勇者の御業
――薬師の朝は早い。
日が昇ると魔物は姿を現さない為、日の出すぐに森に入って薬草を摘む。朝露に濡れた薬草は一段と味が濃い――、などと言う事もなく、ただ人がいないうちに一仕事を終えたい一心で、早い時間に森に入る。
だが、偉大なる大勇者様の朝はもっと早い。
「なーんか最近味変わったんだよね」
朝も早くからトルイの森で草採りをしていると、当たり前の様に現地にやってきて伝説の勇者イズミ・キリガミヤ様はそう仰った。俺はしがない街の薬売りシロウ・ホムラ15歳。売ると言っても委託販売がメインだ。自分で売り捌くコミュ力も胆力も無い。
「何の味が変わったんすか、勇者様。あ、あれですよ。妊娠すると酸っぱいものが食べたくなるって言う……んがっ」
イズミがピンっと指を弾くと空気の塊が俺の額に当たり、頭が弾かれる。
「ばーか、そんな話してない」
むくれ顔の勇者イズミの腕に巻きついている白蛇の神獣・ハクも呆れ顔だ。
「他所の世界ではセクハラって言うみたいだよ、イズミ」
「へぇ、ハクは物知りね。何ていう意味?」
「性的嫌がらせ」
「せっ……」
さすが神獣、人の言葉を理解し異世界の知識にも精通している。俺も初めて見た時はびっくりした。
「……こんな人気の無いところで私に性的嫌がらせをする意図は何?」
少し赤い顔でジッと俺を睨むイズミ。俺は気にせずに草を集める。いや、ちょっと待て。その前の話を忘れていた。
「あーっと、そうそう。何の味が変わったんだっけ?」
「そう、その話。こないだ言ったお気に入りのポーションよ。味が変わっちゃったの」
イズミは知らないようだが、そのポーションは俺が作ってギルドに委託販売をしている品だ。一般的な調合レシピに塩とミントを加えただけのものだが、爽やかな後口だと自負しているし、イズミもそこが気に入ったと先日言っていた。
「へ……へぇ。具体的にどんな風に?」
滅多に耳にすることの無い消費者の生の声に些かの興奮を隠しきれない。
「んー、わざとらしい味になった。おいしいはおいしいんだけどさ」
正直ギクリとした。確かに、イズミが後味が良いと言ったからミントの量を少し増やし、且つ柑橘も一滴入れてみたのだ。なるほど、狙い過ぎたと言う事か。
「なるほど。前の味の方がよかったって事?」
「うん、私の好みだけどね。あはは、本当は全部買い占めたいんだけど、他の人にも飲んで欲しいからさ」
何だろう、妙に照れ臭い。
「……へ、へぇ。そんなに好きなんだ、そのポーション」
イズミはニッコリと笑う。
「うん、好き」
俺はまた無言で草採りに戻った。多分、顔が赤いだろうから俯いて草をむしる。いや、知ってるよ?ポーションが、好きなんだよ。でも、まぁ。そのポーションも俺が作っている訳で、かなり意訳をすれば婉曲的に俺の事を好きだと置き換えてみてもいいのではないだろうか?
