草をむしれば魔王が滅ぶ
――自分が特別で無いと気が付いた日を覚えているか?
俺は明確に覚えている。8年前、俺――シロウ・ホムラと、幼馴染のイズミ・キリガミヤが住んでいた辺境の田舎町が、無数の魔物の群れに襲われて地図からその姿を消したあの日。
竜や、竜人の群れが村を焼き、襲い、蹂躙する中で、俺は無様にも気を失う。そして、目が覚めた時には全てが終わっていた。焼野原の村で、俺とイズミだけが生き残った。魔物たちは、全てイズミが倒していた。その日から、勇者イズミの伝説が始まったのだ――。
――話は戻って、現在。
町から離れたトルイの森で、今日も俺は熱心に薬草を集める。俺は伝説の勇者では無い。けれど、俺にだって人生があるし、飯を食わなければ生きてはいけない。俺の職業は薬師。薬草から薬を作って売る事を生業にしている。
「ねぇ、この石板どう思う?」
「……何で一々俺に聞きに来るんですかね?見てわかりません?忙しいんすよ、俺」
今日の食い扶持を稼ぐために薬草を集める俺の前にしゃがんで、石板とやらを人差し指の上で器用にバランスよく立てているのが、伝説の勇者・イズミ。俺の幼馴染だ。
「忙しいって草採ってるだけじゃん。後で手伝ってあげるから一緒に考えてよ」
「あ、今薬草取り馬鹿にしたな?お前今王国100万人の薬草職人敵に回したからな?伝説の勇者とかって調子に乗ってると痛い目みるぞ?」
勿論王国の薬草むしり人口なんて100万人もいないことくらいわかっているが、まぁ正直煙に捲ければ何でもいいやと言った所だ。
『伝説の勇者』と呼ばれるのが嫌らしく、あいつは露骨に眉を顰める。他にも『暁の勇者』とか、『極光の勇者』とか、謎にバリエーションがあるらしい。町を出ないから伝聞情報だけど。
「調子になんか乗ってないもん。わからないから聞きに来てるんでしょ?百歩譲ってシロウも忙しいのかもしれないけど、助言くれるくらいはしてくれてもいいんじゃない?幼馴染なんだから」
そう、重ねて言うが、俺とイズミは幼馴染だ。年齢は俺と同じで今年で15歳。夜の闇の様な漆黒の長い髪の隙間から見える瞳は、月の様に丸く金色をしている。細身ですらっとしたやや長身のスタイルで、その整った容姿から勇者の域をを超えた国民的人気を誇る。強いて欠点をあげるとすれば、胸があまり大きくない事くらいだろうが、これは彼女の名声には直接関係は無い。
8年前、村を滅ぼした魔物の群れを、力に目覚めたイズミはただ一人で全滅させた。
気を失い、ズボンを謎の液体で濡らした俺が気が付いた時には、赤く燃える村で、赤い血の池の真ん中で、赤い返り血を浴びたイズミが立っていた。その時、イズミは何かを呟いたが、あまりの事態に動転した俺には、イズミが何て言ったのかは聞き取れなかったし、覚えていない。
とにかく、事実なのは王都から遠く離れた俺達の田舎町を魔王直属の四天王率いる群れが襲い、当時7歳の少女がそれを倒したと言う事だ――。
「ねぇ。お願いだってば。せーきーばーんーよーんーでー」
ブチブチと薬草を選別する俺の目の前でクルクルと石板を回転させてくる。
「あー、くそ。集中できないじゃねーか。どうせわかんねーよ、貸せ」
「ありがと」
俺が石板を手に取るとイズミはニッコリと笑う。イズミの腕には白蛇が一匹まとわりついていて、その蛇が俺に石板を手渡す。何でも大層偉い神獣らしい。名を、ハクと言う。
普段重いものをあまり持たない俺には石板はズシリと重い。俺は何か特別な教育を受けたわけでも、イズミの様に神に授けられた如しの才能があるわけでも無い。当然この石板に書いてあるようなミミズがのたうったような古代文字なんて読めるはずがない。
それでも、俺は目を細めてジッと石板を睨む。時折太陽に透かしたりして見る。そんな事をしても何も変わらない。イズミの意図はわからないが、俺を馬鹿にしようとしてこんなことをしている訳じゃない事くらいはわかる。だとすると、純粋に力を貸して欲しいのかもしれないけれど、俺にできる事なんてあるはずもない。
本当は、世界の為に戦うイズミの力になりたいのに。
隠しきれない苛立ちを隠そうと頭を何度か掻く。
「……悪い、やっぱり何もわかんねぇよ。偽物なんじゃないのか?」
イズミはしゃがんだままジッと俺を暫く見た後で、ニッコリと笑った。
「そっか」
そう言うと立ち上がり、伸びをする。
「それじゃちょっとダンジョン戻ってくるからさ、薬草少しちょうだいね」
無造作に俺のカゴから薬草を鷲掴みする。
「あっ、こらタダじゃねぇんだよ。売り物だぞ。それにお前怪我なんてしないだろ」
イズミは悪戯っぽく笑う。
「えへへ、じゃあ出世払いでお願い。それじゃ、また」
ヒュンっと風を切る音を立ててイズミは飛び去った。
出世払いって……、伝説の勇者から更に出世すると次は何になるのだろうか?
