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直道

導術士の誘拐相次ぐ状況は続いていた。万里の長城建設現場でシパクの上官であった呉勝は、

非公式な形で始皇帝の公子扶蘇、及び将軍の蒙恬と密談を交わす

その道は直道、つまり直線道路というなんの捻りもない名前で呼ばれている。平野の上をどこまでもまっすぐな道が伸びており、まさしく名が体を表している。匈奴へ当面の南下を諦めさせただけのことはあった。長城だけでは匈奴が南下してくるのを防ぐことは出来ない。どれほど堅牢に作った堤防とて、ある一点に水圧が掛かれば崩壊してしまうのと同じ。どれほど堅牢な土壁を延々と築き上げたところで、いつかは突き崩すことが出来る。複数の方面から攻略して相手の兵を分散させてから兵の配備が手薄な一点を繰り返し責めぬいていけばよい。匈奴にとっても、秦にとっても、それは常識と言えた。

勿論、未然に長城を抜かれずに済めばこれほど良いことはない。だからこそ導術士は重宝されるのだった。ある地点で兵士の数が足りなければ、その旨を現地司令部へ導術で瞬時に報告する。そして司令部は直道を使って穴埋めとなる部隊を急いで派遣させる。だが万が一長城を抜かれた場合にはどうするか。その場合は堤防の決壊と同じである。長城は陸の上にある堤防なのだ。匈奴という泥水を堰き止めるために作り上げられている。匈奴が南下してくるのは、堤防の決壊に等しい。であれば長城が破られた箇所へ、損害を顧みずに兵士を投入できるようにしておく必要がある。一旦匈奴を長城の北に追い払った後に、破られた箇所をはじめて本格的に修繕することになるだろう。必要なときに必要な数の軍団を差し向ける。直道はそのために作り上げられた。


首都咸陽からの道のりは二つある。一方は子午嶺と呼ばれる山並みにそってオルドス高地を突っ切るルートであり、もう一方は子午嶺から北東に位置する上郡を経由した後、同じくオルドス高地を抜ける。両方とも最終目的地は、オルドス高地の北の果て、九原である。間近まで陰山山脈が迫ってくる土地であり、今日では包頭として知られている。この九原こそが長城建設の要とすら言える都市だ。ここを匈奴に占拠されてしまうと、秦が30万の兵力でもって手に入れたオルドス高地を放棄せざるを得なくなる。そうであらばこそ直道の目的地となっているのだ。

直道はどこまでも同じ道幅に作られている。一か所でも狭まった場所があると、そこがボトルネックとなってしまうからだ。戦車が同時に六両横並びになって通れるほど広い。勿論、この時代に「戦車」といえば、4頭立ての軍事用馬車を指す。4頭の馬車でもって三人乗りの台を引くのだ。台には御者と2人の戦士が乗る。左右の戦士はそれぞれ長い矛か弓矢を持ち、戦車の両側を守っている。4頭いる馬の手綱を握って御者が方向を定めながら、戦車を突撃させていくのだった。戦車の周りには、大量の随伴歩兵がいる。春秋の世には2,30人に過ぎなかった歩兵の数は、戦国時代を通じて増えていった。秦が中原を統一したこの時代ともなると、7,80人となる。何故これほどの数が必要かといえば、戦車といえども万能兵器ではないからだ。確かに正面から突撃されたら恐ろしいことこの上ないが、側面や真後ろからの攻撃には脆弱極まりない。試しに戦車の車軸を折ってみれば、直ちに移動不能となる。そういうことをされないための随伴歩兵だった。

だが匈奴の感覚からすると、直接馬の背に乗って戦わないのが不思議だった。矛で武装するにせよ、肩から弓矢を撃つにせよ、馬に跨れば問題ないじゃないかと。だが中原の民は産まれたときから家畜に触れている訳ではない。鐙や背もたれのある鞍が普及した時代であれば、産まれたときから馬に乗っていなくともなんとかなったろう。だが鐙がなければ、馬に乗ったまま弓矢一つ撃つこともままならない。踏ん張ることが出来ないからだった。両足で馬の背を締め上げるようにして身体を支えれば何とかなるものの、慣れない者が真似をすれば脚が鬱血しかねない。結局産まれたときから馬に乗らないとできないような曲芸じみた技には違いなかった。だから中原側が匈奴と対抗するには、馬に引かせた台車の上で戦うしかなかったのだ。匈奴のように騎乗できるようになるのは、鐙や硬い鞍が普及しはじめた時代からである。

結局俺たちが匈奴に対抗するには、色々と仕掛けをしないといけないということだ。呉勝はそういう風に結論付けていた。呉勝は平民出身の御多分に漏れず、馬には乗れない。だから今の彼は1頭立ての貧相な馬車に乗っている。馬に引かれている幌なしの荷台は、自分自身と移動するときに持ち込む鞄を入れたらギリギリという位の小さなもの。情けなくなるくらいこの見すぼらしいが、これが移動用として導術士へ支給される公用馬車だった。せめて幌くらいは付けてくれてもいいのに、と思うが致し方ない。匈奴であれば颯爽と馬の背中に跨っていくんだろうけど。

馬への乗り方一つとっても、これほどの差がある。その差を埋めるための長城であり、直道であり、導術士だった。導術士の歴史は、統一戦争の歴史でもある。これほど早く秦が中原を統一できた理由の一つには、間違いなく導術通信が挙げられる。即座に隣の部隊とやり取りできるこの技術なくして、旧六国をあれほど早く制圧できたかどうか。部隊同士の連絡だけではない。首都咸陽と現地司令官との連絡がほぼ瞬時に成し遂げられたが故に、現地軍の独走を防ぐことが出来たのも一度や二度ではない。秦では捕虜とした敵の首を刎ねて、祖国に持ち帰るという蛮習が見受けられた。持ち帰った首の数が、そのまま戦における自分の戦果となるからだ。そういった蛮習は呂不韋が宰相の時期に廃止されたが、それでも昔のままに敵兵を際限なく殺そうとする将軍は後を絶たなかった。彼らの暴走を未然に食い止めたのが導術士である。それが導術士が軍内部で嫌われる一因でもあるのだが。或いは現地軍が上に指示を仰いでいるのを待つ間に、折角の時機を喪うというようなことも比較的少なかった。秦の軍律は厳しく、例え戦果を挙げたとしても法を犯したが最後、全てを喪うことになる。だが実際の戦場では逐次状況が変わっていく。あと一押しで関所を抜ける、あと少しで城を落とすことが出来るとしても、その一押しをしたが為に後から法律に反したと告訴されては堪らない。だからこそ、首都咸陽の司令部へなるべく迅速に判断を仰げる通信網が築き上げられたのだった。軍隊の統制が取れる事それ自体は良いことだが、これはこれで現地の将軍たちからは咸陽から手枷足枷を嵌められていると評判が悪かった。そういった反感は末端の導術士へと向けられる。


