転生猫又令嬢の婚約事情
「ミュリカ・ラキエル伯爵令嬢! 君との婚約を破棄する!」
学園の卒業パーティーの場で、まだ学園長の挨拶も始まっていないというのに、第五王子のニコル殿下が高らかに宣言しました。側には私の義姉であるシンシア・ラキエル伯爵令嬢がピッタリと寄り添っています。
一体どう言う事でしょうか?
「君は、義姉であるシンシアに嫉妬して実家でずっと嫌がらせを繰り返していたそうじゃないか。そんな心根の醜い人だとは思わなかったよ。
僕は君と婚約破棄してシンシアと結婚する!」
「ニコルさまぁ、ワタシ、ずっと怖かったですぅ。キャアッ、今睨まれちゃいましたぁ!」
「ミュリカ! 止めないか! シンシアが怯えているじゃないか!」
ザッと、ニコル殿下の側近の二人が私の前に立ちはだかりました。ルドガー・ニシウス子爵令息と、ビガー・ヨディバ子爵令息です。眉間に皺を寄せて私の事を睨んでいます。
「意味が分かりません。実家で嫌がらせを繰り返すも何も、私はずっと学園の寮に居ることはご存じじゃないですか……」
「……」
「……」
おや? ニシウス子爵令息とヨディバ子爵令息の様子がちょっとおかしいですね。
私が言った言葉が聞こえる距離にいるのに、まるで聞こえていないようです。
これではまるで、妖にでも化かされているような……。
アヤカシ? 妖?
突然、目の前にチカチカと色々な記憶が走馬灯のように巡り始めました。
思い出しました!
私、前世、猫又でした!
大事な事なので、二度と言います? 猫又でした!
「ミュリカ、悪く思わないでくれ。僕はシンシアと二人でラキエル伯爵家を盛り立てていくよ」
「……は?」
今、何と言いましたか?
義姉のシンシアがニヤニヤ笑っています。
「ウフフ……、ラキエル伯爵家はぁ、ワタシがニコル殿下と一緒に継ぐわ。お義父様もそれが良いって言ってたしぃ」
お父様がですか。そうですか。一応ですが、お父様に直接確認しないと行けませんね。
「そうそう。お嫁の行き先がないと困るでしょう? ワタシが探しておいてあげたわヨォ。じゃーん!」
義姉のシンシアは寄せて上げているお胸の谷間から、折り畳んだ紙を取り出しました。ニコル殿下がまるで授賞式の司会のように微笑みながら、紙片を受け取り、パラリ、と広げました。
紙片に目を落とした瞬間、口の端を上げたのを見逃しませんよ。
「ミュリカの新しい婚約者は……、クライド・ケトー伯爵。噂の猫耳伯爵だ!」
面白おかしい口調でニコル殿下が言うのに釣られたのか周囲に笑い声が広がります。
サワッ
ドレスの下で、見えない尻尾が揺れた気がしました。
ドレスの下で、二つに割れた尻尾が逆立っている気がしてなりません。「猫耳伯爵」にはむしろ会ってみたい気がしますが、このままにする訳には行きません。
殿下の側近の二人が私の腕を両側から掴んで来ました。
ビタンビタン!
私はインビジブル尻尾を振り回して、二人の側近の背中を尻尾で叩きました。
「……え?」
「あ……」
側近二人が正気に戻ったような表情になりました。私の腕を掴んでいた手を離し、何があったか理解出来ないみたいに自分の手を見つめています。
「ルドガー、ビガー、何をしている? 早く連れて行け!」
ニコル殿下が怒鳴ると、顔を見合わせた二人はクルリとニコル殿下の方を振り返った。
「あ、いや。僕の仕事じゃない気がして」
「え? 俺、何してたっけ?」
側近二人が正気に戻りました!
どうやら本当に何かに操られていたみたいです。
ニコル殿下はどうなのでしょう。
グルグルグルグル
ブンブンブンブン!
私はインビジブル二又尻尾を振り回しました。
風がサーっと吹き、ニコル殿下の前髪を撫でるように通りすぎました。おや、ニコル殿下、生え際危なくなるタイプでしょうか。
ニコル殿下の生え際はともかく、シンシアの背後辺りから、蛇の魔物のようなものがすっ飛んで行くのが見えました。
ニコル殿下はキョトンとした顔をしています。
「え? あれ?」
「ミュリカ! 貴女! 何を!」
シンシアが鬼の形相で怒鳴っています。どうやら蛇の魔物は、シンシアの使い魔だったようです。
人の心を操る魔物は危険ですね。
気の毒かもしれないですが、封印させていただきます。
グルグルグルグル
ブンブンブンブン!
