第十一話〜AED2~
私は驚いていた。少し前に私はある事件を調べていた。それは、殺人事件だった。
被害者が刃物でめった刺しにされるという、凄惨な事件だ。
この事件を詳しく聞くために、フリーライターの荒木誠司という男性に会った。
その時に使ったカフェがここである。この街では珍しく、屋外に客席が設置されている。
そして、今私が調べている事件の被害者が、事件の直前までいたのも、このカフェだったのだ。事件の概要は次の通りである。
20XX年の2月7日の14時頃、ある女性が路上で倒れた。伊藤彩28歳である。彼女は、
今、私がいるカフェで友人と別れた後、店から出てすぐ、心筋梗塞に近い症状になり倒れた。近くを通りかかった男性が救急車を呼び、一命を取り留めた。しかし、これにより彼女は後遺症が残ったという。言語障害と、左半身の一部の不随である。彼女が倒れた際、救急車を呼んだ男性は、救急センターからのAED(除細動器)による治療を拒否した。
理由は、伊藤彩の言動にあった。彼女は、有名なインフルエンサーだった。過激な発言を動画などで発信していた。その動画の中には、女性へのAEDに対するものがあった。内容は、自分に男性がAEDをした場合、後日訴えるというような趣旨の内容だった。その動画の内容を知っていた男性は、AEDによる治療を拒否したのだ。
彼女が病院に搬送された際、血液検査から毒物が検出された。後日、同日カフェで一緒にいた島崎咲良27歳を任意同行。カフェにて伊藤彩の飲み物に毒物を混入した事を認めた事から逮捕された。島崎咲良は看護師をしていた事から、薬品の入手が可能だったようである。
以上が今回の事件の内容である。毒物を混入した島崎咲良が元凶であるが、伊藤彩自身のネット上の言動によって、治療が遅れたのは事実である。ネット上では自業自得だとするコメントが多数あり、炎上していようである。私は、伊藤彩に取材を申し込み、コメントを貰った。後遺症のため話す事が難しいという事で、メールでの回答である。下記がメールの内容となる。
はじめまして、伊藤彩と申します。ご連絡いただいた、ご質問の解答をさせていただきます。
AEDについて、私はSNSで自分の意見を言いました。ただ、皆さんには誤解して伝わってしまったと考えています。私は、AEDの使用の際に、邪な考えを持つ男性がいると言いたかっただけで、男性全員がそうだと決めつけていたわけではありません。そのような邪な行為があった場合、訴える事があり得ると言ったまでです。
AEDでの治療を拒否した男性に関しては、遺憾に思っております。あの時、AEDによる治療をしてくれていれば、現在の私の後遺症はなかった可能性が高いそうです。現在、弁護士と相談しており、男性を訴えるかを検討しております。
また、私の飲み物に毒物を混入した、島崎咲良については、刑事事件として捜査中のため、コメントは控えさせていただきます。
私も、彼女の動画などを確認したが、私が見る限り、通報した男性がAEDでの治療を拒否するのも理解できる内容であった。ネット上で話題を作るためとはいえ、あまりにも過激な言動に思えたのだ。メールでの回答を見たが、私には一方的な意見のように感じられた。また、彼女の飲み物に毒物を混入した島崎咲良は、普段から伊藤彩について不快に思っていたようである。直接話を聞く事はできていないが、ある情報筋からは、伊藤彩の高飛車な言動について、周りに愚痴を言っていたらしい。
「ご連絡いただいた、山寺さんですか?」
今までの取材記録を読み返していると、声をかけられた。そう、彼がこれから会う予定だった人だ。
「お待ちしておりました。私、山寺美里と申します」
「川島孝之です。よろしくお願いします」
そんな挨拶をお互いに済まして、私達は本題に入った。
「あの日、同僚と外回りの帰りだったんですよ」
川島は、あの日の状況を話しだした。
「この近くを歩いてたんですけど、その角を曲がったところの道路で、苦しそうにしてる女性を見つけたんです」
「伊藤彩さんですね?」
私は質問した。
「はい。最初は誰かわからなかったのですけど、救急車を呼んでいる時に気付いたんです」
私は、川島に話の続きを促した。
「ちょうど、少し前に同僚と食事をしている時に、彼女の動画の話をしていて、びっくりしましたよ」
「それから、川島さんはどうされたのですか」
川島は、ブラックコーヒーを一口飲んでから話し続ける。
「そのまま救急センターと電話を繋げたまま、救急車を待っていました」
「救急センターの方はなんと言ってましたか?」
私は、さらに質問していた。
「途中から、スマホのカメラを使って映像を映しながら通話したんです」
最近は、救急センターとビデオ通話で話す事ができるらしい。
途中、ショートメールでアドレスを送り、通報者がそのアドレスにアクセスするという手続きを踏む事になるが、救急センターの人間が現場の状況をリアルタイムで見て指示がてきる。
「そうしたら、救急センターの人が近くにAEDはないかって聞いてきて」
「近くにあったのてすか?」
「目の前のビルにAEDのステッカーが張ってあったんです」
最近はAEDが設置されている場所には、ステッカーが張ってあるようだ。
「僕達は、そのビルからAEDを持ってきたのですが…」
「伊藤彩さんの動画ですね」
「はい!動画の内容を思い出して、後から訴えられるかもしれないと思ったら、それ以上の処置ができなかったんです」
川島の気持ちも、わからなくはない。あの動画を見れば、躊躇するだろう。
「伊藤彩さんは、あなたの事を訴えるかもしれないそうですが、知ってらっしゃいますか?」
「ええ、聞きました。あの時AEDでの処置をしなかった事をですよね」
「はい」
川島は、複雑な顔をしていた。諦めの表情も見てとれる。
「どうすれば良かったんでしょうね。処置をしても、しなくても訴えられる訳ですから」
川島は自嘲気味に笑いながら言った。
「少し前に、北海道だったかな?体調が悪くて座り込んでいた女性を、介抱しようとした男性が通報されてましたよね」
たしかに、そんな事件があった。
男性の真意はわからないが、本当に女性を心配しただけであるなら、災難としか言いようがない。
「他人に親切をすれば訴えられる国になってしまったんですかね、日本は」
川島は諦めのような笑いをしていた。
「あの時、不吉に思ったんですよね。救急車を呼んでいる最中に、目の前に黒猫が来て、座って僕達の事を見てたんですよ」
私は、その話を聞いて驚いて動けなくなった。