斜交いに蓮買いに
「カッパ」が店内を彷徨うが如くうろついている。茶と黒の模様が何とも安心感のある尻尾を双眸で追うように眺めていると、やつはとても「猫らしい」動きをしているなと感じる。我ながら「カッパ」という命名は洒落が利いていて満悦に近い何かを感じる事もあるが、気のせいか最近は『猫様化』しているような。アイツが出て行った事をどう感じているのかは知れないが、
『ふん。こんなものか』
的な鼻息をこちらに向けてくることがある。
「ないものはないんだ、諦めて呉れ」
と宥めすかすように額を撫でたりもするが、それほど喜んでいるようには見受けられない。一人暮らしがよっぽど嬉しいのか偶にしか返ってこない娘には愛嬌を振りまく癖に、『たかが小さな書店の経営者』には呉れてやるものかの精神なのだろうか。
<お客さんこねーな>
『たかが』と自嘲しても我が事には違いないので意識を入り口の方に振り向けるが、流石に師走の寒さが厳しいのか通りに人はとんと見えない。こうなりゃ「カッパ」さまに頼って今の流行に乗るだけ乗って、「えすえぬえす」とやらに媚を売ろうか的な事が脳裏を過る。実は以前も娘の知恵を借りて数回媚を売った事があるけれど、数回では人の目につかないのか、そこもこの店内と同じ様子になってしまっている。写真に添えた、
『「カッパ」という名前の猫です』
という一言に『何か』を感じてくれる人を待っているのに、一向に現れないのはそういう人が存在しないからなのだろうか?そうすると、それが面白いと思っているのはもしかして己だけ?いやそれはちょっとひんやりしてしまう事実だ。事実とは思いたくないのでできるだけ前向きに、もう一回だけ「えすえぬえす」に媚を売ろうと椅子から立ち上がり、三毛猫を警戒させぬように抜き足差し足で近付いてゆく。
「おし、今回は後ろからのショットで攻めようか!」
なるべく『書店』の雰囲気が出るように、床から棚を見上げるようなアングルで猫がフレームに収まるポイントを探す。「ここだ!」と思ったところでカシャッと一枚取ると、なかなか味のある作品が生まれた。
そして必要上、床に我が額を近付けるように撮影したのだが、本当に何故だかは知らないがこういう状況に限って事は起こる。
「こんにちは…えっと、大丈夫ですか?」
不意に入口の方からした声。そちらを見ると、こんな…こんなとは言いたくないがこんな店には似つかわしいとはとても思えない美人さんの姿が。黒髪をショートボブと呼ばれるらしいカタチに整え、今風の着こなしにどことなく色香が漂う雰囲気の朗らかな笑顔が魅力の若い女性である。に今のちょっと情けない姿をまじまじと見られているわけである。
「あ…すみません。ちょっと猫の写真を撮っててですね、映えるように…その」
娘よりも何歳か年上であろう年代の女性なので、流石にどう接したらいいものか分からず元々緊張しやすいのに今はド緊張の時間。そんな慌てふためきを、手で制するようなジェスチャーをして、
「ああ、そういう事でしたか!大丈夫です続けてください!!」
と。<これは世に訊く『女神』なのか…>などと思いながらよっと立ち上がり、少し気を利かせて先程の写真を女性に見せてみる。
「へぇ~かわいいですね!尻尾が可愛い!!」
「そうでしょう!この猫「カッパ」っていう名前なんですよ。宣伝にならないかなって思ったりしてるんですが」
すると女性は「えっ」という表情をして、
「「カッパ」って言うんですか?ユニークな名前ですね。いいと思いますよ!」
とほほ笑んでくれる。この時既に己の心は舞い上がってしまっていたと後で振り返ればそう思う。そして気を良くした店主は、
「ちょっと待っててください!今お茶をお出ししますから!」
「え…あのお構いなく…」
こういう状況で「お構いなく」など出来ない性分の男。お茶どころか菓子を添えてコーヒーをお出ししたのである。
「あ…ありがとうございます」
この戸惑いを見て<あ…やり過ぎたな>と自省したが、運よく女性は美味しそうにコーヒーを啜ってくれる。
「小さい店で、探している本があるかどうかは分かりませんが…」
女性にはカウンターの側に椅子を置いて座ってもらっていたのでそのまま世間話が始まる。
「わたしこういう書店の雰囲気が好きで、色んな町の書店巡りをするのが好きなんです。周りの人にはちょっと変わってるね、って言われますけど…」
「いえいえ、変わってるなんて。今はみんなそれぞれ自分の好きな事をしていい時代です」
ほぼ何かの本で読んだ話の受け売り…もとい『自論』である。
「そうですよね。わたしもいつか書店とか喫茶店とか開くのが夢で、今は一生懸命仕事をしてお金を貯めてるところで…」
「そうでしたか。素晴らしい事だと思います」
「やっぱりこの時代経営は大変なんですか?」
真面目な人ならやはりこういう質問をするのだろう。こういう質問に何と答えたものか正直迷ってしまってはいたが見栄を張っても仕方ないのでありのままを説明すると、
「そうですよね…。現実は厳しいなぁ…」
『厳しい』という言葉は容易には否定できない。細々と続けられる事でも御の字と思った方が精神衛生上良いのは間違いない。かと言って、少なくとも自分は好きでこの仕事をしている、という事は忘れた事が無い。後悔も…多分ない。
「でもお嬢さんはお綺麗ですから、きっとこの店よりも華やかでお客さんも引き込まれてしまうんじゃないでしょうか」
自分にできる精一杯のエールなのかも知れない。結局その店の売りは何なのか、という事は最後まで追求しなければ差別化なんてできっこない。そう言った時に女性が嬉しそうに微笑んでくれたのがこの日の『ハイライト』と言えるかも知れない。
「なんかちょっとだけ自信がでてきました。そういえば何か経営に関する本でお勧めのものってありますか?」
「なるほど」
そうしてその時勧めたのは自分もお世話になった『読本』。流通のシステムとか独特なルールを詳しく解説してくれていて、それだけではなくこれからの書店はどうあるべきかのヒントも書かれてある。まあ実践できるかどうかは別にしても、時代に合わせて変えてゆかなければならないという事は経営者としては大切なところだろうと思う。久々に「いい仕事」が出来たなと感じる。
「ありがとうございます!」
「いえいえ」
最後に女性は「カッパ」の写真を撮って額を撫でて店を後にした。
「じゃあね「カッパ」ちゃん」
みゃおん(顔を女性の身体に擦り付ける)
女性に「カッパちゃん」と言わせるのはややもすると背徳的というか、どこかしら罪悪感を感じさせるような気もしなくもないというか。よく分からないが「カッパ」が女性には最大級の媚を売るところは飼い主に似ているんじゃないかと思えた次第。