は不明ですが、熊に襲われた人が新たに熊になる可能性が出てきました」
私は四名本と井ノ部の顔を思い出した。
「1週間前の病院での事件で熊によって負傷した小口巡査長ですが、2日後に発症し熊になりました。今は麻酔で眠らせていますが、それも時間の問題ですね」
西川の言葉に私は顔を曇らせた。
彼女は続けて言った。
「今のところ熊になった人を治す手段はありません」
「どうするんですか、指揮監?」
不安そうな顔の高羽が問いただす。
「熊の捕獲。ただし治す方法が分かっていない今、刑事の命を優先するしかない」
「射殺も仕方ない、と?」
険しい顔つきの林田。
「これ以上熊を増やすわけにはいきません」
苦渋の選択だった。反対することは簡単だが、それよりもいい案を出せる者はいなかった。
「それと山埼警視長……」
私は彼の方を向いた。
「何かね?」
「四名本が襲われた日を最後に、Rily教授が消息を絶ちました」
「……分かった、私も行方を捜そう」
「今回の事件の重要参考人として、お願いします」
私は鋭い目付きで彼を見た。
同日・会議前
警視庁5階・対策本部会議前・大講堂───
「事件同日、四名本警視が女性とイタリアンレストランで食事していたのを目撃した人がいました。さらに、犯行現場の公園でも同じ女性とベンチに座っているとこを目撃されています」
所轄の青柴はいつも汚い緑色のコートを着ている。
「その女性の身元は?」
私は彼に尋ねた。その女が四名本を熊にした張本人かもしれない。
「それがですねその女性……あのー、鹿児島県警の山埼警視長が連れて来たっていう、教授さんなんですよ」
横に座っていた和木が立ち上がって言った。
騒めきが静まらない。
「静かに! ……それで、彼女の行方は?」
私は場を静め、続けた。
「四名本警視が襲われた日を最後に行方不明です」
青柴はそう言うと静かに椅子に戻った。
「遺伝子学教授のRily Reaganを今回の事件の重要参考人とする! 全力で行方を追え!!」
私は興奮を抑えきれず、立ち上がって怒鳴った。
7月1日───
1年の半分が終わった。
だからといって何かあるわけじゃない。時間は常に進む。止まることも戻ることも決して起こりえない。
だから"今"なんて瞬間は本当は存在しないんじゃないかと思う。「今」と言った"時"はもう過去になる。でも"今"があるから"今"のボクはここにある。
"今"を見ることも、聞くことも、言うこともできないけど、それでも"今"は確かに存在した。
ボクが、ボクたちがここにいることが、それを証明する。
………。
………!
何かが聞こえる…?
………!!
私を呼ぶのは誰だ!?
「田沼警視正!!」
「………っ!?」
いつの間にか眠っていたようだ。椅子に腰かけたまま背もたれに身体を預け夢の世界にいた。
何か悲しい夢を見ていた気がする。何だ? 何を見ていた? ……思い出せない。
「大丈夫ですか、警視正?」
目の前の男が心配そうに顔を覗きこんでくる。
見たことない顔。いや、どこかで見たのか……、今は何も思い出せない。
「あぁ、大丈夫だ……。君は誰かね?」
私は何度か瞬きをして視界を鮮明にさせた。
「鹿児島県警から来ました[大杉周作]警視です。殉職なされた四名本警視の代わりに警視正の手伝いをするように山埼警視長から言われたのですが……」
大杉と名乗った男は少し不安気になっている。鹿児島から来たわりになまりが皆無だ。
「山埼警視長から……」
私は思考停止の脳を必死に働かせて記憶を辿る。
「……そうか、君か」
思い出した。昨日の会議の終わりにそんな話をした。まさかこんなに早く来るとは思わなかったが。
「はい、よろしくお願いします!」
大杉は敬礼と共に返事をした。
仕事中は辛気臭い四名本とは違うタイプのようだが、なかなか感じのいい男だ。
同日───
太陽は地平線に沈み、空には朧月。月光の届かない山奥に私はいる。
ツタが絡みつきひび割れが目立つ廃墟のような2階建てビル。作戦の第3段階に移るためにこの隠れ家に来た。
第1段階は日本の警察本庁に潜入すること。これは簡単だった。
第2段階は今回の事件の対策本部指揮監の補佐役の暗殺。
日本の警察のデータはよく分かっている。階級はそれほど高くないが頭の切れた男がいる。数々の難事件を解決したとき、常に補佐官として裏で動き回っていた男。それが四名本武弘警視だった。案外簡単に殺れたが、変わりに私は警察に追われる身になってしまった。
そしてこれから行う第3段階……。
「Dr.Yamazaki」
私はビルに足を踏み入れた。
灯りは月だけだ。そもそも蛍光灯は全て割れている。
「待っていたよ、Rily。作戦は上手く進んでいるようだな」
暗がりの奥から20代後半くらいの声が聞こえてくる。
「でなければ私はここにいませんよ」
私は目が慣れるまで大人しくすることにした。
「はっはっは、それもそうだ。だが重要なのはこれからだぞ」
男の声に緊張感はそれほどない。
「分かっています。それで次は何を?」
「ふふ……熊達に警視庁でも潰してもらおうか」
笑い混じりの言葉は冗談なのか、それとも……。