昼食
「ルクスさんの魔法、すごかったね」
「ええ、まあね」
ウルリケが澄ました顔で頷く。
レクトの脳裏にはまだルクスの見せてくれた美しい光の魔法が鮮明に焼き付いていた。
「すごくきれいだったよね」
「それ、魔法のこと?」
ウルリケがからかい笑いを含んだ目でレクトを見る。
「それともあのウェンディって人の」
「ど、どっちもだよ」
「ふうん」
ウルリケが目を細める。レクトはどぎまぎして、
「早く食堂に行かないと」
と話をそらした。
昼食を三年生と食べた後の午後からは、庭園と森の案内をしてもらうことになっていた。
校舎の別棟の案内はやはり授業の一環という感じがして緊張するが、庭園や森は生徒の遊び場だ。午前よりもずっと気楽な感じがして、楽しみだ。
レクトが軽い足取りでウルリケと並んで食堂の扉をくぐると、もう既に一年生も三年生もほとんどが席についていて、残っている席はそう多くなかった。
「僕ら、遅かったみたいだね」
レクトが言うと、ウルリケは微笑む。
「その分、しっかり案内してもらえたってことじゃないかしら」
「う、うん。そうだね」
さっきは早くお昼が食べたいって言ってたのにな。
ウルリケの切り替えの速さに感心していると、後ろから他の一年生ペアが入ってきた。
「よう、レクト」
お調子者のライマーと、身体が大きくて運動神経のいいラウディの二人だった。
「俺たち、午前中は森と庭園に行ってきたんだ」
ライマーが言う。
「面白いところ、色々と教えてもらったぜ。な、ラウディ」
「ああ」
ラウディは顎だけで頷く。ケンカの強いラウディはレクトを明らかに下に見ているので、いつもまともに相手をしてくれない。
「あっちに座ろうぜ」
そう言って、さっさと離れた席に歩いていってしまう。
「あ、ラウディ。待てよ」
ライマーは、じゃあなレクト、と言ってラウディを追いかけていく。
「レクト。早く座って」
ウルリケはもう手近の席に腰を下ろしていた。
「あ、うん」
彼女の隣に座ろうとしたレクトは、その席の前に座っている三年生の女子の顔に見覚えがあることに気付く。
あ、あの人、知ってる。
レクトはぶるりと震えた。
この間、隣のクラスのいたずら好きな男子たちが、消灯時間を過ぎても騒いでいたら、あの三年生にものすごく怒られたんだ。
それはもう、すごい迫力で……怒られた男子はみんな涙目だった。
レクトはちらりとウルリケを見るが、彼女はそれほど気にしているようには見えない。あの人の怖さを知らないのかもしれない。
「何してるの。早く座りなさいよ」
ウルリケに急かされ、もうどうしようもなくなって、レクトは仕方なく彼女の隣に腰を下ろした。
目の前には、まるで女戦士のような女子生徒が腕を組んで座っている。
魔術師のローブを着ているのに、魔法を使うイメージが全然浮かばない。むしろ、剣とか斧とかを持って龍退治にでも行きそうな雰囲気だ。
「よろしくね」
ウルリケの前に座るそばかすの女子生徒が優しい笑顔で言った。
「私は3年2組のノリシュ。それと、こっちが」
「1組のエメリアだ」
そう。エメリア。確か、そんな名前だった。
「レクトです」
レクトはぴょこんと頭を下げた。
ウルリケも会釈する。
「1年1組のウルリケ・アサシアです」
「レクトとウルリケね」
ノリシュは頷く。
「午前中はどうだった?」
「楽しかったです、とても」
ウルリケが答える。
「三年生がとても親切に教えてくれて」
「誰が教えてくれたの?」
「ええと」
ウルリケが少し口ごもったので、レクトは隣からそっと口添えする。
「コルエンさんとアインさんとルクスさんだよ」
「ああ、そうだったわね」
ウルリケは頷く。
