万年アシスタント(2)
「ああ、そうでしたね。すみません……で、何を話せば良いっすか?」
「訪問した時間とか」
「ああ」と古枝はとぼけた声を出す。
「たしか昼過ぎっす。十四時くらいでした。もしかしたら外食してるかもしれないなと思い、一応昼時は外したんっす」
「それで?」
「四竈先生の家について、インターホンを鬼のように鳴らしても反応がなかったんで、ドアもガンガン叩きました。それでも反応がなかったんで、ヤバいかなと思って警察に通報したんっす」
それ以前から勇登と連絡が取れなかったことも考えれば、警察に通報するという古枝の行動は、自然なものだろう。
「そうしたら、案外早く、多分一〇分かそこらで警察官が三人くらいで来て、バールのようなものって言うんすかね? なんか特殊な機械を使って、玄関ドアの鍵を開けてくれたんっすよ」
「バールのようなもの」は空き巣などが強引に家に侵入する際に用いるものなので、おそらく警察は使わないと思う。とはいえ、いちいち話を止めるのは得策ではないので、指摘しないことにする。
「警察官によって玄関ドアが開けられたっす。そこには……」
「死体?」
古枝の妙な間の取り方に、なゆちが釣られる。
「いいや。お嬢さん、違うっす。死体があったのは、家の隅の方にある執筆部屋っすから、玄関ドアの先には何もなかったっす。ただ、腐臭っていうんっすかね、ちょっと嫌な臭いはしました」
食事中にする話ではないなと湊人は思ったのはものの、なゆちは平気なようで、「ふーん」と鼻から声を出しながら、細麺をスーッと啜った。
「警察官から家を案内するように言われて、警察官と一緒に家に上がったんっす。それで、警察官から、普段四竈先生はどの部屋にいるのかと訊かれたので、執筆部屋を指さしたんっす」
執筆部屋は、勇登の仕事場である。当然、勇登はそこで過ごす時間が長いのだろう。
「嫌な臭いは、執筆部屋に近づくほど強くなっていったんで、嫌な予感はしましたっすね。正直。でも、警察官は勇敢にも執筆部屋のドアの前まで行ったんで、俺もついて行きました」
古枝が声のトーンを落とす。
「警察官が、執筆部屋のドアをコンコンとノックしました。でも、反応はなかったんで、警察官はドアノブに手を掛け、引いたんっす。そうしたら……」
「ついに死体とご対面だね!」
「お嬢さん、違うっす。内鍵が掛かっていて、ドアは開かなかったんっす」
またもや古枝に騙されたなゆちは、残念そうに眉を顰めた。
古枝の妙な間の取り方も悪いとはいえ、「二重の密室」については冴江子からすでに聞いていたので、湊人としては、我が探偵にもう少し思慮を求めたいところである。
「古枝さん、執筆部屋に付いてた内鍵は、元々付いてるものですか?」
「いいえ。お兄さん、元々じゃなくて、四竈先生が後から買って付けたやつっす。仕事中はよほど集中したいタイプの先生で。多分娘さんと暮らしてた頃に、娘さんに邪魔されないように付けたんじゃないっすか?」
「四竈勇登は冴江子さんを溺愛してたのに?」
なゆちが首を傾げる。今度はおさげに浸かりそうなほどには、丼にラーメンの汁は残っていない。
「お嬢さん、それとこれとは話は別っすよ。たしかに四竈先生は娘さんにゾッコンだったっすが、さすがに仕事は邪魔されたくなかったんだと思うっす」
「みなともそう? 私に仕事を邪魔されたら嫌?」
ふいになゆちが、湊人に、色々な意味で答えにくい質問をする。実は探偵と助手が、アイドルとヲタクの関係だということは古枝には伝えていないし、そもそも湊人はニートである。
湊人が何も言えずに黙っていると、空気を読んでくれたわけではないとは思うが、古枝は続きの話をしてくれた。
「とにかく、警察官がまたバールのような特殊な機械――玄関ドアを開けた時とはまた別の機械だったっすが――を使って、執筆部屋のドアを開けたんっす。そこに四竈先生の死体があったんっす」
「つまり、古枝さんも警察官と一緒に、四竈勇登さんの死体を見たってことですね?」
「お兄さんの言うとおりっす。見たくないものを見ちゃったって感じっすね」
死体を見たくなかったという古枝の気持ちはよく分かる。そういうものは湊人も苦手である。
他方、若い女の子の中には、たまにグロテスクなものがむしろ好きな子がいる。
おそらくなゆちはそのタイプで、「食事中に思い出させてしまい恐縮ですが」などという枕詞も付けないまま、「で、死体はどんな感じだった? どんな表情?」と前のめりで質問する。
「結構ヤバい顔だったっすよ。白目を剥いてて、まさに苦悶の形相って感じ」
やはり自殺と考えるのは不自然に思える。自殺ならばそんな苦しい死に方は選ばないだろう。
「凶器の包丁もすごいおっかない感じで、一般家庭で使うやつというよりは、板前が使う刀みたいなやつが四竈先生の死体のそばに転がってたっす」
「血まみれで?」
「そうっすね。四竈先生も、凶器の包丁も血まみれだったっす」
「おおっ」となゆちが歓声のような声を上げる。「血まみれ」でテンションが上がるとは、想像以上に悪趣味である。
