気品溢れる一人娘
「駅前で待たせてしまってごめんなさい。私の段取りが悪くて」
長身の女性が、やおら頭を下げる。
「いえいえ、気になされないでください」
むしろ恐縮してるのは、湊人の方である。
到着して早々案内されたテーブルには、特殊なスタンドによって三段に重ねられたお皿に、クッキーや一口サイズのケーキが乗っており、まるで一流ホテルのアフタヌーンティーに招かれたかのよう。
台所からは、高級な紅茶の葉を蒸らす、上品な香りが漂ってきている。
女性が待ち合わせ時間に遅れたのは、湊人たちをもてなす準備を入念に行っていたからに違いない。
おそらくだが、洒落た調度があしらわれた食器は、元々この家にあったものではなく、湊人たちのためにわざわざ持ち込んだものなのだと思う。
四竈冴江子は、今日のホストであるが、この家の家主ではないのだ。
この家の家主は、今から約二ヶ月前に、命を落としているだから。
「紅茶ですが、角砂糖は要りますか?」
「四つください!」
威勢の良い声に、思わず目を見張る。
我が探偵は、ケーキなどのお茶菓子に加えて、さらに異常な量の砂糖を摂取しようというのだ。
英国から取り寄せたのではないかと思うくらいに格式高いカップに入れられた紅茶が運ばれるとともに、冴江子は、やはりたおやかな所作で、席に着いた。
紅茶のベルガモットの香りとは別の、品の良いせっけんの香りがふわりと漂う。
冴江子の座高は、なゆちよりも少し高く、湊人と同じくらいである。湊人よりも冴江子の方が明らかに背が高いから、身長では負けているということになる。
それ以前に気品において圧倒的に負けているので、身長なんかで張り合っても意味がない――
これも英国から取り寄せたのではないかと思しき、上品な白のワンピースも、彫りの深い美形の顔によく似合っている。
「名探偵と助手の方にまさか本当にお越しいただけるとは思わず、私、とても感動しています」
冴江子の、明らかに大袈裟に台詞に対して、なゆちは、
「事件のあるところに名探偵ありだよ!」
と、謙遜することなく胸を張る。
湊人には、決して真似することのできない芸当である。ただ、探偵をするにしても、アイドルをするにしても、これくらいの度胸は必要とされているのかもしれない。
「私、なゆちさんとみなとさんの動画のファンなんです。一作目からずっと追ってました!」
疑い深い湊人は、この台詞にも脚色があるのではないかと訝しんだところだが、なゆちは、
「えへへ。嬉しいなあ」
と心底喜び、照れて頭を掻いている。
この素直さはおそらく探偵には不向きだが、少なくとも、アイドルとしては代え難いスキルである。
「なゆちさん、後でサインをもらって良いですか?」
「もちろん! 紅茶を飲み終わった後のティーカップにサインするね!」
――それはさすがにマズいだろう。せっかくのオシャレな食器が台無しである。
しかし、冴江子は、うふふと微笑み、「ぜひお願いします」と承諾した。
動画のファンであり、一作目から追っているというのは、案外事実なのかもしれない。
「なゆちさんとみなとさん、そろそろ本題に入って良いですか?」
「もちろんです。お話をお聞かせください」
少し食い気味に言ってしまった。
もてなされ慣れてない湊人としては、ただただもてなされている状況が落ち着かず、早く「仕事」の話に移りたかったのである。
「DMにも概要は書いたのですが、本当に概要ですので、言葉足らずな部分も多かったと思います。ですので、DMと重なる部分もあるかとは思いますが、一から説明させてもらいますね」
「そうしてもらえると、ありがたいです」
「それでは――」
冴江子が、事件についての語りを始める。
西洋風美人の顔からは優しい笑顔は消え、表情が翳る。
――当然だ。事件の被害者は、冴江子の実父なのだから、決して快活に話せることではない。
重苦しい雰囲気で冴江子が語った話をまとめると、以下のとおり。
