表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/13

距離感

 オープンからラストまで、ずっと幸せな時間だった。


 お酒にも酔え、推しにも酔え、まさに夢のようなひとときだったのである。



 オープン時には、なゆち目当ての客は湊人しかいなかった。

 しかし、なゆちの出勤以降、客が断続的にやってきた。


 その中には、湊人がよく見知ったなゆち現場の常連もいれば、「例の動画」でなゆちを知り、興味本位で本人に会いに来た者もいた。

 なゆちにとってももちろん、湊人にとってもそうしたファンの一人一人がありがたくて、時にはなゆちを交えて、時にはなゆちを交えずに、大いに語らい合ったのだ。


 推しのキャストとともにお酒が飲めるコンカフェというシステムを編み出してくれた誰かに対して、感謝がやまない。


 本当に最高のコンカフェ現場だった。



 閉店時間間際になり、理想の「ご帰宅」(いわゆる「お帰りなさいませ。ご主人様」)から、現実の「ご帰宅」(一人暮らしのワンルーム。「ただいま」と声を掛けても、美少女フィギュアの応答はなし)へと向かっていく者の背中をなゆちとともに見送る。



 なゆち以外のキャストはみな、控え室に戻ったようで、店内にはなゆちと湊人のほか、誰もいない。


 湊人は、ふと我に返る。


 そして、疑問に思う。



 果たしてこれで良いのだろうか、と。



「みなと、どうしたの? 焦点の定まらない目をしてるけど」


 アルコールで頬を愛らしく染めたなゆちが、腰を屈め、湊人の顔を覗き込む。白いレースの髪留めが、ヒラリとカウンターの上に落ちる。



「もしかして飲み過ぎ?」


「違うよ。……ちょっと考えごとをしてて」


「考えごとって何? 一番萌える絶対領域の広さについて?」


「そんなわけないでしょ……っていうか、何それ?」


「さっきみなとが語ってた」


……もしかしたらそうだったかもしれない。少し飲み過ぎたようだ。


 湊人は、レースの髪留めを拾い上げると、そっとなゆちに返す。なゆちは「ありがとう」と言って、それを乱雑にスカートのポケットの中に突っ込んだ。



「なゆち、そういう話じゃなくてさ。……なんというか、これってアリなのかな、って」


「これって何?」


「コンカフェ」


「湊人が一番楽しんでたじゃん」


「それはそうかもしれないけどさ」


 楽しかったことには疑いはない。

 とはいえ、楽しければそれで何でも良いのかといえば、それも違う気がする。



「推しメンと飲める酒は至高、じゃないの?」


 なゆちは、底にレモンサワーが溜まっているグラスをゆらゆらと揺らす。



「それもそうなんだけど、なんというか、コンカフェだと推しとの距離が近過ぎない?」


「みなとは私と距離が近い方が良いでしょ?」


 なゆちの顔が目と鼻の先の少し先まで迫ってきたので、湊人は慌てて丸椅子から飛び降りる。

 今度は湊人が無事着地したことに対し、なゆちは不満げな表情を浮かべる。



「そういう物理的な距離もそうなんだけど、それだけじゃなくて、なんというか、アイドルとヲタクとの適切な距離感ってあるじゃん?」


「なんだか小難しいことを言うね」


 なゆちが、グラスの底に溜まったレモンサワーをグッと飲み干す。喉元の動きがとても生々しい。



「ねえ? みなとは、私との距離が近過ぎると嫌だってこと?」


 「そういうわけじゃなくて……」と、咄嗟に言い、口籠る。

――結局、湊人が言いたかったことは、なゆちの言ったとおりなのかもしれない。


 アイドルとは、本来、とても価値のある存在なのだ。

 手の届かない高嶺の花の、さらにその先の存在――アイドルはそうあるべきなのである。


 

 もちろん、山口百恵や松田聖子の時代と、現代の地下アイドルとでは同じではないのだろう。良くも悪くも、彼女たちは神格化されていない。距離の近さは、どちらかという売りでさえある。



