集え
◇◇◇
湖畔に描かれた魔法陣を眺めながら首を傾げるラータ。
「やれやれ、魔法陣が無駄になったな」
首を傾げながらラータの姿は白い長髪の少女の姿……ハクの姿に変化する。
クルリと長い髪を揺らしながら一回転してみると、眉を顰めながらすんすんと自身の匂いを嗅ぐ。
ハクの身体に転生したわけでなく、単純に見た目を変える変化術を使っただけなので、魔力の質や匂いや記憶には一切の変化は無い。普通の人間ならともかく、シアンには匂いで気付かれそうだなとラータは首を傾げた。
彼の目的は、人の命を吸い無限の時を生きる魔王・イズミの身体を乗っ取る事ではない。
魔王の身体を得る事はあくまでも『手段』であり、不死の身体を得て永遠に全てを知り続ける事こそが彼の目的である。
その全てとは、知識だけで無く感情も含まれる。
それ故に彼は観劇が好きだ。
偽りとは言え、他者の感情が追体験できるから。
完全に効率を考えて立ち回っていれば、魔王の身体は既に彼の物だったはずだ。
勇者ハクアによる転生封印術式を解析し、魔王が転生する日も場所も全て把握していた。
9年前のあの日、カカポ村が襲われる以前にその身体を得ることも可能だったし、そもそもが村を襲った『魔先鋒』ジギに情報を流したのは彼だ。
知識は文字で知る事が出来る。
魔王の封印と転生。
300年以上待った、恐らく歴史上最初で最後の大事件。
文字だけでは伝わらないリアルな感情の起伏に触れる為に、最大限の悲劇の舞台を用意するのだ。
ナシュアは既に亡く、シロウとハクは湖に消えた。
次の悲劇を演出する上で、シアンに転生を試みる事も頭に浮かぶ。
「でも、シアンにはもう一幕用意してあるからなぁ」
ニィと口角を上げ、ラータは一人呟く。
ほんの僅かに、水面が揺れる。
揺れて気が付く。
湖の水は、キラキラと金色に光り輝いていた。
ラータは好奇に満ちた瞳で湖を見つめ、呟く。
「素晴らしい……」
きらきらと輝く水面には、小さく人影が映る。
それは、湖上高くに人が浮かんでいる事を示していた。
「遅いよ」
「悪い。つーか、そんなに遅かったか?」
ハクは涙ぐんだ瞳で、宙に浮かぶシロウにしがみつきながら彼を睨む。
「遅いよっ!」
湖に落ちる前は傷だらけだった身体に、今は傷一つ無い。
シロウは困惑した様子で首を傾げる。
「そんな事言われてもなぁ。俺の中では一瞬なんすけど」
首を傾げながら、湖畔でパチパチと手を叩く白髪の少女……ハクの姿を借りたラータが目に入る。
ラータは興奮した様子で、上機嫌に拍手を鳴らしている。
「はははっ、すごいなぁシロウ!なんていいタイミングで出てくるんだよ。意外に役者だな、お前は」
自身にしがみ付くハクと、拍手をしているハクの姿をした者を見比べて困惑しながらシロウは呟く。
「いや、タイミングも何も。……ハクが呼ぶ声がしたからさ。で、あいつは何?」
「はははっ、育ての親に向かってあいつとは随分だな。親の顔が見てみたいよ。それはそうと、神獣君。怪我、治ってるみたいだけどどうやった?そんなにすぐ治る様なぬるい攻撃をした覚えはないんだけどねぇ」
傷は治りはしたが、ズキリと痛みを思い出す。腕を、足を、腹を抉られた痛み。
「知らな――」
顔をしかめて『知らないよ』と言おうとしたハクを制して、小馬鹿にした様な笑みを浮かべてシロウは言う。
「知らねぇの?」
眼下に見下ろされる形で、引きつった笑顔を浮かべるラータ。
「ん?」