「……シャー……」
蛇の魔物が力なく鳴いて消えて行きました。安心してください。遠い南の島辺りに飛ばしただけです。結界も張っておいたので、シンシアが召喚しようとしても五十年位は結界は破れないでしょう。
蛇の魔物は精神感応力は強かったようですが、他の能力はなかったようなので、封印は簡単でした。
家に帰ってみると、お父様はボーッとしていて、義母がしきりにお父様の肩を揺らしていました?
おや、義母の首周りに大蛇が見えます。
グルグルグルグル
ブンブンブンブン!
ポーン!
大蛇も南の島に飛んで行きました。
義母がまた鬼の形相です。
「ミュリカ! お前一体何をした⁈」
グルグルグルグル
ブンブンブンブン!
ポーン!
とりあえず義母を部屋から追い出しました。
「お父様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ……、私はどうしたんだろうなあ……」
お父様は蛇の魔物の術にかかっていた影響で、まだ混乱しているようでした。混乱していたままの状態だったから義母の大蛇の術が効かなかったようなのは幸いでした。
「すまない! どうしてそうしたのか分からないが、猫耳伯爵との婚約の書類にサインをしてしまった!」
父が謝ってきました。婚約の申し込み書類にサインをした記憶はあるようですが、やはり操られてサインをしてしまったようです。
ああ、良かった。もう少しで父を訴えるところでした。
父は婿養子で、亡き母が伯爵でした。母の死後に父が伯爵家当主代理を務め、私の学園卒業と同時に、私がラキエル伯爵家当主となる事が決まっていました。
つまり、私を嫁に出して、シンシアが継ぐなどと言う事はお家乗っ取りになるのです。
術に操られていたとは言え、ニコル殿下も加担してしまいました。
ニコル殿下との婚約解消は既に正式に手続きされているようです。
まあ、術の影響もあるかもしれないですが、ニコル殿下はいつもシンシアと一緒にいて、まともに交流した事がほとんどありません。婚約して最初の数回お茶をした位でしょうか。
だから、特に未練はありません。
ニコル殿下は婿入り先が、なくなったわけですが、王家がなんとかするでしょう。
問題は、猫耳伯爵との婚約です。学園を卒業しましたので、既に私はラキエル伯爵家当主なのです。
当主同士の結婚は簡単ではありません。
そもそも、猫耳伯爵は、どうして会った事もない私との婚約に同意したのでしょう。
とにかく、話し合わないといけません。
一応、婚約申請書にサインをしたのは父なので父も一緒に猫耳伯爵に会いに行く事になりました。
シンシアと義母ですが、混乱から覚めた父が、「薬か魔法何かによって操られた」と訴えて、何処かに連れて行かれました。
証拠の蛇さん、いなくて大丈夫かしら。
馬車に揺られ、父と一緒にクライド・ケトー伯爵に会いに行きました。
王都にご滞在中だったのは幸いです。領地にいらしていたら、お会いするのが大変でした。
前日に訪問の打診をして、了承のお返事をいただきましたのに、門で鐘をならしてもどなたも出て来ません。
一体どういう事でしょうか?
耳をピクピクさせて、澄ませてみたら、何やら争うような声が聞こえてきました。
『ニャー!! 一体どうする気ニャー!』
『ミギャー!! 仕方なかったニャー! 王子殿下の命令だったニャー!』
『王子殿下が命令したら何でも聞くニャーか!』
『ニャニャニャ……』
女性と男性が争うような声が聞こえました。あともう一人、少しテンション低めの声も混じってました。それにしても、ニャーニャー聞こえるのは、何だか親しみが持てますね。
グルグルグルグル
ブンブンブンブン!
カランカランカランカラン
インビジブル尻尾を振り回し、風を起こして門の鐘の音を届けます。音を増幅して大音量にしました。これなら聞こえるんじゃないかしら。
バタバタバタバタ
ガチャ!
玄関の扉が開いて飛び出して来たのは、若い男性でした。この方が猫耳伯爵でしょうか?