軍内部に導術を普及させた立役者が呉勝である。元々は中原で商いを営んでいたと言われる。郷里でさほど大きいという訳でもない田畑を耕す一生に見切りをつけて、商売の道に入ったのが手始めだった。だが権力者との伝手がある訳でもない若造に大した仕事など舞い込んでくる筈もない。何か自分にだけはある、他人との違いはと探した後に辿り着いたのが、導術だったのだ。といっても彼の用いた導術通信というのは極めて原始的なものだ。出先となる店に導術士を置いて品物の相場を逐次知らせるとか、その程度のもの。だが商売に導術を使うという発想は、呉勝が初めてだった。やがて商売が上手く回るようになり、宰相である呂不韋の部下の耳にもその評判が届くようになってから、初めて彼は軍隊に籍を移したのだった。今の皇帝陛下が大王として即位される前の話だ。

呂不韋が呉勝を気に入った理由は幾つかあるらしい。同じ商売人同士、呉勝と呂不韋との間に相通じるものを感じたのかもしれない。あるいは導術通信が宮廷での陰謀を企むときに役立つと踏んだのか、そこらへんは定かではない。とにもかくにも、呉勝は呂不韋の庇護の下で導術士による実験部隊を立ち上げたのだった。最初は順調そのものと思えたものの、今度は後ろ盾の呂不韋の雲行きが怪しくなってくる。大王の後見人として権力を恣にしていると、成長した大王から切り捨てられるのは歴史の常だ。呉勝はここでも抜け目ない立ち回りを見せた。後に今の皇帝陛下となる大王が即位なされるや否や、今度はその大王を口説き落とすために手練手管を使う。そして今度は扶蘇がやがて太子として立つだろうと見越して、彼に導術の売り込むのだった。

「今権力を握っているのは誰かだけじゃない。次に権力を握るのが誰かも見抜かないと駄目だ。相場と一緒さ」

と呉勝は親しいものに言ったものだ。確かに彼はそうやって時代に即した権力者を見抜いて自分達の技を売り込み、結果として軍内部で胡散臭く見られている導術士へ活躍の場を提供した。これらは秦軍内部では伝説と呼ばれており、一部には呉勝を剃刀と呼ぶ者すら居た。曰く「余りにも切れすぎる」と。最近の呉が昼行燈で通しているのも、理由がないことではない。秦の歴史を見れば解る。権力者の寵愛を受けて贅沢な暮らしをしている役人は、大抵その後で身内か誰かに裏切られて悲惨な末路を迎えていた。それに上といつでも繋がるパイプさえ確保しておけば、普段は自分の富や権力を見せびらかさない方が長生きできる、というのが呉勝の人生哲学であった。よく言うじゃないか、能ある鷹は爪を隠す、と。『私も同じことさ』とまでは言わない所が呉勝の節度だった。これまでは、北辺の地で一介の導術士という立場にわざと収まっていた。

だがもう限界である。理由はシパクだ。どんな面倒な任務が与えられても飄々とした態度でそつなくこなしていくあの男ですら、簡単に攫われてしまった。ウチの燧だけの問題とも思えない。よそでも似たような塩梅なのだろう。シパクが攫われてからというもの、北辺にある長城建設現場において、導術士たちは滅多に配属された(スイ)を離れなくなった。命令とあらば致し方なく出張するのだが、それでも何のかのと理由を付けて動こうとしない。シパクが全ての切っ掛けという訳でもないだろうが、身近にいる人間までが攫われるというのは大きい。皆自分が誘拐されるという危険性を肌で感じ始めたのだろう。確かに導術士の誘拐がここまで頻発すると、日常業務にすら支障を来し始める。或いはそれが匈奴の狙いなのかも知れず、であればとても狡猾なやり口と言えた。

それだけではない。

これまで唯々諾々と付き従ってきた旧六国の導術士たちが次々と匈奴へ降っている。何か手を打たねばならない事は明白であり、であればこそこうして皇帝陛下の公子様と一緒に将軍へ直訴に来ているのだ!

4頭立ての、引かれている台車が漆で黒色に艶光りしている豪勢な馬車に公子扶蘇は乗っていた。皇帝陛下に連なる身分の人間としては、比較的地味な身なりを好むという前評判ではあった。まぁ大貴族の様に気が狂ったような装飾は皆無だった。それでも呉勝に支給されている公用馬車と比べるべくもない。呉勝とて一度はこういった馬車に乗ってみたいと思うときはあるが、今はそれよりも導術士の誘拐をどうするかの方が先決だった。呉勝がやむにやまれず伝手を頼って、北辺の長城建設現場から直道を伝ってここに来ているのは、そうした理由によるものだ。名目上は出張という事になっている。

豪華な馬車の中から公子の声が聞えてくる。

「なんだ、将軍に会う前から色々と心労が絶えないみたいだね」労わるのか揶揄するのか解らない口調であった。「そんなに長城の建設現場は酷いのかね?導術士の誘拐が」

「酷いなんてもんじゃありませんね。去年の暮れから今年に入ってからというもの、一人や二人じゃありませんよ」

そんなにか、と扶蘇が言いながらも、まぁこっちも似たようなもんだしね、と答えていた。何処も事情は同じか、と呉は納得する。上に対して必死で警備兵の人員増強と導術士の補充を頼んだ所で、これではなしのつぶてな訳だ。扶蘇は今、まぁこっちも似たようなもんだしね、と言った。あまり色よい返答を期待するなよ、という意味だろう。大体無茶なことをしているのだった。

帝国の北部辺境地帯で匈奴を黄河の北へ追い払いながら、長城建設という大工事を行い、長江の南では南方の粤とかいう蛮族相手に数十万の兵力を挙げて戦争し、それでいて首都咸陽の近くにこれまた阿房宮とかいう宮殿を建設し・・・

