10匹目 来航 - 訪れた不穏-
今日は七夕だ。この晴模様ならば今年は彦星と織姫は会えそうだ。
だからといって我々警察には何も関係がない。その夫婦が出会えようが出会えまいが、日記を読んで昔の記憶を思い出しても、そんなことは関係ないんだ。
天の川の遥か下のこの世界には一生消えない傷を抱えた人がたくさんいる。
我々が犯人を捕まえることでその痛みは和らぐかもしれない。それでも、一生消えないだろう。大切な人、掛け替えのない人、愛する人と二度と会えない気持ちはその人にしか分からない。
1年に1度だろうが会うことの許された彼らは、少なくともそんな傷を持った人達よりかは幸せなのだろう……。
7月7日8時
警視庁・会議室───
「願い事の1つでも書いてみませんか?」
私の目の前には西川がいた。彼女の優しい微笑みは貴重だ。
「そんなもので事件が解決するならいくらでも書きたいですよ、ははっ」
そう言いながらも私は彼女が机に置いた短冊に手を伸ばした。
騒つく会議室。地図を広げる者。資料をまとめたり、読み返す者。
各々が思いつく限りの仕事をしている中、私は部屋の一番奥の椅子にいる。
「そういえばなぜ西川警視長がここに?」
私は転がっていたマジックを広い上げ、蓋を開けたが悩んだ。
「いや、少し嫌な予感がしてならい……」
予感。それは何か起こる事を前もって感じること。嬉しい予感というものは大概外れるものだが、悪い予感というものはよく当たる。なぜなんだろう?
(ダダダダダ!)
廊下から駆け足が1つ。
このうるさい会議室にいるのに聞こえるなんて、どれだけの慌て者だ?
「て、テレビをつけて下さい!!」
慌て者は一息に叫んだ。
その様子をいち早く察した1人がリモコンを押し、適当にチャンネルを回しニュース番組を探し当てた。
「……えー、繰り返しお伝えします! 本日7時40分頃、東京湾に謎の大型船が侵入し、たった今港に停泊したとのことです!」
どうやら予感が現実になりそうだ。
私と西川は顔を見合せ、頷き、テレビの前に移動した。
「……えー、船の情報が分かりました!船名は[pupil ball号]! イタリアから世界一周のクルーズ中、一昨日から進路を変更し行方が分からなくなっていたそうです!」
日本に寄るなんて聞いてませんよね? という顔で私は彼女を見た。彼女は無言で頷いた。
キャスターは興奮した様子でさらに続ける。
「中継が繋がったようです! 現場の稲田リポーター!」
テレビの映像が切り変わる。場所は綺麗な一室を出て騒々しい外に変わった。
空も海も静かに、果てしなく続く青に染まっている。
「現場の稲田です! たった今到着したんですが辺りは野次馬でごった返しています! 船の中から人が出てくる気配はまだありませんねー」
映像が横に流れ船を映し出す。巨大な体を全てレンズに捕えることはできなかったが、船体に刻まれた船の名前は確認することができた。
「まさかあの中に熊がいたりしませんよねー」
1人が冗談のつもりで言った。もちろん本気にする者は誰もいない。私もその1人だ。
しかし彼女だけは曇ったままの顔をしている。
(ピリリリリ!)
私の携帯が鳴った。急いでポケットから取り出すと画面には"林田警視正"と書いてある。
「はい、田沼です」
「林田です。急で悪いのですが、今そっちに車で向かっているんです」
「なぜ?」
「嫌な胸騒ぎがしてならないんですよ」
「同じ理由で私の横に西川警視長がいますよ」
"私はうまく笑えずに言う。
「そうですか、西川警視長も……。あ、そういえばニュース見てますか?」
電話越しにカーナビの音が聞こえる。
「ちょうど見てるところです」
私はテレビに目を向ける。
今のところ発展はないようだ。
「そっちが気になるので一度寄ってみます」
そう言って電話は切られてしまった。
「あっ、ちょっと……!」
私はこの時になって嫌な予感をしてしまった。
「何人か東京湾に向かってくれ、大至急だ! 林田警視正もいる!」
私はテレビに釘付けになっていた部下に叫んだ。
「私達の悪い予感はどうやらアレが原因のようですね」
しかし彼女は無言のまま鋭い目つきで画面の船を睨んでいる。
我々も行くべきなのか、そう言おうか私は悩んでいた……。
東京湾───
(キキーーー!)
