匈奴に捕まる
古代中国における秦帝国の導術士、シパク。
万里の長城で導術士(現代でいえば通信兵)をこなしていた彼は、通信が途絶した隣の事務所へ出張を命じられるも、北方の騎馬民族匈奴に捕まってしまう。
匈奴の矢というのが、どこまでの射程を持つものかは解らない。中原の弓矢よりも遥かに遠くから撃ってくることだけは解っていた。おまけに馬から身を乗り出して矢を放ったり、腰を捻って身体の後ろ側にある獲物であっても射止めてくるのだ。連中に狙われたらまず生きて帰れないが、まさしく今はそういう状況にある。何も考える余裕もなく馬を走らせる。無我夢中で馬を走らせれば、今ならまだ第二燧に戻れるのではないかと思いながら。
罠だった。
相手は俺たち導術士そのものが目的だった。だからこそ思わせぶりに長城の建設現場を襲って、誰か導術士が来ないか見張っていたのだ。
そこまではシパクも思考の譜を進めることが出来た。だが逃げることが最優先だ。匈奴は導術士や中原の民を攫うことが目的だという情報を何としても持ち帰らないといけない。護衛の兵士たちはシパクを囲むように馬を寄せてくる。心強くもある反面、恐ろしくもある。導術士が匈奴の手に落ちるようなことがあるときには、一層のこと殺すようにと命令が下っていることは当の導術士たちが一番承知していることだった。まぁ上手く逃げ帰ればいいだけの話だ。
だが匈奴の方が一枚上手だった。
動く目標に弓矢を当てるのは至難の業であるはずなのに、連中は護衛の兵士たちの馬へ次々と矢を命中させた。そうすれば勢い馬の駆ける速度は落ちていき、簡単に仕留められる。だだっ広い草原では、馬で移動できなくなればどうにもならない。まさに「将を射んとする者はまず馬を射よ」。シパクが冷静であれば気づいたかも知れないが、匈奴は護衛兵の馬にだけ矢を集中させていた。5人居た護衛兵は瞬く間に数を減らしていく。とうとう最後の一人、リーダー格らしい界とかいう兵士だけになる。こうなると話は変わってくる。最早シパクを護ろうとはしておらず、機密保持のために殺そうとしている。界から距離を取りつつ矢を避けねばならない。既に目が血走っている。斬りかかってくる太刀を受け止めるために、シパクは剣を抜こうとしたが、焦っていたためか鞘から抜くことが出来ない。仕方なしに鞘でもって斬りかかってくる剣を受け止めようとした途端、遠くからの矢が界の乗っていた馬に突き刺さる。すると馬は走るどころの話ではなくなり、苦し気に嘶きながらのたうち回る。界は急いで馬を乗り捨てて走らないといけなくなる。だがそれこそが匈奴の狙っていた展開だった。馬を捨てた瞬間に矢が4,5本飛んでくる。胸やら喉やらに突き刺さり、界はひゅうと喉笛から音を立てて崩れ落ちる。だが逃げるシパクには関係ない。寧ろ自分のことを殺そうとする界が居なくなってホッとしたが、今度はシパクの馬にも矢が突き刺さる。崩れ落ちる馬から投げ出されるように地面に叩きつけられる。暫く動けない。馬が地面を蹴り上げながら近づいてくる。数頭だ。連中は風呂に入らないから離れていても臭う。臭くて吐きそうなのと、これから殺されるんだという恐怖でシパクは大声を上げながらあらぬ方向へ走ろうとした。だが匈奴の連中がそれ以上矢を撃ってくることはなかった。ここで始めてシパクは違和感を感じ、その正体に気が付く。
これは俺を生け捕りにするための狩りだ。殺すつもりなら、落馬した瞬間に弓矢で狙って来ればいい。あの界とかいう男のときはそうしていた。
だがシパクは全力で今も逃げているにも関わらず、矢は一本も降り注いでこない。結局シパクは匈奴の数騎に囲まれる形となった。最後の手段とばかり剣を抜く。今度は鞘に引っかからずに抜くことが出来た。大体シパクは軍に入ってこの方、戦場で戦ったことはないのだ。剣を抜いたはいいものの、どう構えたものか解らない。相手にもそれが解ったのか、無遠慮に距離を縮めてくる。相手ではなく、自分の首筋に向けて突き立て、「近寄るな!」と叫んでみる。近寄ってきたら自殺するぞ、と。人質として生け捕りにする筈の導術士に死なれては元も子もないのか、すこし相手はたじろいだ様子であった。だが目の前にいる2,3人に注意を向けていているうちに、彼は気を失う。何か乾いた音が聞こえたな、とは思った。シパクは頭をこん棒で叩かれて気絶する。
