8.少しずつ、近づく時と進んでいく時
「(これはこれは、複雑な展開になってきましたね。)」
理玖と雅樹の会話を中庭の端にある非常階段の壁に隠れながら、睦美は二人の会話を聞いていた。
「(三守君が急いで図書室から出て行ったから後をつけてきましたけど、そういう事情でしたか。)」
理玖は下校するのか、下駄箱の方へと向かった。その様子を見送って、睦美は隠れているのを止め、中庭に出てきた。無機質で埃っぽい場所から移動したので、少し気持ちよさを感じた。
「三守君の方がリードしているとは思うけど、柏田君も容姿は良いし、スポーツも出来るしで魅力的だもんね。理佐、どうしましょう?」
と、一人でわくわくした表情をしていると、他の生徒が通りかかって、複雑な表情を見せていた。それに気付いた睦美は平静に戻そうとする。
「あっ…。まあなるようになるよね。誰か、私の恋も実らせてくれないかな。」
「ただいま~。」
理佐が家に着き、靴を脱いでいると、女性が奥から現れた。理佐の母、築木 真奈美である。
「おかえりなさい、理佐。引っ越しの準備は順調?洗濯物を片付けに部屋に入らせてもらったけど、あまり片付いている様子じゃなかったから。」
真奈美は理佐の倍の人生を送っているが、普段から自身に気を使っているのか、若々しさがあった。服装に関しても、いつお出かけしても良いような服を着ている。理佐も母に似たのか、自身の見た目を気にすることが多い。
「大丈夫、自分のペースでやっているから。洗濯物ありがとう。」
靴を整理しながら答える理佐。
「そう?まあ、理佐ならしっかりしているし大丈夫ね。何か困った事があったら母さんに言ってね。荷物は休み明けに配達をしてもらう予定だから。」
小さい頃から真奈美のしっかりとしている姿を見てきたので、理佐にとって尊敬できる母親だ。
「はい、頑張ります。」
「理佐には寂しい思いをさせていると思うから、向こうに行っても、こっちに遊びにきたくなったら遠慮せずに言ってね。そういうお金だったらちゃんと用意するから。」
「もう、母さんは優しいんだから。大丈夫だよ、本当にありがとう。」
「今日のご飯はヨーロッパ料理にしてみたの、楽しみにしててね。」
真奈美さんはニコっとしながら、そう言うとまた奥へと戻っていった。
「…不安もあるけど、楽しみでもあるんだから、大丈夫だよ。」
理佐は一人呟いて、階段を上って自身の部屋へと向かった。
理玖の家ではダイニングテーブルに三人が座り、夕食を食べていた。
今日の夕食内容は牛肉をトマトベースで煮込んだもの、きのこが沢山使われたスープ、色とりどりの野菜が入ったサラダが用意されていて、三人は食事を楽しみながら話している。
「ねぇ、今度の休みにはお出かけしましょう。」
久美が提案をする。
「今週は忙しかったから疲れを癒すために良いな。何処に行くかは決まっていたりするのか?」
次の休みについて久美と久志が話す。理玖は隣で話をしている二人の横で食事を摂りながら話を聞いている。
「疲れを取ると言っても温泉とかは高いしね。ハイキングとかはどう?最近テレビでやっていたんだけど、滝とか見ていると癒し効果があるみたいよ。」
「ハイキング~?滝を見るまでに疲れそうだな…。他にしないか?」
「え~、お兄ちゃんが二週間ぶりの休みになるんだから、皆で楽しめる所にしようと思ったのに~。」
「その提案はありがたいけどさぁ、理玖はどう思うよ?」
「理玖だって楽しいと思うよね?」
久志は面倒な表情をしている。久美はもちろん行くよね?ってわくわくを共有している表情だ。理玖は二人の思いが読み取れて、少し苦笑いをする。
「ハイキング、楽しいと思うよ。それに滝を見る機会って全然ないし、場所のチョイスも良いんじゃないかな。」
「ほらぁ!理玖は分かってるね!」
「まじか~、理玖も行きたい派だったか~!」
理玖の同意に目を輝かせる久美。久志は顔に手を当てて首を振る動作をした。
「それじゃあ決定だね。美味しいお弁当も用意しないとだね。」
「荷物が重くなりそうだな、ますます行きたくなくなるような…。」
「でも、お兄ちゃんも楽しみになってきたでしょ?」
「それはそうだ。せっかく行くんだから楽しまないとだろ?なあ、理玖。」
「もちろん楽しみだよ。あっ、そうだ!」
理玖は何かを閃いたようだ。
「ん、どうかしたの?」
「あのさ、ハイキングに理佐も誘っていいかな?きっと喜んでくれると思うし。」
「理佐ちゃん?私は大丈夫だけど?」
チラッと久志の方を見る久美。
「そうだな、理佐さんが大丈夫だったら一緒に行っても良いんじゃないか。」
「ありがとう二人共。明日、理佐に言ってみるよ。」
「ようやく、理玖から理佐ちゃんにアタックする時がやってきたのね。」
久美はニヤニヤしながら理玖の方を見て話す。その言葉に理玖は少し頬を赤らめた。
「そういうのじゃないって!理佐の、この町での思い出作りに良いかなと思っただけだよ。」
「そっかそっか、まあそういう事にしておこうか。俺達よりも理玖が一番先に結婚するかもだだな。」
「あら、それはちょっと寂しいかも。」
「もう、二人共からかわないでよ!ご馳走様でした!」
理玖は食器をキッチンに持っていき、自室へと早足で向かった。
「少し意地悪だったかな。でも、理佐ちゃんの思いはどうなんでしょうね?」
「まあ、青春なんだ。どうなってもいい思い出になるだろうよ。」
「わ、大人の意見。お兄ちゃんも私達の事は気にせずに、彼女さんと一緒になってもいいんだよ?」
お茶を飲んでいた久志は、驚きで少し吹き出してしまう。
「っ!おいおい、なんで久美がそういう事を知っているんだよ?」
「それは企業秘密で~す。まっ、家族なんだし、大体は分かっちゃうよ?」
「恐ろしい妹だ…。まあ、近いうちに会わせたいとは考えている。」
「そうなんだ、楽しみにしています。」
「たくっ。久美も早くお嫁さんになれ。」
「そのうちね~、でも幸せがいっぱいで良いよね。」
「…まあな。」
「もう、何なんだよ二人揃って。」
理玖は自分の部屋に入って、学習机に座り込んだ。
「理佐とハイキングに行けたらいいな…。あっ、そうだ。」
理玖はカバンの中から楓の葉が鮮やかに描かれた便箋と、夕焼けが綺麗に描かれた封筒を取り出した。下校途中の文房具屋にて購入した物だ。
「鈴香に返事送らないと、今週末は一緒に行けないって。」
理玖はいつも手紙を書く時に使用しているボールペンを取り出して、鈴香への手紙を書き始めた。