その方は私達を見るなり目を潤ませました。くしゃっと表情を崩し、半泣きで門を開けます。
何があったんでしょう。
「あ……、あの……。ラキエル伯爵とご令嬢でしょうか?」
「はい。私…ミシュカ・ラキエルと申します。こちらは父のロイスです」
今は既に私がラキエル伯爵なのですが、話がややこしくなりそうでしたので、一旦肯定して、自己紹介をしました。
「よ、よ、ようこそ……。あの、僕は、ロジャー・ケトー。ケトー伯爵の弟です」
「まあ、そうでしたの……」
猫耳伯爵本人ではなかったようです。
でも弟様は猫耳ではないのかしら……。
『ニャー! どうするのよ!』
『どうしようニャー!』
屋敷の奥からはまだニャーニャー聞こえます。
ロジャー様はチラチラ屋敷の奥を振り返って気にしている様子です。
それから、くるりと向き直ってお辞儀をしました。あっ!頭を下げたら見えました! スコティッシュフォールドタイプの小さくて折れ曲がった猫耳です。可愛い!
「大変失礼な対応で、申し訳ありません……。あの……、ご案内致します……」
遠慮がちに促されて屋敷の中に案内されました。
玄関から入ると、廊下の奥をメイドらしき人がパタパタと通り過ぎて行くのが見えました。
使用人がいないのかと思ったら居るようです。
それなのに、ケトー伯爵の弟様自らが、迎えに出て来たのですね。
バタバタ
バタバタ……
掃除用具を持って走り抜けようとして
一旦立ち止まってお辞儀をするメイド。
「……立て込んでいて、申し訳ないです……」
ロジャー様が先頭に立って案内しながら謝って来ました。
「……何があったのかお聞きしても?」
「ええ……」
ロジャー様が申し訳なさそうに耳をキュッと曲げました。
「兄からご説明すべき話なのですが……、兄の元妻が来ていまして」
「ケトー伯爵の元奥様、ですか?」
あのニャーニャー良い争う声はケトー伯爵と元奥様という事ですね。
「はい……。大変申し上げにくいのですが……」
「もしかして、元奥様とヨリを戻されたのでしょうか?」
私が訊ねるとロジャー様は目を見開きました。そして、頷きます。
「そうなんです……。それなのに、婚約書類に署名してしまったらしくて……。本当に申し訳ありません」
ロジャー様が頭を下げると小さい猫耳が見えます。
どうやら、今日、私達がケトー伯爵に会いに来るという事をどこからか知った元奥様が、屋敷に乗り込んできてケトー伯爵と良い争いになったということのようです。
元奥様が興奮して腕を振ったら、元奥様を宥めようと近づいた執事の顎にクリーンヒット。
執事がうずくまってしまったので、ケトー伯爵の弟様であるロジャー様が、私達を出迎えに出たという流れのようです。
応接室に通され、暫く待っていたら腹回りが,ふっくらしていて、ピンッと尖った猫耳の男性が姿を現しました。私と目が合うと土下座せんばかりの勢いで謝り始めます。
「申し訳ない! 本当に申し訳ないニャ……。あ、申し訳ありません!」
ケトー伯爵の話では、一月程前、王城を訪れた時に第五王子殿下に呼び止められて、勢いで押されてしまったか、婚約書類にサインをしてしまったのだそうです。
しかし、その後すぐ、元奥様と偶然再会して、婚約書類にサインをしてしまった事をとても後悔したのだそう。
多分だけど、シンシアの蛇の魔獣の力が影響していたのかしらね。
私は実は伯爵家を継いだという事をお伝えしました。当主同士の婚姻は難しいということも。
だから婚約は解消でも白紙でも構わないし、お互い事情があるなら、慰謝料などのやり取りもなしにできないか、と話しました。
「良かった! お互い遺恨を残さず婚約が白紙になって!
お嬢さんが傷付いちゃったらどうしよう、と思ってました!」
パアアと笑うロジャー様。ピコピコと小さい耳が動いています。
私は言うべきか否か迷ったのですが、思い切って聞いてみる事にしました。
「あの、ロジャー様はご結婚かご婚約はされているのですが?」
「僕ですか? 独身だし、婚約もしていませんよ。僕は爵位を継ぐ訳ではないので……」
「……婿養子などはご検討されていますか?」
「婿養子ですか? めぼしい婿入り先はもう……」
ピコピコとロジャー様の猫耳が揺れます。
私のインビジブル尻尾も揺れます。
そろそろ尻尾の可視化をしようかしら。