揺れている荷馬車の上で目を覚ます。荷馬車の中にはシパクと同じく捕まった導術士が無造作に詰め込まれている。揃いも揃って緑色の冠を被っていたから、それと解った。服が乱れているのに冠だけは皆取ろうとしない。それはシパクも同じだった。恐らくこの冠が心の拠り所になっている。
ともかくすぐに殺されることはなさそうなので、ひとまず安心すべきだ。人数は自分を含めて3人。全員手枷も足枷もされていない。連中なりに丁重に扱ってくれている積りなのかも知れないし、或いはどうせ逃げた所で何もできないと思われているだけなのかもしれない。鞄はそれぞれの導術士の傍らに置かれている。シパクは一応自分専用の鞄の中身を改めてみると、木簡以外は取られていなかった。つまり自分の所属だのなんだのといった情報は、知られてしまっているということだった。
あぁ起きたか、ご同輩。そういって中の一人がシパクに目を向けた。だがそれ以上のことはしない。荷馬車の周りには匈奴の戦士らしい恰好をした男たちが馬に乗ったまま無表情にこちらを眺めて居る。背中には弓矢の入った筒を斜めに担いでおり、腰には剣を帯びている。下手な動きをすれば今度こそ何をされるか解ったものではない。シパクと共に捕らえられた導術士にもそれは解っているのだろう。どこら辺を移動しているのか定かではないが、そこまで長いこと気絶していた訳でもなさそうだ。太陽が南中しているので今は昼過ぎだろう。とすれば一、二刻ほど気絶していたのか。荷馬車の速さは大人が走るのと大して変わらない。まだ襲われた第二燧からそれほど離れてはいない筈だ。
「君も第二燧の辺りで捕まったのか?」といきなり話しかけられる。ああそうだ、とシパクは返す。本当はこうやって捕虜同士で会話したくなかった。余計なことをすれば、最悪殺されるだろうかも知れない。だが情報を集めないと話にならない。
”君「も」第二燧の辺りで”
この導術士はそう喋った。この男も第二燧の付近で捕まったということなのか?解らない。けれどそうも考えられる。
こういう時には情報を引き出せるだけ引き出すのだ。周りが見えてなさそうな人間を相手に、小声でボソボソと喋るのが良い。相手がもう少し大きな声で喋れよ、とイラつかない程度の小声で話すことが肝心だ。そうすると相手はこちらの注目を引こうとするのかどうかは知らないが、知っていることも自分の中であやふやなことも含めて喋ってくるようになる。相手の注意を引きつつも、自分からはなるべく情報を与えないのがコツである。
「俺は勝利燧で勤務していたんだ。第二燧からの定期連絡が途絶えてね」
へえそうなんだ。
「あそこにいる、あいつ。あの導術士」
そういうと荷馬車の隅に座っている導術士を指さした。顔が不自然なほどに腫れあがり、今どういう表情をしているのか解らない。
「彼の真似して導術で助けを求めようなんて考えない方がいいぜ。彼は荷馬車に乗った直後に最大出力で導術波を放ったんだ。そうしたらいきなり今周りにいる連中から、袋叩きにされたって訳」
そりゃあ、酷いね。
「そりゃあね、俺たち導術を使う人間が、シレっとした表情で実は救難信号と自分たちの位置を送信していたという可能性は大いにある。だから君も滅多なことは考えない方がいい。」
導術波で助けを呼ぼうかと一瞬考えたが、辞めにして正解だった。今シパク達を監視している匈奴騎兵の中に、導術波を感知できる人間が居るとも解らない。恐らくは居ると見ていい。そうであれば第三燧でシパクが導術波を放った直後に、匈奴の騎兵がやってきたことにも説明がつく。ともかく今の自分は捕虜なのだ。どちらかというと戦利品に近い。このまま冷静に周囲を観察した方が利口だろう。