「武術棟がコルエンさんで、治癒術棟がアインさん、魔術実践棟がルクスさんです」
ノリシュにそう答えた後で、ウルリケは不思議そうにレクトを見た。
「どうして自分で言わないの」
「い、いや」
だって。
レクトは気付いていた。自分たちが名前を名乗ってから、エメリアの顔がすごく不機嫌そうに変わったことに。
何が気に入らないんだろう。この間怒られた男子たちの仲間だと思われてるのかな。
それがレクトには怖くて仕方ない。
ウルリケは全然気にしていないようだ。エメリアの隣に座るノリシュも気付いていない。
「一組と三組のクラス委員ね。クラス委員二人に案内してもらうなんて、贅沢ね」
ノリシュが微笑む。
「アインの説明もルクスの説明も、分かりやすかったでしょう」
「ええ、とても」
ウルリケが答える。
「それと、武術棟はコルエンね。彼は武術が大好きだから、すごく楽しそうに教えてくれたでしょう」
ノリシュの言葉に、ウルリケは笑顔で頷く。
「はい、楽しそうでした」
その笑顔に、レクトはちょっと面白くない気分になる。
別にかっこよくなかった、みたいなことを言っていた癖に、ウルリケはコルエンのことになると表情が明るくなる気がする。
やっぱりかっこいいと思ってたんじゃないか。
そこに、食事が運ばれてきた。
いつもなら各自が配膳場所で受け取るのだが、今日はオリエンテーションなので特別だ。隣の生徒からどんどんと回ってくる皿をさらに隣に回していき、じきに全員に料理が行きわたった。
「全員、料理は行きわたったな。足りない生徒はいないか」
テーブルの中央で、三年生の代表が立ち上がってそう言った。
治癒術棟で二人に説明してくれたアインだった。やはりここでも三年一組のクラス委員が代表を務めるようだ。
「ウォリス、ルクス、君達の方も大丈夫か」
「ああ、大丈夫だ」
アインからだいぶ離れた席で、魔術実践棟の説明をしてくれたルクスが手を挙げて答える。
「もし何かあったらこちらで対処する。君は心配せずに進めればいい」
涼やかな声でそう言ったのは、金髪の男子生徒だった。
どうやらアイン、ルクス、そしてこの生徒の三人が三年生のクラス委員のようだった。
レクトは、穏やかに微笑む金髪の生徒を見た。遠くからでもはっきりと分かる、恐ろしく整った顔立ちをしていた。
「分かった。それでは食べ始めるとしよう」
アインは金髪の生徒の言葉に肩をすくめ、それから口調を改めた。
「一年生の諸君、午前中は三年生から実りのある説明が聞けただろうか。聞き洩らしたことや時間の関係で説明が足りなかったことは、遠慮なくいつでも僕たち三年生に尋ねてくれ。……おい、フィッケ。まだ食べるんじゃない」
アインは顔をしかめて隣のひょろりとした三年生の頭を叩いた。「いてっ」という声とともに周囲からくすくすという忍び笑いが漏れる。
咳払いして、アインは続けた。
「午後も予定はぎっしり詰まっている。先生方が僕たち三年生に君たちの案内を任せてくださったのは、こと学院での生活ということになると、先生方よりもかえって生徒の方が詳しいことがいろいろとあるからだ。特に、森や庭園についてはな。だから、三年生は出し惜しみせずに教えてあげてほしい。一年生もこの機会に、学院生活のことなら何でも聞いてみてくれ。それでは、しっかりと食べて、午後も元気に楽しくやろう。ムルカ、頼む」
アインの合図で、その隣に座っていた男子生徒が声を張った。
「良き食事を、良き魔力の糧に」
それを生徒全員が唱和する。
「良き食事を、良き魔力の糧に」
役目を終えたアインが満足そうに腰を下ろし、食堂は一斉に賑やかになった。
皆が喋りながら食事に手を伸ばす。
レクトとウルリケも食事を口に運んだ。
まずはとりあえずお腹を満たすことだ。
