第三十一話〜タカシ2~
さらに数日が過ぎた。まだ、遥香とは連絡がついていない。
気がかりではあったが、じっとしているわけにもいかない。
私は、あの街と黒猫についての取材を続けた。今、私にできる事はこれだけだからだ。
そうして、今日の私は、あの街にあるマンションに来ていた。
このマンションでも、事件がおきていた。
20××年2月13日、このマンションに住む住人から異臭がすると通報があった。異臭の元と思われる部屋に向かったところ、部屋から佐藤藍子三十二歳が応対した。この時にすでに部屋の中からは、強烈な異臭がしていたという。警察の立ち会いのもと、部屋の中を捜索したところ、クローゼットの中から、衣装ケースに入れられた死体を発見した。死体は、生後五ヶ月の佐藤タカシくんのものだった。腐乱具合から、死後相当の時間がたっていると思われた。佐藤藍子は、その場で死体遺棄容疑で逮捕され、同じく夫の佐藤良樹三十八歳も逮捕された。
事情聴取によると、妻の藍子が育児のストレスからノイローゼになり、タカシくんを殺害。しかし、藍子はタカシくんを殺害した事を記憶していなかった。そのため、夫の良樹は、藍子にタカシくん殺害を隠し、警察への通報もせず、死体をクローゼットに隠したという。また、藍子は、タカシくん殺害数日後に、警察にタカシくんが行方不明だと通報している。その時は、タカシくんの存在を隠した良樹の証言によって、警察は藍子の妄想として判断して引き上げている。その際、良樹は妻の藍子のノイローゼの診断書を警察に提示していた。
「すいません、お時間をいただいてしまって」
私は、事件現場となった佐藤藍子の隣にすむ水崎静香の部屋にいた。
水崎静香は、私を、リビングにあるテーブルの椅子に進めてくれた。
「いえ、大丈夫ですよ」
そう言いながら水崎静香は、手際よくお茶の準備をしていた。
「山寺美里と申します」
お茶の準備が終わって、私の前の席に着いた水崎静香に、自己紹介をしながら名刺を渡していた。
「お隣さんの事件の事ですよね」
「はい、当時のお話をお聞きしたいと思っています」
当時、異臭がするという通報があった。
それは、このマンションの複数の住人からであった。その一人が水崎静香であった。
「異臭がするという通報をされたようですが」
私は、簡単な質問をしてみた。
「はい、この部屋にいても感じる程だったので、管理会社に連絡しました」
「警察ではないのですか」
私は少し疑問に思ってしまった。
「はい、最初は管理会社に連絡したのですが、数日たっても音沙汰がなかったので、警察へ」
通常、こういう場合は管理会社に連絡するらしい。
おそらく管理会社がちゃんとした対応をとらなかったのだろう。よく聞く話だ。
「偶然、他の住人の方もその日に通報したみたいで、すぐに警察が来られたんです」
「水崎さんは、その時どうされましたか」
水崎静香は、その時の事を思い出すように、目線を動かした。
「通報した私の部屋にも警察の方が来て、その流れで一緒にお隣さんの部屋に向かったんです」
「一緒に部屋に入られたのですか」
「いえ」
水崎静香は、大きく首を振っていた。
「お隣さんが部屋の扉を開けたら、匂いが凄くて、私は通路で待ってました」
記憶を探るように、水崎静香が言う。
「そうしたら、警察の方が応援を呼んで、騒がしくし始めたんです」
「死体が見つかったのですね」
水崎静香が無言で頷いた。
「私は、警察の方に言われて部屋に戻ってました」
「それで、その後は」
「数時間くらいして、警察の方が来られて、簡単にお話を聞きました」
水崎静香は、その時の事を思い出して、恐怖しているようだった。
「ありがとうございました」
その後、一通り話を聞いたが、私が調べた以上の事は聞けなかった。
ただ、その状況を体験した本人から話を聞けたのは、よかったと言えるだろう。
「あの、警察の方が説明に来た時、ちょうど隣の奥さんが連行される時で、家の玄関の前を通ったんです。その時見てしまって……」
「見たというのは、何をですか」
その時の事を思い出しているのだろう。水崎静香は少し震えているようだった。
「隣の奥さん、連行されて行く時、笑ってたんです。なんか、ニヤニヤしている感じで」
私は、それを聞いて薄寒く感じた。
自分の子供を殺害し、その死体が発見されるという状況で、笑っているという精神状態が理解できなかったからだ。
「なんだか不吉な予感がしてたんですよ」
水崎静香がそう言った。
「何か、あったのですか」
「ええ、事件より少し前ですけど、お子さんが行方不明になったって、お隣さんが騒いだ時があって」
確かに、遺体が発見される少し前に、そのような騒ぎがあったらしい。
実際には、その時には、すでにタカシちゃんは亡くなっていたわけだが。
「隣の佐藤さんに赤ちゃんがいた事は知らなかったのですか」
「佐藤さん、引っ越して来たばっかりでしたし、最近は近所付き合いとかしないですから」
確かに、今時、昔のような近所付き合いをする事はない。隣の家庭の家族構成を知っている事も少ない。
特に、奥さんも昼間働いているならなおさらだろう。水崎静香も、昼間は働いているようだった。
「その、赤ちゃんが行方不明になったって騒いだ日から、毎日来るようになったんですよね」
「何がですか」
私は、あまり深く考えずに聞いていた。
「黒い猫がですよ」
それを聞いて、私は驚いていた。
あの黒猫が関わっているかもしれないと思ってはいたが、思い掛けないタイミングで聞いたからだ。
「その黒猫、今も来てるんですか」
「毎日、うちのベランダに来てたんですけど、事件の日以来見てないですね」
私は、自分の鼓動が速くなっている事を感じていた。
動揺を表に出さないように努めていた。
黒猫は、ここにも関わっていたのだ。




