コワモテ編集長(1)
都心の不動産価格は異常なまでに高騰している。雀の額ほどの広さの一室ですら、一億円以上することがあるのだ。
ゆえに、銀座の一等地にてビルを丸ごと一棟所有するなんてことは、途方もないほどめちゃくちゃお金を持っていなければできないことだ。
つまり、自らの名を冠した自社ビルの最上階にオフィスを有する「栄昇社」は、途方もないほどめちゃくちゃ成功した出版社である、ということである。
「また原稿の持ち込みかい? どんなコネを使ったのか知らないが、困るんだよね。直接俺のところに来てもらっては」
栄昇社の創業者の孫、主力漫画雑誌「グライド」の三代目編集長の戸屋松雄平は、高級そうなソファーに腰を沈め、脚を組み、ふんぞり返っていた。
青年漫画、というより、Vシネマの登場人物のような、強面の風貌である。
着崩したチェック地のスーツも、何だかそれっぽい。
メンソールのタバコの匂いが、部屋中に充満している。
「茶髪ギャルの方が作画担当で、地味な男の方がストーリー担当かい? まあ、ともかく、原稿の持ち込みは郵送で頼むよ。毎日何十、何百と来る原稿の全てに編集長が目を通せるわけないだろう?」
戸屋松は、なゆちと湊人のことをタッグを組んでいる漫画家だと勘違いしている。
計算どおりである。
戸屋松にアポを取る際に、まさか「探偵と助手」だと素直に名乗るわけにはいかなかった湊人は、受付で「有名な漫画家です」と身分を騙ったのである。
漫画家のフリをしつつ、上手く話の方向を誘導し、戸屋松から勇登の事件について訊く――
そのための台本はもう考えてある。
「ぜひ編集長に僕らの漫画を読んでいただきたいんです。実は、僕らは『グライド』で連載を持ってた四竈勇登の親せ……」
「漫画家じゃなくて探偵だよ! 漫画家がこんなに可愛いわけないでしょ!」
そうだ。こんな世界一可愛い子が漫画家なんて陰キャの仕事をしてるはずが……
えーーっ!?
なゆち、台本については事前に話しておいたよね!??
「は? 探偵……だと……?」
マズい。このままだと、ボディーガードか何かを呼ばれて、編集長室から摘み出されてしまう。上手く体裁を取り繕わねば――
「編集長、実は僕たち探偵モノの漫画を描いているんです。それで、相方は主人公になりきっちゃってて。あれですよ。楳図かずお先生が、まことちゃんになりきって『グワシ』ってやるのと一緒です。ほら、こうやって。『グワシ』」
「みなと、何言ってるの? それと、何その手の形?……編集長さん、ごめんね。助手のみなとは優秀なんだけど、根がヲタクだから時折奇行が目立つの」
湊人は、なゆちに例のハンドサインを向けながら、歯を食いしばった。
「……君たち、一体何しに来たんだ? 冷やかしだったら出て行ってくれ、私は忙しいんだ」
戸屋松は、ウォールナットのテーブルに置かれた内線電話に手を伸ばす。きっと屈強なボディーガードを呼ぼうとしているのである。
「編集長、少しだけ僕たちの話を聞いてく……」
「編集長さん、そうやって探偵につっけんどんな態度をとると、犯人フラグが立っちゃうよ!」
なゆちの言葉に、戸屋松の手が止まった。
「……犯人フラグ? 私が一体何の事件の犯人だと言うんだ?」
「四竈勇登を殺した犯人だよ! まだフラグしか立ってないけど」
「フハハ。ギャルのお姉ちゃん、なかなか面白いことを言うね。話を聞こうじゃないか」
戸屋松が、一旦は電話に伸びかけた手をズボンのポケットの中に入れ、おもむろに脚を組み替える。
今回に限っては、なゆちの「急がば直進」作戦が珍しく奏功したようだ。