レクトは目の前の不機嫌そうな女子生徒の方は極力見ないようにして、食事をかきこんだ。
やがてお腹もだいぶ落ち着いてきたころ、ノリシュが一年生二人に問いかけてきた。
「良き食事を、良き魔力の糧に。どうしてああいう風に言うか知ってる?」
その質問に、レクトとウルリケは顔を見合わせる。
レクトはその言い回しを、この学院に来て初めて聞いた。
一斉に唱和するのは一年生全員で食べていた入学後の数日以来だが、食堂での食事前にはそう口にするよう指示を受けていた。
そういうものなのだろうと思っていたし、特に疑問は抱かなかった。
ウルリケも同様のようだった。彼女の性格からして、知っていればレクトの顔など見ずに、すぐ答えているはずだ。
「知らないみたいね」
二人の表情を見て、ノリシュは微笑む。
「この学院にはいろんな国から、いろんな生徒が集まってくるでしょ」
ノリシュは言った。
「ノルク島はガライ王国の領土だしこの学院も王立の施設だけど、ガライの習慣に従ったら南のほかの国や中原から来た生徒にはよく分からない。だから、どんな国のどんな出身の生徒でも抵抗のない言葉にしたんですって」
それを聞いて、レクトはもう一度さっきの言葉を反芻する。
「良き食事を、良き魔力の糧に」
そうか。
「出身がどこでも、僕らがみんな魔術師になることは変わらない。だからですね」
「ええ」
ノリシュは笑顔で頷いた。
「私はいい言葉だと思うわ」
そう言った後で、いたずらっぽく肩をすくめる。
「まあ慣れちゃうとみんな、言わないで食べ始めちゃうんだけどね。私も寮だと滅多に言わないかも」
確かに、寮の食堂でその言葉を口にしている生徒はほとんど見なかった。
「二人はどこの出身なの?」
そう訊かれたウルリケが、「私はフォレッタです」と答える。レクトも慌てて、「僕はラング公国」と答えた。
「あら、私もラング公国よ」
ノリシュが顔を輝かせる。
「ラングのどこ?」
「ええと、僕は」
二人がしばらく故郷の話題で盛り上がっている間に、ウルリケは黙々と食事を口に運ぶエメリアに話しかけていた。
「エメリアさんは、ご出身はどちらなんですか」
「ザイデル公国だ」
短くそう答えたあと、エメリアはじろりとウルリケを見た。
「お前はフォレッタの貴族のご令嬢か」
「はい、私は」
「いや、それ以上言わなくていい」
エメリアはパンの最後の一切れを口に放り込むと立ち上がった。
椅子が、ガタン、と大きな音を立てる。
「えっ」
ウルリケが驚いた顔でエメリアを見上げ、ノリシュとレクトも会話をやめてエメリアを見た。
そのまま食堂を出ていこうとするエメリアを、アインが見とがめた。
「おい、エメリア。どこへ行くんだ」
エメリアは面倒そうに振り向く。
「食べ終わったから、帰るんだ」
「今日はみんなで一緒に食べているんだ、勝手な真似をするな」
しかしエメリアは返事もせずに、そのまま食堂を出ていってしまった。
アインは肩をすくめて首を振る。
「アイン。君のクラスにしては、まだあまり統制がとれていないな」
金髪のクラス委員が揶揄するように言うと、アインは不敵に笑った。
「なあに、これからさ」
「ごめんなさいね」
呆気に取られた様子でエメリアを見送ったウルリケに、ノリシュが申し訳なさそうに言った。
「少しとっつきづらいところのある子だから」
「私、何か悪いことを言ったんでしょうか」
ウルリケの問いに、ノリシュは首を振る。
「あなたは何も悪いことなんて言っていないわ。それに、あの子を動かしてるのは言葉じゃないから」
その後、ノリシュやその隣に座る男子生徒たちがあれこれと盛り上げてくれたので、食事自体は楽しく終わったが、二人にはなんとなくもやもやが残った。