ジジイと呼ばれた大賢者
◇◇◇
――30年程昔、王都クアトリアの端。
「やぁ、お爺さん。こんな所一人で歩いてると危ないよ?重たいだろうから荷物持ってあげるよ」
大賢者と呼ばれたその老人が王都の端の貧民街へと足を踏み入れると、親切そうな若者がニコニコと話しかけてきた。
「あぁ、お気遣いどうも。じゃが使わんと足腰も弱るからの。お気持ちだけ受け取っておくわい」
大賢者ゼルがそう笑うと、彼を数人のゴロツキが囲む。
「遠慮すんなよ、ジジイ。重てぇだろうからパンツ以外置いてけよ」
「ヒャハハ!パンツも高級そうだったら貰っちゃうかもしれねーけどな!」
卑しい笑みを浮かべながら寄ってたかって老人を威圧するゴロツキ達を見て呆れるように溜息を吐くゼル。
「……本当に猿以下じゃのう、おぬしら」
「あぁ!?」
その瞬間に、ゴロツキ達の首から下が凍り付く。
「猿だって相手の力量見て喧嘩売るぞい」
「ひぃっ!魔法!?」
最初に声を掛けてきた優男風の男が逃げようとすると、口がガキンと凍り付く。
「ボス猿呼んで来てくれんか?唇が腐って落ちる前にの」
男は何度も勢い良く頷くと、脱兎の如くスラムの奥へと消える。
程なくして現れた多勢の武装したゴロツキ達の先頭には、凡そこの場に相応しくない10歳にも満たないだろう少年がいた。
少年の目はきっとこの王都のどの子供の目よりも暗く澱み、ゼルを睨む。
「自殺志願か?ジジイ」
少年は身の丈ほどもあろう剣を抜き、鞘を投げ捨てる。
「ホッホッホ、ずいぶん難しい言葉を知っとるのう僕ちゃん。誰に教わった?」
「締まらねぇ遺言だな」
少年は勢い良くゼルへと駆ける。その速度と動きは明らかに子供のそれではない。
だが、ゼルはそのまま無警戒に少年に歩み寄る。
「儂もお主に教えてやろう」
躊躇無く明確な殺意を乗せたその刃がゼルの首筋を狙う。
人並み外れた身体能力に任せた我流の剣。ゼルはさらに踏み込み、剣の背と柄に触れる――。
背中に強い衝撃を覚え、気が付くと少年は天を仰いでいた。
スラムの建物が視界の端に映り、真ん中には青い空が高く見えた。
「……儂がお主に教えてやろう。世界の広さを」
数秒後、思い出したように少年はギリッと歯を鳴らす。
「……ジジィが!」
それから何度も何度も転がされ続け、少年が降参したのはスラムの建物の合間に月が昇る頃だった。
「名は?」
「……ナシュア」
ゼルはにっと笑う。
「良い名だ」
◇◇◇
スラムで産まれたのか、スラムに捨てられたのか。知っている者も居らず天涯孤独だった少年はゼルに拾われる事となった。
毎日毎日真剣でゼルに挑みかかっては転がされて天を仰ぐ。その後は一般教養や礼儀作法の訓練。そして、温かい食事と新しい服。
「……ジジィ。何が目的だ?」
字の練習をさせられながら睨む少年を不思議そうに首を傾げるゼル。
「目的はもう言ったじゃろう。お主に世界の広さを見せる、と」
「わっかんねぇジジィだな。だから何でわざわざそんなことをするのか、ってことだよ」
「ん?拾うじゃろ。砂場に綺麗な石が落ちとったら」
――綺麗な石。
その言葉が誰を指すかは、当然少年も理解している。
やや照れ臭そうに顔を背けて舌打ちをしながら字の練習を再開する。それを満足そうに眺める大賢者。
「明日はちょいと遠出するぞ。海を見に行こうか」
「……海?」
◇◇◇
スラムから出たことすら無かった少年の世界はどんどん広がり、箸の使い方から最新魔法学までゼルは自身の持つあらゆる知識を少年に与え、彼もそれに応えあらゆる知識を吸収した。
世間は彼を『大賢者の弟子』と呼んだ。