それらの労役作業にあたるのは、専ら軍の兵士と農民、徴用されてきた罪人だ。とはいえ軍の兵士は大方農民出身と相場が決まっている。だからこの農民と兵士というのは、大して扱いが変わらない。問題は罪人だ。赤い服を着て居たり、或いは鼻を削がれていたり片方の腕が無かったり。そんな具合の犯罪者と一緒に作業したがる物好きはいない。第一顔を覚えられたら、何をされるか解ったものではない。そういった連中は一纏めにしておいて、囚人頭を通じて命令を下すことになる。囚人の数が多すぎると反乱を起こされたときに手が付けられなくなるが、あまり分散しても管理が面倒だった。そんな訳で、囚人は500人単位で一纏めの集団として労役にあたっている。大体かれらに割り当てられる労役というのは、危険が多い力仕事だった。囚人が事故死したところで惜しくはない、と言っている訳ではなかろうが、自然とそうなった。ちょうど今、赤い服を着させられた咎人達の作業現場を通り過ぎようとしている。彼らを遠巻きにして兵士たちが監視していた。何かあればすぐに制圧できるようにだろう。

「私みたいな下っ端には、上の方々の考えていることなぞ存じ上げませんがね。この国では咎人ですらこれほどに仕事熱心なことですなぁ」

ここまで仕事熱心であれば、是非とも私どもの身辺警護までお願いしたい所ですね、呉勝は言葉の最後にそう付け加える。囚人まで駆り出さないとどうにもならないくらい人手不足だから、我々導術士を警備する兵隊が足りないのも致し方ない、と言いたいのだろう。聞くものが聞けば体制批判とも捉えられる危険な物言いであり、幾らお忍びに近い形での同行とはいえ、皇帝の公子に向かって通常では許される口の聞き方ではない。だが馬車の中にいる扶蘇は、

「なんとまぁ素晴らしいことだろうな!道なき所に道を通し、平原に延々と連なる長城を築き上げ・・。これも陛下の御心に付き従う幾千万もの民があらばこそだ。本当に素晴らしい!」

と大仰に感激してみせただけだった。勿論、本心からではない事は二人とも解っている。だが扶蘇には立場というものがある。こんな政治的に際どい話はもうやめにしようや、詳しいことは内々の場で話しましょうと言いたいらしい。扶蘇との会話は、大抵こうした茶番じみたやり取りが含まれる。だが皇帝陛下の太子ともなれば、色々と苦労が絶えないものなのだろう。


二台の馬車は、崖から土砂を削り取る現場を通り過ぎようとしている。切り立った崖に戦車やそれに随伴する歩兵の集団を通すには、崖の中腹から上にある土砂を取り除かねばならない。崖の岩肌に人間の腕2,3本はあろうかという直径の穴を穿ち、穴の中へ木の棒を差し込んでからその上に板を渡していくのだ。だがそんなやり方では到底戦車が並んだまま数両通れる幅を確保することは出来ない。なので一番面倒なやり方、つまり岩肌を削って無理やり太い道を通すことになる。道の傾斜が余りにもきついと戦車が転げ落ちてしまうので、常に緩い傾斜を保たねばならない。そのためつづら折りの道のりが延々と続くのだった。

まずは土砂を人海戦術で取り除く作業から始まる。だが何も考えずに大人数を突っ込めばいい訳でもない。そもそも言葉が通じないからだ。

秦が戦国七雄を統一して間もない時代、文字も貨幣もまだまだバラバラである。勿論、統一するのだ、という詔は天下に下されている。しかし上が政策を打ち立てるのと、下々がそれにどういった対応を示すのかはまた別の話。いきなりこれまで使っていた言葉も文字も捨てて、秦の言葉と文字を使うことなど出来る訳がない。という訳で、各現場では同じ郷里から徴用された農民たちが作業にあたった。郷里の歌を誰がいうともなしに口ずさみ、それに合わせて皆が一斉に土を掘り返して荷車に乗せていく。基本は農作業と同じだ。面倒なのが、土砂を取り除いていく中で岩盤が見つかったときだ。そういう時には開き直って金属製の鑿で少しずつ削り取っていく他ない。水をしみこませてから熱すれば膨張した水蒸気によって内側から石を割ることも出来るだろうが、そもそもそんなやり方は知られていない。道幅の半分ほどを木製の足場が覆っており、こういった力が要る面倒な仕事には囚人が割り当てられることが多い。

崖や山肌を切り崩しただけでは道幅が足りないと、今度は盛り土をする必要が出てくるのだった。

ひたすら下の方から一層一層土を盛っていく。適当に土を敷けばよいのかというとそうでもない。所によっては、土質に合わせて砂利や砂などを混ぜることもある。突き固める際に粘土分が多く砂利が少ないと、乾燥したときに収縮して突き固めた土面が割れやすくなってしまうからだ。こればかりは現場で試行錯誤してみるほかない。作業には職人があたる。彼らが満足する出来の土が出来上がって、初めて突き固める作業に入れる。木枠を設けてその中に土を流し込み、流し込まれた土を叩き棒でついていく。役人から支給される青銅製の叩き棒はあまり人気がなく、それよりも手になじんだ木製のものが好まれる。この作業では集団で呼吸を合わせるのが大事だ。だから同郷で固められた農民たちが割り当てられる。こうやって少しずつ土を突き固めながら、道幅を確保するのだ。

こうして漸く戦車数両分の平らな道が確保できる見通しが立っても、まだまだ仕事は続く。まず路肩となる空間を定期的に設けておく必要があった。これは戦車の臨時駐車場として、あるいは戦車や荷車の方向転換に必要となる。いよいよ必要な道幅をもった地面が出来上がると、その表面を石臼のようなシロモノで丹念に何回も何回も平らにする。更に水を受け取るため、側溝を道の両側に掘り込んでいく。側溝それ自体にも勾配を付け、雨水を貯水湖へ逃すようにしておく。こうした雨水は地区の農民が耕す際の用水となる。道路の中央部を若干高くしておき、道の両端に設けられた側溝へ上手く雨水が逃れるように勾配を付けておく。これら全てを行い、漸くこの区間の軍用道路が完成する。出来上がった直道は、呉勝を物思いから現実に引き戻すのに十分だった。思わずホぉとため息を漏らす。

