3匹目 遭遇 - 崩れゆく日々-
6月21日15時
神奈川県警───
昨日、西川から会議のことやパトロールの話をされた。そんなわけで仕事が早めに終わった俺は煙草を吹かして待っているというわけだ。
犯行が起きてるのは17時かららしいが、余裕を持って16時からやれと言われた。あと1時間だが、果たしてアイツは来るのだろうか……。
「……おーい」
遠くから声がした。俺は正面に目を凝らす。
「やっと来たか!」
俺は3本目の煙草を携帯灰皿で処理して男が駆けてくるのを待った。
「久しぶりだな、河浦!」
彼は河浦竜一階級は俺と同じ巡査長だ。
「それはこっちのセリフだ! いつの間に帰ってきてたんだ?」
河浦はすぐに息を整えた。相変わらず体力だけはあるみたいだ。
「2年くらい前かな。神奈川には3ヶ月前からだ」
「……家族とは会ったのか?」
河浦は神妙な面持ちで一番聞いてほしくないことを口にした。
「いや……。それより今日の帰りに一杯どうだ!?」
俺はムリに明るく振る舞う。そんな気持ちを察したのか、河浦はそれ以上このことについては聞いてこなかった。
「お2人さん、そろそろ時間だよ」
後ろから声がしたので振り返ると、いたのは井ノ部博貴と井川拳次の通称[井井コンビ](良いコンビ)だ。
偶然にも同期にして同じ階級の4人が揃った。
「久々だな、小口!」
井川は俺の肩を2度叩いてパトカーに向かった。
井ノ部も笑顔でそれに続く。
「俺達も行こうぜ、聖夜!」
河浦は俺の腕を引っ張って駐車場に連れていった。
17時半───
陽が沈みかけているからか、空が紫色だ。こんな気味の悪い日には何かが起こる気がしてならない。そして悪い予感はよく当たるものだ……。
「……っつってもパトロールで犯人に出くわすなんて普通ねーよなー」
俺はクーラーの威力を調節しながら言葉を宙に投げた。
「警官がそんなこと言うなって。何もやらないよりかはマシだろ」
河浦は低速で車を走らせる。だがハンドルを右に切った時……。
「ガガ…、こちら井………至急…8-26地点………求む!!」
突如無線が喋り出した。無線の向こうでは銃声と獣の叫び声が聞こえる。
「今の声は……井川!!」
俺の眠気は一気に覚めた。
「聖夜! 8-26!!」
河浦はギアを入れ替えた。
「任せろ!!」
俺はカーナビのリモコンを握った。
10分前───
「話によると犯人ってのは熊みたいな男らしいぞ」
井ノ部は安全運転を心掛ける。チキンだからな。
「でもそれ鹿児島の犯人だろ? ってかそんな奴がいたら一目で分かるよな」
井川は爪を弄りながら言葉のキャッチボールを楽しんだ。
「ちょうどあんな感じじゃないか?」
井ノ部は前方の男を左手で指差した。
190㎝の筋肉質な体格に前屈みになった上半身、血管が浮き上がった坊主頭からは湯気が昇る。
「……えっ!?」
井川は目が点になった。まさしく熊そのものにしか見えなかったからだ。
「グゥゥゥ……!!」
前方の熊は確かな足取りでパトカーに向かってきている。
井ノ部はブレーキを踏切り、腰の拳銃を取り出した。
「おい、発砲許可はまだ…!」
「動くな!!」
俺の忠告を無視し、井ノ部はドアを開けそこに体を隠しつつ銃口を熊に向けていた。
「俺達の命を優先する!! お前は早く応援を……!!」
突如熊は咆哮をあげ、両腕を掲げてこっちに走ってきた。
「くそがぁ!!」
井ノ部は無許可のまま発砲した。
熊は見た目とは裏腹にキレのある動きで銃弾をかわした。
「こちら井井コンビ! 至急8-26地点に応援を求む!!」
井川の声はパトカー全車と西川のもとに走った。
(ドグシャッ!!)
熊の振り下ろした右腕が車のバンパーを破壊した。これで足は断たれた。
俺達は車を挟んで熊と対峙している。
「くそっ、化け物め!!」
井ノ部は銃弾を詰め替えている。
俺はリボルバーに目をやる。弾はまだ4発残っていた。
「グアァァオオォォーーー!!」
熊はさらに大きな雄叫びを上げる。
俺達は耳を塞ぐしかなかった。早く、早く応援よ……!
(ファンファンファン)
パトカーのサイレンが聞こえてきた。だがまだ遠くだ。
「なんとか耐えるぞ……!?」
井ノ部が銃口を再び熊に向けると、熊はパトカーを乗り越えて襲ってきた。
「なっ……ぐぁぁぁーーー!!」
刹那、俺の目の前で井ノ部の左腕が宙を舞った。
悲鳴をあげてその場に崩れる井ノ部。
俺は熊に向かって引き金を引き続けた。4発の内、1発が熊の左腕の二の腕を貫いた。
「グゥゥゥ……!!」
熊は傷口を押さえながら俺達から距離を取った。
サイレンの音はだいぶ近付いてきている。
「井ノ部!? 大丈夫か井ノ部!?」
俺は自分の銃を捨て、井ノ部の銃を拾い銃口を熊に向けた。
地面には井ノ部の血が広がっていく。
(キキーーー!)
「井川!! 井ノ部……!?」
俺達の後ろから1台のパトカーが現れ、中から小口が出てきた。
井ノ部の様子を見て動揺を隠せなかった。
「河浦、救急車を!!」
井川はまだ車内にいた河浦に声を飛ばした。
「尾行どころじゃない! 殺す気で行くぞ!!」
小口は馴れた手つきで拳銃を構えた。
2人から銃口を向けられた熊はこっちを向いたまま後退っていく。
(ドカァァーーーン!!)
その時、西に2㎞のとこにある工場が爆発した。
俺達がそっちに気を取られた瞬間、熊は夕闇に消えた。逃げられてしまった。
「しっかりしろ井ノ部!!」
救急車に運び込まれる彼に向かって俺と小口は何度も声を掛けた。
「聖夜、井川」
救急車を見送る俺達に河浦が話し掛けた。
「熊の血液を採取した。身元が分かるはずだ」
河浦は血が染み付いたガーゼをひらつかせて見せた。
「何でお前はそんなに冷静でいられんだよ!?」
俺は河浦の胸ぐらを掴んだ。
小口が咄嗟に止めに入る。
「……言いたいことはそれだけか?」
河浦は俺の手を払い除けて言う。
「なにっ!?」
俺は拳を強く握った。
「井ノ部が望んでることは同情してもらうことか!? 違うだろ! 熊を討ち取ること、それが……それだけが俺達刑事にできることだろうが!!」
河浦の言葉に俺も小口も言い返すことができなかった。
俺達3人は1台のパトカーに乗り込み無言で帰路についた。
どうやら当分の間、飲みには行けないようだ。