天性の身体能力もあり、3年も経つ頃には剣術で彼に敵う者は王都に居なくなっていた。
だが、どれだけ学んでも魔法は扱えなかった。
何度も何度も試みたが、初等魔法の発動すら出来なかった。
口は悪いがゼルを実の父の様に慕う少年は、ゼルを失望させまいと三日三晩寝ずに初等魔法の練習をした後に姿を消した。
「今夜はライスカレーじゃぞ」
スラムの最奥に位置する廃宿の屋上に大の字に寝っ転がり曇天の空を眺める少年の顔を覗き込んでゼルは言う。
「……いらねぇ」
ムスッと不貞腐れてゼルに背を向ける少年。
「ホホホッ、いいのか?うちのライスカレーに二日目なんて甘っちょろいもんは存在せんぞ?」
「だからいらねぇって」
ゼルに拾われて暫くしてから彼が大賢者と呼ばれる程の人物である事を知った。口は悪く、お世辞にも素行も良いとは言えないながらも、『才能を見出されて大賢者が貧民街から拾った弟子』と言う世間の風評を人一倍気にしていた。
「……魔法も使えないでアンタの弟子なんて言えるわけねぇ」
悔しそうに絞り出す彼の呟きを聞くと、ゼルはきょとんとした顔で素っ頓狂な声を出す。
「儂弟子なんか取った覚え無いが?」
眉を寄せてゼルを見る少年を不思議そうな顔で見つめて首をかしげる。
「一応実の子と思って育てとるんじゃが?」
「うるせぇ」
寝転がりながら腕で目を隠す少年の横に座り、ポンポンと軽く頭を叩く。
「お前は優秀じゃ。化け物じみた身体能力を持ち、頭もええ。もう2・3年もすれば世界でも屈指の猛者になるじゃろうし、……15年後に復活するとされている魔王を倒せるのもお前しか居らんと思っておる」
少年は無言で、ゼルはそのまま頭を撫でながら言葉を続ける。
「人は誰しも万能では無いし、万能である必要は無い。足りぬものを補う為に他者を頼る事は弱さじゃない。もし、お前が魔法まで使えたなら、お前は一生人を頼る事なんぞ無かったかもしれん。喜ぶんじゃな、自らの不完全を」
少年はズッと一度鼻をすすると、目をゴシゴシと擦る。
「……魔王とやらは俺が倒す」
「ほっほっほ、其の意気じゃ」
少年は勢いよく起き上がるとキッとゼルを指さし睨む。
「だから老いぼれは俺を頼ってろ」
少年の宣言をゼルは嬉しそうに目尻を下げて見つめていた。
◇◇◇
飛び級且つ史上最年少で王立学院入学、主席卒業。
史上最速最年少金等級到達、翌年最速白銀等級到達。
ゼルに拾われ、18年が経つ頃ナシュアの名声は他の追随を許さない程確固たる物となっていた。
300年以上前に遺された魔王復活の予言の年。
予言とは言われているが、その実体は勇者による封印術を『遅れた賢者』ラータが解読した確たる結果だと言う。
「今年、魔王の封印が解ける」
ラータの古文書はナシュアも目を通しており、内容はバッチリ把握している。
「あぁ。……場所まではっきり分かってりゃ楽なんだがなぁ」
呆れ顔で頭を掻くナシュア。
その傍らには黒羽の異国刀が置かれている。
「どのような形での復活なのかは分からん。じゃが、お前なら倒せると確信しておる」
ゼルの言葉を受けてナシュアはニッと笑う。
「任せとけ。『遅れた賢者』ラータよりうちのクソジジィの方が上だって事を後世に知らしめてやるよ」
「……馬鹿を言いよる」
満更でも無さそうにはにかみながら机に地図を広げる。
「ここから先は完全に儂の予測でしかない。永年各地で計測した魔力の流れによると……、この僻地の辺りが怪しい」
ゼルは地図の広範囲に大きく丸を付ける。
その中にはカカポ村も含まれる。
――その翌日、ナシュアは僻地と呼ばれたジーラ地方へと出発し、一月後カカポ村の惨劇は起こった。