――とはいえ、コンカフェはさすがに距離が近過ぎないだろうか。


 なゆちが、コンカフェに出勤するのは、年二回程度である。

 おそらくはファンとアイドルとの交流の場を持つことで、ファンに喜んでもらうため、つまり、ファンサービスとして出勤しているのだと思う。


 なゆちの気遣いは率直にありがたいし、推しメンと飲める酒は間違いなく至高なのだが、同時に、罪悪感も感じる。


 アイドルがコンカフェ嬢としてご給仕するのは、偶像性の安売りであり、それを貪るのは搾取なのではないかという気がするのだ。



「みなと、小難しいことはもうやめようよ。()()()()()()()()を考えよう」


「え!?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。


 しかし、なゆちが、スマホの画面を湊人の方に向け、「ワトスン君、新しい事件だよ」と言ったことで、状況は明らかになった。


 「探偵なゆち」の元に、新たな依頼が届いたのである。



 地下アイドルである朝野奈柚のもう一つの顔は、素人探偵である。


 「素人探偵」というと、仕事でもなく、お金がもらえるわけでもないのに、善意で警察に協力して事件に協力する聖人のような者をイメージするかもしれない。


 しかし、なゆちの場合、逆である。


 なゆちには、事件を解決し、その動画をYouTubeに上げることでバズりたいという、不埒な思惑がある。

 アイドル活動の延長線上の売名活動として、「アイドル探偵」を名乗り、事件に首を突っ込んでいるのだ。善悪どちらかで言えば、完全に悪である。



「それ、XのDM?」


「そう」


 湊人は、丸椅子に掛け直し、なゆちのスマホの画面をマジマジと見つめる。

 それは、「サエ」というアカウントから、なゆちのアカウントに届いたX(旧Twitter)の長文DMダイレクトメッセージだった。



「今朝届いたの。名探偵である私に、未解決事件の謎を解いて欲しいんだって」


 たしかにDMの冒頭には、「この事件は名探偵なゆちさんにしか解決できません」という趣旨のことが書かれている。

 切実さは分かる一方、湊人は、少し白けた気持ちになる。


 たしかにこれまでなゆちは、いくつもの事件を解決してきた。その中には、警察がお手上げだった未解決事件も含まれている。


 とはいえ、それらの事件を解決してきたのは、なゆちではない。


 湊人である。


 事件に首を突っ込むのまでがなゆちの仕事で、その後の捜査は「助手」である湊人が主導して行なっている。

 なゆちは、湊人の推理を聞いて、それを動画にしてYouTubeにアップしているだけなのだ。

 ヲタクである湊人の献身を利用しているだけなのである。


 そういえば、他の客と一緒に現実の家にご帰宅しようとした時、なゆちは「二人きりで話したいことがある」と、湊人の袖を引き、引き留めたのだった。

 その時は少しドキッとしたのだが、蓋を開ければなんてことはない。またしても湊人に捜査に協力してもらおうという下心があっただけである。



「湊人、今回の事件もなかなか面白そうだよ」


 通常、素人探偵が「面白そう」と言うときは、事件の取り組み甲斐がある、というような意味だろう。


 しかし、なゆちの場合の「面白そう」は、そういう意味ではない。

 単に「バズりそう」という意味である。


 これまで解決してきた事件も、ライブハウスでの公演の最中にも関わらず屋上から飛び降りたアイドルの事件だとか、ジェイソンにチェーンソーで斬られたYouTuberの事件だとか、某少年名探偵の第一話のようなジェットコースター乗車中の殺人事件だとか、いかにも大衆ウケしそうな事件ばかりだった。


 それは、なゆちの「引きの強さ」のおかげだという面もあるのだが、それ以上に、解決動画を見た者が、同じような怪事件をなゆちに集めてくる、という面もある。


 今回だって、なゆちの過去の動画を見た者が、なゆちにDMを寄越しているわけである。



 なゆちが今回の「面白い」事件の概要を明らかにする。



「今回の事件の被害者は漫画家。そして、容疑者は被害者が描いた漫画のキャラクター。どう? みなと、面白バズりそうでしょ?」



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