手を伸ばしても
◇◇◇
その日は、雨だった。
王都クアトリアの城前広場には、悪天候にも関わらず沢山の人々が集まっていた。
広場からはクアトリア城のバルコニーが見上げられ、古来より幾度と無く英雄の旅立ちと凱旋を祝ってきた。
クアトリア王国第一王子・ジーオがそこに立つのは何度目だろうか?
生誕、四極天の任命、成人の儀、勇者シロウの旅立ち、そして今――。
今までの全ては雲一つ無い晴天だった。
雨具も、障壁も用いずにバルコニーには3人が立っている。
「時は満ちた」
雨に濡れながら、ラータ少年は呟く。
その一言で広場はシンと静まり返り、雨音だけが聞こえる。
「ジーオ王子や、大魔道士カルラらの力によって、私達は今この時を迎える。彼らの助力を以て、300年以上の長きに渡り我ら人間を脅かして来た魔王を、完全にこの世界から葬り去る事が可能となったのだ」
彼の言葉にも広場は沸き上がらない。
そもそも目の前の少年が誰か?と言う疑問もあるが、民達はもう何度もその力強い宣言に裏切られているのだから。
かつて四極天として全世界的にお披露目をしたその筆頭である勇者イズミは魔王だった。
彼女を討つべく擁立された光の勇者シロウは、何やら悪態を吐き姿を消した。
そして、二度ある事は三度ある……、と。
民はバルコニー上に並ぶ英雄に些か懐疑的な視線を送っていた。
ラータはそれを感じ取り、薄笑みを浮かべながら右手を天にかざす。
パリっと魔力が迸ったかと思うと、次の瞬間彼の頭上を中心に分厚い雲が一瞬で消し飛び、青空が広がる。
雨は止んだ。
奇跡の御業にどよめく群衆。
「私は――」
群衆のざわめきも構わず彼は言葉を続ける。
「私はラータ。300年以上の時を生き、今この時を待った知恵の亡者」
抑揚の無い穏やかな声で発する彼の言葉を聴く為にか、どよめきは自然と収まった。
「私は、かつて『遅れた賢者』とも呼ばれた。だが賢者とは、古来より魔王を倒すべく者では無い。賢者とは……」
ラータは振り返り、傍らに立つジーオを見る。
「勇者に知恵を与える者だ」
その言葉と視線を受けてジーオが一歩前に出ると、広場の視線は彼に集中する。
一呼吸置いて彼はゆっくりと口を開く。
「私には、もう統治者として皆に語る言葉は残っていない」
ジーオは右手を掲げる。
封印に似た拘束具が付けられた義手である右手。
左手でその拘束具を外すと、そこには見るからに人の物ではない歪な獣の腕があった。
正に王子然とした端正なルックスに似つかわしくない、毛に覆われた獣の腕だ。
その右手を開いて、握り締める。
「私は人ならずとも魔王を滅する。国は皆に任せた」
命を無くしても、人で無くなっても、魔王を倒す――。
悲痛な覚悟に歓声はあがらず、少しして拍手がさざ波の様に広がった。
その誰もが、魔王の為にどれほど命が短くなっているのかは知らないだろう。
だが、それがどれだけ僅かだろうと共には生きられない。
人は、人を喰らうものと共存できない。
人の命を喰らう魔王は、言うなれば人間の天敵なのだから。
◇◇◇
しばしの滞在の後、シロウ達は神獣の森を発つ。
目指すはイズミ達の隠遁する洋館。
大きく息を吸い込むと、目いっぱい大きな声を出す……素振りをしているが、シロウ達には何も聞こえない。どうやら竜族のみが聞こえる超高周波のようだ。
「今呼びましたので」
一仕事を終え、ふぅと一息吐きながらシアンはニッコリと笑うが、シロウは首を傾げる。
「あれ?竜?」
それを受けてシアンも首を傾げ返す。
「え?今度は別の子がいいですか?何かリクエストがあればお応えしますけれど、あの子が一番速いんですよね」
「いやいや、そうじゃなくてさ。お前よくやってるじゃん。あのグニャってやつ」
