暗闇
ウルリケの部屋は、レクトの部屋と同じ二階にある。
レクトがドアをノックすると、顔を出したのはルームメイトの三組の女子だった。
「ウルリケ? 今日はまだ帰って来てないみたい」
女子生徒はそう言って部屋を振り返る。
「鞄もないし。まだ校舎の方にいるんじゃないかなあ」
「あ、そうなんだ……」
「何か伝言があるのなら、聞くけど」
「うーん……大丈夫、自分で伝えるよ。ありがとう」
自分が責任をもってウルリケに伝えると、クラスのみんなの前で宣言したばかりだ。
さっそくルームメイトに伝言を頼むのは違う気がするし、もしもこの子がそれを忘れたりしたら最悪だ。
きちんと、顔を見て伝えよう。
僕と同じ、障害物競走に出ることになったよ、って。
自分の部屋に戻りながら、レクトは考えた。
ウルリケは図書館に行くと言って、教室を出ていった。
もうすぐ夕食の時間だというのに、まだ図書館にいるのだろうか。
「どうだい、ウルリケに会えた?」
部屋に帰ると、ルームメイトのモリスがそう声を掛けてくれた。
「ううん、まだ帰ってなかった」
「それは遅いね」
モリスはちょっと怪訝そうな顔をする。
「教室はあんなに早く出ていったのに」
「図書館に行くって言ってたから」
レクトは答える。
「多分、まだ本を読んでるんだと思うよ」
「うん、まあそうかもね」
モリスは少し納得がいかなそうな顔で曖昧に頷く。
「でも、もう暗くなってきてるよ。帰り道、ランプもないだろうに」
モリスの言う通り、一年生は日が落ちるまでには寮に帰るようにと言われていた。寮と校舎を結ぶ道は、途中に雑木林もあり、夜になると真っ暗になってしまうからだ。
ランプがあれば問題はないが、通学するときに部屋に備え付けのランプを持ってくる生徒はまずいない。
二年生や三年生の中にはかなり遅くまで外で活動している生徒もいるが、それは彼らがランプなしでも灯の魔法で足元を照らせるからだ。
「まあでも、夕食までには帰ってくるだろうから、食堂で捕まえればいいんじゃないかな」
モリスの言葉に、レクトは一度は「うん」と答えたが、やはり思い直した。
「僕、寮の玄関で待ってようと思う」
レクトは言った。
「ウルリケも多分、暗くてどきどきしてると思うから」
「ウルリケがどきどき?」
モリスは目を見張る。
「僕には想像つかないな」
「そうかな」
オリエンテーションの日、魔術実践棟の暗闇の中に入ったときは、ウルリケも少し不安そうだった。
「ウルリケだって、そういうところは普通の女の子だと思う」
「君には分かるんだね」
モリスは頷いて窓の外を見た。昼間にはその方向に見えるはずの雑木林は、もうすっかり闇の中だ。
「じゃあ行ってきなよ。そんなことを言ってるうちに帰って来ちゃうかもしれないよ」
「うん」
レクトは部屋を出ると、駆け足で階段を下りた。
寮の大扉を出ると、夜の空気に包まれる。
思った以上に、暗くなっていた。
食堂の方から、賑やかな声が聞こえてくる。もうまもなく、夕食の時間になるのだ。
レクトは校舎へと続く暗い道の先を見た。
ぽつり、と灯が現れた。それがゆっくりと近付いてくる。
灯の魔法の炎を左手の上に出して歩いてきたのは、三年生の女子生徒だった。
「あら」
女子生徒は、扉の前に佇むレクトを見て微笑んだ。
「レクトじゃない」
「こんにちは、ノリシュさん」
「ノリシュでいいわ」
帰ってきたのは、オリエンテーションの日の昼食でウルリケの前の席に座っていたノリシュだった。
レクトと同じラング公国の出身で、彼女とはその話で盛り上がった記憶がある。
「誰か待ってるの?」
「あ、はい。ウルリケを」
「ウルリケ。ああ、あなたのパートナーね」
ノリシュは頷いてから、少し心配そうな表情になる。
「まだ帰ってきていないの?」
「ウルリケは本が好きだから」
レクトは答える。
「多分、図書館に長居しちゃってるんだと思います」
「そう……」
ノリシュは小首をかしげる。
「でも、図書館の司書のタミンさんは、日暮れが近くなると閲覧室を見まわって、一年生がいたら帰らせるのよ」
「そうなんですか」
「ええ」
ノリシュは自分でも今歩いてきた道を振り返った。
「何かあったのかしら」
「大丈夫だと、思うんですけど……」
レクトの言葉は中途半端に途切れた。ノリシュの話を聞いたら、急に不安になってきてしまった。
何かあったんだろうか。
ウルリケには、一緒に行動を共にするような同級生はいない。
一人で、こんな時間までどこにいるんだろう。
森で薬草を摘む必要のある授業も、明日はないはずだ。
「探す必要があるかもしれないわね」
三年生だけあって、ノリシュの判断は早かった。
「みんなに声を掛けてくるわ」
「え、あ」
ノリシュが大扉に手を掛けた時、道の先に黒い何かが現れた。
レクトにはそれがまるで凝固した闇のように見えた。
だが、目を凝らすと正体が分かった。
「ああ」
レクトはほっと息を吐いた。
「ウルリケだ。帰ってきた」
「え?」
ノリシュが振り返る。
彼女の目にも、灯もなしに一人で歩いてくるウルリケの姿が見えた。
「本当ね、よかった」
ノリシュ安心したように、大扉を開けた。
屋内の明かりがこぼれ出してノリシュとレクトを照らす。
「暗くなるまで外にいると危ないからね。レクト、あなたからも気を付けるよう伝えておいて」
「はい」
頷いて、レクトはウルリケに手を振る。
「ウルリケ」
レクトに気付いたウルリケが、手を振り返してくれる。そんな二人の様子を見て、ノリシュは微笑んで中へと入っていった。
ウルリケは暗い道を危なげもないしっかりとした足取りで近付いてくる。
「お帰り、遅かったね」
レクトはそう言いながら、彼女に駆け寄った。
「どうしたの、レクト」
ウルリケの頬は紅潮していた。
「こんなところで」
「ええと」
君を待っていたんだ。心配したよ。
そう言いたかったが、そんな風に言ったら気障な気がした。
「連絡があるんだ。運動競技会のことで」
「ああ、そういえば」
ウルリケは思い出したように頷く。
「そんな話もあったわね、それで待っててくれたの?」
「うん」
「わざわざありがとう。待たせちゃったわね」
その声がウルリケにしては場違いなくらいに明るくて、レクトは戸惑って彼女の顔を見た。
「何かいいことあったのかい」
「ええ、まあ」
ウルリケは曖昧に答えた。けれど、その目がキラキラと輝いていた。
「暗かっただろ。怖くなかったかい」
「ちっとも」
ウルリケは答えた。
「私、夜が好きだわ」