荷馬車の周りでは、中原の農民が徒歩で歩かされている。そして自分たちは手枷も足枷もされずに荷馬車に乗せられている。農民たちは、長城の建設現場にいた時と同じ従順さでそのまま歩いていた。老人は若い男に手をとって貰ったり、或いは娘におぶさって貰う。皆個人的な荷物のようなものは持っていないらしい。着の身着のままで連れてこられた様子だった。
俺たち同士で喋ってもいいの?、とシパクが問うと
「それで殴れたり蹴られたりってことはないみたいだね。彼らも恐らくは俺たちの会話を解ってるんだと思うけどさ。ただ今のところ俺たちが大人しくしている限り、彼らは何も言ってこないからね。それにしても無口な連中なんだ。お互いにちっとも会話とかしない」
コイツ喋りすぎだ、とシパクは思った。捕虜の身であり、漸く自分と似たような境遇の人間と出会えたから多少は気持ちが緩んだのだろう。だがシパクが信頼できる相手とまだ決まったわけではない。なるほど、有難う。そういってシパクは会話を打ち切る。
匈奴の戦士たちを眺めているうちに気が付いた。彼らの顔と服装について。
まず顔立ちからして様々だった。シパクを捉えた連中は4人。それぞれ異なる顔立ちと服装をしている。ひとりは西域商人の典型みたいな格好だ。目が青く、鼻が鷲鼻であり、体つきも大きい。そして一際体臭がキツい。中原の民によくいる顔立ちをしている者は2名いた。彼らは切れ目で、鼻がどちらかというと潰れており、平べったい顔立ちをしている。そのうち1名は馬に乗りやすい、西域系の格好をしていたが、もう一人はシパクと似た様な格好をしている。かと思えば、シパクみたいな西戎系の顔立ちの者もいた。西域出身とも、中原の民ともいえない、両者を足して2で割ったような外見だった。要するに、一口に匈奴といっても様々らしい。体臭についていえば、西域系の顔立ちをしている男が臭すぎて、他の連中の体臭がそれほど気にならなくなってしまう程だった。恐らくかれは腋臭だ。シパクは彼が近づいてくると自然と目を瞑る様になった。開けていると自然と涙が出てくる。近づいて欲しくない。シパクもかなり不潔だという自覚はあった。一ヶ月に2,3回くらいしか風呂に入れなかったからだ。毎朝起きる度に頭にこびりついたフケを掻き毟るのは、本当に不愉快だった。だが今シパクが感じている不潔さは、それとは次元が違う。風呂には決して入らないという匈奴についての噂は本当らしい。だから1里先にいても、馬たちは匂いで匈奴が解るのである。
それにしても無口な連中だった。お互いにちっとも会話しない。もしかしたら、お互いに会話しないのではなくしたくとも出来ないだけかも知れなかった。中原においても、国が違えば来ている服装や文字、言葉が違ってくる。草原の世界にいる連中が全て同じ言葉を喋る訳でもないだろう。あるいは互いに言葉は通じるけれども、敢えて世間話をするような間柄ではないだけかも知れない。第二燧への道中、自らを護衛してくれていた兵士たちとシパクがそうであったように。匈奴の世界にも色々とあるだろう。
もう馬車に乗って2、3日ほど過ぎている。段々と植生も代わっていった。長城付近の半砂漠じみた、つまり所々草や木々が生えつつも砂混じりの何とか馬が歩けそうな場所から、普通の草原地帯へと。何とはなしに匈奴の連中の表情も緩んできつつある。だがこの行程は、シパクの予想以上に刺激的なものだった。最初シパクは匈奴のことを「馬に乗って草原を駆け連り回っている連中」くらいにしか思っていなかった。だから途中で農地を見たときは本当に驚いた。