「言いませんでしたっけ?あれやると居場所がバレるんですよ。だからイズミ様の所にはあのグニャで行かない様にしてるんですってば」
空間転移が『グニャ』で浸透しつつある事に苦笑するハク。
「確かにわかるけどさ、あのグニャで」
シロウは自信の無さそうな笑いを浮かべて二人の様子を窺いながら口を開く。
「……望むところだ、ってのは調子に乗りすぎかな?」
シアンはニッと笑い親指をシロウに向ける。
「あははっ、好きです。そう言うの」
ハクは腕を組み、首を傾げて難しい顔をする。
「……そりゃ僕だって嫌いじゃないけどさぁ。うーん……、でもまぁ……、いつ来るか分からないよりは、迎え撃つって方が……いいのかも……?」
「それじゃ、蛇ちゃんも賛成って事で」
ニッコリ笑うと大きく息を吸い込んで、また不可聴領域の高周波を出す。
きっと翼竜に呼び出しキャンセルを告げているのだろう。
長い長い一声を終えると、その場でクルリと一回りする。
「それじゃ、グニャりま~す」
その声と同時に三人の周囲の空間がグニャリと歪む。
次の瞬間、3人は古びた洋館の中にいた――。
目の前には天蓋付きのベッド。
「え……」
3人の目の前には、その金色の目をまん丸く見開く少女が下着姿でベッドに腰掛けて長い黒髪を梳かしていた。
「あ」
古びた洋館の中で、そのベッドの上だけは別世界の様に幻想的な風景に感じた。
目の前にイズミが居る。
それだけでシロウは、目を逸らす事も言い訳をする事も出来なかった。
イズミはバッとタオルケットで身体を隠すと、真っ赤な顔でシロウを睨む。
イズミの唇は何かを言おうと何度か動くが声は出ない。
やがて、意を決した様にギュッと一度結ぶと言葉を発する。
「シロウッ!」
シロウの弁明が出るより、イズミの次の言葉の方が速かった。
「私、貴方が好き」
決めていた。
次に会えたら、何より先に伝えようと。
言い終わり、尚も真っ赤な顔で自身を睨むイズミを見て、シロウは困ったような顔で笑う。
「不意打ち過ぎるだろ、それ」
シロウの反応を見てイズミは得意げに微笑む。
「ふふ、負けた?」
「あぁ、負けた」
そう言ってシロウも笑う。
シロウがゆっくりと一歩足を踏み出すと、イズミはベッドの上を後ずさり掌を向けて制止する。
「あっ、ダメ!近づかないで!」
まだ赤い顔ながら真面目な顔で制止するイズミに構わずシロウはもう一歩足を進める。
「シロウッ!」
「勇者ハクアはさ、50年ずっと魔王の下に通ったんだってさ」
イズミの赤い顔は、きょとんとした顔に変わる。
「シロウもその話知ってたの?あっ、シアンから聞いたのか」
「それで思ったんだ。もしかして、光属性には闇の権能は効かないんじゃないか?って」
気が付けばシロウはベッドの横に着く。
手を伸ばしても、まだ届かない距離。
シロウは手をイズミに手を伸ばしてニヤリと笑う。
「俺は50年通う程気は長く無いぞ」
恐る恐る、手を伸ばして、伸ばしたシロウの手にチョンと人差し指で触れる。
チラリと上目に表情を窺い見るイズミに首を横に振る。
今度は指三本分触れる。
シロウは首を横に振る。
イズミは俯き、一度グスッと鼻をすする音がする。
「イズミ」
シロウがそう呼ぶと、その声が引き金となりイズミはシロウに飛びつく。
「シロウッ!」
「うおっ」
ギュッと力の限り抱きしめ、ポロポロと涙を流し顔を寄せる。。
「……会いたかった」
「あ、ちょっと……魔王様!?力強すぎんすけど。ぐえぇ」
潰れた蛙の様な声を出すシロウ。
それを見てクスリと微笑むハクとシアン。
「一旦出よっか」
「そうだね」
音を立てずに部屋を出ようとする二人を見咎め、声を上げるシロウ。
「あっ、待て!逃げるなよ、助けろ!おい!」
「あはは、照れちゃって。ごゆっくり~」
二人はニッコリと笑い、手を振りながら扉を閉めた――。