もうここまで完成しているのですな、と豪勢な馬車の中にいる筈の扶蘇に語りかける。

「道が完成すれば、今度は亭障の整備。そして導術士の手配。やることは幾らでもある。将軍は御多忙だよ、私なんぞと違ってね」

扶蘇はそう言って自嘲気味に笑っているようだったが、呉勝は演技だと解っていた。扶蘇の役目の一つは蒙恬将軍への監視であることは誰もが知っている公然の秘密だ。

扶蘇が乗った馬車は道路脇に設置されている建物へと逸れていく。亭障と呼ばれるこの建物は、基壇の上に建てられている。版築工法で地面を固めて小さな壇を作り、その上に建物を建てる。この時代の中原における典型的な建築様式だった。基壇の一辺は馬で駆け抜ければすぐに通り過ぎてしまうくらいの長さでしかない。様々な建物が基壇上に配置されていた。導術士の詰所もその一つだ。亭障は様々な役割を果たす。咸陽からやって来た扶蘇を取り合えず迎え入れる場所かと思えば、建設現場の近くで出没する山賊を討伐する拠点にもなり、またあるときは直道の建設事務所のようでもあり、更に咸陽からやってくる導術通信をリレー式に伝達することもあった。亭障同士の間隔は、馬を飛ばして3,4刻ほどの距離となる。早馬を使って命令を伝える従来式のやり方であれば、咸陽から長城の建設現場まで2週間は掛かるところ、導術のおかげで僅か2,3刻で命令書が伝達できるようになっていた。これまでのところはそうだった。最近は山賊が導術士を攫うせいで人手不足甚だしく、昔のように早馬で伝令するしかなくなっていると呉勝は仲間うちの噂話で聞いていた。


豪勢な馬車が基壇の前に止まると、そこから若い男がヒョイと台車の扉を開けて飛び降りた。台車の中から慌てて召使いと思しき連中二人が出てくるものの、「いいよ。別に来なくとも」と若い男はブツクサ言いながら一人で亭障に向かって歩いて行った。これが皇帝陛下の公子にして、恐らくは第二代皇帝となる扶蘇様かと思うと拍子抜けしてしまうだろう。皇帝の公子ともなれば徒歩での移動などまず考えられず、基本は輿に揺られて移動するものだ。事実、旧六国では例外なくそうだった。だが扶蘇はそういった習慣を嫌い、自分で出来ることは自分で済ますことにしていた。こういった扶蘇の性格は、軍内部では必ずしも悪く受け止められていない。呉勝は扶蘇の後ろに影のように控えながらぽつりと、将軍はいつ頃こちらへ、とだけ尋ねる。

「すぐに来るよ、そういう風に導術波で返してきた。導術ってのは早くていいね」

この男こそが呉勝の後ろ盾である。

亭障の基壇を上るときに若干息切れを感じ、自分がもう40歳を当の昔に過ぎたのだと呉勝は感じた。そんな呉勝をからかうかのような視線を向けつつ、扶蘇はスタスタと登っていく。呉勝はやっとこさ階段を登り切り、基壇の上にある建物の一角へ入る。どうやら事務所として建てられたようだが、一応応接間じみたものもある様だ。手狭ではあるが、あまり大ぴらに出来るような打ち合わせでもないのでこうした場所の方が寧ろ都合がよい。真新しい建物独特のほのかに薫る建材の香りを心地よい。まず扶蘇が一方に南に面して座り、もう一方には空席の座敷となっている。呉勝を座らせてから扶蘇は尋ねた。

「蒙将軍に会ったことは?」

「何回かは。しかし向こうの記憶に残っているものかどうか」

「そうかも知れない。でも気にすることもない。相手が自分にとって役に立つことを言っていると思ったら、自分より身分が下であっても聞き入れる。相手が見当違いな事を言っている場合には、例え皇帝陛下のご意見であっても聞き入れない。そういう人だよ」

「それだけ聞くと敵を沢山作りそうな感じもしますが」

戦の天才だし、それに何と言っても蒙家だからね、とだけ扶蘇は呟いた。誰あろう皇帝陛下の公子には親の七光り云々などと言われたくないだろうが。後からやってきた召使いたちが大慌てで膳だの敷物だのなんだのを応接間に運び込んでいる。呉勝にもささやかながら小さな膳を出してくれた。


蒙家は代々軍人を輩出してきたいわば名家である。わけても蒙恬は、これまで赫奕たる戦果を上げてきた。そんな大将軍といってもよい彼が、自分から地方での厄介な仕事を引き受けている。30万の軍勢を率いての匈奴討伐はいいとして、征服した土地であるオルドス高地へ、自らが率いる30万の軍勢を入植させ、合わせて首都咸陽と直結する道路を敷設する。もはやこれは一大事業といって差支えなく、誰もが嫌がる大仕事だった。

何故そんな仕事を引き受けたのか。

軍事国家の秦において、軍人は有能でなくてはならない。だが有能すぎる軍人は殺される。皇帝にとって軍隊という暴力装置がいつ自分に刃先を向けてくるか解ったものではないからだ。白起将軍の例を紐解くまでもなかった。白起は無能だからではなく、有能すぎるから殺されたのだ。それでもこれまでは旧六国という解りやすい敵がいた。今はいない。既に自分たちで滅ぼした。外に敵がいなくなった瞬間、組織のトップは将来反乱しそうな部下を粛清しだす。それが人間社会の常だ。であれば政治闘争から極力距離を取りたい。自ら厄介な匈奴対策の土木工事と、これまた厄介な公子のお守りという仕事を買って出てしまえばいい。咸陽の政治など何処吹く風、ひたすら陛下から与えられた仕事をこなし続ける。まさしく軍人の鑑であり、政治的野心なぞ微塵もない。これまで蒙恬はそういう風に振舞ってきたし、一族郎党を守る為にも今後もそうするだろう。

蒙恬将軍が苛立たしげに入室してきた。傍らには護衛であろうか、2,3人ほど副官らしいのが控えていた。皆馬車ではなく馬に直接乗ってきたのだろう。少し汗の饐えた臭いが立ち込めている。

「本日はどういったご用向きですかな、太子?」

太子、という所に嫌味なアクセントを響かせることなど、この大将軍以外には出来ないだろうと思えた。手っ取り早く拱手してから勧められもしないうちに座布団へ座っている。皇帝陛下に幼少期からお仕えしている軍部の巨頭なればこそだろう。そうした態度こそが敵をつくる原因となっているのだが。

将軍の恰好は、そこらの将校と大差ない。というよりも秦軍全体に渡って、将校と兵士の制服に違いがないのだ。上に着る深い衣の色も厳格に決まっており、この時代には薄い青色と定められている。下に履くズボンの色は白く、両袖と襟元が赤くなっている。この服装は、扶蘇や呉勝も変わらない。尤も呉勝の着ている制服の布地は安っぽいもので、三か月も着ているとヨレヨレになってくるような代物だった。一方の蒙恬将軍はといえば、五日に一度は新しい服に着替えているせいか、いつ見てもこざっぱりした印象を与える。ここら辺は扶蘇も大して変らない。

「我々皆が共通して懸念すべき内容をお伝えに上がりました。蒙将軍」

扶蘇はそういった蒙恬将軍の侮辱的な物言いを気にする風もなく、『共通して』という所にアクセントを付けた上でさらりとこういってのける。わざわざ懸念事項を伝えにきてやっているんだぞ、という。