草原の一角が見渡す限り、農場となっている。働いているのは意外にも中原にいそうな、平べったい顔立ちをしている者が多い。尤も服装は、典型的な匈奴のそれで、布だか家畜の皮膚だかで出来たズボンの上に羽織ものをして腰の辺りを布で巻いている。よく見れば、西域からの商人といっても通りそうな彫りの深い顔立ちをしているものもいる。交わされている言葉は遠くにいるのでよく分からない。牛に鋤を引かせて耕している者、地面に種を蒔いている者、牛車で麦わらか何かを運んでいる者、馬に丸太を引かせて脱穀している者・・・。
そこだけ注目すれば中原と変わらないが、一方で全く違う所もある。ゲルと呼ばれる匈奴特有の天幕だ。秦をはじめとする中原では包と呼んでいる。秦の首都咸陽付近でも、牧畜で生計を立てている者が使っている。シパクの実家の地方では、既に使われなくなっていたが、他の部族ではこういった天幕の中に夜泊まりながら家畜の面倒を見て暮らしている者もいた。こういったゲルが、農地の近くに何個か一纏まりになって木の囲いの中に建てられていた。もっとも全ての住居がパオになっている訳ではない。中原の農民が住んでいるであろう小屋もそこかしこに見受けられる。どちらにするのかは本人の自由なんだろう。
かと思うと白いものが塊になってウゾウゾと動いているのが視界の片隅に映る。羊の群れだ。天幕の周囲に木の柵で囲まれた一画があり、その中に羊が数十頭ほど蠢いている。真っ裸な姿の子供が羊の口に跨がっており、少し年かさと思われる子供が側で見守っているという具合。木の柵には所々案山子が立てられている。多分狼よけだろう、とシパクは見当をつけた。下手くそではあるが、かろうじて人間と思えるような案山子が2、3体確認できた。それにしてもここは何処だろう、と周りを見渡した瞬間、耳慣れない導術波を捉えた。
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長波だけが延々と続く導術波。少なくとも秦の軍隊ではこんな符丁の波など聞いたことがない。だから秦以外の勢力による導術波だと解る。ここまで来るともう認めざるを得ない。匈奴は導術通信を使いこなしているのだ。
1,最近秦の導術士の失踪や誘拐が相次いでいること
2,シパクが導術波を発した瞬間、敵はシパクを捉えたこと
少なくともこれらは事実であり、現実に導術通信を使いこなしていることを踏まえると、匈奴は導術を秦なみに軍の中に取り入れようとしているとしか思えない。だが今この状況で、これ以上憶測に憶測を重ねてもしょうがない。ともかくもっと判断材料が欲しい。とはいえ、今のシパクは囚われの身だ。そんな簡単に情報が入ってこないだろう。周りに立ち並ぶゲルの数が増えてくるにつれ、目的地は近づいてきているのだろうなとは思った。いきなり馬車が止まる。
「降りろ」
と中原の民みたいな格好をしている奴から命令される。シパクだけがゲルの中に呼ばれ、それ以外の二人は別の所へ連れていかれる。
「彼らは何処へ行くのですか?」
とシパクが尋ねると、中原の言葉を話す導術士は肩をすくめた。仕方がない、とだけ呟く。そういわれると確かに思い当たる節はあった。彼らのうち、一方は荷馬車に乗った直後に導術波を放つなどという愚行を犯し、もう片方はペラペラと色々なことをのべつ幕無しに喋っていた。ただ一人シパクだけが余り喋らず、静かに周りを観察していたのだった。
ー荷馬車での日々は、ある意味で振るい分けだったのかも知れないな。誰が使い物になる人間かを判別するための。
ゲルの扉をまくって中に入ると、シパク同様に導術士である事を指す緑色の冠を頭に乗せた男が絨毯の上に座っていた。
生まれたときからその土地の言葉を話す人間独特の、滑らかな話し方がある。反対に後から学んで喋る言葉というのには、独特なたどたどしさがある。この男が喋る秦の言葉もそれだった。
「初めまして。楚と申します。」
楚は席に立たずに席に座ったまま、ポツリとそう喋った。正式な名前はおろか、親しいもの同士で日常の呼びかけに使う字すら教えない。勿論こんな状況で彼のことを字で呼ぶことになるとは思えないが。ただ自分の姓を名乗るのみだった。さらに紹介するときに立ちもしないとは!