2台のパトカーと1台の黒塗り高級車が停まった。
高級車から下りた私にパトカーから下りた男達が群がった。
「警視庁の者です」
男達は律儀に敬礼した。
「まだ変わった様子はないようだな」
私は目を細めて船を眺めた。
が、その時だった。乗船口の扉が蹴破られて降ってきた。
「と、扉が中から蹴破られました! ですが、梯子が掛けられていないので下りてくることはできないはずです!」
近くでテレビリポーターが興奮しながら喋っている。
「お前ら、野次馬を離れさせろ! 嫌な胸騒ぎがしてならない……!」
私はいっそう厳しい顔になり指示を出した。
ゆっくりと船の方へ歩く。野次馬は遠ざかり、警視庁の刑事2人といる。船との距離は10m。
「ど、どうやって下りてくるんですかね? 乗船口は5mの高さはありますよ」
私もそれには疑問だった。まさか熊が? いや、そんなはずはな。もし熊達が乗っているとしたら大変なことに……。
何かが乗船口から出てきた。頭上高くに跳んだそれは太陽の輝きによって黒い影にしか見れない。
「ぐぼぁっ!?」
瞬きをした瞬間、影はそこから消え隣から叫び声がした。
身長190㎝を軽く超える毛深い筋肉質の男の振り下ろされた右腕によって刑事が1人、血を吐いて倒れた。そう、熊だ!
「まさか本当にっ!?」
(パァン!)
私は素早く銃を抜き熊の左足を撃ち抜いた。
「キャァァーーー!?」
叫び声とともに野次馬は一目散に逃げ出そうとする。辺りはパニックになった。
「グォォーーー!!」
船からは続々と熊が下りてくる。
「誰か本庁に連絡しろ! そんでこいつらを絶対に町に行かせるな!! 発砲を許可する、全責任は私が持つ!!」
警視庁───
(ピリリリリ!)
再び携帯が鳴りだす。胸騒ぎはどんどん大きくなっていく。
「はい、田沼です」
私は電話に出た。
「あ、ども、高羽です!」
少し緊張気味の高羽だが、こちらも恐らく車の中からだろう。特有の雑音が聞こえてくる。
「うまく説明できないんですけど……なんか、いても立ってもいられなくなりまして、車でそっちに向かってるんです!」
どいつもこいつも刑事の勘がよく働く。
私は苦笑いしながら西川に頷いてみせた。
「私の横に西川警視長がいて、東京湾には林田警視正が向かっています。皆同じ理由でね」
「東京湾……例の船ですね。私もそっちに向かった方がいいですか?」
「いや、あっちは林田警視正に……」
任せて大丈夫、と言おうとした時、騒めきが起きた。
テレビ画面に目をやると船の乗船口の扉が宙を舞っていた。
「行ってください! すぐ、東京湾に!!」
私は携帯に叫んだ。
「は……ぁ、はいっ!」
高羽は少し驚きながらも、しかし何かを感じ取ってくれたようだ。
私は通話を切り、彼女の方を向いて言った。
「私達も、行くべきですね」
「………」
彼女は相変わらず厳しい顔つきのまま何かを考えている。
「応援は出しましょう。でも私達はまだここに」
意外な返事だった。彼女なら真っ先に向かうと思っていたが、彼女の予感は他の場所からなのだろうか?
私は部下をさらに数人、東京湾に向わせた。
その時、画面には林田と警視庁の部下達、そして………熊が映っていた。
東京湾
林田警視正
高速道路・東京湾行
高羽警視
警視庁
田沼警視正
西川警視長