駅前の二人
「ねえ、この『コミックパラダイス』、通称『コミパラ』ってサイトすごいんだよ! 月額わずか五五〇円で、一〇万種類を超える数の漫画が読み放題なの! しかも、漫画を五冊読み終わるごとに抽選に参加できて、当たりが出ると、コンビニとかでも使えるポイントと交換できるんだ!」
「……なゆち、CM狙ってるの?」
「みなとに勧めてるだけだよ。変な言い方しないで」
なゆちが、伸ばしたシャツの袖を掴んだ手で、湊人の背中を叩く。
今日のなゆちの私服は、黒の薄手のコートに、灰色のチェックのスカート。いつもよりもフォーマルに見える。
ファッションにあまり詳しくない湊人の第一印象は「小学生のピアノの発表会っぽい」だった。そんなことは口が裂けても言えないが。
退屈凌ぎなのか、なゆちは、スロープの外側の手すりに寄りかかりながら、右脚をゆっくり伸ばしたり曲げたりしている。
あまりジロジロ見るのは良くないなとは思いつつ、湊人の目線は、自然と、スカートから伸びた健康的な脚に行ってしまう。
――ダメだ。雑念を振り払わねば。
湊人は、意識的に視線を上げると、改札口の方をぼんやり見る。
「結構人が多いね」
「そうだね」
丸の内線茗荷谷駅は、ハブ駅ではないものの、乗降者数はそれなりに多いように見受けられる。
利用者の年齢層は、比較的若い。
平日の昼間に若者の利用者が多いのは、元々あった拓殖大学に加え、最近、中央大学のキャンパスも新たにできたからだろう。
湊人となゆちは、この茗荷谷駅の前で、依頼者と待ち合わせをしていた。
今回の事件現場の最寄駅が、茗荷谷なのである。
「みなと、そんなイヤラシイ目で見ないで」
「え!?」
唐突な指摘に、湊人は面を食らう。
今は――少なくとも今は、努めて、なゆちの脚は見ないようにしていたはずだ。
それなのに、なゆちは、細い眉を顰め、湊人のことを睨みつけている。一体どうして――
「みなと、さっきから通りすがりの女子大生を物色してるでしょ!? 分かってるんだから!」
……そっち!?
「露出の多い女子大生をずっと目で追ってるでしょ!」
「違うよ! ただぼーっと人混みの方を見ていただけで!」
「苦しい言い訳はやめて!」
言い訳ではないのだが……乙女とのコミュニケーションは容易ならざるものだと改めて思う。
……さて、気を取り直して、事件に関連のある話でも。
「なゆち、その、コミパラっていうサイトで、四竈勇登の作品を読んだんだよね?」
「もちろん! 昨日徹夜して読んだよ!」
「だいぶ熱心だね」
「だって名探偵だもん」
徹夜で調査をしたとも言えるし、徹夜で漫画を読んだだけとも言えるので、手放しで褒めて良いものかは分からない。
ただ、いずれにせよ、なゆちと最低限の打ち合わせはできそうである。
「なゆち、『ウタカタの饗宴』はどうだった?」
「ウタカタの饗宴」は、今回の事件の被害者である四竈勇登の最新作であり、青年向け漫画雑誌に連載されていた作品である。
「連載されていた」と過去形になっているのは、まさに今回の事件のせいであり、連載開始後約半年、二三話目を発表したところで、作者の「急死」によって、連載は打ち切りとなったのだ。
「すごく面白かったよ! ヒロインの悪女感が超最高!」
「悪女感が超最高」とは、一体どういう感性なのだろうか。
「パパ活相手からひったくった財布を持って、南青山の街を駆けていくシーンとか爽快だったよね!」
「財布をひったくったシーンが爽快」とは、さらにどういう感性なのかと疑う。ただ、ともかく、なゆちが「ウタカタの饗宴」をしっかり予習してきたことは事実らしい。
「ウタカタの饗宴」は、年上の男性から、食事や、性的な交渉の対価としてお金をもらうこと――いわゆるパパ活によって生計を立てている若い女性をヒロインとした作品である。