シパクはこういった扱いをされることがしばしばあった。中原の出身ではなく、さらに導術という怪しげな業を使う者という偏見もあってか、自己紹介も無礼に済まされてしまうことが多かったのだ。幾ら虜囚の身とはいえ、あまり卑屈になりすぎることもない。匈奴もこちらの専門技能を必要としているのだ。少なくとも手枷足枷も嵌めず、わざわざ荷馬車で移動させる程度には。だからこう言い返した。
「古の斉の国、妟子でしたか。
『犬の国に使いしたものは、犬の門より入るものだ』と。
ここにいるのは犬なのでしょうか?それとも礼節に則った人間なのでしょうか?」
高圧的に右を向けと言われれば、馬鹿を見るのを承知の上で左を向くシパクの性格がモロに出た。お前は何を子供じみたやり方で偉そうに振舞っているんだ、と皮肉を言ってしまったのだ。
楚と名乗った導術士は、寧ろ興味深げな表情を浮かべてこう続ける。
「そういう皮肉を私は初めて聞く。皆は違う。もっと卑屈だ」
そう笑いながら立ち上がる。
「姓は楚、字は渉、名は勝」
そういって一方の手で拳を作り、反対側の手を被せて軽くお辞儀した。この挨拶は拱手と呼ばれる。すると今度はシパクも同じく拱手してからこう返した。
「シパクと申します。姓も字も名前もありません。シパクでお願いします」
姓だの字だのは元来が中原特有のもので、シパクにはそれに相当するものがない。父親の名前を姓代わりに使うというやり方もあるが、シパク自身が違和感を感じていた。ならばこういう風に挨拶するしかない。
「シパクさん、では私のことは楚と呼んでください」
「楚先生、このように呼ばせてもらいます」
何しろ自分は虜囚だ。これくらいは遜っておくべきだろう。挨拶が済むと楚勝は何も言わずに座り、それからシパクへ座るように促された。この時代の中原では、先に座る方が立場が上になる。普段そういった煩わしい礼儀作法とは無縁な世界に生きているシパクにとって、中原のこういったやり方はつくづく時間の無駄に思えるのだった。
「私が秦の言葉を話すのは」
南方楚の国あたりの訛りであり、姓の通りだった。
「私の故郷の言葉で話しても、君には伝わらないからだ。たどたどしいのは申し訳ない。私はこの言葉に不具合である」
だがシパクも、秦の軍隊に入りたての頃は、言葉で苦労した経験がある。
「構いません。楚先生。私も秦の軍隊に入ったときには、それはそれは言葉で苦労しましたよ。西の山あいで育ったものでね」
そういうと相手は笑いながら、慣れない言葉を話すと苦労します、と若干おかしい言い方をした。
傍らには茶葉が付き固められた塊と、何やら得体のしれないドロリとした油の塊みたいなものが置いてある。更には白い粉末の入った皿。塩かなにかだろう。
お茶でもどうですかと勧めてくる。こちらが返事もしないうちに、匈奴式のお茶を煎れ始めた。ゲルの真ん中にある竈でお湯を沸かしながら、金具で叩いて突き固められた茶葉を割る。割れて破片となった部分をお湯の中に入れてほぐしていくと同時に、塩と油の塊を中に入れた。これをお茶と呼ぶべきなのかどうかと思いながらも「ああ頂きます」とだけシパクは答えておいた。郷に入れば郷に従え。奇妙な白い容器に入れて渡されたお茶を思い切って飲み干すと、何やら脂っこい味がする。後から知ったが、家畜の乳から作った油脂らしい。黄油と言われるそうだ。
「何とも不思議な味がしますね」
「黄油茶といいます。家畜の乳から作った油脂と塩がお茶の中に入れてある」
そんなものをよく有難がって飲めるものだな、とは口に出さずそのまま白い容器を台の上に置いた。
「今日からシパクさんはここで働く。我々と働くんだ。するとこのお茶に慣れる」
「私にもここで働く様に、と言われているのですね?」
「働かないなら、生きている資格がない。草原は厳しい。使えなくなった家畜は殺されて肉にされる」
「私も働かないなら、肉にされる?」
「安心するんだ。なんの理由もなく家畜は殺さない。捕虜を殺して食べるのは、とてもとても少ない。安心するんだ」
そういわれると、シパクは何も言えなくなった。安心するんだ、というのは何を安心するという意味なのか?お前は家畜だ、とこの上なくハッキリ言われた。脅迫ですらない。人の役に立つからこそ、家畜は家畜でいられる。先ほどシパクは相手のことを犬呼ばわりしたが、この楚勝という男はシパクのことを家畜といった。しかもシパクの命を脅かしながら。