おっと、薬草集めに戻らないと日が暮れちまう。日が暮れると魔物が出るから、俺の様な弱いソロは昼間しか採集できないのだ。
「……あっ、あの野郎。後で手伝ってあげるって言ってたくせに」
思い出し怒りを原動力に、日暮れまでせっせと薬草を採り続けた。
――夕暮れ前。籠一杯に薬草を採り、街はずれにある古びた工房兼自宅へと戻る。
元々は村が滅んで行き場を無くした俺を引き取ってくれた親切な爺ちゃんと一緒に住んでいたのだが、3年前に爺ちゃんが亡くなってからは俺一人で住んでいる。
「ふー、ただいま~」
当然家には誰もいないけれど、一応挨拶は欠かさない。爺ちゃんにそう教えられているから。薬作りの基礎も爺ちゃんに教えてもらった。
疲れたから早く飯食って風呂入って眠りたいが、仕分けだけでもしてからにしないと翌日面倒くさい。爺ちゃんが言っていた。『明日でもいい事は今日やった方がいい』って。
乾燥用、塗り薬用、飲み薬……ポーション用。
自分で売り歩く様なコミュニケーション能力があるはずも無いので、ギルドに委託販売をお願いしている。手数料を1割取られるが、気苦労には代えられない。
最近少し調合を変えた特別調合のポーションがよく売れているようだから大目に作ろうかな。
特別調合と言っても、塩とミントをひとつまみ入れただけのものなのだけど。従来品よりさわやかな後味になっていると自負している。
一通り終えてベッドに寝転がり天井を仰ぐ。
「は~、つっかれた」
独り言が増えるのは1人暮らしの常だろうな。
イズミは今日のダンジョンとやらを無事に攻略出来ただろうか?俺が心配するような事じゃないかもしれないが、唯一の昔馴染みとしては当然心配だ。
あいつがいつもどんなところで、どんなものと、どんな風に戦っているのかを俺は知らない。
世界の果ての地の深くから、世界を浸食しようとしている魔王だかと渡り合えると全世界からの期待を一身に背負う勇者イズミ。
何を考えてかはわからないが、わざわざ聞きに来たくらいなのだからもう少ししっかりとあの石板を考えてあげたらよかったなぁ、と今更ながらに思う。俺には世界を救う為にできる事なんてないんだから。
無力感に苛まれる前に眠るとしよう。やっぱり夜の考え事はダメだね、本当。
ポーションが沢山売れていますように。それが身の丈に合った今日の俺の願い。
――翌日、あまり人に会いたくないので朝一番でギルドに行くとなぜか黒山の人だかりができていた。
ギルドに登録している冒険者なんて輩は大概夜遅くまで騒いで、朝遅起きなはずなのに。一応説明をすると、ギルドに登録することによって仕事を受けたり、商品の委託販売や他所への紹介をしてもらったりが容易になる……そうだ。
俺は委託販売にしか使ってないから詳しい事はわからない。とにかく、酒を飲んで管を巻くゴロツキ達と思って大体間違いない。きっとそうだ。
関わり合いになりたくないので、手早く出納受付に向かう。特に受付が混んでいると言う訳ではないので、何やら集まってバカ騒ぎをしているだけだろう。
「シロウ・ホムラさん、ご委託のポーションは完売ですね~。おめでとうございま~す」
出納係の女性はニッコリと微笑みパチパチと拍手をしてくれる。
「あ……あざっす」
