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万年アシスタント(1)

「お待たせいたしました。醤油ラーメンの半チャーハン餃子セットと、それから生姜焼き定食になります」


 触れると少しベトッとする油染みがついた角テーブルが、洒落っ気など微塵もない、男飯の数々によって埋め尽くされる。


 つい昨日振る舞われたアフタヌーンティーと比べようという発想すら湧かない。


 今日のホストである目の前の男も、冴江子とは比較できるところが一つとしてない。


 同じ事件を捜査しているのに、昨日と今日とではまるで別世界にいるようだ――



「これで揃ったっすね。今日は俺が奢るんで、好きなだけ食べてください。株主優待券があるんで」


 目の前の男――古枝こえだ丈裕たけひろは、ヤニで汚れた黄色い歯を見せる。



「かぶぬしゆうたいけん?」


 なゆちが首を傾げる。三つ編みのおさげが、とんこつラーメンのスープに浸かりそうになり、湊人は少しハラハラする。



井多香屋いだかやの千円分の食事券が、ネットオークションだと七百円くらいで買えるんっすよ。俺はそれを買い漁ってて」


 古枝は、なゆちに賢さをアピールするかのように、自慢げにそう語る。

 対するなゆちは、そもそも「株主優待券」の意味が分かっていないので、「へえ」と、普段なゆちに振り回されている湊人でもすぐに生返事だと分かる相槌を打つ。



「他にもネットオークションには、お得な株主優待券がたくさん出回ってるんっすよ。服も靴も株主優待券を使って買ったんで、俺は全身が株主優待券っす。株は一株も持ってないんっすけど」


 古枝は豪快に笑ったのだが、どちらかといえば笑えない話のように思える。倹約生活を送らねばならない身の上を披歴ひれきしているだけなのだ。



 古枝は、四竈勇登の元アシスタントであり、冴江子の話に出てきた「第一発見者」である。


 アシスタントというと、駆け出しの漫画家が修行のために就く職業なのかと思っていたが、古枝は、白髪としわの多さからしておそらく五十代半ばくらいである。

 この年になってもなおアシスタントを続けている理由が気になるものの、あまりにもデリケート過ぎて、湊人には訊けない――



「ねえ、どうして古枝さんは良い歳してアシスタントなの?」


 さすがなゆち。羨ましい限りのデリカシーのなさである。



「お嬢さん、痛いところ突いてくるっすね。アハハ」


 古枝は、卑屈な笑みを浮かべる。



「俺も四竈先生みたいな売れっ子漫画家を目指しているんっすよ」


「今も?」


「うーん、まあ、そうっすね。とは言っても、もう歳なんで、正直なところ、ほぼほぼ諦めてるんっすけどね。昔はアシスタント作業の傍ら、自分の作品も描いてたんっすけど、今はもうそんな体力も気力もなくて」


「じゃあ、もう漫画家になることは無理なんじゃない?」


「お嬢さん、手厳しいっすね」


 自分よりも三回りくらい年下の若者にここまで言われても、古枝は決して怒ることなく、むしろニヤニヤと笑っている。

 長年のアシスタント生活によって、奴隷根性が培われているのかもしれない。



「俺にとって漫画家になることは憧れなんっすよ。まあ、あれっすね、宝くじが当たると良いなみたいな感じ。宝くじを当てて億万長者になれないかなって、みんなぼんやり考えるじゃないですか。実際には宝くじを買ってなくても。それと同じ感じっす」


 分かるような分からないような話である。やはりなゆちも「へえ」と心のこもらない相槌を打った。



 激安中華にゆっくりと舌鼓を打つ気も、うだつの上がらない男との雑談をゆっくり楽しむ気も、湊人にはなかった。

 生姜焼きの付け合わせの千切りキャベツを一口だけ口に運んだ後、湊人は、事件についての話を切り出す。



「古枝さんは、一月一〇日に、四竈勇登さんの自宅に行ったんですよね?」


「はい。そうっす。四竈先生と原稿についてやりとりをしてたんっすけど、ある時から急に連絡が取れなくなっちゃって」


「それで心配して自宅を訪問したということですか?」


「そうっすね。ぶっちゃけ、心配して、というよりも、指示がないと次の作業に進めないんで困って、という方が近いかもしれませんが」


「その時よりも以前に、勇登さんと連絡が取れなくなるようなことはあったんですか?」


 古枝は、大きく首を振る。



「ないっす。一度もないっす。四竈先生は〆切も絶対に守りますし、連絡もマメな人だったんで」


「几帳面な人だったんだね!」


 なゆちがすかさず口を挟む。とんこつラーメンに夢中になってると思いきや、話はちゃんと聞いているらしい。



「几帳面……そうっすね。すごく真面目な人でした。故人だから悪く言っちゃいけないっていうのを抜きにして、ストイックで、本当に尊敬できる人だったっすよ。漫画家としても天才っすし」


 勇登は立派な人間だったらしい。その背中を見て育ったからこそ、冴江子もあんなに立派なのだろう。



「まず、構図が他の漫画家とは一線を画すんっすよね。ベースはオーソドックスなんっすけど、ここぞという場面では、今まで使われたことのないような大胆な構図を……」


「すみません。話を戻して良いですか?」


「えーっと、何の話でしたっけ?」


「一月一〇日に四竈勇登さんの自宅に行った時の話です」


 話好きの古枝が暴走しないように、湊人はしっかりと手綱を握る。


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