事件が起きたのは、約二ヶ月前。
現場は、茗荷谷の高級住宅街にある一軒家――今、湊人となゆちがいる家である。
被害者――漫画家の四竈勇登が倒れていたのは、湊人となゆちがいるダイニングキッチンとは別の部屋――「執筆部屋」と呼ばれる四畳半の部屋だった。
ただでさえ狭い部屋に、勇登は、大きな書棚を置き、小学校の学習机ほどの小さなデスクで、日夜執筆に励んでいたのだという。
売れっ子漫画家なので、当然にアシスタントは複数名いるが、勇登は、アシスタントと共同作業をすることを好まないタイプだったそうだ。アシスタントとは完全分業し、郵送で、原稿のやりとりをしていた。
狭いスペースで一人きりで、というのが、勇登が好んだ執筆スタイルだったということである。
そして、勇登は、この一軒家で一人暮らしをしていた。
こちらは、勇登が好み選んだものではない。
勇登は、結婚してわずか五年で、肺炎によって妻を亡くしている。
勇登の妻――四竈加織は、冴江子から見ると母親ということになる。
冴江子は、物心つく前に母親を亡くし、父親である勇登によって、かくも立派に育て上げられたのだ。
そして、勇登は、一人娘である冴江子のことを溺愛していた。
冴江子が大学進学を機に一人暮らしを始める際にも、勇登は強く反対し、多少遠くとも実家から通うように懇願したのだという。
……少し話が逸れたかもしれない。
話を、今回の事件に戻す。
事件が発覚したのは、今年の一月一〇日。
何度勇登に催促しても自分の担当する原稿についての作業指示がなかったことから心配したアシスタントの一人が、茗荷谷の自宅を訪ね、勇登の死体を発見したのだという。
――否、この説明は、幾許か正確性を欠くかもしれない。
正確には、死体を発見したのは、臨場した警察官である。
勇登の死体が発見された当時、事件現場は「二重の密室」だった。
つまり、執筆部屋のドアにも、玄関ドアにも施錠がされていたのである。
ゆえに、アシスタントは、勇登の死体にまで辿り着かなかった。
繰り返しインターホンを鳴らし、その倍くらい玄関ドアを叩いた後、警察に通報するほかに術がなかったのである。
臨場した警察官の物理的な処置によって、「二重の密室」が破られ、勇登の死体が発見されることとなる。
死体が発見された段階で、死後三日以上が経過していたらしい。
とはいえ、いわゆる「孤独死」ではないことは、一見して明らかだった。
なぜなら、死体は、胸から激しく出血をしていたのである。
死体のそばには、刃渡りの長い包丁が転がっており、そこにも乾いた血がべっとりついていた。
そして、執筆部屋には、ある意味では死体以上に目を見張るものがあった。
それが例のダイイングメッセージである。
「ウタカタの饗宴」の描きかけのネーム原稿に、血で描かれたカタカナ。
「サアワサナ」が、死に際に勇登が糾弾した犯人の名だったのである。
「ふぇ、警察は佐泡沙那の行方を追っているけど、ふぁだ見つけられてないってことかな?」
なゆちが、桜色のロールケーキを頬張りながら、冴江子に質問をする。
「……そうとも言えるかもしれませんね」
と、冴江子は曖昧な回答をする。
「ふぉういう意味?」
「犯人を追う以前に、警察は、事件性はないと考えているみたい」
「なるふぉど……ふぇ? どういう意味?」
「警察は、父は自殺したと考えている、という意味です」
なゆちが「ふぇ?」という顔をしてるので、湊人が補足して説明する。
「現場が密室だからですね。犯人が出入りできない以上、他殺の線は消える」
そう説明してもなお、なゆちは「なるふぉど」という顔にはならない。
気持ちはよく分かる。
包丁で自分を刺して自殺するというのも不自然であるし、ましてや自殺しながらもダイイングメッセージを残すというのは、極めて不自然なのである。
それは「矛盾」と言って差し支えないものだと思う。