「将軍は自らの配下にある導術士がいなくなれば、どういう戦い方をするんだろうな、そういう話を二人でやっていたんですよ」

その言葉に蒙恬がそれほど驚いた様子もない。彼も自らの間者によって、それらしい情報は軍内部といわず蒙家といわず耳に入れていることだろう。今日この場所で、扶蘇からこうした話を聞かされるとまでは予想していなかった様子だが。


「将軍、紹介させて頂きます。導術士として北辺一帯を統括しております、呉勝という者です」

立ち上がってから呉勝は拱手し、畏まった具合に挨拶する。この時代、高貴な人間からの紹介というのはただならない意味合いを持った。ましてや紹介してくれたのが皇帝陛下の公子とあっては。

それにしても胡散臭そうな男だ、と蒙恬は思った。軍人の癖に弛んだ腹をしている。あまり前線に出て戦っていない証拠だ。ここら辺は導術士という緑色の冠から得られる印象を裏切っていない。だが油断のならない目つきは修羅場を潜り抜けてきたことを感じさせる。確か昔は商売をやっていたと聞いているが。

「ここから先はこの呉士官に詳細を説明させましょう」

呉勝はまず通常の挨拶を済ませようとして立ちながら拱手し、何かを言いかけた。だが蒙恬がそれを遮る。

「まぁ呉君、拱手の手順だの、時候の挨拶だのそういうのはさて置こう。時間の無駄だよ。そんなよりもだ。俺が」

そう言ってから蒙恬は、本来この場における主賓である筈の扶蘇に断りもせず膳に盛られた食事に手を付け始める。

「言いたいのは、まさか君ほどの男が、『僕の現場にもっと導術士回してください』なんていう事を言うためにわざわざここまで脚を運んだ訳じゃあるまい。なんだか色々と言いたいことがあるんじゃないのか」

俺ほどの忙しい人間に時間割かせているのだから、中身のないこと抜かしやがったら席を立つぞ、という予告である。如何にも歴戦の猛者らしいと言えばそうなのだが。


「将軍閣下が言われる通りです。では例えを使って解りやすく説明します。元々商売人でしたので、卑しい例えで申し訳ございませんが、慣れ親しんだ商売に例えてさせてもらいます」

こういって呉勝は自分のペースに巻き込む。得意分野である商売でのたとえ話に持ち込んで説明するのが呉勝の癖となっていた。

「咸陽に店を構える・・・そうですな、色街の大店で考えてみてください。100人いる女郎のうち、30人が病気だの見受けだので辞めてしまうと、一体どうなりましょうか?単純に売上が三割落ちるだけか、それとも店を畳むことを真剣に検討せざるを得なくなるのか?」

「私はこれまでずっと軍人として生きてきた。商売のことは解らない。だが(君もよくよくご存じかとは思うがね)飲む打つ買うの三拍子は一通り経験してきた積りだよ。それに戦争で1/3の兵士が使い物にならなくなればその時点で全滅だ。まぁ1/10かそこらであればまだまだ戦えるのだろうが。これから呉君が言わんとしているのはそういう話だろう?」

「将軍閣下のご賢察には敵いません」

仮に何かしらの理由で呉勝が言った通りに女郎が三割も辞めていったとしたら、残された連中は忙しくなるどころの話では済まなくなる。大体人員というのは、ローテーションのやりくりまで考えて雇っているのだ。人間ある程度休ませないと過労で倒れてしまう。最悪の場合、店を畳んでしまうか業務を大幅に縮小せざるを得なくなる。

「つまり、現状で導術士諸君の置かれている立場というのは、100人いる女郎のうち30人が辞めていった遊郭にある大店だと、そう言いたい訳ね?」

「そうです。しかし咸陽にある大店と我々には少し違いがあります。遊郭にある大店が一つ潰れても、他の店に行けばいいだけの事。ですが導術が使えなくなれば、長城防衛にも、直道の管理にも支障を来すことは間違いありません・・」

現状で閉じても差支えない導術通信網など何処にもなかった。長城の線に沿った通信網は言うに及ばず、直道に沿った線、旧六国の首都と咸陽を結ぶ線。どれ一つ即時通信が出来なくなると、業務に深刻な支障をきたすものばかりである。蒙恬ははぁーっとため息を一つついた後で、こう続けた。

「少しどころじゃないよ。今建設している長城ってのは、導術士が各所に詰めていることを前提に成り立っているんだ。あんな長い城壁全てに兵隊を四六時中貼り付けて置くわけにもいかないしな。直道にしたってそうだ。一定の間隔で置かれた亭障に導術士が居るからこそ、長城の城壁が破られた地点へ向けて即座に部隊を急派できるというものだ。君はこう言いたい訳だな?このまんまじゃあ、帝国全体の導術通信網が寸断されてしまう。すると幾ら長城や直道を一生懸命作ってても意味がない」

「下っ端の導術士風情が本来考えることではないのでしょうが、長城では導術士が匈奴に攫われる。或いは旧六国出身の導術士が匈奴の下へ降ろうとしている。この調子で、あと2,3年持てば御の字でしょう」

「何とも明け透けなことだ。咸陽の宮中で木簡開いて偉そうにしていたら、絶対に聞けない意見。有難いね。あんまり聞きたくはないけれど。匈奴による導術士を攫う作戦によって、わが帝国は追い詰められているって事だよ」

最後に扶蘇が吐き捨てるように言い放ち、酒を自分の盃に注いで吞んだ。


「公子様も薄々はお聞き及びでしょうが」そうやってチラリと扶蘇の顔を眺めたあとで蒙恬は続けた。呉勝はいまだに立ったまま。いい加減座りてえなと思いつつも、主賓から座りなさいと言われるまでは立ったままでいるのが礼節ある態度だった。第一、相手は二人とも雲の上のお方だ。本来であれば呉勝が会って話すことすらままならないほどの。

「私が建設の監督をしているこの直道沿いでも似たようなことが起きてます。尤もこちらは山賊が導術士を攫うんですがね。奇妙ですよ。金目のものをもった商売人たちの馬車だの軍の糧秣には目もくれないで、導術士一本やりなんですから。部下に調べさせていたら漸く合点が行きました。どうやら匈奴の公子の冒頓ぼくとつ)。これが食わせ物だったみたいですね。」

冒頓というのは、中原におけるバートゥルの呼び方である。彼らにはそういう風に聞えるので、無理やりこの文字を当てている。蒙恬はいつの間にか生来の砕けた口調になっていた。漸く腹を割って話す気になった証拠だった。恐らく扶蘇が妙に下々の使うような言葉を会話の端々に入れるのも、蒙恬の影響なのかも知れなかった。

