秘密
その夜。
レクトが遠慮がちにドアをノックすると、ウルリケが顔を出した。
「来てくれたんだね、レクト」
そう言って、嬉しそうに微笑む。
「う、うん」
こんなことは、今までのウルリケは決して言わなかった。
どうしてこんなに柔らかくなったんだろう。
「いいものを見せてくれるって」
「しっ」
ウルリケは唇に人差し指を当てる。
「ここだと、ちょっと」
ウルリケは、部屋の中をちらりと振り返った。
「外に行きましょう」
そう言って、ドアの隙間からすべるように外に出てくる。
「外?」
レクトは驚いた。
とっくに夕食も終わった時間だ。
廊下の窓から見える外の景色はすっかり闇に包まれている。
「今からかい?」
「寮の中じゃ、見せられないの」
ウルリケはそう言うと、レクトの手を取った。
「ほら。早く、早く」
「あ、え、うん」
ウルリケに手を引かれるままにレクトは階段を駆け下り、大扉の外に出た。
生ぬるい風に混じって、虫の鳴き声がする。
少しずつ、夏が近づいている。
「こっちよ」
ウルリケは迷う様子もなく、寮の壁沿いにぐるりと回り込んでいく。
やがて、いかにも誰も来なさそうな植え込みの陰で、ウルリケは立ち止った。
「この辺でいいかしら」
寮の窓から明かりはこぼれているが、それにしても暗い。
こんなところに、女の子と二人きりなんて。
レクトは落ち着かずにきょろきょろとあたりを見回す。
誰も来るわけはないのだが、何だか妙に人の目が気になる。
「どこ見てるの、レクト」
ウルリケの甘い声がした。
レクトはどきりとして彼女を見る。
「こんなところ、誰も来ないわよ」
ウルリケは微笑んで、しゃがみこむと、手振りでレクトも同じようにしゃがませる。
それから右手をレクトに差し出した。
「え? え?」
レクトが顔を真っ赤にして戸惑っていると、ウルリケは、
「見てて」
と囁いた。
次の瞬間、その手にぼうっと炎が灯った。
「あっ」
思わずレクトは声を上げる。
これは。
レクトにも、その魔法の名前は分かった。
「灯の術」
「ええ」
ウルリケは得意そうに頷く。
炎はゆらゆらと揺れながら、二人の顔を照らす。
時折、ぼぼぼ、と音を立てて揺れたが、炎はウルリケの手の上で燃え続けた。
「どう?」
「すごい」
レクトは驚きをそのまま言葉にした。
「いつの間に魔法が使えるようになったんだい」
「うふふ、驚いたでしょう」
ウルリケは嬉しそうに笑う。
「実は、魔法を教えてくれる人がいるの」
「教えてくれる人?」
「そう。あ、でも」
ウルリケは左手の人差し指を唇に当てる。
「他の人には喋っちゃだめよ。レクトだから、信頼して話したんだから」
「う、うん」
レクトはもぞもぞと身体を動かす。
何だろう。何だか、すごく落ち着かない。
「灯の術だけじゃないのよ」
ウルリケは右手を振って炎を消すと、今度は人差し指で空中に文字を描いた。
ウルリケの指の軌道に合わせて、光の粒が文字を形作る。
レクト、と読めた。
浮かし文字の術。
「そんな難しい魔法まで」
「もちろん、まだ練習中だけどね」
ウルリケがそう言ったそばから、文字は空中で溶けるようにして消えた。
「まだうまく安定しないの」
ウルリケは、もう一度手の上に炎を出す。
苦労する様子もなく、滑らかな発動だった。
「もう少しうまくなったら、レクトにも教えてあげるね」
ウルリケはレクトに微笑んだ。
「レクトだって、いつまでも瞑想の練習ばかりしていたって、仕方ないでしょ?」
「う、うーん」
レクトは唸る。
確かにウルリケの魔法はすごかった。
だが、自分はウルリケのように優秀な生徒ではない。
今やっている瞑想の訓練を飛ばして、彼女のように魔法を使えるようになるとはとても思えなかった。
「いったい、誰に教わってるんだい」
三年生だろうか。
魔術実践棟を案内してくれたルクスやウェンディの顔がよぎる。
たとえばあの人たちが、特別に才能あるウルリケにだけ教えてくれているとか。
それとも、魔術実践の授業を担当している、イルミスという名前の怖そうな先生とか。
だが、ウルリケの答えはレクトには予想外のものだった。
「お母さまよ」
「え?」
誰だって?
お母さま?
その時、ウルリケが不意に炎を消した。
一瞬で、レクトの視界は闇に包まれる。
「静かに」
ウルリケが囁く。
「誰か来るわ」
その言葉通り、がさがさと植え込みを揺らしながら、誰かが歩いてくるのが見えた。
「あっ」
思わず小さく声を上げてしまう。
それは、オリエンテーションの日の昼食で、さっさと席を立ってしまった女子生徒だったからだ。
名前は確か、エメリア。
下級生から一番恐れられている三年生だ。
エメリアはがっしりとした肩で植え込みを押しのけながら、ウルリケたちのところまで近付いてきた。
「一年か」
足を止めたエメリアは、灯の術で二人の顔を照らした。
「こんなところで、何をしてるんだ」
威圧感のある声に、レクトは竦み上がる。
「あ、あの」
「寮では話せない、内緒のお話をしてたんです」
ウルリケがまるで怯むことなく答えた。
「もう戻ります」
そう言って、さっさと立ち上がる。
「夜に外に出るのは、感心しない」
エメリアは言った。
「内緒話をするにも、場所は選べ」
「はい」
ウルリケが素直に返事すると、エメリアは、
「次は、管理人に報告するからな」
と言って身を翻そうとした。
だが、急に怪訝そうな顔で二人をまじまじと見た。
「ランプはどうした」
「ランプ?」
ウルリケが小首をかしげる。
「持ってませんけど」
「持ってない?」
エメリアは眉を顰める。
「私はちょうど廊下からランプの明かりが見えたから、おかしいと思ってここに来たんだぞ」
「そう言われても」
ウルリケは、レクトに顔を向ける。
「ねえ、レクト」
「はい」
レクトは頷く。
「ランプは持ってないです」
「あなたの勘違いじゃないんですか」
驚くほど冷たい声で、ウルリケは言った。
「もう行ってもいいですか」
エメリアは、何かを考えこんでいて答えなかった。
ウルリケはレクトの手を取る。
「行きましょ、レクト」
「あ、うん」
二人は、黙ったままのエメリアの脇をすり抜けて、寮の大扉へと走った。
「さっきの話、誰にも内緒だからね」
二階の廊下で別れるとき、ウルリケはそう言った。
「今度、レクトにも魔法教えてあげるから」
レクトがどう答えようかと迷っているうちに、ウルリケは笑顔で手を振って、歩き去ってしまった。