「拐われてここに来る途中に」とシパクは言った。
「皆どうして素手なんだろうと疑問に思ってたんですけど、あれ手袋なんですってね」
「そう。よく知ってるね。」
「皆で噂してたんです。匈奴は人間の皮膚を剥いで手袋として使うんだって」
今もはめているよ、楚は自分の手袋を見せつけてきた。元々誰かの皮膚だった手袋。
「それに人間の骨って結構装飾品の材料にも出来るんだとか。」
この部屋にはやけに沢山の装飾品が、それも白っぽい装飾品が多いな、と最初シパクは思った。確かに人間の骨は白い。よくよく見ると人間の骨に透かし彫りをしたり、骨と骨を継ぎ合わせて大きな彫刻にしたものばかりだった。自分がその一部になるなどまっぴら御免被る。
「今僕が呑んでいるこの茶って、元々は誰かの一部だったものが入ってますか?」
「そんな事はない。その湯呑みは元々誰かの骨だけど」
今シパクが手に持っている湯呑みのことだ。よく見ると蝋のようなものでつぎはぎされた跡が見える。たしかに人間の骨は湯呑みの形をしていない。
匈奴に降った導術士である楚勝は続ける。
「ここまでの道のりは険しい。君は逃げられない。これからやってくる導術士の為、君は働く。たくさん働く。いい暮らしが出来る」
まぁ、アンタはそう言うだろうよとシパクは突き放して考えている。秦に仕えることをよしとせず、祖国が滅びたあとでわざわざ北の果て、匈奴の支配地へ逃げてきた人間だ。そういう人間なら、喜んで匈奴の為に働くだろう。だがシパクは間違いなく秦の軍人だった。シパク自身、秦という国には色々と言いたいことがある。これまでの自分の職場は、結局秦軍だったのだ。第一いきなり敵に拐われて、明日からその敵の為に働けと言われて納得する訳がないではないか!
それはそうとして、今この導術士が何気なく口走った一言がどうしても気になる。
「これからやってくる導術士ってどういう意味ですか?」
「まず、私」
目の前にいる楚のように、秦ではなく匈奴へ降る導術士がこれからも現れるだろうという事か。
「それから君たち」
「捕虜、あるいは戦利品としての導術士、僕みたいに攫われてくる連中」
「話が早くて助かる」
「これまで秦の軍隊でずっと働いてきたってのに」
はぁぁ、とシパクはため息をついた。
ー世の中、意地を張ってもどうにもならない事もある。時には命を喪うことも。
口には出さないながらも、彼は大体そんな感じの事を考えていた。そういう気配が相手にも伝わったのだろう。
もう一杯黄油茶要らないか、と言いながらゆっくりと湯呑みに黄油茶を注いでくる。人間の皮膚で作られた手袋を見せつけながらだ。
ー結局は脅しに屈するしかないのかもな。
「これからやってくる導術士のためにどういう仕事を?」
「新しい単語が必要になる。秦の軍隊では使わない単語。家畜の乳、ヒョウ、狼の様子・・・」
そもそも秦の軍隊で使われる導術通信というのは、使い勝手が決して良くはなかった。名詞しか存在せず動詞や形容詞に相当する符号が存在しないのだ。すると秦軍で使われる導術通信では、固有名詞と数字を表す符号が羅列したものとなっていく。
これは漢字が表意文字であることに由来する。アルファベットであれば24個の各文字へ対応付ければ事足りる。だが漢字は日常生活で使う分でも万単位で存在する。万単位の文字それぞれと符号を対応させるというのは、全くもって現実的ではなかった。
だから固有名詞と導術符号が直接対応付けた符号体系となってしまう。
「新しい単語に紐付いた符号を作れと?」
「それと秦の文字と発音も教えて欲しい」
戦国七雄で使われている文字はそれぞれ微妙に異なる。例えば馬という文字一つにした所で、七つの国々で字体が変わるのだ。厄介なことに、同じ意味の漢字ですら国ごとに異なる発音をしていた。『文字と発音』云々とはそういう事だ。
「・・・攫ってきた農民には無理ってことか」
「そうだ。連中には読み書きが出来ない」
これは大仕掛けな話になりそうだ、とシパクは腹を括った。シパク自身、導術符号を体系だったやり方で教わった訳ではない。先輩の後ろについて、少しずつ学び取っていったものだった。秦の言葉も不得手な中で、必死に覚えていった。
だが当時、今日でいえば教科書と言われるようなシロモノがあれば、導術を教わるのは数段ラクだっただろう。