なゆちは、「超最高」「爽快」と評したものの、この作品から湊人が受けた印象は、むしろその真逆であり、不快とまでは言わないものの、読んでいて暗い気持ちになる作品だと感じた。
ヒロインは、好きでもない男と寝ることによってお金を稼ぐ。
稼いだお金で何をするかといえば、将来に投資するわけではなく、ブランド品の購入や友達との遊びでパーっと使い切ってしまう。
そして、また別の男と寝て、お金をもらう。
その繰り返し。
なんとも救いようのないストーリーなのである。
「途中で連載終了になっちゃったのが残念。私、続きが楽しみなのに」
なゆちは、その言葉が心からのものであることを証明するかのように、はあ、とため息をついた。
もっとも、「続きが楽しみ」というのも、湊人としては同意しかねる。
ただでさえ救いのないストーリーは、二三話目で、さらに救いのない展開へと向かおうとしていた。
「パパ」の一人だった国会議員の妻に、ラブホテルでの密会がバレ、ヒロインに脅迫的な手紙が送られるとともに、税務署に通報されてしまったのである。
「楽しみ」というよりも「見てられない」展開の最中、作者の「急死」により、物語はプツリと幕切れした。
「むしろ連載中止となってホッとした」という意見は、SNS上でも多く見られたところである。湊人もこの意見に全力で同意する。
「そういえば、なゆち、前作の『オシゴト革命家美倉由愛』も読んだ?」
「うん。だいぶ昔に読んだよ」
『オシゴト革命家美倉由愛』は、四竈勇登の出世作である。アニメ化、さらにドラマ化もされたため、なゆちが履修済みであったこともなんら不思議ではない。
『オシゴト革命家美倉由愛』は、電子機器販売会社のOLであるヒロインが、営業や広告といった諸分野で、タイトルどおり「革命」といえるようなアイデアを次々と出し、傾きかけていた会社を変革していくストーリーである。
「『オシゴト革命家』も『ウタカタの饗宴』と負けないくらいに面白かったよね」
なゆちの評価は、SNS上での一般的な評価とはズレたものである。
SNS上では、「『オシゴト革命家』は面白かったけど、『ウタカタの饗宴』はツマラナイ」、「四竈は『オシゴト革命家美倉由愛』の一発屋」と言われているのである。
なゆちには申し訳ないが、湊人も、世間一般と同じような感覚を持っている。
「みなと、今回の事件に『オシゴト革命家』は関係してるの? 私は『ウタカタの饗宴』だけが関係してるのかなって思ってたんだけど」
「『オシゴト革命家』は関係してない……と思う」
世間的には、四竈勇登=「オシゴト革命家美倉由愛」かもしれないが、今回の事件に関しては「オシゴト革命家」は外野のポジションだろう。
今回の事件に関連してるのは、あくまでも「駄作」とされる「ウタカタの饗宴」の方なのだ。
もっというと、今回の事件の容疑者が「ウタカタの饗宴」の登場人物なのである。
「みなと、どう思う?」
「どう思うって?」
「自分の作品のキャラクターに殺されるのってどんな気持ちなのかな? 飼い犬に手を噛まれて悔しいって感じなのかな? それとも、本望なのかな?」
「うーん……」
なかなかに深いテーマである。創作を趣味や生業としている人にぜひ質問してみたいとは思う。
とはいえ――
「なゆち、前提を疑うべきだよ。常識的に考えて、キャラクターは人を殺さないでしょ。だって、実体がないんだから」
我ながらツマラナイ正論だが、今回の事件の捜査は、この至極当たり前の話からスタートしなければならないはずだ。
「じゃあ、みなと、どうしてダイイングメッセージで『サアワサナ』って書かれてたの?」
そこが大問題だ。ダイイングメッセージによって、死の間際に四竈勇登が犯人だと糾弾した「サアワサナ」は、「ウタカタの饗宴」のヒロイン――佐泡紗那なのだ。
ゆえに、今回の事件の容疑者は、被害者が創作したキャラクターなのである。