交代
「私、やっぱり障害物競走に出たいの」
ベルティーナが突然そんなことを言い出したのは、翌日の放課後のことだった。
いつもは明るく朗らかなこの貴族の令嬢が、妙に目を輝かせて勝気な笑みを浮かべていた。
クラス委員のルネは少し困った顔で、
「もう決まったことだし、今さら変更は難しいわ。もしも誰か代わってくれる人がいるのならいいけど」
と言った。
「ありがとう、ルネ」
ベルティーナは立ち上がって、クラス全体を見まわす。
「わがまま言ってごめんなさい。誰か、私と代わってくれないかしら。誰でもいいのよ」
「ベルティーナお嬢様よう、なんだってこっちに来たがるんだよ」
ラウディが迷惑そうにベルティーナを睨んだ。
「昨日の練習でレオンたちと仲良くやってたじゃねえか」
「私も、庭園を思い切り走りたくなったのよ」
ベルティーナは言った。
「ラウディ、あなたが代わってくれる?」
「冗談じゃねえよ」
ラウディは吐き捨てる。
「俺にレオンたちと仲良くやれって? 頼まれたって嫌だね」
「僕も御免こうむるよ」
レオンが快活に言った。
「ラウディが仲間では、勝てるものも勝てない」
「なんだと」
ラウディが吼える。
「てめえ、レオン。もう一度言ってみろ」
「何度言っても構わないよ、本当のことだからね」
応じるレオンは涼しい顔だ。
「それなら聞くが、君は勝つために僕と協力できるのか」
「できるか、そんなもん」
「ほら。つまりそういうことだろう」
「うるせえ」
ラウディはレオンに叫ぶと、ベルティーナを睨みつけた。
「お前がつまんねえことを言うからだぞ」
「やっぱり、ラウディじゃ無理よね」
ベルティーナは気にした風でもなく、ふう、とため息をつく。
「他に、誰かいない?」
「おう、レクト」
ラウディがレクトに顔を向けた。
「お前、向こうに行ってやれよ。その方がいいだろ?」
「あ、それいいな」
すぐにジルコが同調した。
「レクト。お前だってはっきり順位がつくのはつらいだろ? 板の塗り替え競争なら、足を引っ張ったって目立たないから安心だぜ」
「おう。向こうはビリとかねえからな。これなら全員が得するじゃねえか」
ラウディが手を叩いた。
「な、レクト。行けよ」
「ぼ、僕は」
「だめよ」
レクトが答える前に、少女の声がぴしゃりと遮った。
「レクトは障害物競走に出るのよ」
声の主は、ウルリケだった。
こういう議論の際に滅多に意見を言わない彼女が口を開くと、それだけで雰囲気がぴりっと引き締まった。
ウルリケは厳しい表情でベルティーナを見た。
「ベルティーナ、レクトはだめ。他を当たって」
「どうしてレクトはだめなの?」
ベルティーナが言う。
「理由があるの?」
「理由なんて、あなたに言う必要はないと思う」
ウルリケの答えはあくまでそっけない。
「無理を言っているのはそっちなんだから、だめだと言われたら他を当たればいいでしょ」
それは確かにその通りだった。
ウルリケの正論に、ベルティーナも口をつぐむ。
「なんだよ、ウルリケ」
代わりにラウディが挑発するように口角を吊り上げた。
「どうしてレクトなんて遅いやつが必要なんだよ。お前、もしかしてレクトのことが好きなんじゃねえのか」
その言葉に、ウルリケがぴくりと眉を上げる。
「どこがいいんだ、何もできねえこんなやつの」
「私よりも遅い人は、黙ってて」
ウルリケの容赦のない一言に、ラウディが目を剥く。
「な、なに」
「一番速い私が言ってるのよ。あなたみたいに口ばっかりで遅い人じゃなくて」
「こ、この野郎」
ラウディが立ち上がる。椅子が、ガタン、と音を立てて後ろに倒れ、みんなが息を吞んだ。
「練習で一回勝ったくらいでいい気になるんじゃねえぞ、ウルリケ」
ラウディが叫ぶと、ウルリケは少しも怯むことなく笑った。
「ほら。自分でも認めた」
「なに?」
「あなたが今言った通り、昨日の練習で勝ったのは、私。意見したいなら、せめて次の練習で私に勝つことね。それまでは、私の言うことを聞いてもらうわ」
障害物競走で一位だったからといって、それが何かの権力に繋がるわけではない。
ウルリケの言ったことはまるで筋の通らない暴論だったが、力を信奉するラウディのような少年には効果覿面だった。
ぐぎ、と悔しそうに歯軋りしたラウディは、真っ赤な顔でそれでもまた腰を下ろした。
だが、座ろうとした椅子は、さっき自分が倒してしまっていた。
どすん、と床に尻もちをついたラウディが、いてえ、と喚くとライマーが手を叩いて笑った。
「ラウディ、だせえぞ」
「うるせえ」
ラウディが真っ赤な顔で椅子に座り直すと、ハイデがすうっと手を挙げた。
「ベルティーナ。私が代わるわ」
「いいの?」
ベルティーナが目を輝かせる。
「ありがとう、ハイデ」
「どういたしまして」
ハイデは頷いて、ルネを見る。
「ルネ、それでいいかしら」
「本当にいいの、ハイデ」
ルネは、彼女にしては珍しく、少し申し訳なさそうな顔をした。
「無理に代わる必要はないのよ」
「ううん」
ハイデは首を振る。
ベルティーナがどうしてこんな面倒なことを言い出したのか、ハイデにはその理由が分かっていた。
昨日の障害物競走の練習で、圧倒的な強さを見せたウルリケ。
あの強さを本番でも発揮すれば、他クラスの生徒や教師から注目されることは間違いないだろう。
一方、ここ最近のウルリケとの険悪な関係から彼女をライバル視しているベルティーナは、自分の種目である板の塗り替え競争では、その競技の特性上、個人が突出して目立つことができない。
だから、直接彼女と競い合って、打ち負かすことのできる障害物競走に移ってこようとしているのだ。
ウルリケも相当に気が強いが、ベルティーナも明るい普段の態度に隠れてはいるものの、実はこのクラスで一番といってもいいほどに気が強いのだ。
ここで種目を移れずに不満を抱えたベルティーナが、ケリーやデルマたちを巻き込んで何か始めたら、クラスはどんどんややこしくなる。
だったら、二人に直接やり合わせた方が、案外いい方向に転ぶかもしれない。
ハイデはそう考えたのだ。
あなたたち二人とも面倒なんだから。
とりあえず、本番前に練習で本気でやり合いなさい。
「私も、板の塗り替え競争に興味あったから」
ハイデがそう言うと、レオンが笑顔で頷いた。
「歓迎するよ、ハイデ。一緒に頑張ろう」
「ありがとう、レオン」
それを聞いたラウディが面白くなさそうに、へっ、と笑う。
「本当にいいのね、ハイデ」
ルネがもう一度念押しし、ハイデはそれに頷く。
「ええ」
「分かったわ」
ルネは立ち上がってクラスメイト達を見まわす。
「もう本番まで間がないので、こういうことは今回限りにしてほしいわ。他に変更したい人がいたら、今申し出てね。誰であろうと、次は聞かないわよ」
それに対して、誰からも異論はなかった。
「じゃあ、ベルティーナとハイデが交換ということで」
ルネが言うと、ベルティーナは胸の前で手を組んで、笑顔をはじけさせた。
「やったあ。ありがとう、ハイデ、ルネ」
「いいのよ」
そう答えながらハイデは、明日の二回目の練習が楽しみだわ、と内心で思っていた。