シロウは煽る様に薄笑いを浮かべながら言葉を続ける。
「あ、悪い。知らないから知りたいんだもんな、ははは」
ハクの姿をしたラータの周囲をパリっと電気が迸る。
次の瞬間、雷の矢が一直線にシロウへと放たれると、バリッと音を立ててシロウの左腕に刺さり、痛みに顔を歪める。
視界の外でラータが首を傾げ、シロウはハクを見る。
「これ?」
ハクは呆気に取られながらもコクリと頷く。
「え……、うん。そうだけど」
シロウは痛がりながら笑う。
「痛ぇな」
「いや、そりゃ痛いだろ。……どうしたんだよ、君」
「どうしたって?」
話をしている間に飛んできたもう一発の矢を負傷した左手でガシッと掴むと、眼下のラータを睨む。
「……怒ってんだよ」
ラータは呆れ顔でため息を吐き、首を横に振る。
「はいはい、だから?」
ため息と共に彼の魔力は瞬時に湖の周囲を覆い、青い空はあっという間に雷雲に変わる。
「お前じゃ悲劇にもならないね」
勝利を確信した薄笑みを、地鳴りの様な雷鳴が彩る。
まるで、世界の終わりの様な音と光が湖を包む。
ハクは蛇に戻り、シュルリとシロウに絡みつく。
「使い方は?」
シロウは得意げに笑う。
「誰に言ってるんだよ」
「もう。またナシュアの真似――」
「俺は勇者を……、イズミをずっと見て来たんだぜ?」
雷鳴がうなりを上げ、自然下では起こりえないような地響きを上げる。
今正に凄まじい雷撃が放たれようとしたその瞬間、シロウとハクの脳裏には同じ姿が浮かんでいた。
漆黒の長い髪を揺らし、金色の瞳でまっすぐ前を向き、白き剣を手に己の運命に立ち向かう勇者の姿。
「集え――」
雷雲から放たれたバヂバヂと耳障りな音を上げる雷の滝は、視界の全てを白く塗りつぶす。
「ハクアの剣!」
だが、更に眩い金色の光が森中の全ての影を消さんばかりに煌めく。
一陣、風が吹く。
黒に近いような灰色の雷雲も、森中を埋め尽くす壁の様な白い靄も、何もかもが消えて、木々は緑で、空は青かった。
金色に輝く湖の上に浮かぶシロウの肩には白い蛇が絡みつき、その手には穢れ一つ無い真っ白な剣があった。
「……すっげ」
剣を手に、唖然とした表情で固まるシロウ。
ハクも同様にラータの存在を忘れたかのようにぽかんと空を見つめる。
「ね」
そして、気が付くとラータの姿は既にそこには無かった。
「ねぇ、シロウ。ちょっといい?」
シロウは手が強張って固まり、ハクアの剣から離れない。
「何だよ」
白蛇の神獣は足元の下に見える湖を尾で指す。
「今更だけどさ、君どうやって浮いてるの?」
「え?」
言われて足元を見てみると急に浮力を失ったかのように真っ逆さまに金色の湖へと落ちる。
気が付けば、湖は普通に水面が揺れ波紋が広がる。
その金色の水に触れたシロウの左手は瞬く間に傷が治っていた。
少女の姿になり、空を仰ぎながら水に浮かぶハクは、手で水を掬い零す。
「……とんでもない治癒力の水、みたいだね」
水を一口手で掬いながら、湖の水は剣の所有者自身を現すとハクは言った。
シロウも両手で水を掬い口に含んでみると、爽やかなミントの様な後味がして、思わず苦笑した。
「これ売ったら怒る?」
「怒る」
間髪入れずハクは答える。
湖は所有者を現すと言うのなら、波紋一つ立たない鏡面の様なあの姿は、きっとイズミ自身なのだろう。
己を隠し、現さず、揺れず、美しい。
きらきらと輝く水に浮かびながら、イズミに会いたいな、とシロウは思った――。