「冒頓が中原の山賊どもにカネをばら撒いて、ともかく手段を選ばずに導術士をかき集めているんです。山賊とすれば直接商人襲って金を奪うよりもずっとこちらの方が高い値がつくからどうしても導術士ばかりが襲われることになる。

それに旧六国の連中が職種を問わず脱走しているというのも同じですね。あいつら、未だに国が独立していた頃の気分が抜けんのです。そういう連中が部隊を抜けるときに、手土産にウチラの導術士を山賊に売るんだ・・」

売るといっても、まさか奴隷商人宜しく人狩りをする訳ではない。ただ何処の亭障には、何時何分に誰それがいて、中の構造はコレコレで、といった情報を山賊に渡すのだ。同じ導術士を攫うにしても、事前に情報があるなしでは全く仕事の難易度が変わってくる。そしてこういった情報を渡した当の本人は、山賊から情報料を頂くのだ。扶蘇も薄々はそこら辺の事情が解っていた。近頃は直道沿いの木々が全て伐採される様になった。以前はなかったことである。何故そんな手間のかかることをしているのだ、と扶蘇が問うと、山賊対策です、という答えが返ってきた。山あいを抜ける道の木々に賊が身を潜めることができないようにと。こんな手間暇の掛かる伐採作業までしなければならないほど、事態は深刻だった。


「匈奴に導術士なんて使いこなせるの?アイツら文字が読めないでしょ?幾ら大量に導術士を攫ったところで宝の持ち腐れじゃないか」

蒙恬が口調を崩したために、扶蘇も崩した話し方となる。最初はこういった喋り方には抵抗感があったが、慣れると本当に心地よい。第一、肩が凝らない。

導術の波は短い波長である・と、長い波長であるーの二種類だけだ。この二種類の波の組み合わせで単語を表しており、その対応表は符号表と呼ばれている。これらを暗記しないと、実務で役に立つ仕事をこなすことは出来ないのだった。そのため読み書き能力は必須とされる。扶蘇が言う『文字が読めないでしょ』というのはそういう意味だ。こうした人材を大量に揃えて、初めて導術波を送受信しあえるようになる。

「匈奴が自分たち自身で文字を読む必要はありませんよ。我々の符号表を読み書きできる連中に頼めばいい。旧六国の導術士なんてピッタリです。連中とて秦の言葉くらいは解りましょうし」と呉勝が後を継ぐ。もう座りなさい、と蒙恬がさりげなく言うと漸く呉勝は座ることが出来た。だが扶蘇はそんな事に構わず続けるのだった。

「だとしても解せない。我々の導術波を盗聴するだけだったら、ここまで大々的に導術士を攫う必要性はこれっぽちもないんだ。何が狙いなんだ」


「簡単ですよ、公子様。先ほど将軍閣下が言われていた冒頓。彼も導術の使い方に気づいてきたというだけですよ。余り褒められたものではないかも知れないが」

そこで蒙恬はチラリと公子扶蘇に目をやりながら

「君たちがいつも我々にやっているようにだな」

とだけ言った。扶蘇は少しずつ顔に笑みを浮かべる。それはある意味で悪戯のバレた子供の笑い顔でもあり、それでいて宮中で陰謀を張り巡らす連中の顔出ちともよく似ていた。だからこそ、蒙恬はこの扶蘇を心の底で信用できないのだ。

我々は飽くまでも命令をこなすだけですから、とだけ呉勝は呟く。ここからが俺の人生、一世一代の大勝負だぞ。ここでしくじったら最悪この将軍に殺される。

「そもそも導術と諜報は相性が良いんです。見聞きしたことを即座に送受信できる訳ですからな。冒頓はその価値に気が付いている、のでしょう」

・・・ただの導術士なんかじゃないとは思っていたけどさ、と蒙恬が吐き捨てるように言うと、呉勝は何も聞かなかったかのように喋り続けた。

「それに冒頓は配下の兵に奇妙な訓練をしています。旧六国の導術士に紛れ込ませたうちの者が言ってきているので、まぁ事実でしょう。」

一体どんなだ、と思わず蒙恬は身を乗り出して聞いている。あぁこれはもう情報を持っている人間が持っていない人間を操るときの典型だな、と扶蘇は冷めた視点でやり取りを見ている。

「自分が矢を打ったら、部下にも同じ行動を強制するんですよ。例外はありません。まずは自分の愛馬、次は面倒ごとばかり起こす自分の妻」

「随分と壮絶だな。自分の妻ときたか」

「私も最初その報告を聞いたときには俄かに信じられませんでした。だから裏が取れたときに、こう思ったんですよ。そこまでして一体誰を殺したいのかと」

そこで扶蘇が疑問を挟む。

「単純に部下の忠誠心を試しているだけではないのか?いつ如何なるときにも従う軍団を作り上げたいとか?」

「やり方が異常ですよ。それに連中の社会で噂なんてすぐに広まる。普段北辺にいる私が知っているくらいですから、今頃は匈奴中に知れ渡っていることでしょう。忠誠心溢れる部下を得るだけにしては、やり方が度を越していますね」

「確かにな。忠誠心だけあっても狂っているのが来ても困る」

「そうです。極端な話、別にそこまで主君に忠義立てする必要もない。必要なときに必要な行動を取ってくれればいいんですよ、部下なんて」

余りにも明け透けな呉勝と扶蘇のやり取りを聞いて、流石に蒙恬は呆れてしまう。だが呉勝にとって部下とは結局そういった存在だった。だからこそシパクが居なくなったことが悔やまれるのだった。手に馴染んだ道具は替えが効かない。

「公子様、ここまで言われて良いのですか?」

「構わないさ。俺はこの呉という男の忠誠心など期待しちゃいない。彼のもたらす情報が欲しい」

なんとも現実的なことですな、と返した蒙恬は、呉勝を見据えてこう言った。

「呉君、貴官の見立てはどうなんだ。何故冒頓はここまで壮絶な訓練を部下に課すと思う?」

「親父である匈奴の単于を殺したいんでしょう?他の可能性が考えられない、ここまでするんだから」

あぁ、命令に従わない部下はね、全員斬り殺されたそうですよ、本当におっかないですね、と呉勝は付け加える。扶蘇と蒙恬は、何とも言えない表情で膳に出された魚を箸でつつくだけだった。


