早起きは何かの始まり
◇◇◇
「おはよ」
朝早くから家のドアがノックされ、開けるとにっこり笑顔の勇者イズミが立っていた。
「おはようございます。こんな朝早くから何のご用ですか、勇者様」
眠そうな目を擦り、頭を掻く俺はこのときはまだ気がついていなかったし、イズミもまだ気がついていなかった。
――俺がズボンを履いていないことに。
一番早く気が付いたのは白蛇のハクだった。
「……イズミ、ダメだ。逃げよう、罠だよ」
イズミに巻き付いている白蛇のハクがヒソヒソと物騒なことを行っているのが聞こえた。ひそひそ話はバレないようにやると良い。
イズミはきょとんとした顔でハクを見る。
「またそんな事言って。仲良くしてよね。何が罠なの?」
「いいから。取りあえず一歩下がって扉を閉めよう。話はそれからだよ」
白蛇はムカつくから無視。
「お前昼にはどっか行くんだろ?茶くらいなら淹れてやるから上がれよ。誰かさんのせいで薬草腐るほどあるし」
毎日慌ただしく世界を救うために飛び回っているんだ、その位の労いはあっても良いと思う。
「それじゃお言葉に甘えようかな」
蛇は必死にイズミを引っ張る。
「ダメだってば!君はもう少し自分の魅力に自覚を持つべきだって!」
そして、そこで俺もようやく気が付いた。
シャツにトランクス一枚で幼馴染の少女を部屋に招こうとしている自分に――。
だが、ここまで来たら気にしてもしょうがない。
部屋着だけど?位の堂々とした感じで行くしかない。
「散らかってるけど文句言うなよな」
扉を開けてそう言った直後、イズミの視線が下に動いたのがわかり固まってしまう。
だが、イズミは少し顔を赤くしてジッと俺を見た後で、何事も無かったように一歩踏み込んだ。
「お邪魔します」
俺とハクは口を揃えてイズミを制止する。
「ちょっとイズミ!」
「待て待て、今見ただろ!?スルーするなよ!?」
自分で言っておいてもう何が何だかわからない。
1人と1匹の制止にイズミは口を膨らませて不満を露にした。
「意味わかんない。じゃあどうするのが正解なのよ」
確かに仰るとおり。そんなの俺が聞きたいよ。
「わかった!……イズミ、あいつはイズミが恥ずかしがるところを見て喜んでるんだよ。隙あらばもう一枚脱皮するつもりだよ」
「蛇!」
特に上手い言葉が出てこなかったので、とりあえず大声で一喝する。
「ねぇ、結局入っていいの?」
少し困った顔でイズミが言うので、俺は大分困った顔で頭を掻く。
「外にしましょうか。申し訳ないんで奢りますよ。ズボン履くので少しだけお待ち下さい」
冒険の財宝や数多の支援を受けていて、間違い無く巨万の富を持っている勇者イズミはニッコリと満面の笑顔を見せる。
「本当?やったぁ」
白蛇のハクが安堵の息を漏らしているのが視界に入り、少しイラッとした。
◇◇◇
「ねぇ、大丈夫だった?薬草の件」
大通りの食堂のテラス席で朝食を食べる。俺一人なら100%来ない。何故好き好んで皆に見えるところで一人飯をしなければならないのか。そもそも、一人で食堂に入ることすら俺はしない。
「ん?あぁ、その件か。特に問題ない。やっぱり誠心誠意謝れば伝わるもんだよ」
イズミはジッと俺を見る。
「何だよ」
「……嘘は嫌いだよ?」
「ごめんなさい、今日から2週間資格停止っす」
それを聞くと、イズミの食事の手は止まり泣きそうな顔になってしまう。
「ごめん」
「いや、別に。丁度いいお休みと思ってるけど。寧ろありがとう」
と、精一杯の強がりを言ってみるとイズミは困惑した顔を見せる。
「文字通りお礼を言われる筋合いはないと思うんだけれど……」
「ま、とにかく問題ない。別に2週間働かなくたって平気なくらいの蓄えはあるしね」
イズミは、飲み物をかき回しながら少し考える。
「……何か罪滅ぼしをしないと気持ちが晴れないわ」
「イズミ、やめておきな。この手の輩はそういう所から付け込んで来るんだから」
「なぁ、何でお前俺に突っかかって来るんだよ。そんな事をして何かお前にいいことあるか?白蛇さん」
「損得の問題じゃない。イズミの身の危険を案じてだよ」
うるさいからいい加減無視しよう。無視無視。白蛇が幸運を呼ぶってのは、間違い無く嘘だな。嘘嘘。
「全く気にしなくていいんだけど、どうしても気になるってなら……」
少し考えてみて古代文字の教本が欲しいな、と思った。
「古代文字の参考書とか、教本みたいなのがあったら買ってきて欲しいかな。こないだ貰った本全くよめねーんだもん」
俺の言葉を疑うようにジッとイズミは俺を見る。
「……本当に?そんなのでいいの?」
「そんなのって言うか、大分助かるんだけど。手に入るかな?」
イズミは力強くコクリと頷き、無駄に決意に満ちた瞳を俺に向けた。
「任せて。古代人でもトロルでも、何の言葉でもわかるようにしてあげるから」
「えっ、ちょっと無駄に気負いすぎじゃねぇ?絶対いい結果を生まないよそれ」
「イズミー、そろそろ行かないと遅刻するよー」
毎度のように蛇がイズミに時報を告げる。
イズミはガッカリしたようにスープを一気飲みする。
「あ~、もうかぁ。どこ行けばいいんだっけ?」
「もう。覚えてないじゃんか。ギルサメ大渓谷だよ。言わなくてもわかってるだろうけど、遅れると……」
「はいはい、ジーオが怒るんでしょ」
イズミはテーブルナプキンで口を拭くと俺を見る。
「お金は?本当にいいの?」
「勿論。急いでるんだろ、行った行った。二週間の間は森にいないから気をつけろよ」
「わかった。ちゃんと部屋の掃除しておいてね」
「イズミー」
「はいはい、行くってば。それじゃ、また」
「おう、気をつけて」
その言葉にニッコリと笑顔で答えると、イズミは風を巻いて姿を消した。
相当忙しいだろうに暇を見ては顔を出してくれる幼馴染は、本当にありがたい存在だと思う。
急いでズボンを履き家を出たので、財布を持っていないことに気がついたのは追加で頼んだデザートに手をつけた瞬間だった――。