「まあ、時間が経ってたんで、血は乾いていて変色してたっすけど。警察から聞いたんっすけど、傷の深さ的に、包丁の刃先は肺の方まで到達してたんじゃないかって。息もできず、相当苦しい断末魔だっただろうってことでした」
想像するだけで、こちらも肺の辺りが痛くなってくる。
「犯人は四竈先生をよほど恨んでたんっすかね」
「犯人? 古枝さんは四竈先生は自殺じゃなくて他殺だと思ってるってこと?」
「うーん、難しい質問っすね。ただ、俺はともかく、現場に臨場した警察は『他殺だ』って言ってたっすよ」
「どうして?」
「包丁の刃先が肺まで到達してたからっていうのもそうっすけど、包丁の持ち手の血液の付着状況のことも言ってたっす」
「どういうこと?」
「包丁の持ち手部分に、血が拭き取られたような跡があったらしいっす」
なゆちは「血を拭き取る? どうして?」と言いたげな顔をしていたので、湊人が話を引き取る。
「犯人が持ち手についた指紋を拭き取ったということですね」
「そういうことっす」
死体の状況は、四竈の死が他殺であることを如実に物語っているように思える。
とはいえ――
「古枝さん、念のための確認ですが、現場は完全に密室だったんですよね?」
「ええ。断言するっす。執筆部屋の内鍵は絶対に外からは開けられないっすし、執筆部屋の窓は雑誌本くらいの大きさで人の身体は通らないっす。そもそもはめ殺しっす」
執筆部屋の様子については、湊人となゆちも、昨日、冴江子とともに実際に現地を見て確認している。
他殺と思われる状況がありつつも、最終的に警察が自殺と判断したのには、この「絶対に崩せない密室」があるからなのだ。
「古枝さん、『例のダイイングメッセージ』も見ましたか?」
「ええ。もちろん。描きかけの原稿にカタカナで『サアワサナ』って書いてあったっす。四竈先生の血でね」
「たとえば、角度とか見方によっては別の文字に見えるということはなかったですか?」
「断言はできないっすけど、なかったと思うっす。見開きの原稿全体を使って、かなり大きくハッキリと『サアワサナ』って書いてあったっす」
勇登が、意図的に「サアワサナ」というダイイングメッセージを残したという点は、動かし難い事実のようだ。
勇登が創作したキャラクターである佐泡紗那が漫画の原稿から飛び出してきて、勇登を殺害。そして、また原稿へと戻って行ったとすれば、ダイイングメッセージの謎と密室の謎が一気に解ける。
動機は、さしずめ、鬱展開にした作者への復讐だろう。
しかし、まさかそんな超常現象は起きえない。
まさに怪事件である。
「最初見た時は、せっかく描いた原稿なのに、血文字で台無しで勿体無いって思ったんっす。ただ、それどころじゃなかったっすね」
「連載打ち切りですもんね」
「そうっす。四竈先生と一緒に働くのは好きだったんで、本当に残念っすよ。四竈先生の描く漫画はすごく繊細で、それでいて……」
古枝の話がまたあらぬ方向に行きそうだったので、湊人は、慌てて次の質問をする。
「ダイイングメッセージ以外に、他に不審な点はありませんでしたか?」
「不審な点?」
「普段執筆部屋にないものが執筆部屋に落ちてたとか……」
「普段執筆部屋にないもの……それはないっすね。ただ……」
「ただ?」
「机の上に小銭がばら撒かれてました」
「小銭?」
それは冴江子からは聞けていない情報である。
「四竈先生はマメな性格なんで、漫画で成功してお金持ちになっても、五百円貯金をずっとやってたんっすよね。招き猫の形をした貯金箱が執筆部屋にあって。その貯金箱の蓋が開けられていて、机の上に五百円玉がばら撒かれてたんっす」
「机の上というと、ダイイングメッセージが書かれた原稿のある机の上ですか?」
「そうっす。あの部屋には小さい机が一つしかないっすからね。ただ、散らばってた五百円玉は――多分百枚近くあったと思うっすけど、ダイイングメッセージが書かれたあたりにはあまり重なってなかったんで、『サアワサナ』のメッセージはちゃんと読めたっすね」
散らばっていた五百円玉――
これは何か事件と関係があるのだろうか。犯行の際、何かの拍子に貯金箱の蓋が開いてしまっただけなのか。それとも、貯金箱の蓋は意図的に開けられたのだろうか――
この点については、慎重に検討する必要があるだろう。
「もう一つ、古枝さんに質問したいことがあるんですが良いですか? 最後の質問です」
「お兄さん、どうぞ」
「もし仮に四竈勇登さんが自殺をしたのではなく、漫画のキャラクターである『佐泡紗那』にも殺されてないのだとすると、四竈勇登さんを殺害した犯人に心当たりはありますか?」
「四竈先生に恨みがありそうな人物っていうことっすか?」
「ええ。そうです」
「『グライド』の編集長っすかね」
古枝は即答した。
「と言いますと?」
「私怨ってわけじゃないっすよ。ただ、『ウタカタの饗宴』の連載が始まった頃から、四竈先生と編集長はよく揉めてて。どうやら『ウタカタの饗宴』の内容に関することだったみたいっす。まあ、俺はただのしがないアシスタントで、指示されたとおりに絵を描くだけっすから、具体的に何で揉めてたのかは知らないっすけどね」