「だとしてもだ。単于を殺して自分が跡目を継ぐだなんて大事だぞ。匈奴の中がごたつけば俺たちに攻められないとも限らん。或いは両隣の部族が攻めてくるかも」

蒙恬は実に軍人らしいモノの見方をした。匈奴は、西に月氏、東に東胡という部族に挟まれている。だが呉勝がこの後に言った事は、又しても蒙恬の予想を超えていた。

「まぁ冒頓が何を考えているかなんて、現状では単なる憶測に過ぎません。私だって直接あった訳じゃないし正直検討がつかない。

商売人らしく下品な言い方をしますとね、我々秦が御今上の跡目争いをしているその真っ最中こそ、冒頓にとっては親父を殺す最高の瞬間なんですよ。なんたって南の中原に気を配る必要がなくなるんだもの」

呉勝は、たった今自分が政治的に恐ろしく危険なことを喋ったと理解していた。蒙恬の顔色が瞬く間に変わっていったからだ。秦の軍人にとって皇帝とは無条件に付き従う存在だ。その皇帝が死んだ後のことを議論するというのは発想の埒外にある。だが呉勝にとって蒙恬将軍を味方につける為にも、このやり取りは必要だった。

「・・・自分が何を言っているのか、理解しているか?場合によってはさ」

そういって蒙恬は副官に黙って目をやる。流石に扶蘇が右手を前にだして自制を促すと、蒙恬はそれ以上は何も言わなかった。それでも目つきは険しいものとなる。

「解っています。これは飽くまでも仮定の議論です。ただ事実として匈奴の冒頓が親父に恨みを抱いていることは間違いありません。幼い頃に殺されかけたこともあるくらいですから」

今度は扶蘇が、それは誠か?、と驚く番だった。

「何故奴が冒頓と呼ばれていると?匈奴の言葉では、英雄って意味らしいですよ。」

バートゥルが幼い頃敵国の人質として西の月氏に送られていたこと、送られたその直後に匈奴が月氏へ攻め込んだことを呉勝は説明する。

「親父に裏切られたと思ったことでしょうな。冒頓は。しかし奴は別に絶望しなかった。みすみす人質のまま殺されるよりはと、一頭馬を盗み出したんです。見事に匈奴の陣地へ逃げ戻ったそうですよ。だから『英雄』と呼ばれている」

この武勇伝には、蒙恬が手をたたいて喜んでしまった。

「随分と親父に恨みを抱いていそうな『英雄』だな。でもなんで親父はその息子を殺そうとしたんだよ」

「よくある話さ。後妻との間に生まれた息子の方が可愛くなって、先妻との間に生まれた息子を殺そうとする。何処にでもある話さ」

扶蘇自身が、似たような立場だったからだろう。実感の籠もった喋り方をしていた。胡亥と扶蘇の関係性が解ろうというものだ。呉勝がその先を続ける。

「冒頓が親父に復讐しようとしていること、冒頓はなにやら尋常ではない訓練を部下に課していること。これらから導ける唯一の結論は、親父を殺して自分が匈奴の皇帝に即位することです。しかし物事には時機がある。そういう荒っぽいことをやるのは、なるべく自分たちの国が攻められにくいときにやる方がいい。我々の帝国がごたついている時期にやれれば言うことはない」


「近々そんな事が起きる兆しでもあるというのか?陛下の近くにあって、何かを企む不逞の輩でも・・」と蒙恬。

「そんな大それたことを企む連中が、簡単に私ごとき導術士に尻尾を掴ませますか?普段は北辺に引っ込んでいるというのに。仮にそういう陰謀を画策している連中がいたとしても、証拠はとうの昔に隠滅されている。真相を少しでも知っている連中なんて、誰も生きちゃいないでしょう。将軍閣下も咸陽の宮中がどんな所か、よくよくご存じの筈では?」

この言葉には蒙恬も扶蘇も黙るしかない。

「私は間違えようのない事実を指摘するに留めます。御今上(現皇帝の尊称)は今50歳近いこと。更に御今上に何かあった場合を考えます。今こうして導術士があちらこちらで攫われることで、導術通信網が各所で寸断されている。御今上が最後に発した詔は、大変な時間を掛けて早馬なりで伝送されることでしょう。咸陽に伝わる頃には、果たして詔が原型を留めているものやら解りませんが」

この時代の50歳というのは、ほぼ寿命に近い。いつ死んでも不思議はない年頃だ。秦の歴史が証明するように、名君が死去したあとはほぼ確実に有象無象が動き出す。仮に皇帝が何か遺言を残したとしても、それが捻じ曲げて伝わる可能性は極めて高い。

「そうやって我々秦の内部で、皇帝陛下の跡継ぎを巡って壮絶な争いが始まった丁度その時を見計らって、冒頓も親殺しをやるのではないですかね。いや、こればかりは私の勘ですけど」

「君は勘が鋭そうだ。流石は公子様が認めるだけの事はある。ま、仮にそうだとして。まさかそこまで考えて、冒頓は導術士を次々と攫っていると?」

「まさかそこまでは考えてないだろう。流石に。中原の我々を真似しているだけ、というのが素直な見方だ。ただ問題はそんなことじゃない。さきほどから呉士官が言っている通り、もしも今この瞬間、陛下に万が一のことが起きたときに誰もが善良なる忠臣のままでいられるかどうか、非常に疑わしいところではある」

「陛下は帝国を誠に案じておいでです。絶えず地方へ巡幸しておられる。それは本当に素晴らしいことではありますが・・」

始皇帝が秦帝国各所を巡幸しているのが、これまた問題をややこしくしていた。要するに視察ということだが、我々の時代以上の意味合いがある。500年の長きに渡る戦争の時代が終わったからといって、そう易々と旧六国の民が秦に帰順した訳でもなかった。だからこそ皇帝は老いた身体に鞭打って絶えず地方へゆかねばならなかったのである。旧六国の反乱の芽を摘む仕事を他人に任せておく訳にはいかない。仕事中毒にして、人間不信を極めた始皇帝らしいといえばそうだが、実際そこまでやらないと反乱を起こしかねない地方は山ほどあった。

だが仮に何処かの僻地で皇帝が何等かの原因によって死亡した場合、その事実をまず知るのは皇帝の側近である。現在であれば、丞相の李斯と宦官の趙高だ。ではこの二人は信用できるのか?秦帝国の高官にそんな質問をしたら皆が笑ってしまうことだろう。『詐欺師は信用できるのか』と聞かれるようなものだからだ。

李斯は常日頃から軍部の連中を粛清することに余念がない。だからまず間違いなく蒙恬将軍は狙われるだろう。それに公子である扶蘇の命も危うい。順当にいけば間違いなく皇帝の後継者たる太子に指名されるのは扶蘇となる筈だ。一方で宦官である趙高の立場からすればどうか?暗愚として知られる胡亥を選ぶのではなかろうか?胡亥は、趙高から馬のことを鹿だと言われて、「あぁそうか鹿だよね」などと納得するような男である。後世では、馬鹿の由来として知られる。そんな趙高が次の皇帝として好むのは誰か?聡明な扶蘇は操りにくく、暗愚な胡亥は操りやすい。宦官であればそう考えるだろう。そんな連中であれば、傍らで死んでいる皇帝が、死に際に書き残した詔を書き換えないなどという事があるだろうか?