いや、んなわけないか。
何にせよ、改良は失敗と言える。だが、同じものだけを作るのも進歩が無くていやだ。
「そんなに話を聞いてくれると思わなかったわ」
満足気にイズミは言った。まぁ商品の感想だからな。イズミには言えないけれど。
「たまにはね」
「気を付けなよ。きっと何か企んでるよ。イズミはかわいいんだから油断しちゃだめだよ」
白蛇のハクが要らぬ忠告をしている。
「うるさいな、かば焼きにするぞ」
「聞いた?神獣に向かってかば焼きだって」
俺と白蛇のやり取りを楽しそうにイズミは聞いていた。
「ふふふ、今のはどっちもどっちね」
「あっ、そうだ思い出した。お前こないだ後で手伝うとか言ってそのまま帰っただろ。石板の時」
イズミはきょとんとした顔でハクを見る。
「言った?」
「言った」
ハクは頷く。首がどこかわからないが、言葉的にも頷いているはず。イズミは腕を組んで少し首を傾げるが、諦めた様にニコリと笑う。
「そっか、ならしょうがない。何すればいい?」
思いの外素直で驚いたが、約束は約束。俺はカゴを指差す。
「言葉の通り、薬草をここ一杯に集めるんだよ。これで大体一週間分」
イズミはカゴから薬草を一枚取り出す。
「種類はこれ1種類ね。ハク、行ける?」
ハクは呆れ顔をする。
「行けるけど。魔力の無駄遣いだよねぇ。買えばいいじゃん、草なんて」
「あのな。その買う草も誰かが集めてるんだよ」
「あぁ、そうか。末端供給者ってやつだね」
「……うるさいやつだな本当」
俺の苦言を聞かずにハクは大きく口を開けると、中から真っ白な剣の柄が現れ、イズミはそれを取り、スッと引き抜く。
何度か見ているが、中々に見慣れない光景だ。真っ白な柄のその剣は、鍔も刀身も白く、刀身の根本に付いた何かの宝玉だけが青く光っている。ハクアの剣と言う、半ば伝説上の存在だそうだ。記録の上では、最後に目撃されたのは327年前だとか。
イズミは真っ白な剣を地面に突き立てて、柄をトンと指で軽く叩く。
「集え」
次の瞬間、びゅうッと一陣の風が森を駆け抜けた。何だか嫌な予感がする。
「あのー、イズミさん?……今のは」
と、訪ねた矢先に空が暗くなる。バサッと、言うかドサッと言うか……とにかく超大量の葉っぱが雨の様に空から降り注いだ。次々と、次から次へと、間断なく降り注ぐ。勿論、その全てが薬草だ。
「ふー、さすがに疲れるね。どう?」
イズミは一仕事終えた感を出して額を拭った後でゴソゴソとポーションを取り出してグイっと一気飲みする。
「ぷは~、おいしい」
呆れて声も出ないって本当なんだな、と思った。そして、イズミは俺の反応を待っているかのようにチラチラと俺を見ている。
「ねぇねぇ、何か言ってよ。すごいでしょ?助かっちゃう?」
「……あのさぁ。真面目な話していい?」
「ん?勿論」
「この量って、もしかしてこの辺一帯の全部?」
「うん、そのつもりだけど。ひとつ残らず」
「この森さ、俺の所有物って訳じゃなくて入会権って言うのかな?要するに、皆で配慮して必要な分だけ使いましょうって言うかさ」
イズミは首を傾げるが、ハクは知らん顔をして普通の蛇の振りを始めた。
「わかりやすく言うと?」
俺は息を吸いこんで、大声を放つ。
「やりすぎだって事だよ!どうすんだよ、これ!洒落にならんぞ、怒られるじゃすまねぇぞ!」
「えっ?」
バッとハクを見て反応を伺おうとするが、ハクはプイッと目を逸らす。そして、俺を見ると泣きそうな顔になってしまう。
「……ごめん。どうしよう」
お前が謝れば普通に許してもらえるだろうけどな、と思ったけれどその言葉は飲み込んだ。伝説の勇者とまで呼ばれるようになっても、怒られるとかなんとかで泣きそうになるイズミ。
「まぁ、やっちまったもんはしょうがないだろ。ギルドに謝りに行くよ。……採り過ぎましたってな」
イズミはまだ泣きそうな顔をして俺を見る。
「じゃあ私も――」
と、イズミの言葉にハクが被せる。
「あー、ごめん。そんな時間はないなぁ。休暇は終わりだよ、ジーオが呼んでる」
「えっ!?もうそんな時間!?うう~」
ジーオってのが誰かは知らないが、様々な葛藤を抱えた目で俺を見る。
「気にすんな。世界救ってこいよ」
「ごめん。お土産買ってくるから」
「おう。気を付けて」
イズミはヒュンっと姿を消した。
「あっ」
イズミが飛び去ってから気が付いた。
俺の目の前には馬車何台分かもわからない様な量の薬草の山。
「……どうやって運ぼうか?」