この笑顔が週に一度の俺の癒しである。それにしても、完売は嬉しい。来週はもう少し生産を増やそうか。
支払いを受け取る際に手が触れてしまい、反射的に手を引いてしまい誤魔化すように苦笑いを浮かべて話を逸らす。
「……はは。あー、……何の騒ぎなんすかね。朝から」
「うん、イズミちゃんが戻って来たの。今まで誰もクリアできなかった南のダンジョンを解き明かしたんだって。その報告と戦利品の買取にね」
「マジっすか」
チラッと人だかりに目をやるとゴツイ冒険者達の壁の隙間からチラッとイズミの姿が見えた。ほんの少しの隙間だったのだが、イズミも俺に気が付いた様で俺が気が付くようにぴょんぴょんと飛び跳ねて手をあげる。
「あっ、シロウ!?おーい、私!」
ざわめく男達をかき分けてイズミが俺に近づいてくる。
「あははっ、朝早いね。意外意外」
「えっ、何すか勇者様。人違いじゃありませんか」
冒険者たちの視線が刺さる。痛い。イズミはジト目で俺に嫌味を言う。
「あ、そう言う事言う?たった一人の幼馴染に向かって」
伝説の勇者にして、見た者は振り返るような美貌の少女イズミ・キリガミヤ。イズミは冒険者達を振り返り、冷たく言い放つ。
「あ、ここからはプライベートだから邪魔しないでね」
そして、また俺を振り返るとニッコリと笑う。
「シロウは何しに来たの?あ、お金受け取りかぁ。お腹空いたね、朝ごはん食べようよ」
羨望と嫉妬の視線が俺のライフをゲシゲシと削っていく。
「あっ、間に合ってます。人違いでは?」
言葉が聞こえないのか通じないのか、出口に向かう俺についてくるイズミ。
「そうそう。あの石板ね、引っかけだったよ。シロウの言った通り偽物だった。まるで意味なんて無いの」
「何の事かわかりませんが、それはよかったですね。あははは」
「ちょっとお休み貰ったから暫く街にいるから。取り合えずごはん食べようよ。お腹空いたし眠って無いんだよね」
そう言ってイズミは欠伸を手で隠す。そして、ギルドを出るとゴソゴソと一本のポーションを取り出しクイッと飲み干す。
……見慣れた瓶だな、と思ったら俺の作ったポーションだ。
「……お前、それ」
「ん?あぁ、このポーション?シロウも欲しかったら1本あげるよ。えへへ、最近のお気に入りなんだ~。後味がいいんだよね、キレがあるって言うかさ」
グイっと一本俺に差し出してくるので、反射的に受け取る。
「あー、あざっす」
嘘をついている様子も理由も無いので、きっと偶然なのだろう。イズミは、俺の作った特製ポーションの愛飲者だった。不覚にも口が弛みそうだったので咳払いで誤魔化す。
「ゴホン。しょうがないから朝飯くらい奢ってやってもいいぞ。丁度金が入ったところだし」
「本当?やった!」
魔王を倒して世界を救う為に日々戦う勇者イズミ・キリガミヤ。
その彼女が飲むポーションを俺が作った……となると、巡り巡ってほんの少しだけでも俺は世界を救う一端を担っている……と思うのは少し言い過ぎだろうか?
「ねぇ、他人の振り不快だからもう止めなよ」
「しょうがないだろ、自衛の為には必要なんだから」
「変なの」
俺とイズミは朝の光の中食堂を探す。
――これは、魔王を倒す勇者の物語では無い。
ただ、俺ともう一人の幼馴染が過ごす、なんてこと無い当たり前の毎日の話だ。