沈黙を最初に破ったのは蒙恬である。

「呉君、君は色々な事を知っている。今日も匈奴の冒頓だったか?その男の野望だの、彼の経歴だのについて事細かく教えてくれた。確かに感謝している。だがね」

「私が匈奴の間者、そうでなくとも匈奴と繋がっていないという証拠に乏しい?」

「そうだ。君については公子様から紹介を受けている。本当に信頼が置ける人物だと思うし、君の評判はつとに聞いているよ。けれどもね君からの情報だけで動くって訳にもいかない」

「軍には軍の諜報網があるでしょう。そいつらを活用すれば良いのです。何もわざわざ間者を匈奴へ送り込む必要すらない。私が仕入れた情報はすぐに噂話として広まっていることでしょうから。そちらで裏を取って頂ければ。その結果変な所が見つからなければ、少なくともこの件で私が嘘をついていることにはならないでしょう。」

「それはそうだがね・・・一体何が狙いなのだ。自分たちが必死の思いで掴んだ情報をここまで晒すからには、将軍である私に見返りを求めてのことだろう。」

「ですので、最初に将軍閣下が言われていた通りです。我々の仲間が最近相次いで攫われたり、或いは匈奴へ降ったりしている。この状況をどうにかして頂きたい。そうしないと折角築き上げた導術通信網が崩壊してしまう。」

確かに嘘は付いてなさそうだ、と蒙恬は呟いた。筋は通っている。少なくとも一時協力しあうことは出来そうだ。信頼することは難しいが。


「最後に一つ質問したい。仮に君がだ。主君から剣を賜ったとして」

「仮に私が自殺を命じられたらどうするのか?」

「だから仮定の議論だ。君がよく好むやつだよ」

呉勝は少し考え込む振りをした。窓から差し込む西日が蒙恬の表情を見えやすくしている。結論は決まっているが、言い方を慎重に考える必要があった。

「私であれば、徹底的に状況を混乱させます。それもなるべく長期化するような大混乱であればあるほど望ましい。法も律も守っていられないほどに状況を混乱させるのです。私は卑しい商売人上がりですから。自殺を強要されるだなんて冗談じゃない。見苦しくジタバタと生き延びてみせますよ。そのためにも今日こうして将軍閣下とお会いしたのです」

さぁ、殺されるとすれば今だろうな、という覚悟を以て呉勝は言ったのだ。もはや賽は投げられた。今の言葉は秦の軍人として、超えてはならない一線を明らかに超えていた。要するに蒙恬将軍と扶蘇に向かって、反乱を唆しているようなものだったからだ。

仮に今後自殺を命じられるような事があれば、公子である扶蘇様を立てて咸陽へ進撃すればいいじゃないですか、と言っているに等しい。ほぼ確実に帝国は内戦状態となるだろう。戦国の世に逆戻りだ。その場で斬り殺されても文句は言えない。だが返ってきたのは、沈黙だった。ある意味で一番良い応答だ。否にせよ応にせよ、余りにも明確な返答を返されたらどうしようかと思っていた所だ。陰謀を組む場合には、相手を選ぶ必要がある。だが呉勝は賭けに勝った。この場で自分がまだ生きており、尚且つ彼が今示した案に二人とも迷いを示している。それこそが呉勝が望んだ反応だった。だが扶蘇の放った一言は、更にその場を凍り付かせるものとなる。

「冒頓はいつ頃行動を起こすのだろうな」


昼過ぎまでには終わる予定だった打ち合わせは、気が付いてみれば夕方に差し掛かろうとしていた。今日ここで扶蘇と蒙恬が落ち合っていたことを知る者は数少ない。だがあまり頻繁に会っていると、それはそれで周りから勘ぐられることになる。だからこそ導術士である呉勝を紹介した訳だったのだが。直接会わずに連絡を取れる手段を確保しておく必要があるからだ。蒙恬と扶蘇の下には、呉勝の息のかかった導術士が優先的に配置されるように手配する必要がある。

帰り際に蒙恬将軍から

「呉君、何かあればすぐに私に言ってくれ。今後も連絡を取り合おう。君たち導術士の安全については、私からもこれから色々と動いていくことにするよ」

という一言が得られたのは呉勝にとって大いなる収穫ではあったろう。

蒙恬とその護衛達が自分たちの馬に跨って亭障から去っていくのを見届ける。すると扶蘇は呉勝に向かって

「それにしても大成功だったね、蒙恬将軍と知り合えて、初回でここまで信頼されるようになるとはね」

と皮肉っぽく言って見せた。

信用はしてもらってないと思いますし、と言ってから呉勝はこう続ける。

「私は間違えようのない事実だけを列挙したに過ぎません」

「本当か?匈奴の中に潜り込ませた君の部下たちからの情報がなけりゃあ、ここまで将軍も腹を割らなかったのではないのか?」

「蒙将軍も独自に諜者に調べさせている筈ですし、その情報との食い違いがなかったからこそ、私共の情報は信用して下さったと考えております」

「結局君の望みはなんなんだ?いや、導術士への警備を強化してくれとかそんなんじゃなくて。最終的に君は一体何がしたいんだ?」

「勿論、後ろ盾となる権力者が多ければ多いほど、軍内部での我々の立場が強くなるというのは、事実です。ですが私が思い描いているのは、そんな小さな所ではありません。」

「じゃ何が望みだ」

「導術という技術を中原と言わず草原と言わず当たり前の様に広めていく。それが私の狙いです。それこそ水や田畑のごとく、誰でも当たり前に導術を利用する様な時代がいち早く来てほしい。そう願っております。そうなれば私としては無常の喜びといえましょう。国中に導術通信網が張り巡らされ、商人と言わず農民と言わず、役人、軍人と言わず。草原だの中原だのと言わずです。生きとし生ける全ての存在が、導術無くしては生きていけない様な時代が来てくれれば、導術士冥利に尽きると言えましょう」


やはりこの男は、狂っている。カネも権力も要らない代わりにそんなことを望みとするなんてな

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