競馬で負け続けた人間を思う
「今日行ったあの修道院はどう思った?」僕は凛子に聞いた。「時田さんていう兄弟は優しい人だっただろ」
「あたしがあの山の中で暮らしたら気が塞いで、塞いでどうしようもないと思う。あの人たちテレビもスマホもなしで暮らしてたよ」
「あの人たちはキリストが本当に好きなんだ。優しい人たちで皆に尊敬されてるんだ」
「そうだね。でもあの人たち顔色が悪かったし、時田さんっていう人は口が臭かった」
「そう言うな」僕は苦笑した。「時田さんは僕が人生に迷っていた時にたくさん話してくれたんだ。教会からの帰りに一緒に歩きながら二人でいろんな話をした。彼は僕に隣びとの愛をくれたんだ。今に優しい人間の存在が心に温かく沁みる日が来るよ。特に君みたいに苦しい目に遭ってきた人間にとってはね」
凛子は僕の家に泊まることが増えた。母親が僕について話した悪口が大方、偏ったものだったと凛子は理解したようだ。
考えながら僕はその日のテレビ番組を眺めた。女性タレントがホストを務める番組だ。赤十字で活動して慈善活動で知られる女性タレントだった。人気があり、善行と誠実で知られる。
男性ゲストが登場し、滑稽で愉しい話をして女性タレントは「おもしろいわね」と言った。その直後に声には出さずに女性タレントの口が動いた。(おもしろくない)と。
「おもしろくないって言ってるよ。この女の人、怖い」凛子が言いながら怯えた。凛子にはもうはっきりと人間の悪意が見えている。女性タレントが慈善活動の仮面を被った悪意ある人間だと見抜いている。そして悪意のない人間がこの世にいないことも。
「人の悪意が怖いと思わない?」凛子が聞いた。
正直言って僕だって人間の悪意が理解できないし、怖い。悪意が怖くて四十七歳の中年男がこのどてっ腹から震えて、まともに生きることができない。
僕は毎日バスケットボールの教え子たちを率いて前向きに生きることを教えながら、心は暗鬱な泥沼をのたうった。今日も時々聞こえる、人間たちの悪意。その悪意が黒い液体になって器に入れられた水のように傾けられ、器から滴り落ちて僕と凛子の頭に落ちてくる。その現実を僕は怖れた。
なぜ人間には悪意があるのですか? と僕は神様に祈り、問う。なぜ人間をそのような悪意ある生き物として創られたのですか? キリストイエスよ、どうかお答えください。我々親子は今日も修道僧の壁に死体となって閉じられているのです――。
*
僕は人間の悪意については忘れることを選んだ。解決できないことは忘れるしかない。問題を放置して忘れても太陽は昇る。キリストの愛には変わりがない。そういうものだ。
この期間にどんな風に自分が生きていたか、今ひとつ記憶がはっきりしない。僕は新聞の朝刊配達を続けた。真夜中から朝にかけて朝刊を配り、家に帰りシャワーで汗を洗い流して少しだけ仮眠を取る。目覚めた後で僕は裸足で雑草の上を歩く。足の裏からじかに自然に触れる。そして触れられる。神社に太鼓の練習に行ったり、新聞を読んだりして少しのんびりしてから夕方から高校生にバスケを教えに行く。練習が終わると夜七時には眠って夜中の二時半に目覚める。そして朝刊配達。その毎日を繰り返した。相変わらず自分が何かを為しているような気もしたし、何も為してなどいないような気もした。自分については留保したまま僕は生き、そして生き延びた。
『この修道院の壁の中には死体があります』かつて時田さんは言った。『市井で人間の悪意の中で生きた人間がこの修道院に逃げ込んで、そして結局耐えられずに自死したというんです。その死体が今も壁の中に閉じられていると。壁から人間の血が浸み出して来る幻覚が見えたという修道僧もいるくらいです』
僕はふと万馬券について思った。競馬で負け続けた人間がいつか万馬券を当てようと挑み続ける。僕は人生に負け続け、競馬にぶちのめされた人間だと自らを仮定する。いつか万馬券を当てる日が来るだろうかと。ない、と僕は現実を見る。そんな可能性は限りなくゼロだ、と日々の営みをただ繰り返す――。